ぎっくり腰再発2012年05月01日

 三日前から腰の調子がおもわしくない。デスクワ-クをした後、立ち上がった拍子に左腰に鈍痛が走る。真っすぐ立てずにおじいさん状態で屈んで歩く羽目になった。しばらくすると元に戻るのだが何とも苛立たしい。そんな状態で二日間の旅行に出かけた。案の定、長時間の車中から降りた途端に鈍痛が訪れしばらく無様な格好を晒していた。
 ようやく今朝、最寄りの整骨院を訪ねた。これまで何度もお世話になっている馴染みの医院である。症状を訴えると、「季節の変わり目などに発症するぎっくり腰の一種でしょう。それまでの疲れや無理が何かの拍子に出てきたようです」とのこと。しばらく通院治療が続きそうだ。二日間の楽しい思い出の前後に訪れた災厄である。”好事魔多し”の諺を口にしてみた。

怠惰な一日2012年05月02日

 朝から雨は、一日降り止むことがなかった。いつもなら多少の雨でも朝のウォーキングは欠かすことはない。ところが今日ばかりはくじけた。ここのところの腰痛が追い打ちをかけた。昨日治療を受けた整骨院の先生の「しばらくはウォーキングも控えて安静にした方が良い」という言葉がダメ押しとなった。
 一日、読書をしたりして部屋の中でゴロゴロと怠惰に過ごした。歩数計は2000歩にも満たない記録的な最低カウントとになりそうだ。衰える一方のこれからの人生のこうした事態を素直に受け入れよう。

さくらの額の存在感とタモの木の春2012年05月03日

 曇り空の早朝を歩いた。有馬川土手道のさくら並木がすっかり葉桜になって深緑の衣をまとっていた。葉桜に覆われた並木道が茶色の縞模様を描いていた。並木の足元の道に花弁を失くした茶色の額が無数に散っていた。並木の途絶えた空間が白のペイントを描いている。目を奪われがちな花弁でなくそれを支えた額がここにきてその存在感を主張していた。
 さくら並木の彼方のタモの木も少し趣きを異にしだしたようだ。遠目には骨だけに見えた枝先に黄緑の息吹が宿っていた。落葉樹タモの木の寒々とした裸の季節が幕を閉じようとしている。芽吹き始めたタモの木にようやく訪れた春を祝福した。

長浜黒壁スクエアと彦根城を訪ねた2012年05月04日

 昨日の一日、娘夫婦の住む滋賀県で過ごした。二日前に息子夫婦も含めて一緒に山口を旅したばかりである。「嫁いだ娘と一緒に過ごせるのはGWくらいしかない」という家内の言い分を受け入れた。
 朝8時半に娘夫婦の出迎える最寄り駅に着いた。住いに立ち寄って母親手作りの惣菜などを渡した後、婿殿の運転するマイカーで長浜観光に出発した。
 JR長浜駅前に駐車し、すぐ近くのお目当ての「黒壁スクエア」散策に出かけた。北国街道の案内板のある旧街道がスタートとなる。仏閣やお土産店の並ぶ風情のある街道筋を北に向った。黒壁ガラス館前を右に折れ大手門通りに入る。すぐ右手の分福茶屋の店頭で美味しそうな丸い餅を焼いていた。娘のお勧めの「つぶら餅(2個120円)」を早速購入し店内でそのもちもちした食感を味わった。商店街を東にしばらくいくと「かどや」という店先で「天下いも(525円)」という大ぶりのスイーツを売っていた。これまた娘のお勧めで家内はご近所のお土産用に3本購入していた。
 そのすぐ先の長浜曳山博物館(600円)に入館した。長浜曳山のことは多少知ってはいたが、これほどのものとは思わなかった。祇園の山鉾を思わせる展示された2台の曳山の巨大さに圧倒された。映像シアターで「長浜曳山まつり」のDVDを観た。祭礼や子ども歌舞伎を中心に約10分の映像がまつりの全体像がコンパクトに解説する。役者の子どもたち、運営する若衆、仕切り役の中老など多様な世代が順繰りにまつりを支えていく。その仕組みこそが「長浜独自のまちづくりのかたち」だという。京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つに数えられる長浜曳山まつりである。その伝統行事が継承されていく説得力のある背景を教えられた。
 スクエアの北東の角に真宗大谷派長浜別院大通寺(長浜御坊)があった。折しも花まつりの日だった。山門に向かう参道には近隣の多くの真宗末寺の子供会のグループが白像のハリボテを中心に列をなしていた。大通寺の巨大な山門をくぐって広大な境内に入り本堂前で参拝した。
 スタート地点近くの「翼果楼(よかろう)」という郷土料理店で昼食をとったのは12時前だった。古い町家をそのまま利用した郷愁を誘う店だった。この店の売りは何といっても長浜名物の焼鯖そうめん(840円)である。濃い味のそうめんにだし汁で煮込んだ焼鯖がのせられている。柔らかすぎるそうめんは好みでなかったが、焼鯖は柔らかくいい味だった。八つ切りの焼鯖寿し1本(1260円)も注文し4人で分け合って味わった。
 長浜を後にして彦根城に向かった。GWの渋滞を懸念したが12時半には城門前の駐車場に駐車できた。とはいえ姫路城、松本城、犬山城と並ぶ国宝四城のひとつである。さすがに大勢の観光客がつめかけている。入場待ち30分の行列をみて天守閣登城は断念した。本丸広場から見上げる三層の天守閣のどっしりした優美な姿をカメラに収めた。三重櫓の西の丸に登り琵琶湖を望む眺望を愉しんだ。黒門参道を下ってお濠を超え、玄宮園と名付けられた大名庭園を散策した。広い池を中心に近江八景を模して造営されたという庭園は、天守閣全貌を望める見事な光景をつくりだしていた。庭園を出てしばらく行った先に井伊直弼大老像が建っていた。彦根藩からこの人物が出なかったら彦根城はこれほど有名にはならなかったのではないかとふと思った。その先の馬屋は近世城郭に残る唯一のもので重要文化財に指定されている。
 彦根を後にして母娘の待望の竜王アウトレットモールに向かった。娘夫婦の母の日プレゼントのお買い物が目的である。ブランドのウォーキングシューズを手に入れてご機嫌の家内を尻目に父の日を想った。娘夫婦に送られて最寄りのJR駅から新快速に乗車した。19時頃には帰宅し、13時間に及ぶ日帰りの旅を終えた。

我が家に訪れた本物の静寂2012年05月05日

 朝10時過ぎに帰省中だった息子夫婦がUターンした。娘夫婦は連休前半にUターンしていた。いつもの老夫婦二人の静かな生活が戻った。もっともよく喋りよく働く伴侶とあっては、それほど静かな生活は保証の限りでない。息子夫婦のマイカーが彼方に消えた途端、「さあ、庭の草引きをしよう!」と声がかかった。子どもたちの帰省中、忙しくその世話に明け暮れた人の掛け声である。抗すべくもない。一緒に黙々と草抜きに励んだ。
 一段落してリビングで寛いでいた。家内が携帯で喋りだした。どうやら友人宅を訪問する手はずをしているようだ。携帯を終えて家内が告げた。「友だちとこへ行ってくるわ。昼ご飯はよばれるから、お父さんも適当に食べといて」。永年おつきあいしている連れ合いの生態は百も承知である。久々の子どもたちの世話で、溜まった気疲れを発散しにいくのだ。「お布団干してるから入れといて!」。ダメ押しの一言を残してあっという間に消えた。
 家内のいなくなった我が家に本物の静寂が訪れた。

我が家に訪れた本物の静寂。その後・・・2012年05月06日

 昨日の昼前に家内が友人宅に出かけて、我が家に本物の静寂が訪れた。静寂を破ったのはヤッパリ連れ合いだった。三時過ぎに私の携帯が鳴った。「お布団入れといてくれた~ッ」。当てにならない亭主の尻を叩く嫁のチェックコールだった。「ハイハイ」。二階のベランダに行って息子夫婦が使った布団を部屋の中に放り込んだ。
 夕方五時過ぎに放し飼いの家内がようやく帰還した。夕食の準備もなさそうだ。「晩ご飯は?」。亭主の不安にこともなげに嫁が答えた。「おしんこ巻き」。そりゃないやろ。子どもたちが帰省していた昨日までの豪華な夕餉との落差は余りにも大きい。せめておしんこだけでなく何か一緒に巻いてくれ。勝手に冷蔵庫を漁った。冷凍されていた二匹の焼穴子を発見した。辛うじておしんこに穴子が追加された。
 穴子入りおしんこ巻きを前に二人だけの食卓を囲んだ。「また静かになるなぁ~」としみじみ家内が呟いた。「お前がおるからそれほどでもない。本物の静寂がほしい」とつい軽口で返してしまった。「何言うてんの。よくしゃべってくれる奥さんやから寂しないんやないの」と直球で返された。自覚はあるんや・・・と思いながら二の矢は控えて口をつぐんだ。
 こんな掛け合いで繰り広げられる夫婦二人の余生も捨てたもんではない。

ゴールデンエイジのゴールデンウィーク2012年05月07日

 ゴールデンウィークが終わった。暦上では長い人で4月28日から5月6日までと9日間もの連休だった。個人的にもこの間では5月1日に街頭補導と社協役員会の地域活動があっただけだ。その前後には地域活動や労働委員会の業務でぎっしり埋まっている。
 リタイヤして丸3年が経過した。人並みに初めてGWを実感したような気がする。現役時代を流通業で過ごした身にはカレンダー休日とは無縁だった。リタイヤ後、毎日が日曜の生活に入ってカレンダー休日のありがたみは実感がなかった。そんな生活にカレンダー休日以外の平日の地域活動や労働委員会業務が徐々に詰まってきた。GWの空白スケジュールの貴重さを実感しだした背景である。
 そんなGWをプライベートな充実したな時間で過ごした。子どもたち夫婦と三組で初めての一泊二日の旅をした。娘夫婦の新居を訪ね長浜や彦根で愉しんだ。それ以外のたっぷりあった余暇を溜まっていたHP更新や労働委員会関係の原稿作成に充てた。
 リタイヤ後の60代はゴールデンエイジだと思う。通常、心身の健康、生計のゆとり、時間のゆとりのバランスが最も取れている年代である。ゴールデンエイジのゴールデンウィークをどう過ごせるか。人生のバランスシートのバロメーターなのかもしれない。

ゴールド免許を更新した2012年05月08日

 今日、車の免許更新を済ませた。混雑が予想される朝一番を避けて10時40分頃に会場に到着した。受付、視力検査、暗証番号登録、写真撮影と係員のテキパキした運営で15分ほどで講習会場に誘導された。
 二回続けてゴールド免許である。とはいえ余り自慢できることでもない。歩くことを身上としているのでほとんど車を利用しない。夫婦二人で出かける時もいつのまにか運転はほとんど家内になっている。ペーパードライバーに近い実態が免許証に傷がないゴールド免許の正体である。
 そんなゴールド免許者には最短30分の講習だけで更新が認められるという特典がある。40人ほど収容の講習会場には半分近くの席が埋まっていた。ほぼ満席近くになった11時10分に講習開始となる。
 まず15分ほどのビデオが上映される。さすがに安全運転の必要性を受講者にあらためて痛感させられる中味の濃いビデオだった。続いて講師から改正道交法のポイントが要領よく解説される。後部座席ベルト着用が義務付けられたことを初めて知った。高速道での違反点数は1点だという。自転車の走行は車道が原則ということも法制化されたという。高齢者の事故多発に対応して高齢者向けの更新が導入された。70歳以上には高齢者講習が、更に75歳以上には講習予備検査(認知機能検査)が義務付けられた。次回の更新時には高齢者講習が待っている。いよいよいつまで免許を更新するかというテーマが迫られる。
 ジャスト30分で講習が終了した。新たなゴールド免許を手にして会場を後にした。到着からわずか1時間余りの更新手続きだった。

藤沢周平著「闇の傀儡子」上・下2012年05月09日

 藤沢周平の伝奇時代小説の傑作といわれる「闇の傀儡子」上・下二巻を再読した。44歳の遅咲きデビューした藤沢周平の51歳の作品である。その作風に質的変化が見られるようになった「用心棒日月抄」シリーズや「隠し剣」シリーズの延長線上の作品に位置し、それまでの暗さの漂う重いテーマの作品を脱した明るい色調の娯楽作品である。
 ただ個人的には直前に再読した「用心棒」や「隠し剣」ほどの評価は下せない。読み終えて、「用心棒」の魅力的な登場人物の織りなす機微や「隠し剣」の短編に凝縮された緊張感といった作品の特性が伝わらない。伝奇小説というジャンル自体に馴染めないところがある。
 徳川三代将軍・家光の弟の駿河大納言忠長の流れを組む徒党・八嶽党を巡る闘争がテーマである。御家人くずれの主人公・鶴見源次郎と八嶽党との偶然の出合いから物語が始まる。ミステリー仕立ての物語が奔放に展開し舞台を広げていく。愉しんで読めるという点では文句なしに一級の娯楽作品である。

映画評「愛しの座敷わらし」2012年05月10日

 昨日、3カ月ぶりに映画を観た。朝10時の労働委員会調査から夕方5時の総会までの空白時間を、映画「愛しの座敷わらし」で費やした。
 1時上映の大阪ステーションシネマの客席は、中高年の観客を中心にほぼ満席だった。ちなみに監督の和泉聖治と主演の水谷豊は、私の好きなドラマ『相棒』のコンビでもある。
 一言で表現すれば「田舎暮らしを題材にした良質のホームドラマ」といったところか。自然に囲まれた岩手県の美しい田舎に建つ築200年の萱葺屋の広い古民家が舞台である。古民家好きな私にとってはこれだけで嬉しくなってしまう。
 ここに東京から盛岡に転勤になった主人公一家5人が移り住む。家の中心には昔ながらの囲炉裏が据えられている。実はこの囲炉裏こそがこの物語のテーマを象徴していたことから観終えてから教えられる。 囲炉裏の回りに集いあう家族。会社を辞めなければならないかもしれない事態を迎えて、水谷豊演じるお父さんは言う。「たとえ辞めてもお父さんはこの囲炉裏のようにみんなを守るから・・・」。そのお父さんの東京の本社復帰が決まった。友だちもでき田舎暮らしが好きになりかけている子どもたちに、お父さんは「単身で東京に帰ってもよい」と告げる。安田成美のお母さんがいう。「囲炉裏のようにみんなを守ると言っていたお父さんが東京に行くのだから、私たちも囲炉裏と一緒に行かないと・・・」。上映中に唯一琴線に触れてウルウルさせられたシーンである。
 古民家に棲みついた可愛い女の子の座敷わらしが登場する。ただし物語に余り関わりはない。強いて言えば座敷わらしに象徴される日本的な風習の意味合いだろうか。座敷わらしが棲みついた家には福がもたらされるという。一家は座敷わらしを受け入れながら暮らし始める。そして家族の絆を取り戻した末に再び古民家を去っていく。