有馬川”橋物語”⑧十王堂橋2024年05月22日

 「上山口区誌」の年表に大正7年に十王堂橋の架替工事の完成の記述がある。以降、有馬川の洪水で何度か流出された思われるが、現在の橋がいつ架替されたかは不明である。
 橋の名前の由来については神戸女子大学文学部史学科発行の「西宮市山口町上山口・下山口の民俗」には以下の記述がある。「十王堂橋という橋が近くにあるので、以前からお堂があったと思われ、永蓮寺のお堂とも言われている」。永蓮寺はこの橋の西にわずか200ⅿほどの小山にあったとされ、明徳寺の快慶作といわれる本尊がかつて安置されていたとされる格式のある古刹だった。
 橋の東の袂に隣接して”道標”が建っている。明治3年建立の道標には「右 ありま なだ / ひだり ふな坂 西ノ宮」と刻まれている。三田と有馬温泉とは有馬川沿いに山口の各村を縦貫する三田街道で結ばれていた。大坂街道の代替街道として船坂から金仙寺を経て上山口に繋がる船坂川沿いの金仙寺道もあった。この道標は三田街道と金仙寺道の接点として建てられたものである。

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