オヤジ会のプラットフォームの機能2024年07月01日

 ちょい呑みオヤジ会は2014年1月25日の 発足後、コロナ禍で2年間の中断があったが、丸10年が経過した。現在の登録会員は30名だがこの間に退会された登録会員は36名を数える。内訳は退会者25名、市外転出者4名、入所入院2名、死亡5名である。あらためて会員の推移を調べてみて入会・退会の出入りの多さを実感した。
 オヤジ会では「進行役の輪番制」「事務局報告」「参加者近況報告」という運営上の決め事を頑なに守っている。座長である私の”全員参加の呑み会”というポリシーでもあるが、このことが10年、80回に及ぶ呑み会を維持してきた所以ではないかと思っている。
 とはいえ「呑み会の席で地域活動の話しは聞きたくない」「毎回近況報告を求められるのは勘弁してほしい」等、こうした運営に馴染まない方もでてくる。入退会やお休み自由のオヤジ会である。そうした人は自ずと足が遠のき自然退会となる。運営に納得し相性も良い方は永く会員を続けている。
 考えてみればオヤジ会こそ地域のプラットフォームというインフラではないかと思う。「入会申込み書&自己紹介カード」という切符を提示してもらうが、欠席や退会はフリーである。都合が合えば参加し事情があれば欠席する。会の雰囲気が合わなくなれば退会もやむなし。体調を崩して入院や施設入所すれば自ずと退会になる。前年に1度も出席がなければ自然退会として案内を停止する。
 こうしたインフラ機能のオヤジ会だけに存続していることこそが欠かせない。持続可能なオヤジ会が課題である。

コーラス、ジャズ、吹奏楽の競演!2024年07月02日

 山口町ゆかりの三つの音楽グループの競演というユニークなコンサートが山口ホールで開催された。北六甲台のコーラスグループ”ららコーラス”、山口町を中心に演奏活動を行うビッグバンド”さくらやまなみ楽団”、団長・指揮者が山口町出身の”県立西宮高等学校OB吹奏楽団”の3グループのジョイント・コンサートである。開催に向けて地区社協も支援金を提供し協賛した。
 当日の会場には満席の約150名の聴衆が詰めかけた。13時半に開演したコンサートでは、コーラス、ジャズ、吹奏楽のジャンルを超えた競演と合同演奏で16曲が15時半過ぎまで演奏された。聴衆はそれぞれに趣きの異なる演奏を存分に愉しんだ。
 聴衆にとっては楽しいジョイント・コンサートだが実際の公演となると色んなハードルがある。各グループごとに10数名から30名近くと出演者数が異なり楽器の違いもある。そのため演奏スペースは柔軟に対応できるよう舞台をなくし客席にはみ出す設定になっている。グループ間の入替えも時間を要する。最後の総勢約60名による合同演奏では、14名のコーラスの声量が楽器演奏に埋没しがちだったのも致し方ない。
 そんな困難をクリアしながら意欲的なジョイント・コンサートがアンコール曲”明日があるさ”を最後に幕を閉じた。MCから各グループの代表と指導者が紹介され、最後は実行委員長のさくらやまなみ楽団代表の挨拶で締めくくられた。

早朝ウオーキングの憂鬱な感慨2024年07月03日

 梅雨の合間の束の間の曇り空を歩いた。梅雨入りして10日ほど経っっていた。雨模様の早朝も珍しくないが、さすがにこの歳で雨の中のウオーキングは辛いものがある。挫けそうな気分を引き締めて出かけるものの”1日1万歩”の日課は断念している。スマホの歩数アプリには万歩を切った棒グラフが並んでいる。
 後ろから人の歩く気配が近づいてきた。私の横をすり抜けていった人物の姿をみて驚いた。どうみても私と同年配の高齢女性が前かがみに早いピッチで足を運んでいた。ガックリしながら思い知らされた。その女性の歩みはそれほど早いわけではない。私のペースが衰えているのだ。
 早朝ウオーキングで万歩の断念を受入れていること、同年輩の高齢女性に先を越されたことの2つのできごとが憂鬱な感慨をもたらした。

放課後キッズルームの最新情報2024年07月04日

 ボランティアコーディネーター会が開催された。予定の議題が終わってその他の報告に移った時、あるコーディネータから貴重な報告があった。地元小学校の放課後キッズルーム事業の最新情報だった。
 地元小学校の放課後キッズルーム事業については1カ月前のコーディネータ会で見守りサポーターの不足にボラセンとして対応することを確認した。約80名の登録ボランティアに募集チラシを配布して応募を呼び掛けた。それ以外にも社協役員やオヤジ会メンバーのグループラインでもチラシ貼付で呼び掛けた。
 今回の会議での報告者はその呼び掛けに応じてサポーターに就任したばかりのコーディネータである。前日にサポーター説明会があり事業の最新情報が報告された。
 それによると今回新たに就任したサポーターは6名で、ボランティア登録者3名、オヤジ会メンバー2名、社協協力員1名である。全員が今回の呼び掛けに応募したメンバーであることが窺えた。
 その結果スタッフ不足で今まで実施が見送られていた屋外活動が8日から開始されることになった。22日から夏休みだが午前中のキッズルームにも十分対応できそうだ。説明会当日のキッズルーム参加者は22名とのことで当初の10名前後の参加者から大幅に増えているという嬉しい情報も得られた。

オヤジ会の最古参メンバーの訃報2024年07月05日

 オヤジ会メンバーからの悲しい連絡が届いた。2015年1月のオヤジ会発足以来のメンバーだったKさんが亡くなったとのこと。ここ1年ばかり闘病生活が続いていたことは承知していた。そのため一昨年の12月の例会を最後にオヤジ会出席は叶わなくなっていた。それでも累計出席数は38回に及ぶ。
 ゴルフや庭仕事が趣味で、いつも周囲の人への気遣いを頂ける貴重な方だった。私より3歳年長の同世代である。個人的にもオヤジ会代表世話人の立場から何かと頼りにしていた方でもあった。
 訃報を届けてもらったメンバーは入院中のKさんの奥さんのスマホトラブルのケアをしてもらっていた。そのための奥さんとのやりとりを通じて亡くなられたことを伝えられたようだ。
 かけがえのない身近な知人の訃報だった。ただ冥福を祈るしかない。

山中コミスクの”あいさつ運動”実践の協議2024年07月06日

 今年度第1回目の山口中学学校運営協議会があった。8名の中学職員を含めて20名の全委員が顔をそろえた。
 今春就任の新校長からの「今年度の学校経営」の説明の後、生徒指導主任から「生徒の様子」が報告された。気がかりだった不登校の状況も報告された。一定の基準値で定義された不登校生は20名を超えるとのこと。ただ山中独自の不登校生向けの”Bルーム”の利用もある。また4~5名のフリースクール利用者との連携もあるようだ。
 その後、3つに分かれてのグループ討議となった。テーマはコミスクの重点課題である”あいさつ日本一への道”の実践に向けた意見交換だった。冒頭に生徒たち出演のあいさつ運動の実践事例のDVDが流された。
 私のグループでは「生徒たちの挨拶の声掛けと不審者対応リスク」が話題になった。「挨拶の声掛けを不審者への抑止力として捉える事例もある」「保護者が子どもたちの地域での挨拶の声掛けをどう受け止めるかが問題」「声掛けのプラスマイナス両面があるバランスの中でコミスクが一歩踏み込んだ挨拶運動を掲げることに意味がある」等々の意見が交わされた。
 各委員がそれぞれに真摯な姿勢で臨んでいる。ともすれば”充て職会議”の惰性に流されがちな地域会議にあってこの会議の新鮮な緊張感を歓迎した。

今季好調のブレイバーズ、今回も一発で勝利!2024年07月07日

 今季2回目の関西独立リーグ・兵庫ブレイバーズ公式戦を観戦した。三田ピッキースタジアムでの花火大会付きのナイーター観戦だった。今季から球団送迎バスが住宅街を巡回し三田駅前経由で送迎してもらえる。ちょい呑みオヤジ会のメンバーでもあるドライバーは試合中はバックネット裏でスコアボード操作もこなす強者である。
 4時45分頃に球場入口前で下車した。マイカーなら遠い駐車場からの道のりだがこの近さは送迎バスのありがたみである。今回の入場受付では長蛇の列ができている。花火効果だけではなさそうだ。今季のチームの好調ぶりや球団代表はじめスタッフの地域での営業努力が実っているのだろう。
 いっぱいの観客に交じって1塁側スタンドで5時のプレイボールを迎えた。早速持参のアサヒスーパードライのロング缶のプルを開けた。対戦相手は今季リーグ初参加の姫路イーグレッターズである。私の郷里でもある姫路のチームへの一抹の思いを吹っ切ってブレイバーズを応援した。
 試合展開は5回まで押され気味ながら双方無得点で進行したが、6回裏にドラマが待っていた。ツーアウトながらブレイバーズ2番のノアのセンター前の大飛球を姫路のセンターが落球した。ノアは一気に2類を陥れた。ここで登場した小早川が見事にレフトスタンドに本塁打を放った。8回表に1点返されたもののこの一発が決勝打となってブレイバーズに勝利をもたらした。ヒーローインタビューでの小早川の溌溂とした応答が印象的だった。
 試合終了後に7回に予定されていた打ち上げ花火が多くの来場者の歓声がの中で響いた。8時過ぎに三田駅下車の多くの乗客を乗せた送迎バスが球場を後にし、8時半過ぎには自宅に戻った。

山口町「不動寺」の”すりばちやいと”の行事2024年07月08日

 今年5月にオヤジ会に特異な経歴の新メンバーの参加があった。山口町下山口に創建された不動寺の現役住職である。オヤジ会のある会員の法要依頼がきっかけで参加された。
 その住職からオヤジ会メンバーへの暑気祓い法要案内の打診があった。オヤジ会の宗教活動の制約との関りを懸念されて打診は謙虚で控え目なものだった。直前の例会で打診が了解されグループラインで案内を投稿した。
 七夕の日の法要に参列した。国道176号線の明治橋東詰交差点角にある不動寺の堂内に初めて入った。堂内は外観の印象を超えた想像以上の広さだった。法要開始の10時には4人のオヤジ会メンバーを含めて30名ほどの参拝者の姿が見られた。参拝者のスマホ撮影も見受けられ法要が公開されていることが窺えた。
 導師の住職をはじめ6人の僧職が入場した。勤行の進行に合わせて導師の手で次々と護摩壇(炉)に井桁に組まれた壇木や奉納された護摩木がくべられる。時間の経過とともに炎が勢いを増し火の粉が散らばり熱気が満ちてくる。間近で勤行する僧職の額から汗が流れ落ちる。炎が主役である護摩行の過酷さが伝わった。
 この法要では昔の疫病退散の祈祷に由来する”すりばちやいと”の行事が行われた。護摩壇の前にすり鉢を置いて護摩の霊気を移し、そのすりばちにお灸をのせて参拝者の頭に被せて二人の僧侶から”真言”が浴びせられる。参列者の列に加わり炎の熱気に包まれながら体験した。
 1時間余りの法要が終わり、参拝者を前に住職ともう一人の僧侶の法話があった。住職の奥さんらしき人から麦茶の接待を受けた後、不動寺を後にした。初めて真言密教の護摩法要を体験した。

西宮琉の武地人形芝居えびす座座長の追悼記事2024年07月09日

 西宮流 (にしのみやスタイル) メールマガジンが届いた。関心のある記事にジャンプしながらある記事が目についた。「追悼 : 武地秀実さん(地域情報誌ともも代表・人形芝居えびす座座長)」という知人でもある記者の1カ月前の記事だった。
 武地秀実さんとは以前ミュージカル劇団後援会の事務局長をしていた頃に市内の文化芸術関係の方との交流ができその時に多少のご縁が生れた。そのご縁で地区社協の”敬老のつどい”にもお招きして「えびすかき」を演じて頂いたこともある。きゃしゃな身体から溢れるエネルギッシュなパワーに圧倒されたものだ。
 西宮琉掲載の追悼記事を読んで、あらためて彼女の多彩な活躍ぶりを知った。人形芝居えびす座・座長だけでなく、地域情報誌ともも代表としての取材力や識見にも敬服していた。追悼記事の丁寧で武地さんに対する想いのこもった記事にも共感した。
 私にとっても思い入れのある知人の訃報が相次いでいる。私よりも10歳も若い武地さんのご冥福を心から祈らずにはおれない。

散歩コース一角の空き地が更地化していた2024年07月10日

 早朝ウオーキングのコースの一角にある貸農園に隣接してかなり広い空き地がある。一時期、市内の社会福祉法人が買収してグループホームを建設する計画があった。その後、深刻な人不足等の影響もあり計画は断念され、一旦は更地化されていた空き地は再び元の雑草が生い茂る土地に戻っていた。
 その空き地がしばらく見ないうちに再び更地になっていた。小型シャベルカ―が駐車したままになっていることから、つい最近工事を終えたばかりのようだ。この空き地を巡って、売買があった等の新たな動きがあったのだろう。
 果たしてこの空き地がどんな姿になって生まれ変わるのだろう。