オヤジ会三人組の懇親 ― 2024年12月11日
山口公民館地域学習推進員の来年3月末の任期満了に伴う新たな推進員が何とか決まった。前回のオヤジ会で出席者に推進員を募ったところ以前から個別に打診していた方の就任意向が示された。
推進員は地元自治会からの推薦枠だったが、1年毎に役員が入替る自治会役員には推薦可能な人脈は希薄である。そんな事情から自治会長から人選を依頼されていた。社協会長の人脈に加えて30数人の会員を抱えるちょい呑みオヤジ会座長の人脈もある。現在の推進員もオヤジ会メンバーである。
そんな経過もあって現推進員と次期推進員の引継ぎを兼ねて3人で住宅街入口の”そば太鼓亭”で呑み会を持った。現推進員は同年代だが次期推進員は10歳ばかり若い。お二人ともオヤジ会には20回以上の参加があり気心は知れている。個人的にもリタイヤ後に得られた価値観を共有できる仲間である。
推進員の引継ぎを簡単に済ませた後は様々な話題に花が咲いた。コミュニティバスの動向、神戸市北区と三田市の病院統合問題、県知事選のSNS問題、オヤジ会の地域インフラとしての役割等々。5時からの呑み会があっという間に2時間近くを過ぎてお開きとなった。
推進員は地元自治会からの推薦枠だったが、1年毎に役員が入替る自治会役員には推薦可能な人脈は希薄である。そんな事情から自治会長から人選を依頼されていた。社協会長の人脈に加えて30数人の会員を抱えるちょい呑みオヤジ会座長の人脈もある。現在の推進員もオヤジ会メンバーである。
そんな経過もあって現推進員と次期推進員の引継ぎを兼ねて3人で住宅街入口の”そば太鼓亭”で呑み会を持った。現推進員は同年代だが次期推進員は10歳ばかり若い。お二人ともオヤジ会には20回以上の参加があり気心は知れている。個人的にもリタイヤ後に得られた価値観を共有できる仲間である。
推進員の引継ぎを簡単に済ませた後は様々な話題に花が咲いた。コミュニティバスの動向、神戸市北区と三田市の病院統合問題、県知事選のSNS問題、オヤジ会の地域インフラとしての役割等々。5時からの呑み会があっという間に2時間近くを過ぎてお開きとなった。
塩野七生著「ローマ人の物語29」 ― 2024年12月12日

塩野七生著「ローマ人の物語29」を再読した。この巻はサブタイトルに「終わりの始まり」と題された古代ローマの”衰亡史”を扱った上中下三巻の上巻である。
「すべての道はローマに通ず」と題された古代ローマの”インフラ”を扱った前二巻の「物語」とはおよそ趣きを異にする「資料集」から一転して再び皇帝を中心とした「物語」が再開されている。治世の大半を帝国辺境の視察に費やした皇帝ハドリアヌスのローマ帰還後の晩年の物語に、後継者アントニウス・ピウスの平穏な治世を描いた26巻の続編である。
著者は「賢帝の世紀」とした24巻から26巻のサブタイトルを改めて「終わりの始まり」としている。この巻の主人公は五賢帝時代の最後を飾る哲人皇帝マルクス・アウレリウスである。同時代だけでなく現代にいたるまで高い評価を受けた皇帝の物語が古代ローマの”終わりの始まり”であることに以降の物語のテーマを暗示している。
マルクスは先帝アントニウス・ピウスの23年の治世の後を受けて40才で帝位を継いだ。先帝たちが築き上げた高度な平和と安定を継承するという恵まれた船出だった。しかしその後の治世は飢饉や疫病、蛮族の侵入などの度重なる苦難に満ちたものになる。「賢帝中の賢帝」と呼ばれたマルクスの時代にローマの衰亡が始まる。単なる危機でなく帝国の衰亡の始まりとする物語を興味深く読んだ。
「すべての道はローマに通ず」と題された古代ローマの”インフラ”を扱った前二巻の「物語」とはおよそ趣きを異にする「資料集」から一転して再び皇帝を中心とした「物語」が再開されている。治世の大半を帝国辺境の視察に費やした皇帝ハドリアヌスのローマ帰還後の晩年の物語に、後継者アントニウス・ピウスの平穏な治世を描いた26巻の続編である。
著者は「賢帝の世紀」とした24巻から26巻のサブタイトルを改めて「終わりの始まり」としている。この巻の主人公は五賢帝時代の最後を飾る哲人皇帝マルクス・アウレリウスである。同時代だけでなく現代にいたるまで高い評価を受けた皇帝の物語が古代ローマの”終わりの始まり”であることに以降の物語のテーマを暗示している。
マルクスは先帝アントニウス・ピウスの23年の治世の後を受けて40才で帝位を継いだ。先帝たちが築き上げた高度な平和と安定を継承するという恵まれた船出だった。しかしその後の治世は飢饉や疫病、蛮族の侵入などの度重なる苦難に満ちたものになる。「賢帝中の賢帝」と呼ばれたマルクスの時代にローマの衰亡が始まる。単なる危機でなく帝国の衰亡の始まりとする物語を興味深く読んだ。
亡き弟からの届け物 ― 2024年12月13日

亡き弟の奥さんから”ゆうパック”が届いた。パックの中味は自家栽培のレモンの果実と中学校の卒業アルバムとフォルダーに納められたたくさんのコインだった。
弟は今年2月末に闘病生活の果てに亡くなった。兄弟は弟だけでしかも双子だった。それだけに身を割かれる想いに包まれた別れだった。
同封された奥さんの添え書きには弟の部屋を片付けていたら兄弟で収集していたコインと中学校の同じ卒業アルバム2冊が出てきたので送らせてもらったとのこと。
中学生時代に二人でコインや切手を収集していた思い出がよみがえった。卒業アルバムは実家にあった2冊が母親の弟宅への転居の際に紛れ込んだものだろう。私の手許になかったので探していたのだが、ようやく手許に戻った。あらためて数十年ぶりにアルバムを見た。同級生たちの懐かしい顔がよみがえった。
弟は今年2月末に闘病生活の果てに亡くなった。兄弟は弟だけでしかも双子だった。それだけに身を割かれる想いに包まれた別れだった。
同封された奥さんの添え書きには弟の部屋を片付けていたら兄弟で収集していたコインと中学校の同じ卒業アルバム2冊が出てきたので送らせてもらったとのこと。
中学生時代に二人でコインや切手を収集していた思い出がよみがえった。卒業アルバムは実家にあった2冊が母親の弟宅への転居の際に紛れ込んだものだろう。私の手許になかったので探していたのだが、ようやく手許に戻った。あらためて数十年ぶりにアルバムを見た。同級生たちの懐かしい顔がよみがえった。
コーラスグループのさよなら演奏 ― 2024年12月14日

地区社協のふれあい喫茶に出かけた。12月の今回は恒例の”アール・グレース”という女性コーラスグループの合唱イベントだった。
1時半の開催委直前に顔を出したら、会場は満席の盛況ぶりだった。それには事情があった。出演のコーラスグループは今回の演奏をもって解散する。30年ほど続いたグループのようだが、9名のメンバーは全員60代とのこと。メンバーの知人たちがこの”さよなら演奏”に駆けつけた。
お揃いのコスチュームで10曲ばかりの合唱が披露された。MCも担当するリーダーはご近所の奥さんである。こなれたトークで聴衆の関心を集めながら1時間ばかりの演奏が終わった。
入口近くの壁には今回もスタッフ作成のリースなどのクリスマス・デコレ―ションが人目を引いていた。
1時半の開催委直前に顔を出したら、会場は満席の盛況ぶりだった。それには事情があった。出演のコーラスグループは今回の演奏をもって解散する。30年ほど続いたグループのようだが、9名のメンバーは全員60代とのこと。メンバーの知人たちがこの”さよなら演奏”に駆けつけた。
お揃いのコスチュームで10曲ばかりの合唱が披露された。MCも担当するリーダーはご近所の奥さんである。こなれたトークで聴衆の関心を集めながら1時間ばかりの演奏が終わった。
入口近くの壁には今回もスタッフ作成のリースなどのクリスマス・デコレ―ションが人目を引いていた。
中学校部活動の地域移行 ― 2024年12月15日
山口中学校の学校運営協議会に出席した。地域代表委員、教職員、生徒会役員の三者合わせて30名ほどの出席者だった。
今回は「ルール」「DX(デジタル技術による改革)]「部活動」「残したい伝統」等についての学校生活の未来の姿を語り合うグループ討議が会議のテーマだった。3グループに分かれた討議に私のグループでは地域代表3名、教職員2名、生徒会役員6名が参加した。
最初の5分ほどで各自で各テーマについてのコメントを付箋紙に記した。進行役の教員から順番に全員がコメント内容を発表した。
発表では関心のあるテーマの中心は「部活動」だった。全国の中学校の部活動が大きく変貌しようとしていることが背景にある。これまでの学校内の部活動が2006年9月をメドに地域に移行する取組みが始まっている。前回のこの会議では部活動の顧問が教員から地域の指導者に移行するといった理解だったが、部活動そのものを学校から地域に移行するという大変革であることが明らかになった。
グループ討議でも生徒たちにとって学校生活に占める部活のウエイトは50~90%という受け止め方が伝えられた。それほど生徒にとっては重大な意味を持つ部活の変貌である。
移行の理由は「部活動の衰退化」と「教員の部活顧問の限界」という点のようだ。少子化で部活の休部・廃部が相次ぎ学校での部活動の維持が困難になっている。教員の多忙な業務負担と深刻な人員不足が教員による部活顧問の仕組みを支え切れなくなっている。
そんな環境変化では移行自体もやむを得ないといえる。問題は移行の受け皿をどう整えられるかという点である。「地域で子どもたちを見守り育てる」というテーマは誰もが共感できる。ところがそれを具体的にどのような形で進めるかという点は見えていない。体育会系の部活はSC21やクラブチームが想定されるが文科系の部活については受け皿のイメージは希薄である。
地区社協も「放課後のこどもの居場所づくり」という広い意味での部活の地域移行の環境整備に努めたいと思う。
今回は「ルール」「DX(デジタル技術による改革)]「部活動」「残したい伝統」等についての学校生活の未来の姿を語り合うグループ討議が会議のテーマだった。3グループに分かれた討議に私のグループでは地域代表3名、教職員2名、生徒会役員6名が参加した。
最初の5分ほどで各自で各テーマについてのコメントを付箋紙に記した。進行役の教員から順番に全員がコメント内容を発表した。
発表では関心のあるテーマの中心は「部活動」だった。全国の中学校の部活動が大きく変貌しようとしていることが背景にある。これまでの学校内の部活動が2006年9月をメドに地域に移行する取組みが始まっている。前回のこの会議では部活動の顧問が教員から地域の指導者に移行するといった理解だったが、部活動そのものを学校から地域に移行するという大変革であることが明らかになった。
グループ討議でも生徒たちにとって学校生活に占める部活のウエイトは50~90%という受け止め方が伝えられた。それほど生徒にとっては重大な意味を持つ部活の変貌である。
移行の理由は「部活動の衰退化」と「教員の部活顧問の限界」という点のようだ。少子化で部活の休部・廃部が相次ぎ学校での部活動の維持が困難になっている。教員の多忙な業務負担と深刻な人員不足が教員による部活顧問の仕組みを支え切れなくなっている。
そんな環境変化では移行自体もやむを得ないといえる。問題は移行の受け皿をどう整えられるかという点である。「地域で子どもたちを見守り育てる」というテーマは誰もが共感できる。ところがそれを具体的にどのような形で進めるかという点は見えていない。体育会系の部活はSC21やクラブチームが想定されるが文科系の部活については受け皿のイメージは希薄である。
地区社協も「放課後のこどもの居場所づくり」という広い意味での部活の地域移行の環境整備に努めたいと思う。
骨のさくら並木と稲田の初霜 ― 2024年12月16日
地区社協の”放課後クラブ”支援の取組み ― 2024年12月17日
先日の山口中学の学校運営協議会で「部活動の地域移行」がグループ討議の焦点になった。背景にあるのは少子化の進行である。頭の中では理解しているつもりだったが、中学校の部活動が学校ではできなくなるという現実として突き付けられると、少子化の深刻さに衝撃を受けた。「少子化」によって日本の地域社会のインフラは見直しを迫られるだろう。
「部活動の地域移行」はその端的な事例である。ところが地域にはその受け皿は準備されていない。体育系の部活動は辛うじて地区ごとのSC21に受け皿の余地があるかもしれない。ただ趣味や楽しみの愛好者が集うSC21のクラブに部活動の代替が可能かという懸念はある。音楽、絵画、書道等の文科系の部活動に至っては地域の受け皿の余地は想定できない。
部活動の地域移行で受け皿がなくなることで生徒たちは途方に暮れるだろう。それほど生徒たちにとって部活は学校生活での比重の大きい。同時に共働き世帯が多数である保護者達の心配は生徒たち以上かもしれない。放課後のひと時を部活で過ごしていた子どもたちの居場所がなくなるのだから。
生徒や保護者が部活の受け皿を摸索できる地域でのインフラが必要ではないか。放課後のひと時を子どもたちが自由に集まって歓談したり様々な遊びや学習ができる”放課後クラブ(居場所)”づくりができないだろうか。放課後クラブを通じて地域の様々な部活を代替できる活動を紹介したり受け付けたりすることも考えられる。
子どもたちの居場所づくりや活動支援を志す地域住民も少なくない。地区社協は直接放課後クラブ設けるのでなく、そうした地域の有志による放課後クラブづくりを支援するスタイルが望ましい。有志の自主的取り組みこそが活発で持続可能な活動の源と思う。
「部活動の地域移行」はその端的な事例である。ところが地域にはその受け皿は準備されていない。体育系の部活動は辛うじて地区ごとのSC21に受け皿の余地があるかもしれない。ただ趣味や楽しみの愛好者が集うSC21のクラブに部活動の代替が可能かという懸念はある。音楽、絵画、書道等の文科系の部活動に至っては地域の受け皿の余地は想定できない。
部活動の地域移行で受け皿がなくなることで生徒たちは途方に暮れるだろう。それほど生徒たちにとって部活は学校生活での比重の大きい。同時に共働き世帯が多数である保護者達の心配は生徒たち以上かもしれない。放課後のひと時を部活で過ごしていた子どもたちの居場所がなくなるのだから。
生徒や保護者が部活の受け皿を摸索できる地域でのインフラが必要ではないか。放課後のひと時を子どもたちが自由に集まって歓談したり様々な遊びや学習ができる”放課後クラブ(居場所)”づくりができないだろうか。放課後クラブを通じて地域の様々な部活を代替できる活動を紹介したり受け付けたりすることも考えられる。
子どもたちの居場所づくりや活動支援を志す地域住民も少なくない。地区社協は直接放課後クラブ設けるのでなく、そうした地域の有志による放課後クラブづくりを支援するスタイルが望ましい。有志の自主的取り組みこそが活発で持続可能な活動の源と思う。
認知症キャラバン・メイト研修会 ― 2024年12月18日
今年度の認知症キャラバン・メイト研修会に参加した。キャラバン・メイトとは認知症サポーター養成講座講師の愛称である。3年前にその資格を取得して今回が2回目の研修会だった。
会場の市役所別館の4階会議室の会場には、30人ほどのキャラバン・メイトが顔をそろえた。名簿を見ると3割ほどが地域包括スタッフで、3割ほどが介護施設等のスタッフで、残りは個人的な関心でキャラバンメイトになった人のようだ。
10時半から始まった研修会は冒頭の35分は養成講座テキスト改訂版の説明だった。昨年制定の認知症基本法の骨格である認知症当事者の発信や認知症をわがこととして考える視点が解説された。また中核症状という表現が認知症機能障害に改められたことや若年性認知症や軽度認知障害(MCI)が強調される改訂となったことも説明された。「チームオレンジ」という新たな取組みは興味深かった。従来の認知症サポーターの量的拡大に加え、新たに支援チームの仕組みづくりという施策である。
その後、グループ討議になり、個人グループ5人のひとりとして加わり、認知症つながり推進員の進行で意見交換した。組織からの派遣でない個人的な関心からキャラバン・メイトになった人たちが中心のグループである。私を含めて二人だけが実際に養成講座の講師経験者で三人はその経験はない。地域包括や施設等の専門職は講座開催の機会はあるだろうが、組織のバックのない人は講師経験の機会は稀である。地域ごとにキャラバン・メイトの交流会を開催し、講座開講の手順や進め方を意見交換できる場が必要ではないかと提案した。
12時の定刻通りに研修会を終えた。
会場の市役所別館の4階会議室の会場には、30人ほどのキャラバン・メイトが顔をそろえた。名簿を見ると3割ほどが地域包括スタッフで、3割ほどが介護施設等のスタッフで、残りは個人的な関心でキャラバンメイトになった人のようだ。
10時半から始まった研修会は冒頭の35分は養成講座テキスト改訂版の説明だった。昨年制定の認知症基本法の骨格である認知症当事者の発信や認知症をわがこととして考える視点が解説された。また中核症状という表現が認知症機能障害に改められたことや若年性認知症や軽度認知障害(MCI)が強調される改訂となったことも説明された。「チームオレンジ」という新たな取組みは興味深かった。従来の認知症サポーターの量的拡大に加え、新たに支援チームの仕組みづくりという施策である。
その後、グループ討議になり、個人グループ5人のひとりとして加わり、認知症つながり推進員の進行で意見交換した。組織からの派遣でない個人的な関心からキャラバン・メイトになった人たちが中心のグループである。私を含めて二人だけが実際に養成講座の講師経験者で三人はその経験はない。地域包括や施設等の専門職は講座開催の機会はあるだろうが、組織のバックのない人は講師経験の機会は稀である。地域ごとにキャラバン・メイトの交流会を開催し、講座開講の手順や進め方を意見交換できる場が必要ではないかと提案した。
12時の定刻通りに研修会を終えた。
初雪を噛み締めた散歩道 ― 2024年12月19日
目が覚めたのは6時前で珍しく寝過ごした。新聞を取り込むために玄関ドアを開けると目に飛び込んだのは降り注ぐ牡丹雪だった。家の前の街路には薄っすらと雪が積もっていた。
降りしきる雪に中をウオーキングするリスクを避けた。雪が止んだのを見届けて自宅を出発したのはいつもより1時間以上遅い7時半だった。
最寄りの児童公園の広場は雪で覆われ真っ白のヴェールをで被っていた。さすがに遅い時刻でも足跡はない。住宅街から市民農園に抜ける坂道にやってきた。早い散歩に挑戦した人の足跡がくっきりと雪の坂道に刻まれていた。市民農園前から有馬川に向かう地道から竹林の間に広がる農園の冠雪風景が臨めた。有馬川に架かる新天上橋から南方の有馬方向を臨んだ。うっすらと雪を被った六甲山が横たわっていた。
初雪を噛み締めた散歩道だった。
降りしきる雪に中をウオーキングするリスクを避けた。雪が止んだのを見届けて自宅を出発したのはいつもより1時間以上遅い7時半だった。
最寄りの児童公園の広場は雪で覆われ真っ白のヴェールをで被っていた。さすがに遅い時刻でも足跡はない。住宅街から市民農園に抜ける坂道にやってきた。早い散歩に挑戦した人の足跡がくっきりと雪の坂道に刻まれていた。市民農園前から有馬川に向かう地道から竹林の間に広がる農園の冠雪風景が臨めた。有馬川に架かる新天上橋から南方の有馬方向を臨んだ。うっすらと雪を被った六甲山が横たわっていた。
初雪を噛み締めた散歩道だった。
コンビニでモーニングコーヒーを断念した ― 2024年12月20日

毎朝の日課のウオーキングの最後の訪問ポイントはモーニングコーヒーを飲むためのコンビニと決めている。
今朝も7時15分頃にいきつけのコンビニに到着した。飲食場所は国道添いの窓際のイートインコーナーである。4席あるがコロナ禍以降、2席以上の使用は控えることになっている。
コンビニの傍まで来た時、窓越しにイートインコーナーに二人の男性が陣取っているのが見えた。早朝時間帯のことでもありこれまで利用者がひとりということはあったが二人というのは初めてだった。おしゃべりに夢中な様子で席が空く期待は薄い。やむなくコーヒーは断念して帰路に就いた。
今朝も7時15分頃にいきつけのコンビニに到着した。飲食場所は国道添いの窓際のイートインコーナーである。4席あるがコロナ禍以降、2席以上の使用は控えることになっている。
コンビニの傍まで来た時、窓越しにイートインコーナーに二人の男性が陣取っているのが見えた。早朝時間帯のことでもありこれまで利用者がひとりということはあったが二人というのは初めてだった。おしゃべりに夢中な様子で席が空く期待は薄い。やむなくコーヒーは断念して帰路に就いた。
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