塩野七生著「海の都の物語4」2009年08月10日

 「海の都の物語」第4巻前半は、「第8話 宿敵トルコ」である。1354年、その半世紀ほど前に誕生したオスマン・トルコ帝国がビザンチン帝国のヨーロッパ側の港町・ガリーポリを占拠した。その100年後の1453年、ビザンチン帝国は、マモメッド二世に率いられたトルコ軍によって首都コンスタンティノープルが陥落させられ滅亡した。以来、コンスタンティノープルを首都に据えたオスマン・トルコの本格的な西進が始まった。1463年、トルコの大軍がエーゲ海周辺のヴェネツィア領の海外基地を攻撃し略奪するに及んで、共和国はトルコとの開戦を決定する。共和国のエーゲ海の拠点ネグロポンテが1470年に無残な敗北を喫し陥落する。以降、共和国は、西のハンガリー、東のペルシャの反トルコ陣営との連携を保ちつつ、密かにトルコとの外交交渉も続けることになる。ところがトルコは、1473年にハンガリーと休戦条約を結び、一気にペルシャ軍を総攻撃し東の敵を一掃する。その後、大軍を今度は西に転じ、共和国はトルコ軍との直接対峙を迫られることになる。1477年、同盟関係にあったハンガリーがナポリ王国と共謀してトルコとの講和交渉に入ったという情報を入手するに至って、共和国はトルコとの本格的講和交渉を決意する。1479年、共和国は莫大な賠償金や通商料の支払いと引換えにエーゲ海周辺の基地の確保とトルコ領内の通商・航行の自由を確保することを骨格とする講和条約を締結する。ここに16年に及ぶトルコとの交戦状態にようやく終止符を打つに至る。
 今年3月にトルコを訪ねた。現地ガイドさんを通じて、トルコ人の親日ぶりを実感した。その背景に19世紀末の大国ロシアの南進に苦しむ落日のオスマントルコ時代の気分が色濃く残されていた。極東の小国・日本が日露戦争で強敵ロシアに勝利した。「敵の敵は味方」の論理がトルコ人たちの拍手喝采と親日感を生み出した。旭日の大国トルコの物語である「第8話 宿敵トルコ」を複雑な想いで読了した。
 「第9話 聖地巡礼パック旅行」は、1480年のミラノ公国のある官吏のイェルサレムの聖地巡礼の旅行記の紹介である。それは言い換えればヴェネツィア共和国の観光事業の実態報告でもある。聖地巡礼という宗教的行事もヴェネツィア人が関与すると見事に組織された営利目的のパック旅行にも等しい観光事業に一変するのである。ミラノ、ヴェネツア、アドリア海東岸の寄港地、ペロポネソス半島先端のモドーネ、クレタ島、キプロス島、イェルサレムと続く当時の巡礼路を実際に辿っているような気分に浸りながら読み繋ぐという楽しい紀行文でもあった。

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