郷土史ガイドの憧れ2024年09月15日

 このブログに先月25日に久々にコメントを寄せて頂いた方がある。島原の原城のガイドをされている方だった。その後の記事にも折にふれてコメントを投稿して頂いた。そのコメントのやりとりを通して交流が始まった。
 同年代の方で郷土史への関心という点で共通している。聞けば原城ガイドは月5回ほどされているとのこと。予想以上に多いことに驚いた。やっぱり著名な史跡である。
 私も「にしのみや山口風土記」と題した郷土史紹介サイトを立ち上げて18年になる。これをテーマとした公民館講座も15回に渡って開講し、延450名の方に受講して頂いた。その内6回は屋外散策講座としてテーマに沿った史跡ガイドを実施した。
 当時、西宮市山口町の史跡探訪の案内ガイドの立上げも夢想した。郷土史に関心のある知人と相談したこともある。ところが如何せん目玉となる著名な史跡はない。「大化の改新」直後の天皇である孝徳帝ゆかりの神社や御旅所がある位だ。郷土史ガイドは叶わぬ夢として立ち消えとなった。
 そんな経過と事情があって原城ガイドの方からの投稿は共感と憧れをもたらした。

有馬川”橋物語”⑧十王堂橋2024年05月22日

 「上山口区誌」の年表に大正7年に十王堂橋の架替工事の完成の記述がある。以降、有馬川の洪水で何度か流出された思われるが、現在の橋がいつ架替されたかは不明である。
 橋の名前の由来については神戸女子大学文学部史学科発行の「西宮市山口町上山口・下山口の民俗」には以下の記述がある。「十王堂橋という橋が近くにあるので、以前からお堂があったと思われ、永蓮寺のお堂とも言われている」。永蓮寺はこの橋の西にわずか200ⅿほどの小山にあったとされ、明徳寺の快慶作といわれる本尊がかつて安置されていたとされる格式のある古刹だった。
 橋の東の袂に隣接して”道標”が建っている。明治3年建立の道標には「右 ありま なだ / ひだり ふな坂 西ノ宮」と刻まれている。三田と有馬温泉とは有馬川沿いに山口の各村を縦貫する三田街道で結ばれていた。大坂街道の代替街道として船坂から金仙寺を経て上山口に繋がる船坂川沿いの金仙寺道もあった。この道標は三田街道と金仙寺道の接点として建てられたものである。

有馬川”橋物語”⑦松栄橋2024年05月18日

 万代橋の南500mほどの有馬川に架けられた橋が松栄橋である。有馬川に架かる昔からの架橋の中でも最も幅広く堅牢な橋梁である。山口の集落と金仙寺・船坂を結ぶ幹線道路を結ぶ有馬川の架橋である。
 「上山口区詩」には昭和35年の台風16号で、「昭和8年に竣工した鉄筋コンクリート造りで堅牢と思っていた松栄橋が、この洪水でもろくも流出した」という記述がある。また年表には翌年の「昭和36年8月に松栄橋架替工事完成」という記述があり、その素早い再建が地区にとっての松栄橋の重要性を窺わせている。
 松栄橋を巡る逸話には近くに立っていた銘木・夫婦松との関りが欠かせない。橋の東の緑道沿いに今も「夫婦松公園」がある。実際の夫婦松は公園からさらに東の今はフランス料理店のある地点辺りに立っていたと思われる。旧国鉄有馬線の軌道跡のすぐ東に立っていたことは残されている夫婦松公園の在りし日の画像で推測できる。
 夫婦松は樹齢400年以上の古木で「豊太閤が自ら植えた名木なり」と伝えられた松である。地上1m程のところから2本に分かれた幹(男松と女松と呼ばれた)が抱き合うように立ち「夫婦松」と呼ばれていた。ところが、1979年の強風で女松が倒れ、翌年には男松がマツクイ虫の被害を受け、惜しまれながら、1981年に伐採された。

有馬川”橋物語”⑥万代橋2024年05月16日

 芽具実橋のすぐ南に万代橋がある。鋼管製の構造の見た目にも新しい橋である。いつ架け替えられたのかを記した銘文はない。集落側の東側すぐ南には山口の名刹・明徳寺がある。万代橋と明徳寺の甍の組み合わせが美しい。
 2006年にHP”西宮やまぐち風土記”を立ち上げた。執筆に当たって山口の歴史を記した様々な文献を入手した。そのひとつに旧地区の知人から頂いた1973年発行の「上山口区誌」という書籍があった。
 その「上山口区誌」の年表に「昭和11年、万代橋を鉄筋コンクリートに架替」の記述がある。この時の渡り初め式のが残されている。後方には国鉄有馬線の線路が見える貴重な写真である。
 ただこの時に架け替えられた万代橋も昭和13年の有馬川大洪水で一部が流出する被害を受けている写真が残されている(徳風会編集の「やまぐちの里」収録) 。

有馬川”橋物語”➄芽具実橋2024年05月12日

 山口センター近くの有馬川に一風変わった橋が架けられている。山口交番前の平成橋のすぐ南の”芽具実橋”である。蔦に覆われた水色の鋼板の橋である。
 変わっている点は二つある。ひとつはいかにも鉄橋を思わせる外形である。橋床の両側を川面に向かって水色に塗装された鋼鉄がカバーされている。
 今ひとつは架かっている位置の特異さである。すぐ北の平成橋とは50m程しか離れていないし、南の万代橋とも100m程の距離である。架橋する必要性は感じられない。もっとも歩くだけの幅の狭い橋であえて架橋したと思える橋である。
 この二つの特性を念頭に地図でこの橋を確認するとハタと思い当たることがある。公智神社の前面道路は昔から”線路道”と呼ばれていた。かつて山口町を縦断していた「国鉄有馬線」の線路が走っていた道である。その線路道が有馬川にぶつかる位置にこの橋が架かっている。国鉄線が健在だったころには間違いなくここに鉄橋があった筈である。今の芽具実橋は川に沿って直角に架かっているが、当時の橋は向う岸の山口中学横の線路道の位置から推測するとやや斜めに南の方角に架けられていたようだ。当時の鉄橋を映した写真は私の知る限りどこにもない。この橋が鉄橋を思わせる形状も当時の橋を偲ばせるものかもしれない。芽具実橋の両岸には橋梁を載せたような石垣が今も残されている。
 芽具実橋は、西宮市立西宮東高等学校地歴部発行の「変容する西宮北部」には1983年の芽具実橋の写真が「旧有馬線鉄橋跡」として紹介されている。

有馬川”橋物語”④明治橋2024年05月08日

 天上橋を有馬川沿いに北に進むと、新天上橋、新明治橋の二つの新設橋を通過し明治橋に至る。有馬川緑道沿いに建つ下山口会館前の街道と下山口の集落を結ぶ架橋である。
 この街道は山口の集落を南北に貫く有馬街道と昔のお天上山の北側を縫っていた旧丹波街道を繋いでいた。明治橋は二つの街道を繋ぐ交通の要衝だった。二つの街道の接点には今も「山口道路元標」が立っている。
 交通の要衝だった明治橋の面影を残す昔の写真がある。構造は現在の鋼管橋でなく石橋である。橋の上には懐かしい”ボンネットバス”が通過している光景がバス路線も走る幹線道路だったことを裏付けている。背景には昔のお天上山の姿が見える。お天上山の中心には語り草になっている大きな一本松の姿も残されている。

有馬川”橋物語”③天上橋2024年05月04日

 西宮北インターを出て東に向かい国道176号線と合流する三叉路東側に有馬川架橋がある。建造後60年近くを経た昔ながらの風情を残す天上橋である。その背後の高台は広大な住宅地の北六甲台が広がっている。
 北六甲台は、その昔”お天上山”と呼ばれていた丘陵を開発した住宅地である。北六甲台の天上公園には遠い昔に公智神社がこの地に鎮座していたという由緒を記した石碑が建っている。天上橋はその頃から旧山口村と鎮守を祀るお天上山を結ぶ由緒ある橋だった。
 何度も架け替えられただろうが、現状のコンクリート橋は昭和40年2月に架け替えられたと袖柱の銘文が教えてくれる。山口町史には昭和35年の台風16号で天上橋付近の堤防が決壊したとの記述がありこの後再建されたのが現在の橋梁と思われる。

有馬川”橋物語”➁愛宕橋2024年05月03日

 有馬川沿いに名来橋から300ⅿほど南に行くと愛宕橋がある。愛宕橋の東の袂の先には名来神社がある。名来神社は「火の神(愛宕社)」と「水の神(水神社)」を祭神とする神社である。愛宕橋の名称は愛宕社(名来神社)参りの参道橋に由来しているのだろう。
 神社の参道階段の左手には丘陵の中に分け入る地道が通じている。この地道を200mばかり進むと旧丹波街道に合流する。合流地辺りには石のお地蔵さん型の道標がたっている。このことから名来橋は神社の参詣橋であるとともに丹波街道に向かう道中橋でもあったと思われる。
 橋の造りは一見石造りに見えるが袖柱以外は残念ながらコンクリート製である。それでも架橋後かなりの歳月を経ていてそれなりに趣きのある風情をかもしている。
 名来橋にまつわるエピソードで忘れてならないのが神社前にたつタモ(梻)の木である。有馬川沿いの土手道を少し北に行った地点からの眺めがとりわけ美しい。大木の緑の枝ぶりと有馬川と愛宕橋のコンビネーションは絶妙の構図を提供している。

有馬川”橋物語”①名来橋2024年05月01日

有馬川”橋物語”シリーズの第一回は、山口町内の有馬川の最北の架橋”名来橋である。有馬川西岸の名来集落と東岸の丘陵地を結ぶ街道に架けられた橋である。
 橋を渡ってすぐ北側には名来墓地がある。更に進むと大阪と丹波を結んだ旧丹波街道に合流する。古来より住民が墓参や丹波街道の道中往来に供された橋である。
 この名来橋で特筆すべきは、つい数年前まで架かっていた木の橋の風情だろう。橋の両端の袖柱だけでなく真ん中の柱や柱を繋ぐ欄干なども木造だった。袖柱のトップと欄干には濃い茶色のトタンが覆っていた。袖柱には「名来橋」「有馬川」の墨文字が描かれ、江戸時代の風景にタイムスリップしたかのような橋だった。
 残念ながら今はその面影はどこにもない。数年前に恐らく老朽化のためだろうが、全面的な架け替え工事が行われた。今は無味乾燥な鋼管の橋に様変わりしている。通行の安全のためとはいえ、悔やまれてならない。

有馬川”橋物語”2024年04月29日

 山口町内を南北に有馬川が縫っている。有馬川は六甲山の北麓を源に神戸市北区道場町で武庫川に合流する全長約5kmの川である。
 山口町内の有馬川には昔から住民に親しまれた古い橋が架かっている。北から名来橋、愛宕橋、天上橋、明治橋、芽具実橋、万代橋、松栄橋、十王堂橋等である。それらの昔ながらの橋には、古い造りの風情のある趣きとともに立地特性がもたらした”物語”もある。
 そうしたそれぞれの橋の”物語”を順次綴ってみたい。