塩野七生著「ローマ人の物語40」 ― 2025年04月13日

ローマ人の物語40巻を巻を再読した。かつてのローマ帝国の精神の再興を目指した若き皇帝ユリアヌスが、31歳でその生涯を終えた。ユリアヌス亡き後の僅か7カ月の帝位を継いだヨヴィアヌスは、ユリアヌスが行ったキリスト教勢力の拡大を押し止める法令をことごとく廃棄した。若き皇帝の努力は無に帰した。帝国がユリアヌス以前の状態に戻された時、ヨヴィアヌスは死体となって発見された。
その後の帝位を継いだのは、生粋の北方蛮族出身のキリスト教徒の武人ヴァレンティアヌスだった。ヴァレンティアヌスは皇帝就任後まもなく実弟ヴァレンスを東方担当の共同皇帝に任命する。そして帝国西方の蛮族侵入との闘いに明け暮れたヴァレンティアヌスの10年に及ぶ治世がその病死によって幕を引く。帝国の西半分の帝位はその長男グラティアヌスに継承され、東西に分担統治された帝国はつかの間の平穏期を迎える。
帝国の安定を崩したのは中央アジアの草原を母胎とするフン族だった。フン族の襲撃を逃れて帝国と境を接するドナウ河下流地域に住むゴート族が難民となって帝国領に移り住んだ。この地域は東方担当のヴァレンス帝の管轄下である。共存の道を選んだヴァレンス帝の思惑は蛮族の略奪と都市襲撃の前に崩れ去る。皇帝ヴァレンスは蛮族とのハドリアノポリスの闘いで大敗し戦死する。
この非常事態に西方皇帝グラティアヌスは、無政府状態になった帝国東方の回復を30代の武将テオドシウスに託し、対等の格をもった皇帝に任命する。東方皇帝となったテオドシウスは巧みな用兵で戦闘に勝ち続けゴート族を追い詰めるが、最後には蛮族の帝国領内での移住を公認することで帝国の安定をはかる。
東西の安定化がはかられる中で二人の皇帝に強い影響力を持つ人物によって強力な親キリスト教路線が推進される。その人物とは、後にカトリックと呼ばれることになるキリスト教三位一体派のミラノ司教アンブロシウスだった。首都ローマ出身の優秀な高級官僚だったアンブロシウスは、司教就任後二人の皇帝の顧問役となってカトリック・キリスト教会大飛躍の基盤固めを着実に進める。それはカトリック・キリスト教会による「異教」と「異端」との闘いでもあった。皇帝を通じてのキリスト教以外の異教の多神教のギリシャ・ローマの伝統的宗教をも圧殺する。同時にキリスト教内部のカトリック派以外の宗派をも駆逐していく。
紀元383年、西方皇帝グラティアヌスが反乱を起こした司令官によってブリタニアで殺害される。その結果テオドシウス帝が東西合わせた帝国全体を実質的に統治することになる。唯一の皇帝テオドシウスは30代で洗礼を受ける。それはキリスト教徒という「羊」になったことを意味する。司教という「羊飼い」の導くままに従う羊である。皇帝と司教の関係でいえば皇帝の権威と権力は神が認めたものであり、その神の真意は司教によって伝えられる。すべてはミラノ司教アンブロシウスの考え通りに進行した。テオドシウス帝は司教の導くままに皇帝としての権力を行使して帝国のキリスト教国化を成し遂げた。
その後の帝位を継いだのは、生粋の北方蛮族出身のキリスト教徒の武人ヴァレンティアヌスだった。ヴァレンティアヌスは皇帝就任後まもなく実弟ヴァレンスを東方担当の共同皇帝に任命する。そして帝国西方の蛮族侵入との闘いに明け暮れたヴァレンティアヌスの10年に及ぶ治世がその病死によって幕を引く。帝国の西半分の帝位はその長男グラティアヌスに継承され、東西に分担統治された帝国はつかの間の平穏期を迎える。
帝国の安定を崩したのは中央アジアの草原を母胎とするフン族だった。フン族の襲撃を逃れて帝国と境を接するドナウ河下流地域に住むゴート族が難民となって帝国領に移り住んだ。この地域は東方担当のヴァレンス帝の管轄下である。共存の道を選んだヴァレンス帝の思惑は蛮族の略奪と都市襲撃の前に崩れ去る。皇帝ヴァレンスは蛮族とのハドリアノポリスの闘いで大敗し戦死する。
この非常事態に西方皇帝グラティアヌスは、無政府状態になった帝国東方の回復を30代の武将テオドシウスに託し、対等の格をもった皇帝に任命する。東方皇帝となったテオドシウスは巧みな用兵で戦闘に勝ち続けゴート族を追い詰めるが、最後には蛮族の帝国領内での移住を公認することで帝国の安定をはかる。
東西の安定化がはかられる中で二人の皇帝に強い影響力を持つ人物によって強力な親キリスト教路線が推進される。その人物とは、後にカトリックと呼ばれることになるキリスト教三位一体派のミラノ司教アンブロシウスだった。首都ローマ出身の優秀な高級官僚だったアンブロシウスは、司教就任後二人の皇帝の顧問役となってカトリック・キリスト教会大飛躍の基盤固めを着実に進める。それはカトリック・キリスト教会による「異教」と「異端」との闘いでもあった。皇帝を通じてのキリスト教以外の異教の多神教のギリシャ・ローマの伝統的宗教をも圧殺する。同時にキリスト教内部のカトリック派以外の宗派をも駆逐していく。
紀元383年、西方皇帝グラティアヌスが反乱を起こした司令官によってブリタニアで殺害される。その結果テオドシウス帝が東西合わせた帝国全体を実質的に統治することになる。唯一の皇帝テオドシウスは30代で洗礼を受ける。それはキリスト教徒という「羊」になったことを意味する。司教という「羊飼い」の導くままに従う羊である。皇帝と司教の関係でいえば皇帝の権威と権力は神が認めたものであり、その神の真意は司教によって伝えられる。すべてはミラノ司教アンブロシウスの考え通りに進行した。テオドシウス帝は司教の導くままに皇帝としての権力を行使して帝国のキリスト教国化を成し遂げた。
あっという間の小学校入学式 ― 2025年04月12日

地元小学校の入学式に来賓出席した。9時40分に来賓席に着席した。ほぼ埋まっている父兄席にも来場者が埋まっていく。入口にひときわ目立つオーストラリアのご夫婦の姿が見えた。オヤジ会メンバーで知人の方である。目ざとく私を見つけて手を振ってもらった。子ども4人の家族の一番下の男の子が入学を迎えたようだ。
10時に入学式が始まった。新入生は2組68名と見事な少子化である。国家斉唱、校長祝辞、担任紹介、6年生校歌紹介、1年生唱歌とトントン拍子で式が進み10時25分に終了した。簡素化されたあっという間の入学式だった。
10時に入学式が始まった。新入生は2組68名と見事な少子化である。国家斉唱、校長祝辞、担任紹介、6年生校歌紹介、1年生唱歌とトントン拍子で式が進み10時25分に終了した。簡素化されたあっという間の入学式だった。
地区社協の会計監査の日 ― 2025年04月11日
地区社協の総会を間近に控えて、会計監査があった。永年を担当して頂いていた監事のおひおりが昨年亡くなられて後任に地区社協の前会長にお願いしていた。もうひとりの監事は4年目の全会計である。今回はメンバー変更後の初めての監査だった。
朝10時に安心プラザの2階で開催された監査に向けて女性会計が万全の準備をしてもらった。会計伝票の整理、手元現金の種別整理、預金通帳、現金出納帳のリスト等。それらの帳票をチェックしてもらい監査業務が完了した。
その後、私から直近10年間の会計収支の推移データを説明した。単年度収支は赤字ながら繰越金の取崩しで補っている現状である。コロナ禍の活動自粛で市社協助成金との差額分が発生したことが大きい。反面で住民支援金である会員会費が今後漸減することが予想され、活動経費が物価値上げで膨らむ懸念がある。収支バランスの改善をお伝えした。
朝10時に安心プラザの2階で開催された監査に向けて女性会計が万全の準備をしてもらった。会計伝票の整理、手元現金の種別整理、預金通帳、現金出納帳のリスト等。それらの帳票をチェックしてもらい監査業務が完了した。
その後、私から直近10年間の会計収支の推移データを説明した。単年度収支は赤字ながら繰越金の取崩しで補っている現状である。コロナ禍の活動自粛で市社協助成金との差額分が発生したことが大きい。反面で住民支援金である会員会費が今後漸減することが予想され、活動経費が物価値上げで膨らむ懸念がある。収支バランスの改善をお伝えした。
ふれあい喫茶の”春のお花畑”デコレーション ― 2025年04月10日

ふれあい喫茶に顔を出した。今月の入口横のデコレーションは一段と華やかで力のこもった作品だった。
一番下に畦道をイメージした雑草とタンポポが並んでいる。その上には色とりどりのチューリップの折り紙が並んでる。更にその上を黄色い菜の花の折り紙が顔を揃えている。上空にはさくらの花びらが舞っている。見事なミルフィーユ模様のデコレーションだった。
春の陽気に包まれた気候のせいだろうか。屋外に出かける人が多いのか来場者は幾分少なめだった。私のテーブルの隣席に顔見知りのひと回り年上のお年寄りと雑談した。「この歳になると出かけるのが億劫になる。ふれあい喫茶が開いてるときは格好の出かけ先になるのでありがたい」とのこ。ふれあい喫茶がお年寄りの貴重なインフラになっていることの率直なコメントに感謝した。
一番下に畦道をイメージした雑草とタンポポが並んでいる。その上には色とりどりのチューリップの折り紙が並んでる。更にその上を黄色い菜の花の折り紙が顔を揃えている。上空にはさくらの花びらが舞っている。見事なミルフィーユ模様のデコレーションだった。
春の陽気に包まれた気候のせいだろうか。屋外に出かける人が多いのか来場者は幾分少なめだった。私のテーブルの隣席に顔見知りのひと回り年上のお年寄りと雑談した。「この歳になると出かけるのが億劫になる。ふれあい喫茶が開いてるときは格好の出かけ先になるのでありがたい」とのこ。ふれあい喫茶がお年寄りの貴重なインフラになっていることの率直なコメントに感謝した。
春の訪れ ― 2025年04月09日
いつもの早朝ウオーキングfである。定番コースの最初のスポットは近くの児童公園である。ジャングルジムでぶら下がり運動が欠かせない。公園入口で目に飛び込んだのは公園奥のさくらの大樹だった。薄ピンクの満開の花弁が大ぶりの枝に咲き誇っていた。
公園を後にして住宅街の北側の市民農園に抜ける坂道を降りた。坂道の先に休耕田がある。その田圃を取り巻く畦道が気になった。土筆が群生しているスポットがある筈だ。目を凝らして探してみると群生とはいえないものの何本かの土筆がひっそりと身を寄せ合って咲いていた。
有馬川土手道にやってきた。中国道の高架下を抜けるといやでも目に入るのが満開のさくら並木だった。
散歩道の”春の訪れ”の風景だった。
公園を後にして住宅街の北側の市民農園に抜ける坂道を降りた。坂道の先に休耕田がある。その田圃を取り巻く畦道が気になった。土筆が群生しているスポットがある筈だ。目を凝らして探してみると群生とはいえないものの何本かの土筆がひっそりと身を寄せ合って咲いていた。
有馬川土手道にやってきた。中国道の高架下を抜けるといやでも目に入るのが満開のさくら並木だった。
散歩道の”春の訪れ”の風景だった。
NHKスペシャル新ジャポニズム 第4集 DESIGN ― 2025年04月08日
シリーズ「新ジャポニズム」の第4集は「DESIGNデザイン」である。以下番組コメントの紹介である。
世界が注目する日本カルチャーのうねりを読み解くシリーズ。今回は、ファッション、テクノロジー、建築など多くの分野で賞賛される日本のデザイン。アメリカの大人が買い求めるのはランドセル。美しさと機能性が人気だ。欧米では、壊れた器を漆や金で直す「金継ぎ」教室が大盛況。癒やしと勇気を与えられるという。日本各地で職人技を探す有名ブランドの調査にも密着。職人の手仕事、その技を伝え守る日本人の暮らしと思想に迫る。
紹介されるのは「日本製品の独自性、オリジナリティ、卓越性、品質や細部へのこだわり」である。その背景には「職人や物語へのこだわり、そのすべてを提供してくれる独特な場所」がある。
そして京丹後の螺鈿織、岡山県井原のデニム生地、日本の折り紙を応用したNASAの探査機のデザイン、大分県日田市の恩多焼き等々の日本の伝統的な職人の手仕事の数々が紹介される。
見応えのあるドキュメンタリー番組だった。
世界が注目する日本カルチャーのうねりを読み解くシリーズ。今回は、ファッション、テクノロジー、建築など多くの分野で賞賛される日本のデザイン。アメリカの大人が買い求めるのはランドセル。美しさと機能性が人気だ。欧米では、壊れた器を漆や金で直す「金継ぎ」教室が大盛況。癒やしと勇気を与えられるという。日本各地で職人技を探す有名ブランドの調査にも密着。職人の手仕事、その技を伝え守る日本人の暮らしと思想に迫る。
紹介されるのは「日本製品の独自性、オリジナリティ、卓越性、品質や細部へのこだわり」である。その背景には「職人や物語へのこだわり、そのすべてを提供してくれる独特な場所」がある。
そして京丹後の螺鈿織、岡山県井原のデニム生地、日本の折り紙を応用したNASAの探査機のデザイン、大分県日田市の恩多焼き等々の日本の伝統的な職人の手仕事の数々が紹介される。
見応えのあるドキュメンタリー番組だった。
ご近所の庭先の鮮やかな”紅白梅” ― 2025年04月07日

早朝ウオーキングで自宅を出てすぐのところに目につく景色がある。ご近所の庭先にこの時期に毎年花開く梅の樹だ。ただの梅の樹ではない。一本の樹に紅白の二色の花が咲く”紅白梅”である。
なぜ紅白の花が咲くのか?気になってネットで調べてみた。1本の木に赤と白の花が咲くことを「源平咲き」というようだ。もともとは紅梅の木に白梅が咲く、という構図で生まれたとのこと。赤い色はアントシアンという色素から作られるが、赤くなるためには、多くの酵素を必要とする様々な過程を踏まなくてはならない。この酵素が一つでもうまく働かなくなると、赤い色になれずに白い花のままとなってしまう。これが”紅白梅”誕生の秘密というわけだ。
なぜ紅白の花が咲くのか?気になってネットで調べてみた。1本の木に赤と白の花が咲くことを「源平咲き」というようだ。もともとは紅梅の木に白梅が咲く、という構図で生まれたとのこと。赤い色はアントシアンという色素から作られるが、赤くなるためには、多くの酵素を必要とする様々な過程を踏まなくてはならない。この酵素が一つでもうまく働かなくなると、赤い色になれずに白い花のままとなってしまう。これが”紅白梅”誕生の秘密というわけだ。
有馬川さくらまつりの盛況 ― 2025年04月06日
山口の二つの地区社協が共催する”有馬川さくらまつり”が開催された。雲ひとつない快晴のお天気の下で七分咲きのさくら並木が絶好のさくらまつりの環境を整えてくれた。
9時過ぎに有馬川緑道の四阿北側の地区社協の屋台設置場所に出かけた。9時半から山口中学校の備品テントが運ばれ設置作業にかかった。最新式のポール一体型のテントは広げるだけで簡単に設置できた。10時半頃には屋台の焼きそばパン、あんホイップパン、海老せん販売が、その隣ではスーパーボール、魚釣り、ゴム鉄砲のゲームがスタンバイした。昨年の屋台とゲームが遠く離れて開設した不便さが今年は隣接して開設でき運営の円滑さが叶えられた。
11時から13時の開催時間である。開催前から大勢の来場者で緑道が埋められた。11時半頃からは屋台前の長い行列が続いた。三つのゲームも子供連れのファミリー客で賑わった。二つのプールの周囲をスーパーボール掬いに興じる幼児たちの姿が絶えることはなかった。12時半頃には屋台の三つの食材の完売が相次いだ。今回も30数名の山中生徒のボランティア応援が強力なサポーターとなった。
今回のさくらまつりでは”さくらやまなみバスのトミカ”が販売された。ご近所の児童も購入に意欲満々という情報もあり事前の人気は上々のようだった。平成橋と公衆トイレの間の緑道に販売スポットが設置された。販売開始の30分以上前から販売スポットを先頭に北の地下道にかけ長蛇の列ができていた。緑道での販売予定数500台が完売したようだ。
13時には屋台、ゲームが終了した。テントの撤収をはじめ後片付けに追われた。地区社協役員の軽トラックで3往復して備品を安心プラザに運んだ。3時頃にようやく安心プラザでスタッフ用のお弁当にありついた。久々に作業を伴う長時間のイベントをこなして3時半に帰宅した。
9時過ぎに有馬川緑道の四阿北側の地区社協の屋台設置場所に出かけた。9時半から山口中学校の備品テントが運ばれ設置作業にかかった。最新式のポール一体型のテントは広げるだけで簡単に設置できた。10時半頃には屋台の焼きそばパン、あんホイップパン、海老せん販売が、その隣ではスーパーボール、魚釣り、ゴム鉄砲のゲームがスタンバイした。昨年の屋台とゲームが遠く離れて開設した不便さが今年は隣接して開設でき運営の円滑さが叶えられた。
11時から13時の開催時間である。開催前から大勢の来場者で緑道が埋められた。11時半頃からは屋台前の長い行列が続いた。三つのゲームも子供連れのファミリー客で賑わった。二つのプールの周囲をスーパーボール掬いに興じる幼児たちの姿が絶えることはなかった。12時半頃には屋台の三つの食材の完売が相次いだ。今回も30数名の山中生徒のボランティア応援が強力なサポーターとなった。
今回のさくらまつりでは”さくらやまなみバスのトミカ”が販売された。ご近所の児童も購入に意欲満々という情報もあり事前の人気は上々のようだった。平成橋と公衆トイレの間の緑道に販売スポットが設置された。販売開始の30分以上前から販売スポットを先頭に北の地下道にかけ長蛇の列ができていた。緑道での販売予定数500台が完売したようだ。
13時には屋台、ゲームが終了した。テントの撤収をはじめ後片付けに追われた。地区社協役員の軽トラックで3往復して備品を安心プラザに運んだ。3時頃にようやく安心プラザでスタッフ用のお弁当にありついた。久々に作業を伴う長時間のイベントをこなして3時半に帰宅した。
渥美半島から知多半島への船旅 ― 2025年04月05日
渥美半島先端の伊良湖港から高速船で伊勢湾を横断し30分余りで知多半島近くの日間賀島(ひまかじま)に到着した。タコとフグが名物の漁村である。
下船した西港のりば周辺を昼食を含めて1時間余りの散策が案内された。昔ながらの狭い路地が巡らされたいかにも漁村らしい街並みだった。食事のできるお店も限られていたが、緩やかな坂道を登ったところにあるお寿司屋さんが目についた。格子戸を開けるとカウンター前に同じツアーのご夫婦の先客があった。オーダーしたシラス丼とタコの唐揚げが運ばれた。たっぷりのシラスと温泉卵が乗っかった丼はボリュウムもあり地場の新鮮なシラスの美味しいい味わいだった。タコの唐揚げの独特の味に舌ずつみした。高速船のりば前のみやげやに立ち寄った。シラスの冷凍パックを目にして食べたばかりの味を思い出して思わず衝動買いした。
乗船した高速船が10分程で知多半島先端の師崎港に到着した。ここからはツアー初めての観光バスでの旅になった。最初の訪問スポットは半島中ほどの「えびせんべいの里・美浜本店」だった。無料のコーヒーサービスや工場見学を楽しんだり、たくさんの種類のえびせんべいの試食ができるサービス満点のスポットだった。
次の観光スポットの焼き物の街・常滑に着いた。陶磁器会館を起点に25のスポットを巡る”やきもの散歩道”が待っていた。わかりやすい散策マップを片手に同行を求められた88歳の高齢女性3人でスタートした。案内マップ、スポット毎の案内看板など散策向けのインフラは万全だった。陶芸道場、土管坂、登窯、撮影スポット等、スポット毎の案内は大いに役に立った。
30分程で散策マップを踏破し、陶磁器会館に到着した。ところが疲れた身体を休ませるベンチや椅子が殆どない。係員に訊ねると近くのカフェを案内された。同行者と一緒にカフェで珈琲とアイスのセットでようやひと息ついた。
観光バスに乗車し一路名古屋駅に向かった。新幹線口から反対側の近鉄名古屋駅まで歩いてようやく到着。1時間以上のお買い物タイムの後、18時発の近鉄観光特急ひのとりに乗車し、帰路に就いた。
下船した西港のりば周辺を昼食を含めて1時間余りの散策が案内された。昔ながらの狭い路地が巡らされたいかにも漁村らしい街並みだった。食事のできるお店も限られていたが、緩やかな坂道を登ったところにあるお寿司屋さんが目についた。格子戸を開けるとカウンター前に同じツアーのご夫婦の先客があった。オーダーしたシラス丼とタコの唐揚げが運ばれた。たっぷりのシラスと温泉卵が乗っかった丼はボリュウムもあり地場の新鮮なシラスの美味しいい味わいだった。タコの唐揚げの独特の味に舌ずつみした。高速船のりば前のみやげやに立ち寄った。シラスの冷凍パックを目にして食べたばかりの味を思い出して思わず衝動買いした。
乗船した高速船が10分程で知多半島先端の師崎港に到着した。ここからはツアー初めての観光バスでの旅になった。最初の訪問スポットは半島中ほどの「えびせんべいの里・美浜本店」だった。無料のコーヒーサービスや工場見学を楽しんだり、たくさんの種類のえびせんべいの試食ができるサービス満点のスポットだった。
次の観光スポットの焼き物の街・常滑に着いた。陶磁器会館を起点に25のスポットを巡る”やきもの散歩道”が待っていた。わかりやすい散策マップを片手に同行を求められた88歳の高齢女性3人でスタートした。案内マップ、スポット毎の案内看板など散策向けのインフラは万全だった。陶芸道場、土管坂、登窯、撮影スポット等、スポット毎の案内は大いに役に立った。
30分程で散策マップを踏破し、陶磁器会館に到着した。ところが疲れた身体を休ませるベンチや椅子が殆どない。係員に訊ねると近くのカフェを案内された。同行者と一緒にカフェで珈琲とアイスのセットでようやひと息ついた。
観光バスに乗車し一路名古屋駅に向かった。新幹線口から反対側の近鉄名古屋駅まで歩いてようやく到着。1時間以上のお買い物タイムの後、18時発の近鉄観光特急ひのとりに乗車し、帰路に就いた。
食事と絶景のリゾートホテルの納得感 ― 2025年04月04日
”しまかぜ”を近鉄鳥羽駅で下車して20分ばかり歩いて鳥羽港に着いた。フェリーターミナルから伊勢湾フェリーに乗船し対岸の渥美半島先端の伊良湖港に向かう。乗船60分の最初の船旅だった。
伊良湖港からホテルの送迎バスに乗車し5分ばかりでIRAGO OCEAN RESORTに到着した。太平洋に面した高台に建つハイレベルのリゾートホテルだった。4階の部屋の大きな窓越しに太平洋を望むオーシャンビューのロケーションである。4時前に到着し夕食時間の7時過ぎまでたっぷり時間がある。屋上の展望台やショップを覗いた後、大浴場に浸かった。露店風呂、サウナ、泡風呂、岩盤風呂等を備えた豪華な大浴場だった。露天風呂からは太平洋の雄大な絶景が望めた。
7時前に広大なレストランでビュッフェスタイルの夕食を摂った。カウンターを巡って和洋中の豊富な食材からお好みを選択した。どれも新鮮で高級感のある食材に盛り皿があふれた。注文した生ビールを味わいながら旅の醍醐味である贅沢な食事を満喫した。部屋に戻り10時過ぎに床に就いた。
翌朝5時前に目覚めた。大浴場で朝風呂に浸かった後、7時半頃に朝食を摂った。夕食と同じ会場でのビュッフェスタイルの食事は豪華な食材が提供され大満足だった。朝食後に家内と一緒にホテル周辺を散策した。渥美半島の弓なりの美しい海岸線の絶景に癒された。
10時20分にホテルの送迎バスで伊良湖港に向かった。
伊良湖港からホテルの送迎バスに乗車し5分ばかりでIRAGO OCEAN RESORTに到着した。太平洋に面した高台に建つハイレベルのリゾートホテルだった。4階の部屋の大きな窓越しに太平洋を望むオーシャンビューのロケーションである。4時前に到着し夕食時間の7時過ぎまでたっぷり時間がある。屋上の展望台やショップを覗いた後、大浴場に浸かった。露店風呂、サウナ、泡風呂、岩盤風呂等を備えた豪華な大浴場だった。露天風呂からは太平洋の雄大な絶景が望めた。
7時前に広大なレストランでビュッフェスタイルの夕食を摂った。カウンターを巡って和洋中の豊富な食材からお好みを選択した。どれも新鮮で高級感のある食材に盛り皿があふれた。注文した生ビールを味わいながら旅の醍醐味である贅沢な食事を満喫した。部屋に戻り10時過ぎに床に就いた。
翌朝5時前に目覚めた。大浴場で朝風呂に浸かった後、7時半頃に朝食を摂った。夕食と同じ会場でのビュッフェスタイルの食事は豪華な食材が提供され大満足だった。朝食後に家内と一緒にホテル周辺を散策した。渥美半島の弓なりの美しい海岸線の絶景に癒された。
10時20分にホテルの送迎バスで伊良湖港に向かった。
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