世界遺産・メテオラ修道院の驚嘆2008年10月10日

 昨日より1時間遅い7時のモーニングコールで目覚める。現地ギリシャの朝食に近いメニューという簡素な食材のビュッフェスタイルの食事を済ませる。8時40分、バスは北に向かって210kmのメテオラを目指す。途中、トイレ休憩を挟んで12時30分にカランバカのタベルナに着く。メテオラの巨大な奇岩の壁を背景にした趣きのある店だった。ここで合流した現地ガイドは、70代とおぼしきマリアおばあさんだった。ギリシャ北部までくるとさすがに日本語ガイドの手当は困難なのだろうか。マリアさんは英語しか話さない。添乗員のMさんが通訳に早変わりする。イエミスタと呼ばれるギリシャ料理の昼食は、トマトやピーマンのライス詰めだった。
 昼食後15分ばかりで世界遺産・メテオラ修道院観光の最初のスポットに到着。メテオラとは「空中に吊り上げられた」という意味だそうだ。その名の通り、立ち並ぶ「岩の塔」のそれぞれの頂きにはギリシャ正教の大小6つの修道院が建っている。観る者に「よくぞあんなところに建てたもの」と驚嘆と感動を呼ばずにはおれない。アギオス・ステファノス修道院という尼僧院を門前で見学した後、メインスポットのメガロ・メテオロン修道院に向かう。メテオラ最大の修道院で全体の行政組織のある場所とのこと。かっては100人近く住んでいた修道士たちも今はわずか6人のみとなっている。入口からいったん石段を降りた後、再び岩の頂きに向かって300段の石段を登る。滑車に吊るされたモッコが、昔は修道士たちが中に入って昇り降りしていたという往時を偲ばせる。ここで命を終えた多くの修道士たちの頭蓋骨が安置された部屋もある。撮影禁止の中枢部の教会堂内は、カソリック教会にはないギリシャ正教特有の神秘的な雰囲気を醸している。大食堂や台所などを見学した後、フリータイムとなる。展望台からは先ほど観たアギオス・ステファノス修道院の美しい眺望が望める。撮影を楽しんだ後、修道院内の売店に立ち寄る。聖地に最も近い販売店には様々なイコン(聖画板)が並んでいる。イコンをめぐるドラマは外国小説にしばしば登場する。かねてからほしいと思っていたイコンを聖地で求めた。修道院を出て周辺を散策する。メガロ・メテオロン修道院の外観を撮影する。帰路、バスを降りヴァルラーム修道院やルサヌー修道院を眺望する。
 4時過にメテオラの麓の街カランバカのホテルに着いた。目抜き通りの外れに建つオルフェアスというホテルだ。7時の夕食までの時間を添乗員さん紹介のスーパーマーケットでショッピングを楽しむことにした。行ってみると日本でも馴染みのカルフールの店だった。おりしも入口で買物帰りのギリシャ正教の僧に出くわした。写真撮影をお願いすると、ショッピングカートの横でにっこりほほ笑んで了承してもらった。黒い衣と帽子をまとい長い白髭を蓄えた伝統的な姿が印象的だった。ちょっとした土産物を買ってホテルに戻った。
 7時からはホテル内のレストランで夕食となる。肉団子のトマトソース煮というギリシャ料理などのメインデッシュと前菜、サラダ、スープのバイキング形式の夕食だった。部屋に戻り旅行会社提供の切手添付済みの絵葉書で子供たち宛に旅の模様を記した。フロントに預けると数日後に日本に配達されるという。帰宅した時、我が家の娘宛の葉書を目にするのだろうか。

世界遺産・ヴェルギナ遺跡&ぺラ遺跡2008年10月11日

 朝5時、モーニングコール前に目覚める。時差ボケが解消し、いつもの早起きおじさんに戻ったようだ。7時にビュッフェ形式の朝食を済ませ、8時には次の目的地テッサロニキに向かう。
 途中で世界遺産・ヴェルギナ遺跡と考古学博物館を見学する。アレキサンドロス大王の父フィリッポス2世の墳墓が発掘された遺跡のある所である。博物館は遺跡を残したままそれを覆うように建てられ、未盗掘の墳墓からの数々の発掘品も一緒に展示されている。建物全体は緩やかな墳墓のように土で覆われている。残念ながら館内は撮影禁止であり、外観と入口付近しか画像が残せない。それにしても紀元前5世紀の古代の宝飾品がこれ程の完成度で作られていたことに舌を巻くほかはない。館内ではマリアばあちゃんの英語ガイドを添乗員さんが通訳する。頑固で空気を読むことのないマリアばあちゃんの長舌のガイドにてこずるMさんとの掛け合いが面白い。
 博物館から数分のレストランで昼食を取る。パン、前菜、野菜サラダ、ポークと玉ねぎの焚き合わせ、デザートのメニューだった。
 次の観光地は、ヴェルギナの北東約80kmのぺラである。ぺラ遺跡の入口付近には、ギリシャのあちこちで車中から見たイコンを祀ったギリシャ正教の祠があった。ギリシャ土着の信仰を表現する風物詩というべきか。ペラはフィリッポス2世とアレキサンドロス大王父子の生誕の地である。すぐれたモザイク画の床の残る遺跡を見学した後、併設の博物館に入場する。切り取って保存展示されたモザイク画や発掘されたアレキサンドロス大王の顔の彫像が展示されている。
 今日の宿泊地テッサロニキはペラの西38kmにある。首都アテネに次ぐギリシャ第二の都市であり、ビザンチン帝国時代も都コンスタンチノーブルに次ぐ都市だった。ギリシャ第二の都市を初めて知った。4時40分にカプシス・ホテルに到着。今回のツアーで唯一の五つ星ホテルだそうだ。大きな回転ドアを抜け広々とした格調高いロビーに迎えられる。目抜き通りに面した今回のツアー一番の広くて質の高い部屋に足を踏み入れた。夕食までにかなり時間がある。買い物がてらに市内を散策する。生憎の土曜日でどの店も休業中である。唯一の営業中のスーパーマーケットを見つけて入った。バスの車内で添乗員さん提供のビスタシオのおいしさを思い浮かべて数個求めた。
 ホテル内のレストランが夕食会場だった。7時に夕食開始。スープ、野菜サラダ、フィッシュとライスの付合わせ、アイスクリームの一般的メニューだった。同席の同世代のご夫婦との他愛ないおしゃべりに花が咲く。長い食事を楽しむギリシャ人でない日本人グループは8時にはそそくさと席をたち部屋に戻る。移動中心の比較的穏やかだったツアー5日目が終わった。

マケドニアの旧都テッサロニキ観光2008年10月12日

 6日目の朝が明けた。五つ星ホテルの豪華なバイキング朝食を堪能し、出発までのたっぷりある時間を部屋でくつろぐ。
 8時30分にホテルを出発し、テッサロニキの市内観光に出かける。日曜日の朝である。ラッシュアワーで渋滞する筈の市内交通が驚くほどスムーズだ。最初の訪問地は、街のシンボルとも言えるホワイトタワーだ。海岸線に残された15世紀の砦の一部である。かっては今も市の中心部に残る防壁とつながれた見張り台だったようだ。現在は海岸線沿いの遊歩道と一体となって整備された公園内に建っている。すぐそばにはアレクサンドロス大王の青銅の威風堂々の騎馬像が建ち、辺りを睥睨している。
 続いてテッサロニキ考古学博物館を見学する。マケドニア地方やハルキディキ半島からの出土品を一堂に集め、マケドニア文化の粋を極めた博物館である。中庭を囲んで内側に古代マケドニアの装飾品が、外側にローマ、ビザンチン時代の出土品が展示されている。フィリップス二世の墳墓から出土した貴金属の装飾品の精密さと秀れたデザイン性は目を見晴らせられる。酒の神ディオニソスの婚姻の祝宴を表現した青銅の壷は、それが凝縮された芸術性の高い作品だった。ローマ時代の作品で個人的にひかれたのはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの彫像だった。
 ギリシャ最大の教会であり世界遺産のアギオス・ディミトリオス教会を訪ねたのは、日曜の朝のミサを終えた直後だった。コンスタンチノープルがトルコ支配下でビザンチン時代の聖堂がほとんど失われたのに対して、ここテッサロニキでは当時の教会があちこちに残されている。この教会はその代表的なものであり、ビザンチン初期5世紀に建設された。1917年の火災で多くを消失したが焼け残った資材を使い再建された。ミサを終えた信者たちが次々と姿を現わす。礼服姿の多さや若者たちの姿にこの国のギリシャ正教への信仰の深さが窺われる。堂内に入り祭壇右横の入口から地下聖堂に降りる。ここは聖人の墓から流れ出た聖油が溜まっていた所と伝えられ、中央にディミトリオスが殉教前に監禁された場所とされている大理石の水盤があった。堂内に戻るとミサ直後の祭壇では赤いマントの司教が信者たちへ説諭しているかのような姿があった。その横ではガイドさんが祭壇横の柱の17世紀のモザイク画の説明をしている。信仰と観光が混在する不思議な光景だった。出口近くで二列の側廊があるバシリカ聖堂様式の堂内の全貌を眺めた。
 昼食会場のレストランに向かった。途中、車窓からシャッターが、市内に残る城壁跡やガレリウスの凱旋門を捉えた。レストランはコートを囲んだ一角にあり、屋外のテラスでの昼食となった。前菜の肉団子、ズッキーニのコロッケ、ペタチーズ揚げが珍しい。
 昼食後、テッサロニキを後にして一路アテネに向かう。ここでお別れの予定だったマリアばあちゃんがアテネまで同行するという。アテネ在住の息子さんを訪ねるとのこと。昼食後、コートでばあちゃんがツアーメンバーを促して手をつないでダンスを始めた。息子さんとの再会がよほど嬉しいのだろうか。ともあれバスは出発した。途中、ギリシャ最高峰2917mのオリンポス山の、頂きを霞に包まれた姿を遠望した。往路三日間をかけた道のりを一気にアテネまで引き返す行程である。高速道中心とはいえ三度のトイレ休憩を挟んだ7時間近くを要する道のりだった。休憩中、マリアばあちゃんはツアーの女性陣の人気者だ。私も一緒に写真に収まった。
 7時40分にアテネのレストランに着いた。シーフードの夕食はエビ、イワシ、タコ、イカのフライだった。ところが食事中に大問題が発生した。ツアー直前から右の肩凝りがひどくなっていると言っていた家内の右手首と右肩に昨夜から湿疹が目立ってきた。食事中にツアー仲間の一人から「2週間ほど前に同じ症状で診察を受けたところヘルペスと診断された」という情報を得られたのだ。早急に治療が必要だ。幸か不幸か明日からはクルーズが始まる。船内にはドクターもいて受診可能だ。2時からの受診時間と寄港地観光が重なれば、英語が全く喋れない家内一人で受診させるわけにはいかない。クルーズ初日の寄港地ミコノス観光は断念するほかなさそうだ。9時にツアー初日と同じアテネのホテルの同じ部屋に戻った。何人かのツアー仲間が家内の病についての色々な情報を寄せてくれる。そしてここへきて持参の電子辞書が威力を発揮することになった。まずヘルペスに関する正確な知識を「新・家庭の医学」から得た。そして明日の船内ドクターに症状を説明したり、旅行保険手続きを依頼するための最低限の英会話を「英会話・Make It」の場面事例集「病院へ行く」から取得した。いずれにしても今後の海外ツアーには電子辞書は必携アイテムとなりそうだ。心配事を抱えて12時前に眠りに落ちた。

初のクルーズ体験と夕陽のミコノス島2008年10月13日

 早朝4時半に一度目覚める。家内の病を気にする潜在意識が眠りを覚ましたのだろうか。本人も目を覚ましていた。再び目覚めたのは6時過ぎだった。朝食の後、製薬会社勤務の息子に電話をし、家内の症状を伝え相談する。ヘルペスの知識はあったようでそれほど心配はなさそうだが、乗船後ドクターに診てもらうことにした。思いもよらず国際携帯電話を初体験した。
 8時30分にホテルを出発し約50分でピレウス港に到着。チェックイン・カウンターで添乗員さんから配られた乗船チケットとパスポートを提示し、パスポートをそのまま預け乗船IDカードを受取る。手荷物検査を済ませて岸壁に出ると、乗船するオーシャン・カウンテス号が横付けされていた。乗客定員800名、全長163m、全幅23m、17,596トンの中型船である。乗船するとクルーたちの出迎えを受けながら各自のキャビンに入る。海側で窓のついた6畳ほどのスペースに縦横にベッドが配置されている。1畳ほどの室内ユニットにシャワー、トイレ、洗面台が設置され、壁際にロッカーとライティング・デスクがあり、コンセントも2カ所ある。テレビはあるがドライヤーはない。レセプションカウンターで10ユーロの保証金を預けて無料レンタルできた。スーツケースが運ばれるのを待つうちにいつの間にか出航していた。
 11時15分には乗船者に義務づけられた避難訓練があった。部屋に備付けのライフジャケットを着用し9階ラウンジに集合する。スタッフに着用点検を受け、ステージでの説明を聞く。その後、7階ショーラウンジで各国出身のスタッフ紹介、更に日本人スタッフによる乗船中の過ごし方説明会があった。今回がこの船の今年最後のクルーズで定員の半数の約400名の乗船客とのこと。そのうち日本人は4グループ96名とのことだ。その後、レセプションカウンターでクレジット登録を済ませる。これで乗船中の支払いは最後に支払う5日間分のチップも含め、全てクレジット処理ができる。以上で乗船に伴う全ての手続きが完了である。
 バイキング形式の昼食を済ませ、ツアー仲間のご夫婦と4人で船内散策に出かける。10階の屋上デッキではエーゲ海の潮風を身体一杯に浴びた。2時の診察開始時間を待って通訳役の添乗員さんと診察室に行く。40代の男性ドクターと20代の女性看護士が担当している。症状を伝えると「痛みがないなど、ヘルペスの症状と異なる。ホテルベッドでの虫刺されの可能性もある」とのこと。患部への塗り薬を処置を受け、明日もう一度受診することになった。旅行保険請求用の診察カルテの控えをもらった。観光には全く支障はないとのことだ。良かった!それにしてもクルーズ前日の発症は、不幸中の幸いというほかはない。通常のツアー中の受診は至難の技だ。添乗員さんの話では、場合によってはそのまま帰国という事態もあるとのこと。
 最初の寄港地ミコノス島入港までの2時間ばかりを自室でくつろいだ。4時半、ミコノス観光の下船を前にツアーメンバーが7階ラウンジ前に集合した。ツアーグループで固まって3階の下船場所に移動する。出口でIDカードをスリットしてもらう。これで乗船の有無が個別に把握できるシステムだ。テンダーボートと称する小船に乗換え、ミコノス島のニューポートに接岸する。ここからは有料のシャトルバスでミコノス・タウンの北のバスステーションまで運ばれる。ここから徒歩でツアー単位で海岸線の観光スポットを巡りながら南に歩く。半円形の湾の底の辺りにセント・ニコラス協会が孤立した小さなたたずまいを見せてくれる。ここから小路を西に行った所のカフェテラス周辺にミコノスの人気者三羽のペリカンが愛嬌をふりまいていた。その先の海に飛び出た地点にパラポルティアニ教会の白壁に覆われた独特の雰囲気を漂わせた姿があった。更に南に300m程下るとミコノスのシンボルとも言える「6つの風車」が沈みゆく夕日に照らされて見事なコントラストを描いていた。その絶妙のタイミングに祈りを捧げたくなるような光景だった。ここでいったんツアーが解散し他のご夫婦と四人で独自に目抜通りを散策しバスステーションに戻り、帰船した。
 すぐに夕食をとった後、シャワーを浴び、家内と二人で10時15分開始のショー「アラウンド・ザ・ワールドショー」を鑑賞した。予想以上の楽しいショーだった。民族ダンスはもとよりフラメンコ、ベリーダンス、カンカン等のダンスやカンツォーネ、マジック等が次々と息もつかせず繰り広げられる。全てオーシャン・カウンティスのクルーたちが演じている。観客を楽しませるつぼを押さえた見事な演出である。引き続きディスコタイムを楽しもうという多くの観客を横目に、11時半、キャビンに戻った。ブログ原稿を入力後、ベッドに入る。窓際の進行方向に沿ったベッドの意外と気になる横揺れに悩みながらいつか眠りに落ちた。クルーズ初日の長い一日が終った。

トルコ・エフェソス遺跡&パトモス島観光2008年10月14日

 5時のモーニングコールで目覚める。船内ではツアー毎のパソコン登録でコール設定されているようだ。6時に朝食を済ませ7時前にツアーの集合地で下船を待つ。船は寝ている間に既にトルコのクシャダシ港に着岸しているのだ。クルーズの強味である。
 順次、下船を始める。岸壁に降りると向いの岸壁には巨大客船が接岸している。大型マンションがそのまま船になったかのような威容に圧倒される。岸壁を進むと突然マーチングバンドの響きが耳を打つ。トルコの観光サービスなのだろうか、民族衣装に身を包んだ数名の男女が歓迎の演奏で出迎えてくれる。思わず一緒に記念写真を撮った。
 入国ゲートを乗船IDカードで通過し、すぐ前の広場に駐車するマイクロバスに乗車する。トルコの現地ガイドのセムラさんの自己紹介がある。今日が27歳の誕生日だという思い切り明るい、可愛い話し方の素敵な女性だった。約30分でエフェソス遺跡に到着。紀元前11世紀にイオニア(古代ギリシャ)人が建設した都市遺跡である。観光客で溢れる広大な遺跡をセムラさんのガイドでゆっくり巡る。ヴァリウスの浴場、勝利の女神像、ヘラクレス門、ハドリアヌス神殿、セルスス図書館、大劇場跡等、見所一杯の散策だった。遺跡巡りのゴール近くで古代の楽隊風のメロディーが聞こえた。古代ローマのシーンを再現するショーが始まったのだ。観光客の人垣に交じって鑑賞した。皇帝を中心に武将や侍女が見守る中で大道芸や剣闘士の闘いが演じられる。二人の剣闘士の迫真の演技が終わると観客の割れんばかりの拍手が響いた。バスに乗車し数分ばかり先のアルミテス神殿を訪れる。現存するギリシャ文明最大の遺跡で、古代世界七不思議に数えられている。
 遺跡見学の後、現地ツアーに組込まれた革製品店を訪れる。最初に若い男女のモデル数人による私たちのツアー仲間だけが見守る革のジャケット、スカート、パンツのファッションショーがあった。その終盤で突然3名の観客が即席モデルに引張り出される。なんと家内が真っ先に引張り出された。舞台奥に連れ去られた後、パープルの革ジャケットを着て男性モデルに手を引かれ舞台に登場した。舞台袖で他の二人を待って最後に全員でポーズをとって無事ご帰還である。ヤレヤレ・・・。ショーの後にはきっちり隣の売場でのお買物タイムが待っている。家内はモデル割引があると囁かれたようだが、結局何も買わずに危機を脱してくれたた。
 昼前には船に戻り、部屋でしばし休憩。12時15分、昼食をメインダイニングと同じ6階の船尾のデッキレストランでとる。好天の絶好の季候のもとでの心地よい潮風を受けながらの最高のロケーションでのランチだった。
 2時前、添乗員さんと一緒に船内診療所に行く。家内の湿疹は昨日より進んでいるようだが痛みの悪化はなさそうだ。ドクターは「特に心配な症状ではないが、専門ではないので必要なら次の寄港地でセカンドオピニュンを紹介できる。ヘルペスだとしても帰国後の日本での受診でも問題ない」という。治療費は二日分で35ユーロとのこと。帰国後の受診を告げ診療所を後にした。ドクターの良心的な治療と専門的な医療用語も交えて通訳してもらった添乗員さん、色んな情報や気遣いを頂いたツアー仲間の皆さんに頭が下がるばかりである。午後の寄港地観光までの1時間30分ほどの時間を部屋でギリシャ流シェスタ(昼寝)で過ごした。
 4時前、船からテンダーボートに乗換えパトモス島観光に出かける。スカラ港の岸壁に待つバスにツアー仲間で乗込み、真南の丘の上にあるホラの街を目指す。現地ガイドは英語ガイドで50代の巨体の女性だった。添乗員さんの日本語通訳を介しての案内で時間を要すること甚だしい。
 途中にある聖ヨハネの黙示録教会が最初の訪問地だ。高台に建つ教会前の広場からは、大型客船が停泊するスカラ港の白い町並みが展望できる。白い教会の入口を抜け、急な石段をジグザグに何段も下ってようやく洞窟の教会に辿り着く。ローマを追放された聖人ヨハネが神の啓示を受けて黙示録を書いたとされている場所だ。堂内は撮影禁止であり、外観とガイドさんが手にした洞窟内写真がデジカメのメディアに残された。洞窟を出て急な階段を登り教会入口に到達した時、思わず与太を飛ばしてしまった。「黙示録(もくじろく)というよりは、僕地獄(ぼくじごく)」。
 続いてここからつづら折れの山道を縫ってホラの頂きに建つ世界遺産・聖ヨハネ修道院を尋ねる。坂道の参道の随所にイコンを始めとした聖具を売る店が並んでいる。坂道から見上げる修道院は、五つの鐘楼を抱いた城壁のようなたたずまいである。修道院入口にはギリシャ正教の黒衣と帽子姿の修道僧が座して聖典を読んでいた。両脇には美しい壁画が残されている。内部の撮影はここも禁止である。バスに戻り約15分ほどでスカラ港に着いた。テンダーボートで帰船したのは7時15分だった。
 今日のディナーはカジュアル禁止のインフォーマルのドレスコードの指定がある。食事もコースメニューである。このために家内は何日も頭を抱えいやがる娘を捕まえては相談していた。7時45分、メインダイニングにツアー仲間がそれぞれにそれなりのいでたちで集合した。選択制のコースメニューを各自でオーダーし、なごやかなディナーが過ぎる。誰かがアテネルートで乗船した日本人観光客から聞いたという「巨人優勝」情報をもたらした。阪神の奇跡の逆転敗北である。一同の落胆の溜め息が大きい。とは言え、考えようによっては国内での敗北感漂うやり切れないムードのほとぼりが冷めた頃に帰国する我々は幸せなのかもしれない。デザートも終わりかけてふと気が付くと9時20分である。確か1階上のショーラウンジで「ギリシャの夕べ」と題するショーが始まっている筈。昨日のショーを見逃した仲間とともにあたふたとラウンジに駆けつけた。ギリシャをキーワードに絞り込んだ演出のためか昨日ほどのエンタテインメントさはないものの十分に観客を楽しませてショーが終わった。観客有志を取り込んだ最後の民族ダンスでは、日本人スタッフのトモコさんに促されてもう一人の仲間とともにステージではしゃいだ。直後に部屋に戻り11時半にはクルーズ二日目のベッドに横たわった。昨日の気になった横揺れは今日はほとんど感じない。気候や波の違いなのだろうか。

ロドス島・聖ヨハネ騎士団の城塞都市2008年10月15日

 船上のベッドであることを忘れさせるかのようにぐっすっり眠っていた。6時のモーニングコールがようやく眠りを破った。朝食を6階のデッキビュッフェでとり、7時40分にツアーメンバーが集合しロードス島観光に出かける。既に船はロドス・シティーの旧市街に面した商港の西側の外港に接岸していた。岸壁で待っていた観光バスに乗込み南へ55kmのリンドスに向かう。現地ガイドは今日も英語ガイドのカテリーナさんという60代の女性だ。
 約60分で古代都市の面影を色濃く残すリンドス村に到着する。岬の先に周囲を真っ白な家並みに囲まれて建つアクアポリスの見事な姿を見せている。バスステーションから徒歩数分先のスクエア(広場)が出発点だ。そばにロバがたむろし乗客を待っていた。ここから土産物店の立ち並ぶ石畳のジグザグの坂道をひたすら歩き丘の頂を目指す。ようやく辿り着いたアクアポリスの麓の入口には、岩を彫りこんだガレー船のレリーフがある。石段を登りきると、城壁に囲まれて数本の円柱を中心とした広場に遺跡が残る古代都市・アクアポリスの全貌が現われた。城壁の防戦用の隙間からは左手には限りなく青いエーゲ海の水平線が見渡せる。右手には白壁と赤い屋根でぎっしり埋め尽くされたリンドス村の家並みが広がっている。登り道の途中から別ルートで降りる。石のアーチ門を入口とした風情のあるカフェがあったりロバ道で乗客を乗せたロバと出会ったりした。
 10時45分にリンドスを出たバスがロードス・シティー旧市街入口に着く。北のアンボイス門から聖ヨハネ騎士団が築き上げた城塞都市に入城する。いよいよ今回のツアーで最も楽しみにしていた塩野七生さんの「ロードス島攻防記」の舞台の散策が始まる。幾重にも巡らされた城壁の先に騎士団長宮殿がある。その南側を海に向かって騎士団通りと通称されるイポトン通りが続く。左右にはイタリア、フランス、プロヴァンス等の騎士団を構成した各国の館がある。戦記にもしばしば登場する道である。騎士団通りの突き当たり右手の広場に出る。正面には大きな石造りの建物・考古学博物館がある。騎士団の存在理由のひとつでもあったキリスト教徒たちへの医療を施すための病院だった建物である。ツアーガイドはここで終了し20分のフリータイムとなる。独りでぜひとも観ておきたいと思ったスレイマン・モスクを訪ねた。博物館の南の通り西に進み一度右に折れすぐを更に西に向った先に玉ネギ型の屋根を持つモスクが見えた。聖ヨハネ騎士団を破ったオスマントルコの大帝スレイマンがその直後に建造したものだ。
 ツアーに合流しバスで船に戻った。昼食をとった後、再び個人で旧市街散策に出かけた。2時半発のバスで何人かのツアー仲間も含め旧市街入口のバスステーションまで行き、後は夫婦二人の自由散策である。湾に沿って半円形に続く城壁の外を北の岬まで歩く。岬の北側にはエーゲ海に向って突き出た新市街の町並みと先端の砦の美しい風景が広がっている。北の入口ナバリノウ門から旧市街に入り、家内のニーズ中心に土産物店を物色しながら散策する。姉妹らしき二人の美しい娘さんが店番をする店でちょっとした土産物をもとめる。つたない英語のやり取りが楽しい。
 バスステーションには3時半発のシャトルバスがいない。12分の道のりを歩いて船まで戻った。6時40分の夕食集合時間までをシャワーを浴び、身支度を整え、ブログ原稿を入力やベッドでの休息で過ごした。
 夕食はドレスコード・フォーマルの選択制のコース料理だ。昨日より一層おしゃれな服装の女性たちがテーブルを囲んでいる。日本人グループの中には和服姿の男女も見受けられ、事前事後のケアを想像してその意気込み
に頭が下がる。9時半を過ぎてディナーを終え、ショーラウンジに席を移す。キャプテンのカクテルパーティーに参加するためだ。会場入口でワインやシャンパンやソフトドリンクを受け取る。ステージでは白い制服に身を包んだキャプテンによる各部門の責任者たちのユーモアたっぷりの紹介が始まっている。英語のトークを理解しながら聴いたわけではない。多数を占める英語圏観客たちのしばしば沸き起こる笑いが、キャプテンのユーモアを教えていた。パーティーから戻り、10時過には眠りに就いた。

クルーズ最後の日・クレタ島からサントリーニ島2008年10月16日

 朝5時前に目が覚めて、クルーズ最後の日を迎えた。クレタ島観光の日だ。下船前のツアーの打合せの時に誰かが部屋が暑すぎるという声が上がった。他のメンバーからは寒いという声もあった。部屋の空調がないのでは?という声に誰かがキャビン入口の天井にコントローラーがあると指摘する。クルーズ最終日になってようやく室温調整に気づくというドタバタの一席だった。
 イラクリオン港に便利な接岸下船でバスに乗車する。バスの乗客がが観光コースの異なる他の日本人グループと混載になるという手配ミスが発覚。船会社スタッフ、現地ガイド、添乗員たちによるトラブル・サミットを急遽開催。結局、無事我々だけの単独バスに変更。添乗員さんのファイトにエール。現地ガイドは英語ガイドながら30代男性・ジョージさん。
 港から約15分でクノッソス宮殿遺跡に到着。エーゲ海最大の島であるクレタ島はアジア、ヨーロッパ、アフリカの三大大陸の接点に位置する。この地政学的な特性が背景にあったのだろうか西欧文明の源であるギリシャ文明の発祥の地となった。紀元前7000年にこの島に最初に住み着いたアジア系民族のミノア人が、紀元前3700年頃に建てた華麗な宮殿がクノッソス宮殿である。この宮殿の発掘をきっかけに、哲学者プラトンが書き残したアトランティス文明の神秘がにわかにクローズアップされるようになる。
 8時過の早朝ながら入口では既に多くの観光客が列をなしている。複数の大型客船の早朝寄港がメインの観光地の故か。ゲートの近くにこの遺跡の発掘者であるイギリスの考古学者アーサー・エヴァンスの胸像がある。混雑する順路を避けてジョージさんは逆順でガイドしてくれる。正面広場から北にある最古の道、劇場、牛の壁画、王座の間(石の玉座)、倉庫の大がめ、牛の壁画、女王の間(イルカの壁画)等を効率良く見て回った。
 イラクリオンの街に戻り市内観光となる。クレタ島の商業、行政の中心都市であり、ギリシャ随一の裕福な都市である。バスを降りてすぐの広場にはクレタ島の出資の初の首相であるベニゼロスの銅像が建っている。バザールのように店がひしめく1866通りを進む。途中、添乗員さんにお勧めのクレタの焼き立てパンを購入してもらいツアー仲間で分け合って味見する。20人で分けても尚余る大きくて香ばしいパンが僅か2ユーロとのこと。五叉路を北に進むとライオンの飾り付いた噴水のあるベニゼル広場に出る。すぐそばには聖マルコ大会堂がある。そこから西に向かって通りを抜けると左手にミノア文明の遺産の殆どを収めている考古学博物館が見える。ここからバスに乗車し港に向かう。途中車窓からベネチア支配時代の城壁や要塞を眺めた。
 船に戻りしばらく部屋で休憩し10時50分からシネマルームで日本人スタッフの朋子さんからスーツケースの搬出、クレジット清算、パスポート、IDカードの返還等の下船処理に関する説明会があった。その後、ダイニングでコース料理の昼食を済ませ、自室で休憩をとる。3時過ぎにサントリー島の船内放送のガイダンスを聞いた後、9階の屋外デッキに行く。
 サントリー二島の余りにも有名な断崖の頂きに雪をかぶったように建並ぶ家並みが近づいてくる。港近くに停泊する白い帆船のロマン溢れる姿に引き付けられる。何度もデジカメのシャッターを切る。3時30分、テンダーボートに乗船し島のオールド・ポートに向かう。島に近づくに従い岸壁から崖の頂きに向かうジグザグの白いロバ道やゴンドラリフトのロープが浮かび上がる。港の先のゴンドラ乗場には観光客が行列を作っている。6人乗りのゴンドラは1-2分で一気に崖上のフィラの街まで運んでくれる。ゴンドラ駅のすぐ前の崖上からは二つのビューポイントがある。左手の白い家並みが続くフィラの街と、右手の紺碧のエーゲ海に浮かぶ火山島やその奥のイアの岬やティラシア島である。添乗員さんの案内で崖上の海岸沿いの通りを進む。絶好の展望を売りにしたカフェやレストランが軒を並べている。数分でドーム型の特徴のある屋根をしたギリシャ正教の大聖堂に着いた。堂内は壁一面に描かれた聖画が厳粛な気持ちを呼ぶ荘厳な雰囲気に包まれている。
 ここでツアーグループは自由行動となる。気の合ったご夫婦と4人で散策する。添乗員さんお勧めのフラッペを味見すべくプチホテル屋上のテラスカフェに入る。泡だったアイスコーヒ-といった趣きフラッペだった。5
.5ユーロと多少高目だがこの絶好のロケーションを考えればやむをえまい。イケ面のウェイターを挟んで4人の記念写真のシャッターを店主らしき人物が押してくれるサービスまでしてもらった。裏通りの土産物や雑貨、宝飾店がひしめく裏通りを進む。奥様方はちょっとした土産物やアクセサリーの買物に余念がない。ロバの道の終着点付近では折しも一匹のロバと飼主が下り坂に歩を進めていた。集合時間の6時15分のゴンドラ駅前からは、沈み始めた夕陽が島影の間の海を赤く染めこれ以上にない美しさを演出していた。これこそがサントリーニ島に多くの観光客を集めて止まない光景であることを雄弁に物語っていた。
 帰船後7時半から「最後の晩餐」となる。旅行会社からのワンドリンクサービスに気を良くしながら10日間一緒に過ごし気心の知れたツアー仲間との会話が弾む。部屋に戻る途中にあるクルーズ・デスクでパスポートを受取る。最後のシャワーを浴びている傍らで、家内はスーツケースの整理を始めている。クルーズ最後の日が終わりを告げようとしている。

ツアー最後にトラブル発生2008年10月17日

 クルーズでの最後の朝を迎えた。家内は湿疹の痒みに悩まされていたのか早朝からゴソゴソしていたようだ。5時過ぎに目を覚ます。窓の外には街路灯の明かりが並んでいる。船は既にアテネ・ピレウス港に接岸していた。ドアの下には船内でのクレジット清算の明細書が差し込まれている。クルーズスタッフへのチップの一括支払や診察代、食事の際の飲み物代、ミコノス島のシャトルバス代など締めて128ユーロだった。借りていたドライヤーをレセプションカウンターへ返却し保証金を返してもらう。身支度を整えメインレストランで朝食をとる。7時までに部屋を出ることになっている。しばし休憩。6時45分に部屋を出て集合場所に行く。
 7時半に下船し、7時50分に港の前で待つバスに乗車、空港に向かう。ラッシュアワーの交通渋滞に巻き込まれてバスが空港に着いたのは9時15分だった。搭乗手続きがPCトラブルで長時間待たされ、10時半にようやく免税店前で12時10分までのフリータイムとなる。買い残したお菓子類のお土産などを調達してようやくツアー最後の処理事項から解放される。
 手荷物検査をした時だ。カメラ、携帯をバスケットに入れてチェックゲートを通過しようとすると、係官がジャンパーと腕時計も入れるよう指示する。それでも通過アラームに引っ掛かり点検を受け、やっと通過を許される。バスケットのジャンパー、小物を着用したが、腕時計がない。その旨主張するが係官は通過時のモニターを示してバスケットにはなかったと反論する。最後になって何というトラブルだ。添乗員さんを呼んだりして一騒ぎとなるが、ジャンパーのポケットに発見して一件落着。係官が気を利かせて入れたのだろうか。ともあれ無事1時には搭乗できた。後はシンガポールまでの眠りがあるだけだ。13時30分、SQ347便がアテネの何タラ空港を離陸した。

シンガポール航空帰国便2008年10月18日

 ギリシャ時間午後13時30分に飛び立ったSQ347便は、10時間半のフライトでシンガポールのチャンギ空港に到着した。金曜日昼過ぎの絶好のフライト時間のためか機内は満席状態だった。昼食と夕食の2回の機内食はノルマのように味気ない。唯一の救いはお代わり自由のドリンクだった。ビールとワインを飲んで眠りを求めたが無駄な努力に終わった。結局、多くの時間を出発前に購入した塩野七生さんの新刊「ローマから日本が見える」の読書で過ごした。
 チャンギ空港では早朝5時過ぎからの3時間余りのトランジットだった。往路の同空港での飲食で、財布には8シンガポールドルの釣銭があった。もう当分使うこともない通貨である。使い切ろうと思ったが早朝のTaxFReeゾーン内の店舗はわずかにファーストフードが開いているだけだ。ドリンク類を買った後、7時以降にようやくBookStoreが開店した。ツアー仲間が日経新聞の今日の朝刊を手にしている。早速、買いに行くと5シンガポールドルだという。わずかに10セント足りない。仲間に不足分を貰ってようやく手に入れる。11日ぶりの世界と日本の政治経済の動向を知った。スポーツ蘭には「真弓氏の阪神監督就任が濃厚」の見出しが踊っていた。岡田監督の辞任発表を初めて知った。
 8時25分、SQ622便がチャンギ空港を飛び立った。関西空港に向けた約6時間のフライトである。はなっから眠ることは諦めて読書にふけった。離陸直後の朝食と着陸前の昼食の2回の機内食だ。搭乗直後に配られた機内食の昼食メニューには日本食の選択肢が載っている。ツアー仲間の誰もが待ち望んだ12日振りの日本食だ。いよいよ昼食の配膳が始まった。ツアー仲間のシートの塊りはアテンダント毎の配膳エリアの後方に位置していた。不吉な予感がした。日本人女性アテンダントが日本語でオーダー聞く。すかさず日本食をオーダーする。恐れていた答えが返ってきた。「申し訳けありません。そちらは終わってしまいました」。インタナショナル・メニューをチョイスする他はない。結果的にはこちらも結構美味しかったのだが・・・。同じ答を聞かされた旅友の一人は、怒りを露わに他の選択肢を拒否していた。ともあれ事前に期待していたシンガポール航空の機内サービスへの評価の高さが、落胆に変ったは感は拭えない。唯一の慰めは女性アテンダントたちの魅力的なコスチュームだった。
 15時35分、無事関西空港に着陸した。入国手続き、スーツケースの宅配便配送依頼等を済ませ、16時33分のJRに乗車した。19時前に帰宅。早速、最寄りの救急医療機関で家内の診察に同行する。予想通りのヘルペスの診断だった。ツアー中のパンフレットやデジカメの画像取り込み、留守中の郵便物のチェックなどの雑用を終え、久々の我が家のベッドに横になったのは23時過ぎだった。

ツアー中のブログの一括更新2008年10月19日

 朝、目が覚めたのは8時30分だった。9時間もの文字通り爆睡だった。無理もない。前日の夜は機内でほとんど眠れない夜を過ごし、時差ボケもある。ジイサンボケだってあるかもしれない。目覚めた後も尚体のけだるさは残っている。早朝ウォーキングに出かけるほどのタフさはない。
 ツアー仲間の何人かの人たちに私のブログのことを話し、帰国直後にも旅日記を更新すると見得を切った。ここは何とか今日中にもツアー全体のブログを更新しようと思った。幸いツアー期間中の日記は最後の18日を除いて毎日Zaurus内臓のWordに入力済みである。文章はこれをコピーし、ブログ入力画面に貼り付けるだけでよい。というわけで早速作業にかかった。それでもさすがに12日分となると結構時間を要した。特に画像の貼付が、選択し加工処理に手間取った。結局、17日分まで更新完了した時点で、11時過ぎになり、ベッドに入った。
 とりあえずの「ギリシャ紀行とエーゲ海クルーズ12日間の旅」の旅日記はまとまったが、やり残しがある。ひとつは何といってもブログだけでは味気ない。早急にHPで撮り貯めた画像を駆使したビジュアルな旅日記をアップしたい。今ひとつは初めてのクルーズを体験してみてその愉しさを実感した。体験前のいくつかの懸念や不安も解消された。できればこれから体験してみようと思っている人に役立つクルーズ情報としてまとめてみたいと思う。