史跡探訪・・・謎の永蓮寺跡を訪ねて2009年05月03日

 史跡探訪をテーマにした朝の散策が続いている。今朝は、これもかねての疑問だった廃寺跡の探訪に出かけた。
 郷土誌「山口村誌」の「第8章 社寺・教会」に廃寺・永蓮寺の項目があり、以下の記述がある。『上山口通称永蓮寺山にあったと伝えられている。「有馬郡誌」上巻に永蓮寺山として、「往古永蓮寺の在りし所にして、今猶ほ老いたる松樹数本あり。土地高燥、上山口の里を眼下に瞰て風光佳なり」』。また山口の古刹・明徳寺の本尊は、快慶作といわれ国の重要文化財である。明徳寺寺記にこの本尊がかって永蓮寺にあり、寺が兵火で焼失した際に明徳寺に安置されたと記されている。
 以上の記述を読むと、廃寺となった永蓮寺の歴史と格式の重みが窺える。永蓮寺があった永蓮寺山とはどこなのかが、かねての疑問だった。今朝の散策のテーマである。
 山口と有馬温泉を結ぶ98号線から神鉄・岡場駅に向う道路に入ってすぐ北側に上山口墓地がある。人伝に永蓮寺がこの墓地周辺にあったと聞いていた。墓地の南で畑仕事をしていたおばあさんに尋ねると、墓地の南東すぐの所にある小山を指して「あの山に昔お寺があったと聞いたことがある」と教えられた。竹に覆われたその小山に分け入ったが、寺の遺構を示すものは何も見当たらない。周囲を巡っていると耕運機で作業中の同年輩のオジサンを見かけた。尋ねると、「そういえば、ワシらの子供じぶんにはあの山をエレンジ(永蓮寺)山と呼んでいた」とのこと。伝承とは言え、廃寺跡を裏付ける有力な証言だった。
 帰宅して、郷土史家のOさんに確認のための電話をした。「確たる資料は明徳寺にもないが、上山口の人たちが昔からあの山を永蓮寺山と呼んでいると聞いているので、推測としては十分可能ではないか」とのこと。かねての疑問がまたひとつ解消された今朝の散策だった。

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