西国三十三所巡礼街道2009年05月28日

 26日の早朝、西宮市立郷土資料館編集の「西宮歴史散歩・案内マップ」記載の名来の山中にある道標を探訪した。このマップの山口エリアで唯一確かめていない史跡だ。有馬川に架かる愛宕橋袂に名来神社がある。その脇の狭い舗装路を山中に向って東に進む。ゆるい坂道を200mほど進むと関電のフェンスで行き止まりとなる。こんな筈はないとそれらしき石碑はないかと周囲を探すが見当たらない。諦めて一旦帰宅し、西宮市立郷土資料館に問い合せた。このマップの道標を現地調査したという女性職員に繋いでもらった。「フェンスの右手に辛うじて通行できる地道がある。フェンスに沿って進むとまもなく左折する。笹に覆われた道を東に真っ直ぐ諦めずに進むと、右にカーブした少し広い道に出る。カーブの先の右手に舟形のお地蔵さんが刻まれた道標がある」とのことだった。
 昼食を済ませ、再び探訪に出かけた。半袖シャツの両腕を笹の葉で傷つけられたり、蜘蛛の巣を顔中に浴びたりしながらようやく目的の道標に辿り着いた。道標にはお地蔵さんを挟んで両脇に「右 清水道/左ハ在所道」と刻まれている。なぜか道標の前の道だけは整備され、いかにも旧街道を思わせる風情である。清水道とは西国三十三所の25番札所の清水寺である。この地道が紛れもなくかっての24番札所・中山寺と結んだ巡礼街道に違いない。だとすればこの道をそのまま進めば以前確認した竹本多賀太夫塚のある平尻宿の街道に通じている筈である。腹を括って前進した。関電の工事道を左に見ながらフェンス沿いに進むと左に折れる。笹や倒木と格闘しながらひたすら進む。ようやく木の間に平尻の水田が見えた。その手前はぬかるんだ谷間になっている。構わず進むと最後に猪避けの低いトタンが遮断している。トタンを乗り越え畦道に出る。右手東には平尻宿の茶店跡の小屋が見える。ヤッタ!何とか旧街道を踏破した。
 帰宅後、再び西宮市立郷土資料館の女性職員に連絡した。無事確認できたことと平尻宿の街道まで踏破できたことを報告。Sさんからは、「道標に刻まれた方角が間違っているのは設置位置が移動したため。以前は真向かいに反対方向に向いていたと地元の紹介者に聞いた」との情報を得た。確かにお地蔵さんは東を向いて建っていた。とすれば右は南方向で清水寺とは逆方向だ。反対位置に建っていたとすれば納得がいく。ひとりだけでは到底確認できない史跡だった。公共の資料館の通常は目にすることのない地味な取り組みにあらためて感謝した。
 そして今朝の散策である。道標前の旧街道から三田に抜けるルートが確認できていない。それを三田側から探訪しようと思った。名来墓地横の地道から東に山道に入る。途中から緩やかにカーブして南の山中に入る地道がある。軽トラックに乗った農家のオジサンと出合った。早速、平尻方面に抜けるルートを尋ねると、数年前に辿ったことがあるということで、詳しく教えてもらえた。「途中に竹薮や谷があるものの今も何とか抜けられる筈だ」とのこと。狭い山道にトラクターのタイヤ跡が残っている。熊笹の迫る湿地の道を進むと竹薮に辿り着く。竹薮は右の斜面と左の谷に向っている。谷方向に進むが道らしき地形は見当たらない。逡巡の挙句ひとまず撤退することにした。道を尋ねた地点で先ほどのオジサンに再開した。「谷方向で間違いない。谷の西側に流れている小川に沿っていけば抜けられる」とのこと。近日中に再挑戦することにしよう。西国三十三所巡礼街道の踏破というモチベーションを得て俄然テンションが上ってきた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック