フェリー&列車の黒川・由布院の旅(最終日) ― 2009年10月21日

前日にどんなに深酒をしても翌朝の目覚めは、やっぱり6時前だった。すぐ近くの露天風呂に足を運ぶ。コバルトブルーの湯気の中に同室者の姿があった。7時半に朝食となる。本館奥のテーブル席のレストランには懐石風和朝食が並べられている。朝食後の出発までのひと時を旅館周辺の散策で過ごした。
9時に宿の送迎バスでJR由布院駅に向う。駅前の大通りの正面には独特の二瘤の頂きを持つ由布岳の雄姿があった。どこか似たような景色の記憶があった。ようやく思い出した景色は、サルファー山を目抜き通り正面に望むカナダのバンフの街並みだった。
9時半から二グループに分かれて現地のボランティアガイドの引率で由布院散策となる。駅前通りの入り口の鳥居をくぐり右に折れて進む。大分川の支流の川にかかる城橋で、最初の概要ガイドがある。田園地帯に流れる川沿いの遊歩道を進む。川面にはコサギ、小鴨、アオサギなどの水鳥たちが羽根を休めている。山裾の「庄屋の館」付近から立ち上る湯煙りの白さが目を引く。誰かの「空気がおいしい」という呟きを引き取ってガイドさんから森林の生み出すそのおいしさの秘密が語られる。名旅館「玉の湯」前に来た時、泊り客の見送りに出ているご主人の姿を見てガイドさんが声をかけた。「中庭などを見て下さい」とのこと。庭園に囲まれた瀟洒な日本旅館の佇まいを見学した。民芸村の前を通り、旅館「亀の井別荘」の自然に溶け込んだ風情を眺めた。すぐ近くには由布岳に抱かれた金鱗湖の美しい風景がある。数羽の鵞鳥が餌を求めて近づいてくる。ここで先発グループと合流し現地ガイドが終了した。14時の由布院駅集合までは昼食を含めて3時間近い自由散策となる。
土産物、飲食、民芸品などの店が並ぶ通りを駅前まで散策する。街並み保存の取組みが行なわれ、調和のとれた風情のある通りが続いている。通りの奥にある民芸風の食事処・花翔という店の「由布院名物・地鶏丼」の看板が目についた。濃いタレの照り焼き地鶏の載った丼セットを賞味した。1時半頃、由布院駅に着いた。グループの殆んどが駅舎壁際のベンチを温めている。駅前の土産物店で纏め外を済ませ合流した。
いよいよ帰路につく。2時17分発の博多行・ゆふDX4号が入線した。予約席の先頭車両に着席する。九州北部の田園地帯を西の横断する2時間余りの快適な鉄道の旅だった。博多駅構内で最後のショッピングタイムを家族への土産物購入で過ごし、17時4分発のひかり574号のレイルスターに乗り込んだ。乗車間もなく配られた駅弁を缶ビール片手に美味しく食べた。新神戸駅で待機のマイクロバスに乗車し、無事20時半頃に帰宅した。中味の濃い優雅な二泊二日の旅が終った。
9時に宿の送迎バスでJR由布院駅に向う。駅前の大通りの正面には独特の二瘤の頂きを持つ由布岳の雄姿があった。どこか似たような景色の記憶があった。ようやく思い出した景色は、サルファー山を目抜き通り正面に望むカナダのバンフの街並みだった。
9時半から二グループに分かれて現地のボランティアガイドの引率で由布院散策となる。駅前通りの入り口の鳥居をくぐり右に折れて進む。大分川の支流の川にかかる城橋で、最初の概要ガイドがある。田園地帯に流れる川沿いの遊歩道を進む。川面にはコサギ、小鴨、アオサギなどの水鳥たちが羽根を休めている。山裾の「庄屋の館」付近から立ち上る湯煙りの白さが目を引く。誰かの「空気がおいしい」という呟きを引き取ってガイドさんから森林の生み出すそのおいしさの秘密が語られる。名旅館「玉の湯」前に来た時、泊り客の見送りに出ているご主人の姿を見てガイドさんが声をかけた。「中庭などを見て下さい」とのこと。庭園に囲まれた瀟洒な日本旅館の佇まいを見学した。民芸村の前を通り、旅館「亀の井別荘」の自然に溶け込んだ風情を眺めた。すぐ近くには由布岳に抱かれた金鱗湖の美しい風景がある。数羽の鵞鳥が餌を求めて近づいてくる。ここで先発グループと合流し現地ガイドが終了した。14時の由布院駅集合までは昼食を含めて3時間近い自由散策となる。
土産物、飲食、民芸品などの店が並ぶ通りを駅前まで散策する。街並み保存の取組みが行なわれ、調和のとれた風情のある通りが続いている。通りの奥にある民芸風の食事処・花翔という店の「由布院名物・地鶏丼」の看板が目についた。濃いタレの照り焼き地鶏の載った丼セットを賞味した。1時半頃、由布院駅に着いた。グループの殆んどが駅舎壁際のベンチを温めている。駅前の土産物店で纏め外を済ませ合流した。
いよいよ帰路につく。2時17分発の博多行・ゆふDX4号が入線した。予約席の先頭車両に着席する。九州北部の田園地帯を西の横断する2時間余りの快適な鉄道の旅だった。博多駅構内で最後のショッピングタイムを家族への土産物購入で過ごし、17時4分発のひかり574号のレイルスターに乗り込んだ。乗車間もなく配られた駅弁を缶ビール片手に美味しく食べた。新神戸駅で待機のマイクロバスに乗車し、無事20時半頃に帰宅した。中味の濃い優雅な二泊二日の旅が終った。
映画評「カムイ外伝」 ― 2009年10月22日
大阪市大病院の毎月の定期検査が3ヶ月毎になった。その結果、月一回の映画鑑賞も遠のいていたが、今日久々に鑑賞した。しかも二本をハシゴした。10時開会の労働委員会の調査終了後、夜7時の異業種交流会の幹事会まで7時間半もの時間潰しに迫られたのだ。
一本目は「カムイ外伝」だった。学生時代に白戸三平のカムイ伝を夢中で読んでいた。私にとってカムイ伝は、それまでの漫画のイメージを一変させた衝撃的な劇画だった。躍動感溢れるリアリティーのある画風で描かれたその物語は、確固たる自己主張に支えられた魅力ある世界を読む者に提示していた。私にとってのそんな強烈なイメージの原作の映画化である。事前のネット上のクチコミは余り芳しいものではない。原作のイメージを壊したくないという気持ちもあり鑑賞をためらっていたが、他の選択肢が少なく結局ネット予約した。
結論から言えば、クチコミ情報ほどの期待はずれの失敗作ではない。とはいえ原作の持つ強烈なインパクトには及ぶべくもない。この種のアクション映画につきもののCGは極力抑えられ、実写へのこだわりが感じられる。原作に忠実なストーリー展開も好感が持てた。カムイ役の松山ケンイチ、ヒロイン・スガル役の小雪の役柄を心得た抑えた演技も光っていた。抜忍二人の過酷な運命の哀しさがそれなりに切なく伝わってくる。原作のイメージはまもられているという実感に浸りながら2時間を過ごした。
二本目の作品「さまよう刃」は明日のブログでコメントしよう。
一本目は「カムイ外伝」だった。学生時代に白戸三平のカムイ伝を夢中で読んでいた。私にとってカムイ伝は、それまでの漫画のイメージを一変させた衝撃的な劇画だった。躍動感溢れるリアリティーのある画風で描かれたその物語は、確固たる自己主張に支えられた魅力ある世界を読む者に提示していた。私にとってのそんな強烈なイメージの原作の映画化である。事前のネット上のクチコミは余り芳しいものではない。原作のイメージを壊したくないという気持ちもあり鑑賞をためらっていたが、他の選択肢が少なく結局ネット予約した。
結論から言えば、クチコミ情報ほどの期待はずれの失敗作ではない。とはいえ原作の持つ強烈なインパクトには及ぶべくもない。この種のアクション映画につきもののCGは極力抑えられ、実写へのこだわりが感じられる。原作に忠実なストーリー展開も好感が持てた。カムイ役の松山ケンイチ、ヒロイン・スガル役の小雪の役柄を心得た抑えた演技も光っていた。抜忍二人の過酷な運命の哀しさがそれなりに切なく伝わってくる。原作のイメージはまもられているという実感に浸りながら2時間を過ごした。
二本目の作品「さまよう刃」は明日のブログでコメントしよう。
映画評「さまよう刃」 ― 2009年10月23日
「カムイ外伝」を見終えて、なんばパークスシネマのシアター1の会場を出たのが15時15分だった。次の作品「さまよう刃」の上映開始は15時20分だった。なんという効率の良さだろう。
私にとって「容疑者Xの献身」以来の二作目の東野圭吾原作作品である。「容疑者Xの献身」は原作を読んだ上での鑑賞だった。原作では表現しようのない見事な映像表現に、原作と映画作品のそれぞれの素晴らしさを感じたものだ。そんな東野作品の映画化への期待感が真っ先にこの作品を選択させた。「さまよう刃」は原作を読んでいないが、「容疑者Xの献身」の好印象が期待感を裏づけていた。主演の寺尾聰についても「半落ち」での好演が強い印象を残していた。
「最愛の人が奪われたとき、あなたはどうしますか?」というキャッチコピーがこの作品の演出意図を象徴していた。最愛の娘を残酷な方法で殺められても、少年法で護られた犯人は極刑に処せられることなく数年で平然と社会復帰する。そんな日本の司法の現実に抗して、主人公である被害者の父親は犯人に自ら手を下すことで想いを遂げようとする。その父親の心情の側に立った作品といえる。少年法を巡っては多様な議論がある。被害者遺族の心情は察するに余りある。だからといって一方的に少年法の瑕疵部分にのみ焦点を当てた演出手法は疑問である。原作を読んでいないので断定はできないが、東野圭吾という作家はそれほど単純な精神構造を持ち合わせている筈はない。一面的で奥行のない演出は原作をおとしめているとしか思えない。ともすれば感情表現先行型の映像というメディアによるこうした演出の危険性を感じてしまう。唯一、寺尾聰の期待に違わない寡黙で抑えた演技や伊東四朗のますます磨きがかかった存在感のある演技が救いだった。
私にとって「容疑者Xの献身」以来の二作目の東野圭吾原作作品である。「容疑者Xの献身」は原作を読んだ上での鑑賞だった。原作では表現しようのない見事な映像表現に、原作と映画作品のそれぞれの素晴らしさを感じたものだ。そんな東野作品の映画化への期待感が真っ先にこの作品を選択させた。「さまよう刃」は原作を読んでいないが、「容疑者Xの献身」の好印象が期待感を裏づけていた。主演の寺尾聰についても「半落ち」での好演が強い印象を残していた。
「最愛の人が奪われたとき、あなたはどうしますか?」というキャッチコピーがこの作品の演出意図を象徴していた。最愛の娘を残酷な方法で殺められても、少年法で護られた犯人は極刑に処せられることなく数年で平然と社会復帰する。そんな日本の司法の現実に抗して、主人公である被害者の父親は犯人に自ら手を下すことで想いを遂げようとする。その父親の心情の側に立った作品といえる。少年法を巡っては多様な議論がある。被害者遺族の心情は察するに余りある。だからといって一方的に少年法の瑕疵部分にのみ焦点を当てた演出手法は疑問である。原作を読んでいないので断定はできないが、東野圭吾という作家はそれほど単純な精神構造を持ち合わせている筈はない。一面的で奥行のない演出は原作をおとしめているとしか思えない。ともすれば感情表現先行型の映像というメディアによるこうした演出の危険性を感じてしまう。唯一、寺尾聰の期待に違わない寡黙で抑えた演技や伊東四朗のますます磨きがかかった存在感のある演技が救いだった。
地元小学校のファミリー運動会 ― 2009年10月24日

地元小学校の運動会の日である。猛威をふるっている新型インフルエンザの影響で二週間遅れの開催となった。開会前の肌寒さを感じる曇り空の運動場には、大勢の父兄がつめかけている。我が子や我が孫の晴れ姿を待ち望んでいた父母や祖父母のカメラ片手の姿が父兄席を埋めている。正面の来賓席最前列に着席した。周囲の顔ぶれは、おなじみの地域組織の関係者たちである。
9時に始まった運動会はファミリー運動会と名付けられている。地元小学校はファミリー活動と呼ばれるグループ活動が定着している。授業以外の学校生活を1年生から6年生までを横断したファミリーグループで過ごしている。運動会はその赤、黄、青、緑の四つのファミリー間で競われる。クラス対抗でなくファミリー対抗なのだ。
入場行進もファミリー単位である。6年生が左端に立ちその横を1年生から5年生が整列し、正面席に向って行進してくる。次は全校生の準備体操・はばタンダンスだ。自意識の芽生えた高学年のはにかみ混じりの踊りっぷりに対し、てらいの微塵もない1年生の楽しくてたまらない一生懸命な踊りっぷりが微笑ましい。孫のいない身には貴重な風景に違いない。4年生の竹取物語が始まった。9本の竹を2チーム対抗で引っ張り合って奪い合う競技だ。4チームのトーナメント方式で競われる。これが結構ハードなものだ。今は廃止になったかっての棒倒しのイメージがある。中には引き摺られて転んでしまう生徒もいる。誰もが砂だらけで頑張っている。怪我を恐れる余り無難な競技が多いと聞いていたが、運動会はこうでなくちゃ。続いて3年生、4年生のファミリー対抗リレーとなる。来賓席の前でスタートしバトンタッチが繰り広げられる。その緊迫感と臨場感に久々に心踊るものがある。PTA競技の二人三脚、三人四脚なども生徒のファミリーごとの父兄でチームが組まれている。1年生の玉入れ、5‐6年生の徒手体操と続き、午前の部が終了した。来賓席を保護者たちに譲るべく、これを潮に帰路についた。
9時に始まった運動会はファミリー運動会と名付けられている。地元小学校はファミリー活動と呼ばれるグループ活動が定着している。授業以外の学校生活を1年生から6年生までを横断したファミリーグループで過ごしている。運動会はその赤、黄、青、緑の四つのファミリー間で競われる。クラス対抗でなくファミリー対抗なのだ。
入場行進もファミリー単位である。6年生が左端に立ちその横を1年生から5年生が整列し、正面席に向って行進してくる。次は全校生の準備体操・はばタンダンスだ。自意識の芽生えた高学年のはにかみ混じりの踊りっぷりに対し、てらいの微塵もない1年生の楽しくてたまらない一生懸命な踊りっぷりが微笑ましい。孫のいない身には貴重な風景に違いない。4年生の竹取物語が始まった。9本の竹を2チーム対抗で引っ張り合って奪い合う競技だ。4チームのトーナメント方式で競われる。これが結構ハードなものだ。今は廃止になったかっての棒倒しのイメージがある。中には引き摺られて転んでしまう生徒もいる。誰もが砂だらけで頑張っている。怪我を恐れる余り無難な競技が多いと聞いていたが、運動会はこうでなくちゃ。続いて3年生、4年生のファミリー対抗リレーとなる。来賓席の前でスタートしバトンタッチが繰り広げられる。その緊迫感と臨場感に久々に心踊るものがある。PTA競技の二人三脚、三人四脚なども生徒のファミリーごとの父兄でチームが組まれている。1年生の玉入れ、5‐6年生の徒手体操と続き、午前の部が終了した。来賓席を保護者たちに譲るべく、これを潮に帰路についた。
船坂ビエンナーレ2009(棚田エリア) ― 2009年10月25日

山口町南端の里山に船坂がある。戸数200戸余り、人口740人余りの小さな街である。今、この街が元気だ。今日から約1ヶ月に渡って”里山芸術祭”ともいうべき「西宮船坂ビエンナーレ2009」を開催している。15人の造形作家たちが、この里山の様々なスペースを舞台に作品を展示している。それらを順番に芸術の香りを味わいながら見て回りながら里山散策も愉しめるという趣向である。何はともあれ今日、さくらやまなみバスに乗車して散策してきた。
下山口バス停から10数分で船坂橋バス停に到着する。下車してすぐ目につくのは船坂交差点にかかる電光掲示板の「西宮船坂ビエンナーレ2009」の文字だった。こんなところにまでイベント案内をアナウンスしてしまう住民パワーに圧倒される。船坂の氏神・山王神社の先を右に折れるとすぐにJA船坂がある。ここがアート散策コースの出発点となる。11時20分、散策マップをもらって出発する。
右斜めの坂道を入ると最初のポイント・再生中の古民家がある。武庫川女子大の学生ボランティアが江戸末期の茅葺き古民家を美山町の職人さんの指導で修復中の民家である。休日の今日も女子学生たちがお茶接待を買って出ている。盤滝トンネルに通じる西宮北道路の高架の側道に沿って左に折れる。高架沿いに坂道を登ると左手には船坂の棚田の広々した展望が開ける。道順のポイント毎にビエンナーレの赤い幟が立っている。幟を左折し街道に入りUターンするとすぐに最初のアートがある。古い小屋の土間に丸い穴が掘られている。外には掘られた土石が山盛りされている。それだけ・・・。アートは不可解!? 右に折れて棚田の中の畦道に入る。正面のトタン板の小屋に無数の木片が飾られている。その周囲を守るように青竹が斜めに突き刺さっている。この3番ポイントを右折れして進むと正面に黄色いメガホン状の物体が見える。この「メガメガホン」の口元には測定器がついて大声を出すよう指示がある。思わず「ワオ~ッツ」。そのすぐ横にはチッチャなトタン小屋「一畳茶屋」が建っている。側面には「にじり口」が、正面には棚付き窓が付いている。中には真新しい一畳の畳が敷かれている。外観のみすぼらしさと畳の新しさのアンバランスがなんとも不思議な雰囲気を醸している。アートの心に少し触れた気がする。ここから左折れして棚田を下る。すぐ下に錆びた骨組みだけのビニールハウスがある。中の地面に刺された鮮やかなだいだい色の多数の小さな円盤が行儀よく並んでいる。下り坂の先に竹組みの三角錐状の造作物が見える。「船坂城」と名付けられた遊び心たっぷりの作品だ。土台部分に何故か古びたミニバンの廃車が陣取っている。竹の階段が三層の天守への登城を促す。登ってみた。竹壁の間から船坂小学校の風情を残す全貌が見える。今は見ることの少ない屋根のついたモルタル造りの校舎だ。畦道の突当りを左に折れて両側の棚田の空気を愉しみながら西に進む。船坂公園を通り抜けると大きな五線譜の譜面が空間に描かれている。五線も音符も全て竹で作られている。作者の膨大で気の遠くなるような労力が偲ばれる。そのすぐ下の刈入れを終えた田圃に船坂の子供たちが作成したというオブジェがある。案山子風の女の子が稲藁に囲まれて立っている。傍にある案内看板が、この田が小学生たちの稲作体験教室の田であることを告げている。
以上の九つのオブジェがビエンナーレの棚田エリアの作品群である。この地方の有数の広大な棚田の素晴らしい風景のキャンバスに描かれたのアートの世界だった。日曜日のイベント初日の畦道で大勢の人びととすれ違った。深秋の肌寒い曇り空の下の丘陵地の絶好のコースを汗を滲ませながら40分の散策を満喫した。長すぎる日記になってしまった。10のオブジェで構成される「湯山古道エリア」の散策日記は明日コメントすることにしよう。
下山口バス停から10数分で船坂橋バス停に到着する。下車してすぐ目につくのは船坂交差点にかかる電光掲示板の「西宮船坂ビエンナーレ2009」の文字だった。こんなところにまでイベント案内をアナウンスしてしまう住民パワーに圧倒される。船坂の氏神・山王神社の先を右に折れるとすぐにJA船坂がある。ここがアート散策コースの出発点となる。11時20分、散策マップをもらって出発する。
右斜めの坂道を入ると最初のポイント・再生中の古民家がある。武庫川女子大の学生ボランティアが江戸末期の茅葺き古民家を美山町の職人さんの指導で修復中の民家である。休日の今日も女子学生たちがお茶接待を買って出ている。盤滝トンネルに通じる西宮北道路の高架の側道に沿って左に折れる。高架沿いに坂道を登ると左手には船坂の棚田の広々した展望が開ける。道順のポイント毎にビエンナーレの赤い幟が立っている。幟を左折し街道に入りUターンするとすぐに最初のアートがある。古い小屋の土間に丸い穴が掘られている。外には掘られた土石が山盛りされている。それだけ・・・。アートは不可解!? 右に折れて棚田の中の畦道に入る。正面のトタン板の小屋に無数の木片が飾られている。その周囲を守るように青竹が斜めに突き刺さっている。この3番ポイントを右折れして進むと正面に黄色いメガホン状の物体が見える。この「メガメガホン」の口元には測定器がついて大声を出すよう指示がある。思わず「ワオ~ッツ」。そのすぐ横にはチッチャなトタン小屋「一畳茶屋」が建っている。側面には「にじり口」が、正面には棚付き窓が付いている。中には真新しい一畳の畳が敷かれている。外観のみすぼらしさと畳の新しさのアンバランスがなんとも不思議な雰囲気を醸している。アートの心に少し触れた気がする。ここから左折れして棚田を下る。すぐ下に錆びた骨組みだけのビニールハウスがある。中の地面に刺された鮮やかなだいだい色の多数の小さな円盤が行儀よく並んでいる。下り坂の先に竹組みの三角錐状の造作物が見える。「船坂城」と名付けられた遊び心たっぷりの作品だ。土台部分に何故か古びたミニバンの廃車が陣取っている。竹の階段が三層の天守への登城を促す。登ってみた。竹壁の間から船坂小学校の風情を残す全貌が見える。今は見ることの少ない屋根のついたモルタル造りの校舎だ。畦道の突当りを左に折れて両側の棚田の空気を愉しみながら西に進む。船坂公園を通り抜けると大きな五線譜の譜面が空間に描かれている。五線も音符も全て竹で作られている。作者の膨大で気の遠くなるような労力が偲ばれる。そのすぐ下の刈入れを終えた田圃に船坂の子供たちが作成したというオブジェがある。案山子風の女の子が稲藁に囲まれて立っている。傍にある案内看板が、この田が小学生たちの稲作体験教室の田であることを告げている。
以上の九つのオブジェがビエンナーレの棚田エリアの作品群である。この地方の有数の広大な棚田の素晴らしい風景のキャンバスに描かれたのアートの世界だった。日曜日のイベント初日の畦道で大勢の人びととすれ違った。深秋の肌寒い曇り空の下の丘陵地の絶好のコースを汗を滲ませながら40分の散策を満喫した。長すぎる日記になってしまった。10のオブジェで構成される「湯山古道エリア」の散策日記は明日コメントすることにしよう。
船坂ビエンナーレ2009(湯山古道エリア) ― 2009年10月26日

10月25日の12時過ぎである。船坂ビエンナーレの棚田エリアの北の端、大多田川の川沿いに沿って東に向った。川沿いの竹林を抜けると藁屋根をトタンで覆った古民家が建ち並ぶ集落に入った。幟を目印に左折して石橋を渡ると、かっての共同洗い場のような小屋がある。10着ほどの洗いざらしの白い上着やスラックスが小屋の天上からテグスで吊るされている。「Eat and・・・」と題された作品の作者のコメントには「洗濯が作品になりました」とある(分からん!?)。来た道を戻り、大多田川と有馬街道を渡る。正面のゆるやかな山道を登った先に、船阪小学校東門の石造りの二柱が建っていた。校庭に入ってすぐ右手の急階段を上がり、細長い校舎のベランダ廊下を伝って正面玄関に出る。玄関前の坂道を下り、山裾の坂道から竹薮に囲まれた道を上ると、右手に11番目のオブジェがあった。真っ直ぐに天に伸びるように立つ青竹が群生している。地上1m位のところにピンクの折り紙を付けた糸が巡らされている。「けはい」と題されたこの作品の作者は「あやしの世界を表現した」とコメントする。何となく雰囲気はわかる。突当りを右にカーブする道を行く。次の作品はそれとは分かりにくい廃屋のような民家だった。1階ガラス戸の中の土間には煉瓦造りの釜戸や鋤、鍬、臼、杵などの古民具、地元で採取した枯れた植物が所狭しと並んでいる。これが作品と言われると釈然としないのは芸術に対する洞察力不足か。すぐ先の古刹・善照寺の本堂に次の作品があった。本堂の青畳の上の円盤に金属製の3人の宇宙人が手を繋いで立っている。一人分の空間があり、見学者がそこに乗っかる。左右の宇宙人の差し出す手の先のボタンを同時に押すと円盤が回りだす。傍にいた作者に「一周回っている間に願い事を唱えてください」と促される。子供たちに夢を託した「未来人」と題する作品だ。
善照寺前の二筋に分かれた道路の山肌に沿った道を進む。突き当たりの三叉路を右に行くと茅葺き古民家が集まるエリアに入る。その一棟に四つのオブジェが集まっている。「饗宴」(無造作に置かれた白いシーツの波間に浮ぶけいとうの花束)。「実り」(床が取り除かれた剥き出しの土間の上に数個の瓜の形のオブジェがぶら下がっている)。「神秘の力に絡まれながら」(カジュマロの樹を模した粘土で捏ねられた真っ黒な焼き物が不気味に上に向って伸びている)。「THE MOTHER」(焼かれた粘土の筒が珊瑚礁のように束になってより大きな筒を造っている。「土」を感じること・・・と作者は語る)。「place/arm」(棚田エリアの最初のオブジェと同じ作家の作品である。民家隣接の小屋の土間が掘られて大きな穴があいている。掘られた土や石が穴の周囲に盛られている。地面を掘るという単純な行為の痕跡としての作品・・・と作者は語る)。「Moment」(民家の奥の部屋で作家のベルリン滞在中の映像がプロジェクターからエンドレスに流されている)。
以上が湯山古道エリアの作品群である。車道として整備された現在の有馬街道の北の山裾を歩くコースである。湯山古道と呼ばれた往時の有馬街道のルートだったのだろうか。杣道や竹林の間を縫う情緒のある旧道にオブジェが点在するエリアだった。茅葺き民家の集落をゴールとしたコース設定も見事な演出である。
里山芸術祭としてのビエンナーレの散策報告は以上の通りだが、当日は、ビエンナーレのイベントとして地元住民による収穫祭や人形劇公園もあった。また船坂小学校の校舎や古刹・善照寺の探訪もできた。これらの報告は明日のブログにゆずりたい。
善照寺前の二筋に分かれた道路の山肌に沿った道を進む。突き当たりの三叉路を右に行くと茅葺き古民家が集まるエリアに入る。その一棟に四つのオブジェが集まっている。「饗宴」(無造作に置かれた白いシーツの波間に浮ぶけいとうの花束)。「実り」(床が取り除かれた剥き出しの土間の上に数個の瓜の形のオブジェがぶら下がっている)。「神秘の力に絡まれながら」(カジュマロの樹を模した粘土で捏ねられた真っ黒な焼き物が不気味に上に向って伸びている)。「THE MOTHER」(焼かれた粘土の筒が珊瑚礁のように束になってより大きな筒を造っている。「土」を感じること・・・と作者は語る)。「place/arm」(棚田エリアの最初のオブジェと同じ作家の作品である。民家隣接の小屋の土間が掘られて大きな穴があいている。掘られた土や石が穴の周囲に盛られている。地面を掘るという単純な行為の痕跡としての作品・・・と作者は語る)。「Moment」(民家の奥の部屋で作家のベルリン滞在中の映像がプロジェクターからエンドレスに流されている)。
以上が湯山古道エリアの作品群である。車道として整備された現在の有馬街道の北の山裾を歩くコースである。湯山古道と呼ばれた往時の有馬街道のルートだったのだろうか。杣道や竹林の間を縫う情緒のある旧道にオブジェが点在するエリアだった。茅葺き民家の集落をゴールとしたコース設定も見事な演出である。
里山芸術祭としてのビエンナーレの散策報告は以上の通りだが、当日は、ビエンナーレのイベントとして地元住民による収穫祭や人形劇公園もあった。また船坂小学校の校舎や古刹・善照寺の探訪もできた。これらの報告は明日のブログにゆずりたい。
西宮船坂ビエンナーレ(イベントと史跡探訪) ― 2009年10月27日

10月25日の12時過ぎである。船坂ビエンナーレの棚田エリアの散策を終えて、大多田川と有馬街道の車道を渡り湯山古道エリアに入った。正面のゆるやかな山道を登った先に、積み重ねた歴史の深みを感じさせる船阪小学校東門の石造りの二柱が建っていた。
その向こうの校庭からバンド演奏や司会者のトークが聞こえてくる。「船坂ふれあい広場」の「収穫祭」の会場だ。いくつものテントの下では地元住民による多くの屋台が営業中だ。ポン菓子、古代米カレー、お米に地場野菜、おにぎりなど。一杯200円の船坂蕎麦には長い行列ができている。どの商品も専用食券で購入しなければならない。知人が受け持つ食券販売所でチケットを購入し、昼食用にかやくおにぎりを求めた。着席したパイプ椅子の前ではバンド演奏やフォークソングの野外コンサートが続いている。地元住民挙げてのビエンナーレの取組みが伝わってくる。
校庭東側の急階段を上り、山肌の斜面に建つ船坂小学校の校舎を見学した。来年3月の廃校が決定し、明治6年の開校以来136年に及ぶ歴史を閉じようとしている西宮市最古の小学校である。日曜日ながらイベント協賛なのだろうか、教室には入れなかったものの校舎内は開放されている。内部を見学できる思わぬ機会を得た。ぬくもりのある木の廊下が、歩くたびにミシミシと音をたてる。窓越しに見える教室内は、映画・二十四の瞳に登場する小豆島の分教場を思わせる素朴さがある。横長の校舎を走る長い廊下が、幼い頃に通学した母校の郷愁をもたらしてくれる。正面玄関を出て、下り坂を下りたところから振り返った。校舎玄関周りの風情ある造作が目に映る。すぐ下の校庭隅には、今は見ることの少ない二宮金次郎の石像が歩きながら本を読んでいる。保存すべき貴重な文化遺産としてのこの校舎への想いが募る。
13番目のオブジェの見学は、一度内部を参拝したかった古刹・善照寺本堂へのお参りの絶好の機会でもあった。内陣に安置された別名・浮き足如来と呼ばれる本尊の阿弥陀如来立像も目にすることができた。
午後1時半頃に、ビエンナーレの全てのオブジェを見終えた。山王神社や隣りの国玉大明神を参拝したりして15分ばかりを過ごし、2時からは小学校体育館で催された人形劇公演を楽しんだ。生徒数にふさわしい小型の体育館では並べられたパイプ椅子を地元のお年寄りなどで埋められていた。3グループによる公演だった。最初は甲山高校の生徒たちによる紙人形劇「ねずみとりのトルーネさん」だった。決して上手とはいえないがその一生懸命さは伝わってくる。
続いて街の紙芝居屋さん・コンちゃんの登場である。70歳を越えたかに見えるプロのおじさんが軽妙な語り口で3本ばかりを上演した。子供の頃に楽しんだ紙芝居が今目の前で繰り広げられている。物語のクライマックスで必ずその日の一巻が終る筋書きである。続きはまた明日・・・ということで次の日も次の日も待ちかねたようにお地蔵さん前に駆けつけた思い出が甦る。
最後は戎座人形芝居館チームの出番である。西宮戎神社ゆかりの人形あやつり師の傀儡子を思わせる衣装に身を包んだメンバーたちが舞台前に陣取った。三味線、太鼓、語りなどの音曲の担当者たちだ。舞台では人形浄瑠璃風の人形を黒子たちが操っている。なかなか本格的な仕掛けである。西宮民話「逆顔大王」の物語が巧みな筋立てで展開する。初めて見る本格的な人形芝居をたっぷり楽しんだ。
ビエンナーレとはイタリア語の「2年に一度」の意味のようだ。「西宮船坂ビエンナーレ2009」がスタートした。地元住民や15人のアーチストだけでなく多くの人びとの結集されたパワーが生み出したイベントだと思われる。それにしてもこのイベントを「ビエンナーレ」としたことの意味は大きい。2年に1度の開催を宣言したに等しい。どのような論議を経て決定されたのだろう。2009の西暦表示の駄目押しが並々ならない覚悟を示している。「「西宮船坂ビエンナーレ2011」に繋がることを願ってやまない。
その向こうの校庭からバンド演奏や司会者のトークが聞こえてくる。「船坂ふれあい広場」の「収穫祭」の会場だ。いくつものテントの下では地元住民による多くの屋台が営業中だ。ポン菓子、古代米カレー、お米に地場野菜、おにぎりなど。一杯200円の船坂蕎麦には長い行列ができている。どの商品も専用食券で購入しなければならない。知人が受け持つ食券販売所でチケットを購入し、昼食用にかやくおにぎりを求めた。着席したパイプ椅子の前ではバンド演奏やフォークソングの野外コンサートが続いている。地元住民挙げてのビエンナーレの取組みが伝わってくる。
校庭東側の急階段を上り、山肌の斜面に建つ船坂小学校の校舎を見学した。来年3月の廃校が決定し、明治6年の開校以来136年に及ぶ歴史を閉じようとしている西宮市最古の小学校である。日曜日ながらイベント協賛なのだろうか、教室には入れなかったものの校舎内は開放されている。内部を見学できる思わぬ機会を得た。ぬくもりのある木の廊下が、歩くたびにミシミシと音をたてる。窓越しに見える教室内は、映画・二十四の瞳に登場する小豆島の分教場を思わせる素朴さがある。横長の校舎を走る長い廊下が、幼い頃に通学した母校の郷愁をもたらしてくれる。正面玄関を出て、下り坂を下りたところから振り返った。校舎玄関周りの風情ある造作が目に映る。すぐ下の校庭隅には、今は見ることの少ない二宮金次郎の石像が歩きながら本を読んでいる。保存すべき貴重な文化遺産としてのこの校舎への想いが募る。
13番目のオブジェの見学は、一度内部を参拝したかった古刹・善照寺本堂へのお参りの絶好の機会でもあった。内陣に安置された別名・浮き足如来と呼ばれる本尊の阿弥陀如来立像も目にすることができた。
午後1時半頃に、ビエンナーレの全てのオブジェを見終えた。山王神社や隣りの国玉大明神を参拝したりして15分ばかりを過ごし、2時からは小学校体育館で催された人形劇公演を楽しんだ。生徒数にふさわしい小型の体育館では並べられたパイプ椅子を地元のお年寄りなどで埋められていた。3グループによる公演だった。最初は甲山高校の生徒たちによる紙人形劇「ねずみとりのトルーネさん」だった。決して上手とはいえないがその一生懸命さは伝わってくる。
続いて街の紙芝居屋さん・コンちゃんの登場である。70歳を越えたかに見えるプロのおじさんが軽妙な語り口で3本ばかりを上演した。子供の頃に楽しんだ紙芝居が今目の前で繰り広げられている。物語のクライマックスで必ずその日の一巻が終る筋書きである。続きはまた明日・・・ということで次の日も次の日も待ちかねたようにお地蔵さん前に駆けつけた思い出が甦る。
最後は戎座人形芝居館チームの出番である。西宮戎神社ゆかりの人形あやつり師の傀儡子を思わせる衣装に身を包んだメンバーたちが舞台前に陣取った。三味線、太鼓、語りなどの音曲の担当者たちだ。舞台では人形浄瑠璃風の人形を黒子たちが操っている。なかなか本格的な仕掛けである。西宮民話「逆顔大王」の物語が巧みな筋立てで展開する。初めて見る本格的な人形芝居をたっぷり楽しんだ。
ビエンナーレとはイタリア語の「2年に一度」の意味のようだ。「西宮船坂ビエンナーレ2009」がスタートした。地元住民や15人のアーチストだけでなく多くの人びとの結集されたパワーが生み出したイベントだと思われる。それにしてもこのイベントを「ビエンナーレ」としたことの意味は大きい。2年に1度の開催を宣言したに等しい。どのような論議を経て決定されたのだろう。2009の西暦表示の駄目押しが並々ならない覚悟を示している。「「西宮船坂ビエンナーレ2011」に繋がることを願ってやまない。
映画評「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」 ― 2009年10月28日
三ヶ月振りの大阪市大病院の検査の日だった。血液検査結果をチェックし触診を終えた担当医の女医さんが言った。「何も問題ありません。順調ですね」。あの激痛インターフェロン注射からも放免されている。病院を出てまっしぐらにTOHOシネマ梅田に駆けつけた。この映画館の12時15分上映の「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」が今日のシネマの日のスケジュールで可能でベターな選択肢だった。
封切り後半月以上経っている作品である。シネコンの比較的狭いスペースに移された館内は、それでも幅広い年代の女性客でほぼ満席だった。観終えて、その根強い人気ぶりに「さもありなん」と納得した。
太宰治の同名の短編小説をベースに映画化された作品のようだ。なんと言ってもヒロイン・佐知を演じた松たか子の美しさと演技が光っていた。スクリーン上の佐知のナイーブさは松たか子のキャラクターなのだろうか。佐知の置かれた残酷で悲惨な環境を、そのナイーブさが吹き飛ばす。その役回りを見事に魅力的に演じきっている。
原作は読んでいない。映画化された作品の評価は、物語性以上にその映像美に求められるだろう。ラストの映像美は秀逸だった。妻である佐知を裏切り続ける放蕩の小説家・大谷(浅野忠信)が、バーの女・秋子(広末涼子)と心中未遂の果てに佐知の働く飲み屋に帰ってくる。店主に「佐知を頼みます」と言って出て行く大谷を、佐知がガード下で追いつく。女将から「坊やに食べさせておやり」ともらった桜桃を自嘲しながら口に運ぶ大谷。佐知も大谷の手から桜桃を摘んで口に運ぶ。手を繋ぎあった二人が並んでガードの煉瓦にもたれた。その瞬間にラストを迎える。映像がストンと静止し、カラーだった映像の色がジワーッと抜けていく。鮮やかなラストシーンだった。モノクロ画像の残像が心に沁みるラストだった。坊やの桜桃を佐知も一緒に食べあうことでようやく大谷と繋がったという物語の結末を暗示しているのだろうか。そのラスト映像は観客に自由な想像を迫っている。原作では表現しようのない映像の美を突きつけて終った。
封切り後半月以上経っている作品である。シネコンの比較的狭いスペースに移された館内は、それでも幅広い年代の女性客でほぼ満席だった。観終えて、その根強い人気ぶりに「さもありなん」と納得した。
太宰治の同名の短編小説をベースに映画化された作品のようだ。なんと言ってもヒロイン・佐知を演じた松たか子の美しさと演技が光っていた。スクリーン上の佐知のナイーブさは松たか子のキャラクターなのだろうか。佐知の置かれた残酷で悲惨な環境を、そのナイーブさが吹き飛ばす。その役回りを見事に魅力的に演じきっている。
原作は読んでいない。映画化された作品の評価は、物語性以上にその映像美に求められるだろう。ラストの映像美は秀逸だった。妻である佐知を裏切り続ける放蕩の小説家・大谷(浅野忠信)が、バーの女・秋子(広末涼子)と心中未遂の果てに佐知の働く飲み屋に帰ってくる。店主に「佐知を頼みます」と言って出て行く大谷を、佐知がガード下で追いつく。女将から「坊やに食べさせておやり」ともらった桜桃を自嘲しながら口に運ぶ大谷。佐知も大谷の手から桜桃を摘んで口に運ぶ。手を繋ぎあった二人が並んでガードの煉瓦にもたれた。その瞬間にラストを迎える。映像がストンと静止し、カラーだった映像の色がジワーッと抜けていく。鮮やかなラストシーンだった。モノクロ画像の残像が心に沁みるラストだった。坊やの桜桃を佐知も一緒に食べあうことでようやく大谷と繋がったという物語の結末を暗示しているのだろうか。そのラスト映像は観客に自由な想像を迫っている。原作では表現しようのない映像の美を突きつけて終った。
復刻版日記⑥一郎の出番か? ― 2009年10月29日
※以下は11年前の自民、自由の自・自連立政権樹立の合意直後の日記である。今注目の小沢一郎が、当時も時の人だった。
(1998年11月22日の日記より)
久々の休日の日曜日である。日曜朝のTVが最近、面白い。本日は『復活・小沢の登場』である。「読売」「NHK]「毎日」と3チャンネル立て続けの生出演である。日本の政治家ではやはり最も絵になる、気になる男なのだろう。
毎日のサンデープロジェクトを観る。題して「小沢一郎生出演・剛腕復活・すべて話そう、日本改造の一大計画」。「自・自連立」をめぐる田原聡一郎とのやりとり。自信たっぷりの一郎発言がポンポン飛び出す。「追いつめられた自民党が政策転換した」「党首間の合意でなく政党間の合意だ」「小渕総裁には大変な決断をしてもらった」「役人の25%削減。衆参議員の各50人の削減」「政府委員の国会答弁の禁止」「国連決議の要請があれば国連軍に派遣」等々・・・。次の発言は印象的だった。「保守党という日本語は疑問。旧来の枠組みを維持しようという勢力が保守党なら私は違う。21世紀に向けて新たな枠組みを作ろうとしているのだから。」
私の「小沢観」。新たな枠組みづくりに妥協を排して挑戦する男への共感。問題の先送りでなく苦しくとも今対応しようという姿勢への評価。反面、立場の違い、見解や姿勢の違いを許容しない独善さは、「剛腕」と称されるその政治手法ともあいまって全体主義的な危険な臭いを感じさせる。「第一次大戦後のドイツを襲った泥沼の経済不況の中からヒトラーのナチズムが勃興した」というシーンをオーバーラップさせるのは、思い過ごしに勝ち過ぎるとは思うが・・・。それでもTVに映る「イチロー」のこわばった(?)笑顔は、女性スキャンダルにあたふたしている野党第一党の党首の優男ぶりを凌いでいる。
誰もが経験しなかったデフレ経済に本格的に突入しようとしている。誰もが自信がなく、不安な毎日である。明日は我が身のリストラが徘徊する。この閉塞状況を確信をもって打破してくれるリーダーシップが求められている。「連立政権の合意」文書を手にした小沢一郎に出番が回ってきたのか。
(1998年11月22日の日記より)
久々の休日の日曜日である。日曜朝のTVが最近、面白い。本日は『復活・小沢の登場』である。「読売」「NHK]「毎日」と3チャンネル立て続けの生出演である。日本の政治家ではやはり最も絵になる、気になる男なのだろう。
毎日のサンデープロジェクトを観る。題して「小沢一郎生出演・剛腕復活・すべて話そう、日本改造の一大計画」。「自・自連立」をめぐる田原聡一郎とのやりとり。自信たっぷりの一郎発言がポンポン飛び出す。「追いつめられた自民党が政策転換した」「党首間の合意でなく政党間の合意だ」「小渕総裁には大変な決断をしてもらった」「役人の25%削減。衆参議員の各50人の削減」「政府委員の国会答弁の禁止」「国連決議の要請があれば国連軍に派遣」等々・・・。次の発言は印象的だった。「保守党という日本語は疑問。旧来の枠組みを維持しようという勢力が保守党なら私は違う。21世紀に向けて新たな枠組みを作ろうとしているのだから。」
私の「小沢観」。新たな枠組みづくりに妥協を排して挑戦する男への共感。問題の先送りでなく苦しくとも今対応しようという姿勢への評価。反面、立場の違い、見解や姿勢の違いを許容しない独善さは、「剛腕」と称されるその政治手法ともあいまって全体主義的な危険な臭いを感じさせる。「第一次大戦後のドイツを襲った泥沼の経済不況の中からヒトラーのナチズムが勃興した」というシーンをオーバーラップさせるのは、思い過ごしに勝ち過ぎるとは思うが・・・。それでもTVに映る「イチロー」のこわばった(?)笑顔は、女性スキャンダルにあたふたしている野党第一党の党首の優男ぶりを凌いでいる。
誰もが経験しなかったデフレ経済に本格的に突入しようとしている。誰もが自信がなく、不安な毎日である。明日は我が身のリストラが徘徊する。この閉塞状況を確信をもって打破してくれるリーダーシップが求められている。「連立政権の合意」文書を手にした小沢一郎に出番が回ってきたのか。
日の出前の茜色の鰯雲 ― 2009年10月30日

いつものように早朝ウォーキングにでかけた。夜明けの時間が徐々に確実に遅くなってきた。比例して出かける時間が遅くなる。風景が見えない暗闇の散歩はつまらない。
6時20分頃だった。行く手の青い空を鮮やかな茜色の幾筋かの鰯雲が掃いていた。ここからは見えない山の向こうの太陽が演出した美しい光景だった。散歩道を折り返し、反対方向から同じ空を30分後に眺めた。日の出寸前の空がだいだい色に染まっていた。刻々と移り変わる自然の美しい変化は、早朝散策の何よりのご褒美だ。ポケットに小型デジカメをいつも持参する。どんどん撮ってどんどん削除できるその融通無碍の使い勝手をつくづくありがたいと思う。
6時20分頃だった。行く手の青い空を鮮やかな茜色の幾筋かの鰯雲が掃いていた。ここからは見えない山の向こうの太陽が演出した美しい光景だった。散歩道を折り返し、反対方向から同じ空を30分後に眺めた。日の出寸前の空がだいだい色に染まっていた。刻々と移り変わる自然の美しい変化は、早朝散策の何よりのご褒美だ。ポケットに小型デジカメをいつも持参する。どんどん撮ってどんどん削除できるその融通無碍の使い勝手をつくづくありがたいと思う。
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