宮水学園「王朝文学と祈りの回廊・播磨路」2012年02月23日

 北部・塩瀬の宮水学園の最終回・第9回講座を受講した。今回は、「王朝文学の祈りの回廊・播磨路」をテーマとした講座である。講師は藍美喜子さんという源氏物語等の王朝文学の研究者で年配の上品な女性だった。
 播磨出身者としてはテーマにある「播磨路」への期待が大きかった。しかし内容は、西国三十三所巡礼の中興の祖といわれる花山院(65代・花山天皇968~1008年)の生涯にスポットをあてたものだ。西国三十三所巡礼は山口北部の旧街道がその巡礼街道の一部だったこともあり「にしのみや山口風土記」でも取上げている。そんなことから興味深く聴いた。
 時代は10世紀末・平安時代中期の摂関政治の全盛期である。その頂点に立った藤原道長と花山院は2歳違いの同年代の人だった。それだけにその41年の数奇な人生は藤原摂関家との深い関わりの中で過ごされた。63代・冷泉天皇の長子として生まれ、母は道長の叔父・太政大臣藤原伊尹(これまさ)の長女だった。実力者だった外祖父の後見篤く生後十カ月で立太子され17歳で即位したものの「寛和の変」でわずか2年で譲位された。後見すべき祖父、母が相次いで死去したことが背景にあった。荘園整理令などの改革に着手したことが摂関家の反発を招き退位に追い込まれた。
 退位後は出家し修行を積むため各地を訪ねた。西国巡礼は、花山院が播磨国の書写山・圓興寺の性空上人の勧めで巡礼を続けたことが機縁となる。奈良時代に徳道仙人が観音霊場三十三カ所の宝印を石棺に納めたという伝承があり、花山院が摂津国・中山寺でこの宝印を探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場の巡礼をはじめたことによる。こんな話を1時間半に渡って聴いた。王朝文化華やかな時代風景を初めてじっくり学んだ感があった。
 塩瀬地域・宮水学園の全9回の講座のうち受講できたのは5回だけだった。7割以上の出席者に渡される修了証書の受領は叶わなかった。