バルト三国の危機!ラトビアのアルビーナさんの消息は? ― 2022年07月18日

朝日テレビの「ワイドスクランブル」で関心の深いニュースの解説をしていた。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、ウクライナの隣国バルト三国のロシアへの警戒感を深めている実態を伝えた特集番組だった。
バルト三国うちラトビアは思い出深い国である。1975年の30歳の時に労組役員の一員としてソ連邦を訪問した。その時の訪問先のひとつが独立前のラトビアの首都リガだった。
2年前に自叙伝を自費出版した際に、その時の訪問記の中でリガの思い出を次のように綴った。
『リガでは忘れ難い出来事を体験した。30代の美人書記・アルビーナさんが我々の応接担当だった。50代以上の団員が多い中で、同世代でカタコト英語を話した私と4日間の訪問を通じて親しくなった。別れの晩餐会で二人だけでしばらく会話した。酔いも手伝ったのか彼女の口から祖国ラトビアの独立を願う言葉がついて出た。大国ロシアに占領され、心ならずもソ連邦の一員となった民族の魂の叫びを垣間見た気がした。秘密警察も跋扈するお国柄で、異邦人相手によくぞ語ったものだと驚愕しながら共感の言葉を返した。
列車でレニングラードに向かうプラットホームでの別れの時だった。団員仲間たちとの別れを握手で済ませていた彼女が、突然私の腰に手を廻し頬を寄せてハグをした。私の人生の中でも思い出深い感動的でドラマチックな一瞬だった。祖国への想いをはからずも伝え、受け止めてもらった異邦人への親愛の情が、咄嗟にそんな行動に駆り立てたのだろう。
それから16年後の1991年に彼女の願いはソ連邦崩壊後のラトビア共和国の独立という形で実現した。テレビでその報道に接した時、ラトビアを”ラティア”の愛称で繰り返していた彼女の面影を思い出しながら心から祝福した』
そのラトビアが、今またかつての悲惨な歴史を繰り返されかねない危機を迎えている。テレビ越しにその背景と現状の報告を見詰めながらアルビーナさんの消息に思いを馳せた。
バルト三国うちラトビアは思い出深い国である。1975年の30歳の時に労組役員の一員としてソ連邦を訪問した。その時の訪問先のひとつが独立前のラトビアの首都リガだった。
2年前に自叙伝を自費出版した際に、その時の訪問記の中でリガの思い出を次のように綴った。
『リガでは忘れ難い出来事を体験した。30代の美人書記・アルビーナさんが我々の応接担当だった。50代以上の団員が多い中で、同世代でカタコト英語を話した私と4日間の訪問を通じて親しくなった。別れの晩餐会で二人だけでしばらく会話した。酔いも手伝ったのか彼女の口から祖国ラトビアの独立を願う言葉がついて出た。大国ロシアに占領され、心ならずもソ連邦の一員となった民族の魂の叫びを垣間見た気がした。秘密警察も跋扈するお国柄で、異邦人相手によくぞ語ったものだと驚愕しながら共感の言葉を返した。
列車でレニングラードに向かうプラットホームでの別れの時だった。団員仲間たちとの別れを握手で済ませていた彼女が、突然私の腰に手を廻し頬を寄せてハグをした。私の人生の中でも思い出深い感動的でドラマチックな一瞬だった。祖国への想いをはからずも伝え、受け止めてもらった異邦人への親愛の情が、咄嗟にそんな行動に駆り立てたのだろう。
それから16年後の1991年に彼女の願いはソ連邦崩壊後のラトビア共和国の独立という形で実現した。テレビでその報道に接した時、ラトビアを”ラティア”の愛称で繰り返していた彼女の面影を思い出しながら心から祝福した』
そのラトビアが、今またかつての悲惨な歴史を繰り返されかねない危機を迎えている。テレビ越しにその背景と現状の報告を見詰めながらアルビーナさんの消息に思いを馳せた。
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