逆縁の訪れ(2)故人の自宅帰還と葬儀の準備 ― 2024年03月14日

死亡直後の長男の体を二人の看護師さんに拭いてもらい寝間着を普段着に着せ替えてもらった。その間に長男の奥さんが葬儀社に連絡を取り以後の祭式の手配をしてもらった。
1時頃に葬儀社の「大久保大和会館」の担当者が来訪した。霊柩車の前を奥さんがマイカーで先導し、霊柩車には私が同乗した。祭式会場の会館に向かう道すがら長男夫婦の自宅前に立ち寄るためだった。20分ばかりで自宅前に到着。傍に眠っている長男に声を掛けた。「家に着いたで~。帰ってきたんやで~」。大学卒業後の30年近い歳月を転勤族として過ごした。その長男がようやく”終の棲家”として購入し移り住んだのが海岸近くの”海の見える家”だった。1年余りしか住むことが叶わなかった長男の残念さを思いやった。
2時前に霊柩車が会館に到着した。3階ホール横の親族控室の一角の祭壇スペースに遺体が安置された。祭壇前に敷かれた布団に横たわる長男に時折り声を掛けたり顔に触れたりしながら見守った。顔に触れた手にはまだ温もりが伝わっている。
会場の担当者との祭式等の打合せが始まった。驚くほど細々とした内容の打合せが喪主である奥さんの意向を確認しながら坦々と進められる。確認のつどタブレットに入力され、終了後には接続された小型プリンタから即座に見積もりが出力された。葬祭事業のIT化の進展を目にした。その後、担当者による我が家の宗派のお寺さんや「あかし斎場」との調整もつき、通夜式や告別式の日程も固まった。
朝からとるものもとりあえず病院に向かったままだった。5時前に私たち夫婦は着替えや祭式の準備のため一旦自宅に戻ることにした。支度を整えて7時30分頃には再び会館に戻った。
途中のコンビニで調達したお弁当で夕食を済ませた。私たち夫婦と長男の奥さんだけの故人を偲ぶ静かなひと時が訪れた。時に控室の祭壇前の故人にお線香をあげて偲んだ。遺体の安置に際して周りにドライアイスが配置されていた。額に当てた手から温もりが消えていた。10時過ぎには床に就き、哀しみに包まれた長くて起伏に満ちた一日がようやく幕を閉じた。
1時頃に葬儀社の「大久保大和会館」の担当者が来訪した。霊柩車の前を奥さんがマイカーで先導し、霊柩車には私が同乗した。祭式会場の会館に向かう道すがら長男夫婦の自宅前に立ち寄るためだった。20分ばかりで自宅前に到着。傍に眠っている長男に声を掛けた。「家に着いたで~。帰ってきたんやで~」。大学卒業後の30年近い歳月を転勤族として過ごした。その長男がようやく”終の棲家”として購入し移り住んだのが海岸近くの”海の見える家”だった。1年余りしか住むことが叶わなかった長男の残念さを思いやった。
2時前に霊柩車が会館に到着した。3階ホール横の親族控室の一角の祭壇スペースに遺体が安置された。祭壇前に敷かれた布団に横たわる長男に時折り声を掛けたり顔に触れたりしながら見守った。顔に触れた手にはまだ温もりが伝わっている。
会場の担当者との祭式等の打合せが始まった。驚くほど細々とした内容の打合せが喪主である奥さんの意向を確認しながら坦々と進められる。確認のつどタブレットに入力され、終了後には接続された小型プリンタから即座に見積もりが出力された。葬祭事業のIT化の進展を目にした。その後、担当者による我が家の宗派のお寺さんや「あかし斎場」との調整もつき、通夜式や告別式の日程も固まった。
朝からとるものもとりあえず病院に向かったままだった。5時前に私たち夫婦は着替えや祭式の準備のため一旦自宅に戻ることにした。支度を整えて7時30分頃には再び会館に戻った。
途中のコンビニで調達したお弁当で夕食を済ませた。私たち夫婦と長男の奥さんだけの故人を偲ぶ静かなひと時が訪れた。時に控室の祭壇前の故人にお線香をあげて偲んだ。遺体の安置に際して周りにドライアイスが配置されていた。額に当てた手から温もりが消えていた。10時過ぎには床に就き、哀しみに包まれた長くて起伏に満ちた一日がようやく幕を閉じた。
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