長男の闘病記⑧緩和病棟での終末期医療2024年04月18日

 2月13日に長男は明石の大久保病院緩和病棟に転院した。以来、私たち夫婦は自宅から車で45分ばかりの病院に通い10回の面会を重ねた。振り返ればそれは終末期医療と向き合う長男との最後の絆を確認する機会でもあった。面会でのエピソードを記しておこう。
 2月17日、奥さんが自宅から持参したガンダムの2体のフィギュアが収納デスクに飾られて言葉を交わせない話題となった。頷くかかぶりを頭を振るかしか意思表示できない中で、スマホのメモリ画面に機能が残っている左手の指先入力を促すが、かぶりを振るばかりでその意欲はなかった。
 2月19日、容態は安定している模様だが、手首が細くなった印象。
「痩せたようやな」と問いかえると頷く。痩せたという自覚はあるようだ。
 2月21日、前回より目で意思表示することが増えた気がする。家内が足や腕のマッサージすると嫌がる身振り。瞬間的に笑顔を見せたり声を発したような気配もある。癌センターの放射線治療後半月ほど経過し、その効果が少しあったのだろうか。
 2月26日、頭髪の左上の脱毛が目につく。反応が段々鈍くなってきた。
 2月29日、目の焦点が合いにくくなった。虚ろな表情になってきた。時に白目の半眼に。頷いたり首を振ったりする動きが殆どなくなった。辛うじて目をしばたくことで意思表示している様子。
 3月1日 長男の奥さんから以下のLINEメール。「今日、看護師さんから面会制限解除の連絡がありました。今後は土日も平日同様14時から17時の間であれば予約なしで面会可能。面会時間も30分超えても構わないし1日4人以上の面会も構わないが、1回の入室2人までは必ず守ってくださいとの事」。
 病院の面会制限解除の意味を悟った。長男の病状がいつ急変するかわからないほどに深刻化したのだろう。それはく家族の覚悟を迫るメッセージでもあった。
 3月1日、ベッドの長男は相変わらず目を合わせることもなく、虚ろな症状が目につく。声掛けに瞼の開閉で辛うじて意思表示するかのよう。
 3月4日 入室して目にしたのは自力で寝返りをしていたのか左腕を布団越しにベッドの枠に抱え込んだ姿勢で半ばうつ伏せ状態の姿だった。しきりと左手を頭や顔に当てる動作も目にした。
 3月6日 入室したらテレビがついていた。聴覚は維持されているのでテレビの音声を楽しんでいるかと思い慰められた。後で看護師さんからは刺激になるので午前中はよくテレビを付けているとのこと。看護師さんによるテレビ操作と分かった。
 面会後に合流した奥さんと娘と4人で主治医と懇談。主治医は「容体が比較的安定している」との見方。その予想外の安定ぶりに戸惑いの様子も窺えた。「1カ月前の癌センターの放射線治療の効果が出てきたのでは?」という問いに「確かにそれもあるかもしれません」と安定ぶりの根拠を得たように同調。ただ「脳への転移で怖いのはケイレン。これが脳で発症すると予断を許さなくなる」とのコメントも。
 3月8日 前回の安定ぶりは影を潜め、ぐったりと横たわる姿勢だけが目についた。振り返ればこの日が寝たきり状態ながら穏やかな姿を目にした最後の面会だった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック