高齢者福祉行政のお寒い現状2008年10月01日

 民生委員としての直接の実務である高齢者宅の戸別訪問をようやくほぼ完了した。3世帯だけは何度訪問しても留守である。それにしても先週の月曜から8日間に及ぶ連日の訪問活動だった。留守宅の複数回の訪問も少なくない。初めての経験で不慣れなための稚拙さや気苦労もある。無報酬のボランティアのしんどさも想わないではない。
 そんな中で、先日、疑問点を市の担当者に問い合わせた。一応の回答を得られたので受話器を置いた。その日の夕刻、担当者の上司らしき人から電話が入った。家内が受取り私に引き継いだ。昼間の問合せでの回答と同じことが繰り返される。しかもその口調が上から目線の横柄さが拭えない。不快な気分で電話を終えた後、家内が言う。「いきなり用件を言って、用向きが分らないと言うと、そちらから電話したのでしょうとかぶせられる。感じの悪い人だった」。これを聞いてこれはほっとけないと思った。民生委員を自分たちの業務を下請けさせる部下のような気分でいるのだろうか。少なくとも草の根のボランティアをお願いしているという姿勢に欠けている。すぐに電話をかけ当人を呼び出し応対の姿勢を糺した。当人は平身低頭で謝罪したが、果たしてどこまで腹に嵌ったか知れたものではない。高齢者福祉を担う行政の現場は、何よりも暖かい思いやりの心が不可欠だと思う。はからずもそのお寒い現状を知らされた想いだ。

ツアーモードにギアチェンジ2008年10月02日

 朝から高齢者実態調査の仕上げの実務処理を行なった。どうしても訪問聞取りが叶わなかった留守宅2軒の名刺カードのポスティングを行なった。今ひとつは市に提出する調査用紙に清書である。
 午前中にそれらの処理を済ませ、午後は5日後に控えたギリシャツアーの準備にかかった。この土日にはあるグループの熊本ツアーが入っている。思ったほどには時間がない。
 リビング隣の部屋には家内が準備を始めた二人分の持参の着替えが並んでいる。何しろ12日間のツアーである。しかも4泊5日のクルーズがあり、カジュアルではすまされないインフォーマルのドレスコードもある。出発前から大型スーツケースいっぱいの分量となりそうだ。 
 先日、旅行社から最終案内の書類が送られてきた。スーツケースの宅配サービスの案内もあった。3600円で自宅と関空間の往復を配送してもらえる。コレヤッと思った。スーツケースさえなければ関空までのアクセスは自宅最寄りの路線バスからJRルートで関空行きが可能である。早速、電話で申し込んだ。前日に自宅で宅急便に預け当日関空出発カウンターで受取ることになる。
 デジカメ、電子手帳Zaurus等の持参の電子機器の充電対応も忘れてはならない。それぞれの充電器以外に接続プラグと変圧器が必要である。それらは既に何回かの海外旅行で購入済で扱いも慣れている。ひとつのビニールケースにまとめて準備した。
 ツアーモードにギアチェンジが始まった。

海外旅行中のブログをどうする?2008年10月03日

 旅行の準備をしていて、ハタと困ったことがある。12日間もの海外旅行中のブログ更新をどうするかということだ。大阪市大病院に入院中は携帯端末Zaurusで何とか更新できた。ただZaurusでのプロバイダーとのアクセスポイントは国内用であり、どう考えても現状のままでは海外での更新は無理である。
 他人から見れば、どうでもいいことに違いない。「好きにしたら・・・」とすまされそうだが、当の本人にとっては結構こだわりがある。リタイヤ以来、5ヶ月近く毎日更新を続けてきた。今ここで中断するのは何とも口惜しい。「誰もそんなこと期待していないのに・・・」と、娘は冷たく言い放つ。「ブログ読んでるよ」と声をかけて頂いた何人かの友人知人の皆さんの顔を浮かべながら、「そんなことない。これでも目を通してもらっている数少ない読者がいるんやから」と強がりを言ってみる。
 ここは一番何とかならんかと、プロバイダーのホームページの「海外接続」をチェックした。専用ソフトをインストールしたり、ザウルスの設定変更をしたりと結構複雑な手順が必要だ。こらアカン!還暦過ぎのオヤジには手に負えん。海外からの更新は断念するしかなさそうだ。
 とはいえ、旅行中の12日間には溢れるばかりのブログネタが待っているに違いない。それを思い起こしながら帰国後に一気に埋めるのはかなり骨だ。毎日のブログネタをそのつどデジタル情報でメモルこと位は可能ではないか。その日々の情報を帰国後、日付をさかのぼってブログで更新すれば何とかなる。
 そこで登場するのはやっぱりZaurusである。Zaurus搭載のモバイルWordに日々入力し、搭載のSDカードで保存しておけば、帰国後簡単にブログ入力画面にコピーできる。これでイコウ!読者には12日遅れのギリシャ紀行のブログを提供できる筈だ。ホンマカイナ。

阿蘇・熊本紀行Ⅰ2008年10月04日

 知人グループの一泊二日の親睦旅行に出かけた。行先の熊本は、高校の修学旅行以来の45年ぶりの訪問である。朝9時40分に伊丹空港に集合し、10時20分発のANA熊本行に搭乗する。添乗員から渡されたチェックイン済チケットには3Dバーコードが印字されている。搭乗手続きもいつの間にかバーコード読取り機による光学式処理になっている。
 1時間余りのフライトで熊本空港に降り立った。真夏に戻ったかのような日差しの中を歩いて観光バスに乗り込む。1時間ほどで熊本市内の昼食会場に到着。熊本城の長塀前の「郷土料理懐石・城見櫓」という店だった。大きなガラス窓の向うに長塀越しに天守閣を望める絶好のロケーションだ。馬刺しのお造りや辛子蓮根をはじめとした熊本の味に舌鼓みする。
 昼食後はすぐそばの熊本城見学だ。築城の名人と言われた加藤清正の手になる熊本城である。広大な城郭に天守閣、本丸御殿を中心に大小の櫓や城門を配した堂々たる縄張りである。たっぷり1時間半の見学を終えた。
 20分ほどの所に水前寺公園があった。正式には水前寺成趣園というこの日本庭園に入場した途端、正面に富士山を模したといわれる有名な築山が目に入る。高校時代のアルバムでも馴染みの景色だ。回遊式の庭園をゆっくり40分ほどかけて散策する。
 本日の観光はここまでで、バスで1時間ほど東の阿蘇山禄の米塚温泉の宿泊地に向った。午後5時、ゴルフ場を併設した阿蘇リゾート・グランヴィリオホテルに着いた。部屋で着替えて早速大浴場に浸かる。ゴルフ場併設の風呂場のイメージだが黄土色のお湯はまさしく天然温泉だった。浴槽に浸かり目の前に広がる一面緑の風景を眺めた。ナントその風景は雄大なゴルフコースだった。ここに至って自分の誤解にようやく気づいたものだ。ここはゴルフ場を併設したホテルでなく、ホテルを併設したゴルフ場だったことに・・・。それでも遠くには阿蘇外輪山や、くじゅう連山の姿を案内板で教えられる。
 午後7時、パーティー会場とおぼしき部屋で懇親会が始まる。このホテルの正体が分かったからには、料理は昼食のような郷土色豊かなメニューは望むべくもない。お決まりのパーティー料理で我慢するほかはない。夕食後、場所を二次会のカラオケ会場に移す。幹事役の案内で一度ホテル玄関を夜道に出る。すぐ近くの窓ガラスにカラオケと描いたポスターを貼った山小屋風の建物に入る。分かった!ここはスタートホール前の茶店なのだ。ポスターはせめてもの心ずくしと受け止めるべきか。1時間ばかり参加者の懐メロ中心の喉を聞かせてもらう。恥ずかしながら私も数年ぶりの「赤ちょうちん」ではしゃいだ。部屋に戻り就寝前のひと風呂を浴びベッドに着いた。

阿蘇・熊本紀行Ⅱ2008年10月05日

 目が覚めたのは7時15分だった。7時を越えて目覚めたのは何年ぶりだろうか。昨夜の心地よい酔いが快眠を招いたのだろう。開けたカーテンの向うはどんよりした曇り空だった。今日の大自然観光はあまり期待できそうもない。
 朝食会場に向う。和洋別々のビュッフェ形式だ。迷わず和食を選ぶ。ゴルフコースを望む窓際で好きなおかずを集めたプレートを平らげる。出発までの1時間を 昨日のブログ原稿をザウルスのワード入力でつぶす。
 二日目は観光組とゴルフ組にほぼ半数ずつに分かれた。9時出発の阿蘇山観光のバスに乗り込んだ。阿蘇山というのは俗称のようだ。正式には阿蘇五岳というらしい。根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の5つの山の総称を阿蘇山と呼んでいる。その最高峰は高岳の1,592mで、「ひごのくに(肥後国)」の語呂合わせで覚えられるとガイドさんの案内がある。40分ほどで最初の目的地である草千里に着いた。バスを降りると広大な草原が広がっている。小雨模様の中をバス備え付けのビニール傘の一団が草原の一角の雨水が溜まった湖沼に向う。私はひとり外れて右手の丘陵から湖沼を望むことにした。丘陵の上から湖沼のほとりの仲間たちの話し声が、澄み切った大自然の空気を通して驚くほど身近に聞こえる。思わず声をかけ手を振った。自然が年齢を忘れさせ無邪気な童心を連れてくる。草原の道路脇に乗馬クラブがあった。10数頭の太目のがっしりした馬たちが繋がれている。
 バスは1時間ばかり北東に向って進む。県境を越え大分県に入ってまもなく昼食会場についた。三愛レストハウスと看板のあるいかにも観光施設とおぼしき建物だ。1階の土産物売場を抜けて2階の団体専用席に案内される。釜飯付きの郷土素材の松花堂弁当だった。この頃から雨脚が一段と激しくなる。レストハウス備付けのパンフレットを見るとここから車で15分ばかりの所に、今脚光を浴びているアノ「黒川温泉」がある。ヘ~ッそんな近くにまで来たんだ。昼食後30分ほど先の「くじゅう花公園」に到着。小雨模様の公園の花巡り散策である。真っ赤なサルビア、三分咲きのコスモス、辛うじてそれとわかる紫のラネンダー等の花絵巻が次々に繰り広がる。一巡し入場ゲート近くに帰ると、バスガイドさんお勧めのジェラートショップが待ち受けていた。全員それぞれに好みのジェラートを求めてしばしの休憩。季節限定のマロン・ジェラートの甘味を抑えた爽やかテイストを愉しんだ。
 ここからもと来た道を引き返しゴルフ組と合流するためホテルに向う。途中、阿蘇五岳を望める絶景のビューポイントである大観峰展望台に立ち寄った。雨も止んだ展望所からは眼下に外輪山が取り巻く阿蘇平野の見事な矩形に整備された広大な稲田が広がっている。息を呑むような美しさにしばし見とれてしまう。そこから5分ばかり歩いて展望台に向う。近づくにつれ一気に霧がかかってきた。あっという間だった。展望台では一切の遠望が霧に包まれ、「大観峰」の石碑をむなしく眺めるばかりだ。バスに戻ると同行者たちはとっくに展望台行を断念し、無謀なd仲間の身を案じていたという。
 ホテルには予定より1時間ほど早く到着した。プレイ直後のゴルフ組は、まだ入浴中の時間である。観光組はホテルラウンジで旅の余韻を話し合いながら寛いだ。予定の16時に全メンバーを乗せたバスが出発し、17時35分発のANA伊丹行きが熊本空港を離陸した。

海外ツアー前日2008年10月06日

 12日間もの初めての長期海外ツアーの前日である。他方で阿蘇・熊本ツアーの翌日でもある。お陰で忙しい一日を過ごした。
 朝一番、社協の機関紙の修正依頼を処理し、広報部責任者宅に持参した。その後、昨日のブログを更新。12時前には海外ツアーのスーツケースの宅配便の受け取りのため業者が来訪した。午後3時頃にはその業者からの問合せ電話が入った。「もうドライバーがお伺いしましたでしょうか?」。さすがはクロネコヤマトの宅急便である。ほんとに無事関空に届くだろうかという不安がある。きめ細かなケアに納得。
 午後からは、阿蘇・熊本の旅をHPとしてアップした。夕方、10月の民生委員の定例会欠席のため9月分の活動記録を作成しプリントしておいた。明日午前中に支所に持参しなければならない。
 それにしても旅行中の衣類やこまごまとした準備は、いつものことながら家内が一切やってくれる。これはほんとにありがたい。その分、ツアー中の対応はほとんど私に頼りきっている。見事に棲み分けされた役割分担に積み重ねた夫婦の蓄積がある。

海外ツアー出発日2008年10月07日

 いよいよ「ギリシャ紀行とエーゲ海クルーズ12日間の旅」の出発日を迎えた。とはいえ午後12時20分頃の自宅出発である。午前中は早朝ウォーキングをこなし、リハビリに通院しといつも通りの日常生活だった。
 ウォーキング途中のマクドナルドでは顔馴染みの主婦従業員からまたしてもコーヒーの特別招待券を数枚頂く。アメリカ発の金融不安がヨーロッパに飛び火して今朝のユーロは137円まで値を下げた。それ自体は大変なことだが個人的にはツアー中のユーロを安く購入できる分ありがたい。というわけで出発当日の視界はラッキー続きで極めて良好である。
 不在中の懸念材料がないではない。旅行中の労働委員会定例総会、民生委員の地区定例会、異業種交流会などもそれぞれ欠席することになる。「阪神」は昨晩痛い一敗を喫した。12日後にはペナントレースの帰趨は定まっていることだろう。果たしてどうなることか。
 何はともあれ、久々のパックツアーであり、初めてのクルーズである。リタイヤ記念ツアーを夫婦で満喫してこよう。12日後のブログ更新を無事アップできるよう元気な帰国を祈ることにしよう。

アテネ行きシンガポール航空の機内2008年10月07日

 12時前の路線バスでJRの最寄駅まで行き、大阪駅経由で関西空港に着いたのは2時20分だった。4階出発カウンター奥の宅配便受取りカウンターで代金引換でスーツケースを受取る。その足で南団体受付カウンター奥のJTB窓口に行く。集合時間20分前ながら既にツアー仲間らしき何名かが列を作っている。挨拶を交わした添乗員さんから個人別に搭乗機のチェックインを求められる。手続き後、再び集合地に戻り、出発ゲート前での再集合の指示がある。当座のユーロを求めて両替をした。直近の円高である。ここは多めの両替をしておくことにした。手数料込み1ユーロ142円の相場だった。出発までの時間をマクドナルドのスナックやショッピングゾーンの散策で過ごし、4時頃には出発ゲートに着いた。
 16時55分、シンガポール航空621便は関空を出発した。女性アテンダントたちが、この航空会社独特の民族服に包まれた魅力的な制服で機内サービスをしてくれる。定員の8割方の機内の前2列にはアメリカの女子高生の一団が教師も一緒になって騒いでいる。かっては楽しみだった機内食も今は義務的に消化する気分に落ち込んでいる。海外ツアーの感動が徐々に薄れていくようだ。約6時間のフライトで中継地のシンガポール・チャンギ空港に到着。機内を結ぶゲートを出たところで初めてのツアーメンバーの顔合わせとなった。総勢19名の内訳は私たちを含めた老夫婦が6組、母娘、オジサンのペア、一人旅の年配のオバサン2人、オジサン1人といったところ。夏秋シーズンの設定ながら今回で4回目の催行とのこと。12日間もの休暇の取れる人は限れれている。数少ない催行ツアーでもメンバーはいきおいリタイヤ組中心となる。添乗員はMさんという30代の痩形の女性だった。
 この空港は10年ほど前のマレーシア旅行以来の二度目の空港だ。とりあえず海外からの初めての携帯メールの送信を試してみた。国内と全く同じ操作で娘への送信が無事完了し、アテネ着陸後返信メールを受信した。3時間ほどのトランジットを空港内の食堂でタイ風焼きそばを食べたりして過ごす。日本時間午前2時シンガポール航空348便がアテネに向った。
 さすがに深夜の出発便の乗客は半数ほどだ。11時間もの夜間フライトである。旅なれた乗客たちがあっという間に横になって寝られる三列席の空シートに移動する。ツアー仲間の老夫婦の奥さんもその一人だったのに驚いた。離陸間もないディナーと着陸前の機内食の外は多くの乗客は睡眠を貪っている。2時間ばかりまどろんだが殆どをZaurusでのブログ原稿入力、「地球の歩き方・ギリシャ」のおさらい、「ローマ人の物語34巻」の読書で過ごした。各シートにはモニターが付いている。6本の日本映画をはじめ100本ほどの映画を視聴できる。1時間ばかりは二度目の「壬生義士伝」で愉しんだ。着陸前のシンガポール・フライド・キャロット・ケーキと名付けられた朝食は美味しかった。小エビとポテトといり卵のスパイシーなオムレツの具といった初めて味わう料理だった。

目の前にあるパルテノン神殿2008年10月08日

 ギリシャ時間7時20分、アテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港に到着。実質的なツアー初日である。この長ったらしい到底覚えられそうにない名前は、独立後、国造りに貢献のあった元首相にちなんどものだそうだ。入国手続きを済ませターンテーブル前でスーツケースを待つ。ツアーメンバーの荷物はポーターがバスまで運んでもらえる。パックツアーのメリットをかみしめながらバスに乗車する。約40分でアテネ市内に入り、最初の目的地の国立考古学博物館に到着。ここで今日のツアーガイドのバソさんと合流する。18年前に東京の専門学校で3カ月間、日本語の勉強をしたという50前後の女性だ。
 バソさんの案内でギリシャ各地の遺跡出土品が収められているという世界有数の考古学博物館に入場する。1~2階に56室もの展示室がある。最初の部屋の正面には最も著名な「黄金のマスク(アガメムノンのマスク)」が展示され、いきなり見学者の目に飛び込むという演出に驚く。紀元前20世紀にまで遡るミケーネ文明の至宝である。フラッシュ使用は禁止だが撮影は自由である。「地球の歩き方」のガイドを参考に数多くの著名な展示品を画像に収めた。
 次の観光は今回のツアーのハイライト「世界遺産・アクロポリスの丘」である。車窓から既に丘の上のパルテノン神殿が見え隠れし、いやがうえにも期待を膨らませる。バスを降りてカフェテラスのある通りを進む。右手には古代アゴラに残された最も原型をとどめるといわれるへファイスト神殿の美しい姿が見え隠れする。丘の麓のアタロスの柱廊博物館に立ち寄る。唯一の完全復元遺跡の博物館で、前後2列に整然と配された柱列の並ぶ回廊が見事な空間を造っている。古代ギリシャ人の生活ぶりを示した古代アゴラの出土品を見て回る。
 博物館前の神殿に向う石畳の坂道をのぼる。古代アテネの裁判所跡といわれる小さな岩山の横を抜けた所に入場口があった。いよいよアクロポリス(高い丘の都市)の神殿の聖域に入る。それにしても凄まじいばかりの観光客である。西欧文明の究極の原点ともいうべきスポットの吸引力を思い知らされる。坂道の途中の展望地から古代音楽堂遺跡の全貌を見下ろせる。夏には古典劇やコンサートが開かれる今なお現役の劇場でもある。古代から無数の人たちに踏みしめられてツルツルになった大理石の階段を慎重に登っていく。古代人たちの足跡の証しと思えば滑り安さにも感慨を呼ぶ。プロピライヤ(前門)をくぐると丘の頂上に出る。途端に写真で馴染んだ余りにも有名なパルテノン神殿の実物の姿が目に入る。名状し難い感動が胸をよぎる。観光客の人混みをかき分けて巨大な円柱に近づいていく。
 バソさんのレクチャーの後、自由解散となり、世界最高水準の世界遺産の満喫タイムを迎える。まずは神殿の周囲を記念写真を交えて散策。丘の頂きからの音楽堂遺跡の眺望や撮影も怠たりない。神殿先の丘の先端の展望台からの180度の景観も見逃せない。アテネのもうひつのランドマークであるリカヴィトスの丘の神秘的なたたずまいが一際鮮やかに目に入る。神殿西側のエレクティオンに移動し、周囲をじっくり見学する。古代建築を修復した神殿であり、6人の少女像を柱とした柱廊が張り出した特徴的な建造物である。
 丘を降り、バスで次の観光地・オリンピックスタジアムに向かう。そのほとんどが大理石で造られた現代のスタジアムは、アテネ五輪で野口みずきが栄光のゴールテープを切った競技場だ。スタジアムから徒歩数分のところに昼食会場があった。スタジアムと同じ名前の一見民家と見まごうタベルナ(レストラン)に入る。ムサカという茄子の挽き肉の重ね焼きのギリシャ料理がメインのコース料理だった。本場のギリシャ料理の初めての味わいだったが、感動の薄い今一つピンとこないものだった。昼食後、ツアーお決まりの土産物店への立ちよりが待っていた。15分ばかりギリシャ土産の物色に時間潰しをして店を出る。
 本日最後の観光先であるスニオン岬に向かう。アテネ南東70kmのアッティカ半島先端の岬である。エーゲ海沿いの美しい海岸線を1時間半ばかりバスはひた走る。手前のビュースポットで、バスから降りて湾を隔てた岬の上に建つポセイドン神殿の絶景を眺める。岬に着いた。夕日の美しさで有名な場所だ。神殿の向こうで午後の遅い時間の太陽が海に近づいている。逆光の中でくっきりと浮かび上がるポセイドン神殿の姿が、夕日の美しさを連想させた。30分ばかりの散策の後、バスはアテネ市内の予約ホテルに向かった。
 国鉄ラリッサ駅前のホテル・オスカーが初日の宿泊地だった。午後6時過ぎロビーでのツアーミーティングの後、部屋に向かった。部屋の前にはスーツケース2個が既に待っていた。スーツケースの整理をし、バスに浸かりようやく一息ついた。電子機器の充電は、電圧220Vで変圧器は不要だった。コンセントアダプターを装着しデジカメ、電子手帳、携帯の充電をした。ホテル7階のテラスから市内の夜景を眺める。ライトアップされた夜のアクロポリスが遠望できた。
 夜9時にホテルを出発してバスで特別保存地区のプラカ地区内のレストランに向かう。バスから降りて観光客や市民で賑わうテラス通りを数分歩く。レストランの店内に入る。正面のステージでは民族楽器による演奏が流れている。ステージを囲むようにぎっしりと並んだ客席に次々と観光客のグループが着席する。出来合いの料理が雑に運ばれて、この店は明らかにショーが売りのレストランであることを教えられる。料理に期待する方が無理というもの。9時30分、満員の客席を前にショーが始まった。3名のボーカリストたちが、今日の国ごとの観客に向けて各国の言葉で挨拶し歌う。男女7名のダンサーたちが民族舞踊を、ステージ狭ましと乱舞する。最後に登場したのはやや太めのアラブ風のセクシーな衣装をまとった女性ダンサーだった。初めて見るベリーダンスは妖艶で客席の目を奪うに十分な出し物だった。客席の男性たち数人をステージに招き寄せ、即席のベリーダンス講習会となる。仲間たちの及び腰に客席はいやがうえにも盛り上がる。料理の不味さをカバーする巧みな演出だった。
 10時30分、ようやくホテルに帰り着いた。ツアー初日の余りにもハードで長い一日が終わった。翌日の観光バス車内で初日のスケジュール設定のハードさを指摘する声が上がったのも無理はない。

世界遺産・デルフィー遺跡2008年10月09日

 6時のモーニングコールで目覚める。身支度を整え、スーツケースを整理しドア前に出してから朝食に向かう。アメリカン・ブレックファーストの朝食を済ませ、8時にホテルを出発。9時過ぎにマラトンに立ち寄る。紀元前5世期末のペルシャとギリシャ・ポリス連合軍による「マラトンの戦い」の古戦場である。当時の戦死者を祀る小山の塚が塀越しに見える。勝利の伝令がアテネまでの約40kmを力走の末息絶えたと伝えられ、それが第1回近代五輪のマラソンの距離となった。二日目の観光地デルフィーに向かう。途中の高速道のサービスエリアでトイレ休憩。上下線を跨いだ大きな建物内にカフェテラス式の飲食と物販の売場がある。
 デルフィーの手前に、山の斜面に立ち並ぶ美しいアラホバの街がある。街を遠望するビュースポットで写真撮影のための停車があった。ドライバーの喫煙タイムを兼ねているようにも思える。12時過ぎようやくデルフィーに到着。山の横長の斜面にいくつかの通りを挟んで家並が建つ、こじんまりした情緒のある街だ。昼食のレストランに直行する。メニューはスブラキという豚肉串焼きのギリシャ料理メインのコース料理。調理後時間の経った冷えた肉の固さに落胆し、団体ツアーのデメリットのひとつを思い知らされる。
 街の外れといってよい距離に世界遺産・デルフィー遺跡があった。先に博物館を見学する。入口には現地ガイドのジョージアさんという30代の女性が待っていた。紀元前12世紀にさかのぼる古代ミケーネ時代には、デルフィーは「世界のへそ」と考えられていた。そのためこの地は神を祀る場所として巨大な石で神殿や宝庫が建てられ、アポロンの神託の地とされた。博物館は、こうした背景をもつデルフィー遺跡の出土品を収めている。半形の卵を伏せたような「大地のへそ」の彫像や「青銅の御者の像」等ガイドブック情報の著名展示を確認する。紀元前5世紀の作である御者の像の驚くばかりの写実的で美しい顔に目を見張った。
 博物館から徒歩数分の遺跡に入る。入口には美しい毛並みの猫が3匹たむろし、観光客の気分を和ませている。聖道と呼ばれる石畳の順路に沿って斜面を上ぼる。「へその石」「アテネ人の宝庫」等の史跡を見て、6本の円柱だけが残る遺跡の中心「アポロン神殿」に辿り着く。入口土台の大理石には紀元前当時の碑文が刻まれている。ギリシャ文字は当時も今も同じものだとのジョージアさんの説明に驚嘆する。更に進むと観客席だけが残る古代劇場がある。団体行動はここまでで、元気なメンバーは10分ばかりかけてその上のスタジアムを目指す。当時も4年毎に開催されていたという競技大会の会場である。
 遺跡見学を終え、メインストリートの中心部にある予約ホテルのヘルメスに到着。7時の夕食まで2時間ばかりある。ホテルの部屋のベランダからはイオニア海のコリンソス湾を望める美しい展望が開けていた。湾の手前にはギリシャならではの一面モスグリーンのオリーブ畑が広がっている。スーツケースの片付けをする家内を残して添乗員さんお勧めの遺跡全貌を展望できるビュースポットまで出かける。戻ってから二人で土産物通りを散策する。海外ツアーでは必ず何かアクアサリーを求める家内は、ここでもギリシャ風デザインのペンダントトップを購入した。ホテル従業員からデザインの意味を聞くと「永久(とわ)の命」だそうだ。せいぜい長生きしてもらい面倒をみてもらえるならいい買物ということか。
 7時に歩いて数分のレストランに向かう。ビーフのブロック添えパスタがメインのあったかい料理で初めて納得のいく内容だった。ホテルに戻りバスタブのないのシャワー室で体を拭って床に就く。ようやく早目の就寝時間を迎えられ、疲れた身体を労った。