五木寛之著「さらばモスクワ愚連隊」2009年05月10日

 4月末に読み終えたばかりの五木寛之著作の「仏教の旅(ブータン編)」について、心にしみわたる想いをこのブログにしるした。42年前の学生生活終盤の私の心を、重く包み込んでいた作家が五木寛之だった。現役生活を終えた今の私の心に、その同じ作家が同じように重く包み込むようなインパクトを与えたことに驚きを隠せなかった。あらためて当時愛読した著作を読み返した。
 春真っ只中の42年前、私の生活は荒んでいた。その荒んだ生活のかけがえのない部分をジャズが埋めていた。今思えば、外見的な生活の荒れ方とは裏腹に、「自分」を求めて彷徨った日々は緊張感と充足感に満たされた生活だったと思う。
 五木寛之が「さらばモスクワ愚連隊」を引っさげて小説現代新人賞を受賞したのはその頃だった。ジャズという自己表現が徹底的に追求される世界を舞台に、全存在をかけて挑戦し挫折する青春像が描かれていた。ジャズという音楽をこれほど見事に文章化した作家の凄味を思い知らされた。ジャズが生活の貴重な部分を占めていた当時の私は、「さらばモスクワ愚連隊」で描かれた世界に夢中になった。10年後に訪ソ団の一員として半ば公式にモスクワを訪れた。ジャズクラブがあると固く信じて、夜の街を彷徨ったのは、この小説の世界を固く信じていたからだった。
 今また私は、最近の五木寛之の著作に嵌っている。「大河の一滴」を読み返し、「他力」を購入した。親鸞に傾倒するこの作家は独自の仏教世界を読者に提示している。五木寛之が辿っただろう精神世界の変遷は、私のそれを解き明かしてくれるのだろうか。