リタイヤ1年の棚卸2009年05月11日

 1年前の昨日が定年退職の日だった。リタイヤして1年が経過したわけだ。歳を取ってからの1年はアッという間に過ぎるということを、歳を取った人間の誰が否定できるだろうか。
 リタイヤ1年という記念すべき日のブログで、この1年を棚卸する以外の記事はない。リタイヤ後の私の「居場所」は物理的にも精神的にもブログのカテゴリーに端的に示されている。労働委員会委員としての業務、民生委員の役割を中心とした地域ボランティア活動、HP「にしのみや山口風土記」執筆・ブログ更新等のデスクワーク、映画・読書・TV鑑賞等の寛ぎの時間、旅行・ウォーキング・風土記探訪等の外出、異業種交流会他の交遊・交流、家族との関わり等々である。
 各カテゴリーごとの頻度をひもといた。労働委員会関係では8つの事件を担当し数多くの調査・斡旋に加わった。地域活動は延べ92回だった。山口風土記は新たに13のサイトをアップし、ブログは365日を完璧に更新した。映画は11本を鑑賞し、読書は文庫本の再読を中心に24冊を読了した。海外旅行を2回、国内旅行を11回楽しみ、ウォーキングも1日1万歩以上をほぼクリアした。8回の異業種交流会への参加や義母の葬儀、法要等の親族との付き合いなど、交流の輪が一段と深まった。
 以上が、とりあえずのこの一年の数値的な棚卸結果である。帳簿在庫と実在庫の差異ともいうべき現役時代にイメージしたリタイヤ生活と実際の生活との差異を考えてみた。現役時代に想定した老後生活の必達課題は三つあった。ブログの毎日更新、1日1万歩以上のウォーキング、そしてライフワークの「HPにしのみや山口風土記」の充実である。前二者はクリアし、風土記充実も新たに西宮のポータルサイト「西宮流」との連携が浮上し想定以上の広がりをみせている。現役終盤に俄かに登場した民生委員を通じた地域ボランティア活動や労働委員会活動も今のところ何とかこなしている。地域活動については新たに市の行政への公的な意見反映の場にも参画することになった。加えて、旅行、映画、読書などの趣味の分野も想定以上の頻度で楽しんでいる。リタイヤ生活に伴う夫婦関係のストレスも、適度な距離感を確保して今のところ無難に推移している。家内の内面は知る由もないが・・・。とはいえ老後の楽しみだった「木製模型の組み立て」と「ジャズイラストの作画」は、右手親指欠損という事態の前で断念せざるを得なくなった。如何ともし難い現実として受入れる他はない。
 というわけで棚卸結果は帳簿在庫以上の実在庫という逆ロスというべきか。来年の今頃、大幅なロス発生にうろたえることのないよう心しよう。

映画評「GOEMON」2009年05月12日

 午後から労働委員会で2件の事件調査があった。2時半には終了し夜6時半からの異業種交流会まで4時間の空白である。シネマしかない。昨晩、ネットでシネマ情報をチェックし鑑賞可能なタイトルをチョイスした。3時半から6時前まで上映の「GOEMON」をネット予約した。動画予告編の映像の迫力やスピード感にワクワクさせられた。鑑賞者のこの作品レビューでの評価も高かった。
 主役に江口洋介という最も旬の俳優を据えた話題作である。にもかかわらず上映開始後も館内の観客数は驚くほど少なかった。それはそのままこの作品に対する観客たちの痛烈な評価なのだろう。そしてそれは見終えた後の私自身の評価でもある。
 CGを駆使して生み出されたた映像の迫力やスピード感は、結局作りものの域を脱し得ない。やたらと多すぎる戦闘場面はテレビゲームの格闘ゲームにつき合わされている印象が強い。テレビゲームになじめない世代の醒めた視線を感じてしまう。テーマ性がないわけではない。信長、秀吉、家康の天下取りの影で、戦いの犠牲になった民衆の声を代弁するかのように五右衛門の戦いが展開される。そのテーマ性の故に、天下統一直前まで進めた信長と、最終的に天下を鎮めた家康を好意的に扱い、いたずらに天下を弄んだ秀吉が悪役として描かれる。安直で中途半端な歴史解釈にしらけてしまった。
 良くも悪くも今日の日本映画を象徴する作品なのかも知れない。紀里谷和明という40歳の気鋭の監督である。CG技術は日本のお手のものである。テレビゲーム風な仕上がりが日本映画の底の浅さを招いているような気がしてならない。

異業種交流会「音訳の世界を学ぶ」2009年05月13日

 「音訳」という世界があることを初めて知った。昨晩あった異業種交流会の5月例会は、「音訳の世界を学ぶ」がテーマだった。
 茨木市にあるNPO法人リーディングサービスNの理事・中原尚子さんという女性が講師だった。法人の事業内容は、視覚障害者等の情報弱者に「音訳技術」を通じて「読むサービス」を提供することのようだ。
 例会開始直後に紹介者の会のメンバーから講師の紹介がある。茨木のNPO法人だけでなく、視覚障害者のリハビリテーション事業を行なう「社会福祉法人日本ライトハウス」の専門音訳英語チームでの活動や、日本唯一の視覚障害者向け放送局である「JBS日本福祉放送」での「今日の新聞(朝刊)」と「JBSニュース」も担当されているとのことだった。民生委員として地域の障害者福祉に関わるそうした活動は、個人的にも守備範囲の筈だったが、音訳という言葉自体今回初めて知った。ましてや視覚障害者のリハビリテーション事業や視覚障害者向け放送局の知識など及びもつかなかった。自らの不明を恥じ入るばかりだ。
 講師のスピーチは7時丁度に始まった。冒頭、参加者に「音訳をご存知ですか」と聞かれる。誰もが初めて聞くとの反応だ。視覚障害者が情報を得るための媒体としては一般的には点字が知られている。ところが点字は一定以上の訓練を経なければ読めないし、表現もできない。これに対し音訳は基本的には誰にも可能な情報提供媒体である。
 朗読が文学作品などを感情豊かに読むことに対して、音訳は音訳者の主観を排して、書かれた内容をできるだけ忠実に音声化することが求められる。利用者の求めに応じて、図、表、写真なども含めたあらゆる情報を音声で伝えることだ。どちらかといえばイメージとしてはテレビの副音声や通訳に近い。そんな趣旨の話の後、そばにあったメニューを取り上げて実際にどのようにこれを音訳するかを事例紹介風に説明される。「どれくらいの大きさの、どんな紙に何色の文字で書かれています。どんな写真が載っており、どの献立には『店長おすす』と書いてあります」と言った具合だ。単にカレーライスが○円と読むだけではない。いかに視覚障害者である利用者の立場に立って想像力を働かせながら音読できるかが問われる。そのためには日本語のボキャブラリーの豊富さや説明能力が必要となる。要は、利用者の目になりきることだ。
 この活動を始めて22年になるという中原さんだ。子供の読み聞かせのための朗読の勉強がきっかけだったようだ。その話しぶりから、今や音訳がライフワークのようになっているようにみえる。「ぜひ音訳という活動を知ってください」という想いをこめたメッセージでスピーチが終った。

廃れいく旧街道2009年05月14日

 いつもの散歩道の一角である。有馬川遊歩道から山道に入り、少し行くと江戸時代には平尻街道と呼ばれていた筈の旧街道に合流する。大坂と丹波を結んでいた大坂街道(丹波街道)の一部だった街道である。今はこのエリアの畑で農作業で行き来するごく少数の人たちのための通行路となっている。とはいえここから名塩方面へはもはや行き交うことは叶わない。竹やぶに覆われた沼地が通行を拒み、猪避けのトタン板が獣道すら遮断している。
 道場町平田の田園地帯に向った。今はあぜ道でしかない旧街道沿いに、緑の繁る二本の木が行く手に見える。その先には三田盆地を形作る山並みに囲まれた田畑と家並みの、のどかな田園風景が広がっている。小山ながら樹木に覆われた山道を抜けたばかりの街道である。かっての旅人たちのほっと一息ついただろう気分を想った。

京都に遊ぶ(京都駅周辺~葵祭り~京都御苑)2009年05月15日

 昨日午後から今日午前にかけて労働委員会労働者側委員の近畿ブロック連絡会議総会があった。毎年この時期に開催される近畿二府四県の委員の研修交流の場である。各府県の持ち回りで会場設営が行なわれ、今回は京都府の担当だった。会場である京都駅前の京都タワーホテルでの総会が5時前に終了した。
 6時からの夕食懇親会までの時間を、宿泊サービスのタワー展望招待券を利用することにした。ホテルのあるビルの11階最上階からタワー専用エレベーターで一気に地上100mの展望室に運ばれる。展望室からは東山三十六峰の稜線をはじめとした京の風景が360度のパノラマで楽しめる。各方向に設置された無料の望遠鏡からは、清水の舞台の観光客の様子まで見える。ガラス上に掲示された建物名記載の写真と目前の建物を見比べてそのつど納得しながら展望する。完成後45年を経たタワーに初めて昇った。京都盆地のほぼ中央に位置するタワーならではの価値ある必見の展望だった。 
 翌朝5時に目覚めた。7時の朝食までを周辺散策することにした。最初に訪ねたのは東本願寺の飛び地境内にある枳殻邸である。早朝6時前に開園している筈もない。周囲を一周し正面入口から覗くのが精一杯だった。入口正面の通りを西に進むと正面に東本願寺がある。正面突当りには御影堂門の堂々たる姿が見える。門内に入り工事塀に覆われた修復中の御影堂を窺う。隙間から真新しい甍の波が見え隠れする。塀沿いに北の端まで辿りそこから西に向う。途中、本願寺国際センター前に建つ親鸞聖人の銅像を過ぎ、堀川通りに出るとすぐ南に西本願寺がある。新撰組ゆかりの太鼓楼を見ながら堀に沿って南に進む。境内に入り御影堂近くに来ると大勢の読経の声が聞こえてくる。前を歩いていたお年よりがお堂正面の階段を昇り障子を開けて堂内に消えた。後に続いて堂内に入ると大勢の信者が僧侶のお勤めに合わせてお経をあげていた。早朝6時半頃の本山での信仰風景を目に留めながら、しばし念仏して辞した。宿泊ホテルに着いたのは6時45分頃だった。
 会議は11時に終了した。葵祭りの日でもある。会場を後にして駅前から乗車した地下鉄で「今出川駅」まで行く。今出川通りを左に同志社大学、右に京都御苑を見ながらひたすら東に進む。事前に入手した祭りの巡行ガイド情報では巡行コースである河原町通りの交差点付近で行列を見ることができる筈だった。交差点周辺を鈴なりの観光客が埋めていた。行列はまだずっと南の彼方のようでその姿は見えない。ならば下鴨神社まで先回りし、ずっと風情のある観覧スポットで待機しようと考えた。その考えの甘さは、進むにつれて思い知らされることになる。進むほどに観客数は膨れ上がり、下鴨神社には事前の観覧席チケット持参者以外は入れないと言う。やむなくその手前の葵橋付近で待機した。下鴨神社に11時40分到着の巡行予定は大幅に遅れているようだ。行列の先頭が12時頃に葵橋付近に差し掛かった。平安期の衣装に身を包んだ従者や騎馬姿の貴族たちが姿を現わした。大勢の従者に守られた花飾りの牛車が通り過ぎる。間延びした行列が延々と続く。空腹が最後まで見るだけの気分を萎えさせた。途中で観覧を断念し地下鉄駅を目指した。
 今出川通りから京都御苑に入った。折角そばを通ったのだから御所を外からでも見ておきたいと思った。緑深い御苑の中に御所の優雅な築地塀が果てしなく続いている。ようやく正面入口の御所正門の建礼門に辿り着く。切妻造り、桧皮葺の堂々たる風格である。
 地下鉄「丸太町駅」からJR京都駅を辿り、キオスクで求めたおにぎりを車内で口にしたのは13時前だった。

旧国鉄有馬線・橋脚跡の存亡2009年05月16日

 朝6時前からウォーキングに出発した。半月ほど前に旧国鉄有馬線・橋脚跡がバイパス工事で取壊されるという情報を耳にした。私の地域紹介サイト「にしのみや山口風土記」でも紹介している貴重な史跡である。その史跡の現状確認が今朝の散策テーマである。
 自宅から徒歩40分、山口町中野の十八丁川と呼ばれる川岸の現地に着いた。石積みの橋脚が川を挟んで南北に残されている。南側の橋脚には緑の蔦が上部を覆い、北の橋脚は半ば熊笹に埋まっている。1年半前に訪れた時と較べると自然の中に埋もれつつあるかに見える。
 付近で出合った地元の年配男性の方、お二人に個別に橋脚取壊しの情報を尋ねた。一方の方は「青愛協などが存続を要望しているようでまだ決まったわけではないのではないか」とのこと。もうひとりの方は「すぐ近くまで工事は完了しているが、一部用地問題で工事の遅れがあるようだ」とのことではっきりしない。
 旧国鉄有馬線跡の現存する遺構としては最大の史跡であり、山口町内の唯一のものである。西宮市の郷土資料館発行の「新西宮歴史散歩」という冊子にも 「近代化遺産」としてマッピングされている。子供たちが郷土の文化遺産を学ぶ上でもかけがえのない史跡ではないか。
 問題はこうした事実がごく限られた人しか知らないままに、取壊し等の決定が下され、取り返しのつかない事態を生み出すことではないか。遅まきながらあらためてHPやブログを通じてアナウンスしてみようと思う。

ポスナー・シュロスマン症候群2009年05月17日

 一昨日、京都から帰宅後、最寄りの眼科医院で受診した。というのも数年前から目に特殊な病いを抱えているためだ。ポスナー・シュロスマン症候群という発作的な目の炎症で眼圧が急激に上昇する病気である。 左目に霞んだような症状が現われる。原因不明の病であり、放置すると緑内障になり手術が必要になる場合もあるようだ。
 リタイヤ直前の一年ほど前、自覚症状があって職場近くの行きつけの眼科に駆け込んだ。やはり左目眼圧が45を示し、いつも通り治療してもらったものだ。一年後の最近、明らかな自覚症状はないものの、過去の事例から判断すればいつ発症してもおかしくない時期だ。リタイヤした身である。いつもの医院に行くわけにいかない。かといって自宅最寄りの眼科で特殊な病いを診察してもらえるかどうかも不安である。早目の診察を心がけたということだ。
 自宅最寄りの初めての眼科は巨大な新興住宅街を後背地に抱えた新しい医院だった。20分ばかり待合室で待って、診察室に呼ばれた。眼圧検査の結果は特に異常値は認められない。30代の若い医師が、眼底をモニターで写す機器で観察し、モニターの白い斑点を示しながらこともなげに診察結果を告げる。「今はまったく問題ありませんが、ポスナー・シュロスマン症候群の炎症跡がたくさん残っています。この診療所にも40人位同じ症状の患者さんが来院されてます。とりあえず目の疲れを抑える点眼薬を処方しておきますが、何か違和感が生じた時に来診してください」とのこと。
 発症の懸念がなかったこと以上に、老後の持病を安心して任せられそうな医院が見つかったことに安堵した。

あくび・・・リタイヤ習慣病2009年05月18日

 日曜日の昨晩、缶ビールの晩酌付きの夕食を終えた。「天地人」を見ながら家族揃って寛いでいた。適度のアルコールが身体中を心地よく弛緩させていた。こういう状態になると否応なく眠気が襲ってくるものだ。思わず「アァ~~ッ アァ~~ッ アッ」とあくびをしながら声が出てしまう。とたんに横から家内の声があがる。「モウ~ッあくびするんなら黙ってしてよ」。
 先日、ご近所のご夫婦と山登りに出かけた。山頂で缶ビールを呑んだ後、下山してご夫婦の車で帰宅した。途中の車中である。運転中のご主人の横で思わず「アァ~~ッ アァ~~ッ アッ」とやってしまったようだ。本人にそれほどの罪悪感はないから確かな記憶はない。帰宅後、家内に叱られた。「旦那さんに失礼やないの!」。そういえば自分の父親が晩年に同じようなあくびをしていたのを思い出す。歳を取るに連れて私の中に晩年の父親が顔を出す。
 リタイヤ生活に入り知らず知らずに現役時代と異なった生活習慣が身に着きだしたようだ。「声を出すあくび」などその最たるものだろう。現役生活中は、職場であくびをしてもさすがに声に出すことはない。緊張感の少ない老後生活ならではの「気のゆるみ」は覆うべくもない。とはいえ、誰に気兼ねもない気ままな生活だからこそ老後生活の価値がある。「声を出すあくび」の快感を親父も味わっていたのか。

田植えの季節の棚田の景色2009年05月19日

 雨にたたられた先週末の土日だった。一転して今朝はスライドさせた雨戸の向こうに気持ちのいい青空が広がっていた。絶好のお散歩日和だ。
 早朝ウォーキングの途上である。隣町に隣接する北の端にやってきた。有馬川遊歩道から東の丘に入った。棚田が広がるお気に入りスポットだ。山裾の畦道から北に向って広がる田園地帯を眺める。引き込まれたばかりの雨水が棚田の水田一面を満たしている。鏡のような水田が空の青さと山裾を映している。お百姓さんの小型トラクターに乗った水田耕作風景がなんとものどかである。
 かって丹波街道と呼ばれた野良仕事用の畦道を、ぬかるみと草露にウォーキングシューズを濡らしながら歩を進める。畦道を横切る水田用水路の斜面を流れる激しい水音が聞こえてくる。水田にとっては先週末の恵みの天の声というべきか。
 季節真っ只中のリタイヤ生活の贅沢な散策である。

市の地域福祉計画策定委員会の案内2009年05月20日

 市の健康福祉計画グループから分厚い封書が届いた。第1回目の地域福祉計画策定委員会の案内である。開封すると案内状だけでなく大部の資料が同封されている。
 計画策定についての趣旨や位置づけ関連計画との関係、策定スケジュールなどの解説、計画策定のための人口・世帯動向等の基礎データや高齢者、障害者、児童の各福祉分野の市の現状、現行の市の地域福祉計画の冊子等である。
 ざっと目を通した。いかにもお役所の仕事振りである。満遍なく網羅された情報がそつなく提供されている。来年3月までの計4回という限られた時間で現行計画の見直し作業を進めるようだ。結局、事務局である市の担当部署のお膳立てで粛々とこなされるのだろうか。
 私の住む街の地域福祉の現状を見ても、最大のテーマは地域福祉を支える新たなボランティアスタッフの呼び込み策だと思う。リタイヤ直後の団塊世代のオジサンたちに焦点を絞った具体策の提示が急務と思う。6年間に渡る計画である以上、総花的な施策はやむをえないとしても、最優先課題の絞込みと達成のための具体的で現実的な施策の提示といったメリハリは不可欠ではないか。
 学識経験者3名と関係団体代表13名に加えて公募委員3名の19名の委員がテーブルに着く。こんな陣容の中で、一公募委員として果たしてどこまで想いを伝え、策定計画に切り込めるか。甚だおぼつかないが、自ら手を挙げて就任した以上やるほかはない。