山本周五郎著「おごそかな渇き」 ― 2010年08月26日

山本周五郎作品の再読に手をつけた。私の書棚には26冊の彼の文庫本が並んでいる。時代小説作品としては藤沢周平に次いで多い。もっとも多い蔵書である司馬遼太郎作品や藤沢作品の再読を終え、次はやはり山本作品しかない。
好きな作家ではあるが、なぜか藤沢周平ほどにのめり込めないものがあった。今回手にしたのは「おごそかな渇き」を表題作とする10編の短編集だった。1942年の戦争最中の作品から1967年の絶筆となった表題作が年代順に納められている。
山本周五郎の生誕は藤沢周平に14年先立っている。二人の作品の味わいの違いはこの年代の違いに負うところが大きいように思った。1903年生まれの山本周五郎は、64年の人生の大半を戦前という時代背景の中で過ごしている。彼の作品の多くは「かあちゃん」に代表されるような市井の人物たちが主人公である。戦前の強権的な時代背景のもとで、時代に迎合しない時代物を描こうとすれば、市井を舞台とすることでより自由度を確保できたのではないかと思ってしまう。
10編の作品はそれぞれに味わい深いものだった。いつの時代にも通用する人間への限りない共感が描かれている。私の山本作品の再読シリーズが始まった。
好きな作家ではあるが、なぜか藤沢周平ほどにのめり込めないものがあった。今回手にしたのは「おごそかな渇き」を表題作とする10編の短編集だった。1942年の戦争最中の作品から1967年の絶筆となった表題作が年代順に納められている。
山本周五郎の生誕は藤沢周平に14年先立っている。二人の作品の味わいの違いはこの年代の違いに負うところが大きいように思った。1903年生まれの山本周五郎は、64年の人生の大半を戦前という時代背景の中で過ごしている。彼の作品の多くは「かあちゃん」に代表されるような市井の人物たちが主人公である。戦前の強権的な時代背景のもとで、時代に迎合しない時代物を描こうとすれば、市井を舞台とすることでより自由度を確保できたのではないかと思ってしまう。
10編の作品はそれぞれに味わい深いものだった。いつの時代にも通用する人間への限りない共感が描かれている。私の山本作品の再読シリーズが始まった。
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