大地震翌日の歴史調査団報告会2011年03月12日

 今朝未明の3時半頃に一度目覚めた。昨晩の大震災の報道が潜在意識にあったののだろうか。眠れぬままに寝室のテレビを映した。4時前だった。アナウンサーの叫びに近い声が襲った。新潟、長野方面の震度6を越える大地震の速報だった。日本列島は地震列島だったと思い知らされながらいつの間にか眠っていた。
 一夜明けた朝、すぐにテレビをつけ、新聞に目を通した。目に入り耳に伝わる情報は全て「東日本巨大地震」と名付けられた大災害の被害の実態を告げていた。目を覆うばかりの惨状である。東北地方の太平洋岸の各都市が壊滅的な被害を受けている。津波被害が凄まじさが犠牲者と被害の巨大さを物語っていた。建物の倒壊延焼による犠牲者と被害が大きかった阪神大震災との顕著な違いである。
 刻々と告げられる情報を前に自身は、温かい屋内でぬくぬくと過ごしていることの後ろめたさを覚えずにはおれなかった。
 
 そんな気持ちを押して自宅を出た。西宮市郷土資料館で開催される「西宮歴史調査団 活動報告会&会員登録会」に出席するためだ。さくらやまなみバスをJRさくら夙川駅で下車し、9時前に会場に着いた。9時からプロジェクターによる4班の平成22年度活動報告があった。「街道」「地蔵」「石造物」「橋梁」の4班である。歴史調査団の実際の活動状況が良く分かった。あわせて調査団の「文化財調査ボランティア」という性格の実態も把握できたように思った
 休憩中に過去3年分の年度毎の調査結果をまとめた「年報」を戴いた。11時から平成23年度の会員登録会に切り替えられた。冒頭、この活動の資料館側の責任者とおぼしき学芸員から活動の考え方等の話しがあった。「調査団が目指すものは『市民が書く市民の歴史』である。対象物の悉皆調査を通じて歴史が浮かび上がる。それこそが市民が書く歴史の成果だ」といった興味深い話だった。また登録文化財という制度の紹介があった。50年以上を経た歴史的、文化的、芸術的対象物の登録によるゆるやかな保護・保存の形態のようだ。調査団の調査対象物そのものだ。
 今年度は「石造物」と「橋梁」の2班について登録募集があった。20名ほどの応募者の内、4名だけが橋梁班を残りは石造物班に応募した。毎月第2土曜日に同じ会場で月例会が開催され、4月9日からいよいよ活動開始となる。当日は山口「さくらまつり」の日で出席は叶わないものの、石像班の一員としてまた唯一の北部在住者の調査員として1年間を頑張ってみよう。