初めての津軽三味線生演奏 ― 2012年02月10日
昨日の午後、青少年補導委員全体研修会に参加した。定刻15分前に会場の西宮市勤労会館大ホールに入った。同じ地区の同僚補導委員が既に受付済みだったので、ホール内を探すと最前列付近にその姿があった。やむなくその隣に着席したが、結果的にこれが正解だった。
研修の第1部の講演が始まった。永年教職にあって、現在は県の人権教育推進員の大東太郎という人の「心豊かなふれあいを求めて」と題したプロジェクターによるプレゼンだった。教師時代の生徒たちとの様々なふれあいを紹介しながら、子どもたちとどのようにつながるかが独自の視点で語られた。ある生徒が口にしたという結びの言葉が印象的だった。「先生は死なないよ。先生のことは忘れられないから」。
例年この研修の第2部はアトラクションが準備されている。今回は、三人の会&おもろい一座・みんたらというボランティアグループのフォークソングと津軽三味線演奏だった。フォークグループの甑島(こしきじま)の生活を題材とした「いつか帰ろう心のふるさとへ」という歌が客席を巻き込んで唄われた。
圧巻だったのは津軽三味線の演奏だった。テレビなどでは観ていたが生演奏は初めてだった。撥(バチ)を叩きつけるようなアップテンポで哀愁を帯びた演奏がズシンズシンと心に響いた。最前列のかぶりつきの位置がそれに拍車をかけていた。最後に男女二人の奏者による合奏曲「あどはだり」が演奏された。津軽三味線は即興的な要素が強く、本来は独奏が基本のようだ。唯一の合奏曲が「あどはだり」であるという。二人の息の合った演奏に、どこかでテンポが外れないかと緊張しながら聞き入った。
それにしても津軽三味線の調べはなぜこれほどに心を揺さぶられるのだろう。その激しくて哀しい調べに、なぜか演歌の原点をみたような気がした。
研修の第1部の講演が始まった。永年教職にあって、現在は県の人権教育推進員の大東太郎という人の「心豊かなふれあいを求めて」と題したプロジェクターによるプレゼンだった。教師時代の生徒たちとの様々なふれあいを紹介しながら、子どもたちとどのようにつながるかが独自の視点で語られた。ある生徒が口にしたという結びの言葉が印象的だった。「先生は死なないよ。先生のことは忘れられないから」。
例年この研修の第2部はアトラクションが準備されている。今回は、三人の会&おもろい一座・みんたらというボランティアグループのフォークソングと津軽三味線演奏だった。フォークグループの甑島(こしきじま)の生活を題材とした「いつか帰ろう心のふるさとへ」という歌が客席を巻き込んで唄われた。
圧巻だったのは津軽三味線の演奏だった。テレビなどでは観ていたが生演奏は初めてだった。撥(バチ)を叩きつけるようなアップテンポで哀愁を帯びた演奏がズシンズシンと心に響いた。最前列のかぶりつきの位置がそれに拍車をかけていた。最後に男女二人の奏者による合奏曲「あどはだり」が演奏された。津軽三味線は即興的な要素が強く、本来は独奏が基本のようだ。唯一の合奏曲が「あどはだり」であるという。二人の息の合った演奏に、どこかでテンポが外れないかと緊張しながら聞き入った。
それにしても津軽三味線の調べはなぜこれほどに心を揺さぶられるのだろう。その激しくて哀しい調べに、なぜか演歌の原点をみたような気がした。
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