ステージ・シフトの備え2015年01月20日

 いつの頃か、自分の人生のステージがシフトしていくことを意識するようになった。人生の黄昏を感じるようになる50歳前後の頃からだったと思う。その頃には自分の現役生活の終着駅も見えてくる。否応なく終着駅を降り立った後の舞台を考えてしまう。
 現役でなくなった「老後の自分」をどのように紹介できるのだろうと考えた。現役時代の「会社の肩書」名刺に代わる老後の「個人名刺」を想像してみた。何もない。会社を離れても語れる「自分づくり」を想った。手始めに通信教育を受講して、50代初めに消費生活アドバイザーと初級システムアドミニストレータの資格を相次いで取得した。今も個人名刺の裏面に記載している。ITスキルを活かして52歳の年に個人ホームページも立ち上げた。
 リタイヤを意識し始めた50代後半からは、老後の生活舞台となる地域に目が向きだした。有馬川散策を始めることで地元の自然に親しみ、山口の郷土史の勉強を始めた。60歳の年には自治会副会長を引き受け、住宅街の懸案だった120台のゴミステーションフェンス設置問題にケリをつけた。前者はHP山口風土記として実を結び、後者は民生委員就任のきっかけとなった。
 リタイヤして6年が経過した。HP山口風土記は11回に及ぶ公民館講座の開講に繋がり、老後スタイルのやりがいのある柱となっている。民生委員就任は、老後のもうひとつの柱である地域活動の場をもたらした。社協分区役員として一昨年の安心キット導入に続き、昨年、今年の2025年問題を見据えた福祉ネット立上げという地域福祉の大きな事業の中心的役割を担った。
 昨日、町内老人会の新年会に出かけた。最年少の参加者だったことから、老人会参加は時期尚早だったかとの気持もないではない。反面、これは「働き盛りの高齢者」という前期高齢者から「支えられる高齢者」という後期高齢者に向かう準備のための選択と言えなくもない。
 あらためてライフステージを振り返ってみた。ステージの変わる場面での悔いの残る選択も多々あった。ただステージ・シフトに向けた早め早めの備えや選択が多くの場合、シフト後の好ましいステージをもたらしたことも否めない。「ステージ・シフトの備え」が今日のテーマである。