元旦の過し方2015年01月01日

 元旦の朝、相変わらず目覚めは早い。4時半にはリビングに降りて分厚い朝刊に目を通した。6時過ぎ、暗闇の中を早朝ウォーキングに出かけた。元旦と言えどもこればかりは欠かせない。午後には初詣ででたっぷり歩くので早目に切り上げた。
 7時過ぎに6人に膨らんだ家族と一緒に仏壇に向かった。息子、娘と一緒に正信偈をあげるのも盆正月の我が家の恒例行事である。子どもたちが家を出てからもそれは帰省の度に続いている。8時過ぎには3組の夫婦が食卓を囲んだ。戸主の形ばかりの口上の後、元旦の朝餉が始まった。
 9時過ぎに実家に戻る嫁を送って息子が出かけた。後を追うように娘夫婦が婿殿の実家に向かった。子どもたちを見送った時にはもう年賀状が投函されていた。賀状に記された知人たちの消息を読む。初めて頂いた方の住所を賀状ソフトに登録し返信を印刷する。これもまた元旦の恒例行事である。
 昼食を済ませ、家内と一緒に初詣でに出かけた。丸山山頂の稲荷神社奥社、麓の本社から公智神社へと巡るのが定番コースである。ところが外は思いのほか寒さが厳しい。奥社をパスして本社に向かった。参拝の後、長床で振舞い酒の接待をしている知人を見つけた。立ち寄ると傍らには既にホロ酔い気味の知人たちの姿もある。一緒にコップ酒を頂いていると、長床で歓談中の自治会や神社の関係者が顔を出された。新年の挨拶を交わししばらく歓談した。
 公智神社に向かった。2時半頃の境内はさすがに参拝者はまばらだった。午前中に参拝した昨年は拝殿前で並んだ記憶がある。帰路に着いた境内入口で声を掛けられた。昨年10月に県北部の実家の旧家を訪ねたご近所さんご一行だった。雑談を交わしながら一緒に帰宅した。
 歳を重ねるごとに元旦の過し方が重さを増したように思う。元旦という特別な日に刻まれるイベントへの愛着が深くなっているかのようだ。このブログを更新中に本格的に粉雪が舞い始めた。見る間に庭先が白く染まった。この冬初めての本格的降雪が元旦だったとは。

里山の雪景色2015年01月02日

 昨日夕方から降り始めた雪は、瞬く間に風景を白く染め上げていた。降雪は夜の帳とともに眠りに入り、夜の冷気が雪景色を閉じ込めた。
 夜明けとともに散策に出ると、銀世界が待ち受けていた。久々の雪化粧に包まれた散歩道に人影はない。住宅街を抜ける坂道の真白なベルベットを車の二本のわだちがきっきり刻まれていた。
 有馬川堤の中国道のガードを抜けた時、一気に視界が広がり一面の雪景色が広がった。夜の冷気で雪の土手道は凍結が始まっている。いつもより重いトレッキングシューズがカリカリと氷状の雪を砕いている。名来橋を右折して山陰の農道に入った。一段と積雪が深くなり純白の小路を踏みしめる靴音が変化した。柔かな雪を押し潰す靴音がグリグリと呻いていた。名来墓地のかたわらの六地蔵が、背中から陽光を受けてかぶった雪の衣を脱ぎ始めていた。
 有馬川堤の突き当りの隣町に抜ける間道にやってきた。田園を取巻く丘陵の稜線から顔を出したばかりの陽光が鋭い輝きを発していた。山裾の大きな古民家が雪景色の里山の見事な風景を演出していた。

賀状デザイン「あれから40年」2015年01月03日

 毎年、賀状デザインに呻吟しているが、今年は12月初旬にあっけなくやっつけた。自信作とは言い難い。デザイン的には昨年の画像を加工修正しただけの手抜き作品と言えなくもない。
 我が家に特段のビッグイベントがあったわけではない。強いて言えば、2月末に大阪府労働委員会の労働者委員を退任して、完全に現役を退いたということか。結果的に家内と一つ屋根で顔つきあわせる場面が増えた。新婚以来の夫婦のご対面というきみまろ言うところの「あれから40年」を迎えたわけである。今年の賀状テーマはこれでいこう!と決めた。
 「あれから40年」の食卓で家内と「夫源病か妻源病か」が話題になり、ブログ記事にした。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/09/10/ 夫源病を言い募る妻と妻源病被害を訴える夫・・・。どっちもどっちのお互い様とお茶を濁した。可もなく不可もない「それなりの老後」なのである。我が家のそんな日常をデザインして知人の皆さんに報告した。

家並みの年輪がもたらす息づかいの違い2015年01月04日

 正月三日の昨日、いつになく早い散策のスタートだった。暗闇が遠出のウォーキングをためらわせ、珍しく住宅街の中を街灯を頼りに歩いた。正月というイベントがもたらす住宅街区画ごとの顔つきの違いを気づかされた。
 我が家のある一角は第一期分譲の古い区画である。周囲の家並みは暗闇ながら活気が伝わってくる。窓から灯りが漏れ、雨戸が開いたリビングには人の気配がある。駐車場だけでなく路上のあちこちにも見慣れない車が駐車している。高齢世帯の多い家並みには子どもたちの帰省を迎えた息づかいが聞こえた。
 コミュニティーセンター横の一角は新しい分譲地である。どの家も雨戸が閉まり駐車場に車もない。世帯主は40代までの若い家族たちが住む並みに違いない。家並みを支配するしじまが住民たちの里帰りを物語っていた。
 いつもは気にも留めない区画ごとの息づかいの違いである。正月という国民的行事が世代間の行動パターンの相違をもたらし、区画ごとの家並みの年輪の違いが息づかいの違いを招いている。

西宮神社の百太夫神社祭に参列2015年01月05日

 福祉ネットワークの設立総会に向けて準備を進めている。年末に顧問をお願いしている方のお宅を訪ね、助言や支援をお願いした。その際に市の関係部局との事前調整ができていないことに気づかされた。市の関係者の来賓出席要請も必要だ。正月休み中に担当部署の知人にメールして初仕事日の今日のアポを入れた。
 今日は西宮神社の百太夫神社祭の日でもある。西宮文化協会の会報でその案内があった。一度は観ておきたい伝統行事だったので市役所を訪ねる前に参列することにした。
 西宮神社本殿で参拝を済ませ、西隣りの百太夫神社に向かった。既に神社前の広場には参列者用のいすが並べられ半数近くが埋められていた。ほどなく西宮文化協会の山下会長も参列され束の間の歓談をした。11時に神事が始まる頃には満席の参列者が席を埋めた。
 お祓い、祝詞奏上、拝礼などの型通りの神事の後、二つのグループによる人形芝居の奉納が行われた。最初は、我が町の昨年の敬老のつどいでも出演してもらった「人形芝居えびす座」の登場である。知人でもある武地座長率いる5人のフルメンバーによる奉納演芸は、親しみやすく今風のネタを仕込んだ和やかなものだった。途中で、神社からの甘酒が参列者に振る舞われるという心遣いもあった。
 続いて阿波・徳島の「箱廻しを復活する会」の皆さんの「阿波木偶箱廻し(ご祝儀三番叟、えびすなど)」の奉納である。ご婦人お二人の人形遣いと口上役の座長らしき男性、三味線担当の若い男性といったメンバーである。合間には餅まきならぬ菓子まきがあったり、参列者の中から希望者を募ったお神酒の馳走があったりと中々凝った演出だった。12時過ぎに一旦祭礼が終わった。その後、阿波木偶人形を使った人形遣いが演じられた。人形浄瑠璃の人形の1.5倍の大型人形の演技は迫力があり見応えがあったが、市役所のアポの時間が迫っていた。12時15分頃に神社を後にして市庁舎に向かった。

達成感というモチベーション2015年01月06日

 新年という節目は、時に自分自身を振り返らせるきっかけを運んでくる。リタイヤして6年になる。現役時代には、好きなことを好きな時にやって自由気ままに過ごすという老後を夢想していた。
 リタイヤ3年前から歯車が狂った。自治会副会長のお鉢が回り先人たちが先送りしてきた問題に直面した。真正面から受け止めて対応するという持ち前の性分に歯止めがかからない。2年かけて住宅街の120台のゴミステーションのフェンス設置問題のケリをつける中心的役割を果たした。
 この一件がリタイヤ前年の民生委員就任の導火線になったようだ。民生委員就任は老後スタイルに重大なインパクトをもたらした。地域ボランティアというジャンルに大きく踏み込むことになった。社協役員や青愛協運営委員という役回りを兼任しながら、地域人脈を培い地域課題の対応手法を把握した。
 近年は社協分区を舞台に、新たな課題取組みの中心的な役回りを担っている。2年前の安心キット導入、昨年の福祉ネットワーク会議設立と続いた。安心キットは市内でもトップクラスの導入率を達成し、福祉ネットも設立総会開催の準備段階を迎えた。
 いずれも自ら望んでその役回りを担っている点は否定し難い。地域ボランティアの分野で新たに大きな取組みを着手することのハードルは高い。新たな課題だけに企画内容の懸念や推進過程での抵抗感も拭えない。費やす労力やメンバーたちとの調整面の気遣いもひとしおである。それでも途中で中断するわけにはいかないし、その気もない。
 何故そこまで!という想いもないではない。煎じ詰めれば「達成感」ということになるのだろう。「成し遂げたことで得られる満足感」である。達成感という報酬がモチベーションを生み出している。「人はなぜ山に登るのか」という古典的な問いにも通じるものがある。頂上を極めたことの達成感である。その山が高ければ高いほど険しければ険しいほど達成感は大きい。未踏峰であれば尚更である。
 達成感というモチベーションに支えられて今年もまた新たな山を目指すことになりそうだ。これでは達成感というキーワードに包まれて過ごした現役時代と変わりはないではないかとも思う。所詮「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」ということか。

社協分区の新年互礼会2015年01月07日

 昨晩、社協分区の役員会の後、恒例の新年互礼会があった。コミュニティーセンターの大会議室に30名の役員が顔を揃えた。会費千円の互礼会のテーブルにお弁当、オカキなどのおつまみ、缶ビールやウーロン茶などの飲物が揃えられた。給湯ポットには温かいお茶も用意されている。いつもながらご婦人方の周到な準備に頭が下がる。
 18時40分頃には分区長の乾杯で互礼会が始まった。しばらく三つに分かれた各テーブルで食べたり呑んだりしながら歓談が続いた。お弁当が適度に胃袋に収容され、缶ビールの酔いがほど良く回り始めた頃に副分区長から合図があった。参加者全員の1分程度の自己紹介が促された。
 いつもの役員会は報告中心の型通りの会議である。発言者も限られている。日頃の活動を通じての交流はあるものの、ひとりひとりの人柄や素顔の突っ込んだんだところまでは窺い知れない。飲食を伴った新年互礼会の和やかな雰囲気が参加者にいつにない饒舌を招いている。一分以内という副分区長の期待は殆どの発言者に裏切られる。約2時間をかけてメンバーたちのいつにないキャラを発揮した自己紹介を終えた。最後の締めを兼ねた分区長のスピーチで今年の互礼会も無事終了した。

北方謙三著「史記 武帝紀」(六)2015年01月08日

 北方謙三著「史記 武帝紀」の第六巻を読んだ。七巻に及ぶ大作が大詰めを迎えつつある。次々と現れては消えて行った多彩な登場人物の群像も、徐々に絞り込まれていく。この巻の主人公は匈奴に降り戦人として生きることを受入れた李陵、匈奴の虜囚として酷寒の地に生きる蘇武、宮刑後の人生を史記執筆に賭ける司馬遷、そして三人に苛酷な運命を負わせた晩年の皇帝・劉徹である。
 この巻のトーンはこれまでのアップテンポでドラマチックな展開が影を潜め、四人の主人公それぞれの内面を丁寧に追ったトーンが印象的だ。作者はそれぞれの生き方を醒めた視線で抑制のきいたタッチで描いていく。それは読者に我が身の生き方と重ね合わせるように迫ってくる。
 永い別離の果てに李陵は、蘇武の暮らす酷寒の地で再会する。死を目前にしたかのような劉徹の日常を淡々と描き続ける司馬遷を、時に劉徹は否応なく意識してしまう。この四人の絡み合いの結末こそがこの壮大な物語の結末に繋がるのでは。そんな予感を抱きながら完結巻を手にした。

逆風のマック・・・現場の気持ち2015年01月09日

 早朝ウォーキングを終えて、マクドナルドのドアを押した。いつもは何人かの姿がある店内に人影はない。顔馴染みの女性スタッフに「ホットコーヒー!」とオーダーした後、思いついて言葉を継いだ。「マクドナルドも大変やな~。この店にも影響でてる?」。
 スタッフの悲痛な言葉が返された。「テレビの影響って凄いんですね。あれほど報道されたんで昨日からお客さんは激減してます。こんな時に来てもらえるお客さんはほんとにありがたいです。私らは店で徹底して教育された通りに接客してるんですけど。会社の記者会見もがっかりしましたが・・・」。現場スタッフの率直な気持ちと懸命さが伝わった。
 思わず個人的な懸念が励ましの気持と一緒について出た。「業績悪化で店の統廃合があったりするんかな~。そんな時でもこの店だけは残しといてよ。なくなったらたちまち困るし」。
 全国チェーンのファーストフードの脆さが一気に噴出した気がする。システム運営の強みは均質な質とサービスと価格を提供することで急速に拡大成長を可能にする。ところがその強みも逆に品質面での重大な瑕疵が表面化しその対応を誤った場合、致命的な弱みに転化する。日本マクドナルドの今回の対応のまずさに対する苦々しさとは別に、馴染みの店舗の現場スタッフの懸命さと率直さに救われた。

とんどの季節で思った2015年01月10日

 ここしばらく有馬川沿いを北に向かう散歩道の定番コースを歩いていなかった。今朝久々に歩いてみて気づかされた。明日の日曜日は名来のとんどの日だった。
 有馬川土手道の中国道を抜けた先の田圃に、青だけで組み上げられた円錐形の造作物が立っていた。毎年この時期に恒例のとんどである。この日曜に名来自治会の当番の人たちで組み立てられたものだ。
 旧地区には農村共同体のしきたりが今なお引き継がれている。季節の節々で地区の伝統行事が維持されている。新興住宅地にない行事である。旧地区の活動は、ともすればこうした伝統行事の維持継承が優先される。それだけに新たな取組みの着手は、ハードルが高い。それでも超高齢化といった時代の流れは容赦なく押し寄せる。旧地区はこうした高齢化の波にも、昔ながらの共同体の枠組みで吸収していこうというスタンスのようにみえる。それはそれで羨ましい土壌のようにも思える。
 そうした土壌のない共同体意識の希薄な新興住宅地では、荒波を受け止めしなやかに吸収するための新たな環境や仕組みが求められている。福祉ネットの立上げが近づいている。