映画評「容疑者Xの献身」 ― 2008年10月22日
第4水曜日、私にとってのシネマの日である。市大病院、中華の店「娘娘」と回りTOHOシネマズなんばのチケットカウンターには12時に着いた。目当ての作品は東野圭吾原作の「容疑者Xの献身」である。既に入場開始の時刻だった。平日昼過ぎながら、ほぼ満席の客席が人気の高さを物語っている。事実、鑑賞後の感想はその人気の高さを裏付けるに十分だった。
福山雅治扮する物理学者と柴咲コウ扮する女性刑事が、堤真一扮する数学教師と松雪泰子扮する弁当屋店長の二人の容疑者を追い詰めていくというのが大ざっぱな筋立てである。論理と情の葛藤がテーマと言ってしまえば身も蓋もないが、煎じ詰めればそういうことになる。それを原作者の独特の組立てと展開でぐいぐいスクリーンに引き寄せる。見応えのある作品に仕上がっている。
主人公は福山でも柴咲でもない。堤と松雪の容疑者二人である。二人の抑制した演技がラストシーンで激情を露にすることでこの作品のテーマを見事に演じている。その点では西谷弘監督の手腕に負うところが大きい。何故なら、原作では語りようのない映像表現は監督の領域なのだから。単独犯として逮捕された容疑者・堤が係官に連れられている。堤の勝ち誇ったような笑みと係官の無表情のコントラストが鮮やかにアップされる。直後に真実を知らされた松崎が「私も同罪です」と叫び、共犯を告白する。途端に堤の顔が激情に歪む。論理を武器に愛する人を守り切った筈の容疑者が、他でもないその人の情の前に脆くも崩れてしまう。容疑者Xの「献身の中身と結末」を、観客は鮮やかなラストシーンで見せつけられる。
福山雅治扮する物理学者と柴咲コウ扮する女性刑事が、堤真一扮する数学教師と松雪泰子扮する弁当屋店長の二人の容疑者を追い詰めていくというのが大ざっぱな筋立てである。論理と情の葛藤がテーマと言ってしまえば身も蓋もないが、煎じ詰めればそういうことになる。それを原作者の独特の組立てと展開でぐいぐいスクリーンに引き寄せる。見応えのある作品に仕上がっている。
主人公は福山でも柴咲でもない。堤と松雪の容疑者二人である。二人の抑制した演技がラストシーンで激情を露にすることでこの作品のテーマを見事に演じている。その点では西谷弘監督の手腕に負うところが大きい。何故なら、原作では語りようのない映像表現は監督の領域なのだから。単独犯として逮捕された容疑者・堤が係官に連れられている。堤の勝ち誇ったような笑みと係官の無表情のコントラストが鮮やかにアップされる。直後に真実を知らされた松崎が「私も同罪です」と叫び、共犯を告白する。途端に堤の顔が激情に歪む。論理を武器に愛する人を守り切った筈の容疑者が、他でもないその人の情の前に脆くも崩れてしまう。容疑者Xの「献身の中身と結末」を、観客は鮮やかなラストシーンで見せつけられる。
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