梅雨が運ぶ物思い2009年07月01日

 午前中の労働委員会の調査を終えて1時過ぎに帰宅した。家内は外出している。誰もいないがらんとした家でテレビを見たり読書をしたりして過ごす。ぼんやりとひとりで過ごす時間もまたいいものだ。リタイヤ生活の醍醐味でもある。雨足が激しくなってきた。屋根やガラス戸や庭木の葉っぱを打ちつける雨粒の音が騒がしい。その騒がしさが、なぜかざらついた気分をもたらす。梅雨なのだ。梅雨の季節らしいブルーな気分と思えばそれも受入れられる。
 ガチャンと鋳物の門扉の錠を廻す音がした。家内が帰ってきたようだ。束の間の物思いから醒めて現実の世界に戻された。

梅雨時に腰痛が顔を出す2009年07月02日

 一週間ほど前から腰の鈍痛とだるさがひどくなってきた。そのうち治るだろうとタカをくくっていたが、どうにもおさまらない。やむをえず馴染みの整骨院に出かけた。
 いつもの先生に診てもらう。開口一番、「この梅雨時は、腰痛を訴える患者さんが多いんですよ。湿気の多い環境が普段は押さえられている患部の症状を誘発するんでしょうね」とのたまう。自分だけではないのか、と理屈にならない安堵感を覚えてしまう。同時に東洋医学的な診立てに納得する。
 最近読んだ五木寛之の著作にあった「西洋医学と東洋医学のちがい」についての記憶を辿った。確か西洋医学は人間の外に病気の原因がありこれに攻められて病気になる。その外敵をやっつけたり除去したりすることが治療となる。これに対し東洋医学は人間は生まれながらに病の要因を体に抱えている。環境変化などで体調が不安定になりバランスを崩すことで病の要因が表面化するという。バランスを取り戻すサポートを行なって自然治癒力による回復を促すことが治療になる。個人的にはこの東洋医学の考え方に限りなく共感を覚えている。
 腰を押さえながら先生の言葉が続く。「やはりかなり固まってますね。一過性の要素が強いのでしばらく集中的に来てください」。夜就寝前の腰の痛みを思えば、それもやむなしか。梅雨時に顔を出した腰痛とのおつきあいがしばらく続きそうだ。

旧・労組役員の懇親会2009年07月03日

 大学卒業後入社した職場で労組結成の動きがあったのは、入社したその年の秋だったと思う。いつの間にかその流れの中心メンバーの一人になっていた。翌年2月に正式に発足した労組の専従書記長に選出されていた。以来、ビジネス人生の前半20年近くを労組に関わって過ごした。
 数年前からその草創期の労組役員たちと定期的に懇親会を持つようになっていた。集合場所はいつも大阪の地下鉄「なんば駅」近くだった。かって「ロケット広場」と呼ばれていた場所である。毎回7~8人が顔を揃える。永久幹事のK氏から召集がかかり、久々の会合が今日開催された。
 今はロケットが撤去され名もない広場となった集合場所に5分前に着いた。遅参連絡のあった1名を除き出席予定の6名全員が談笑している。歩いて数分のいつもの会場に移動しながら幹事役のK氏が「時間前の全員集合は画期的や。それだけみんな第一線を退いたんやな~ッ」と嘆息交じりに声をかけた。
 7時過ぎには居酒屋ビルの3階予約席に8名全員が揃った。思い思いに近くの席同士で雑談にふける。青春時代に苦楽を共有した仲間たちとの会話は、それ以降の長い空白にもかかわらず、いつまでも気のおけない親密感を抱かせる。2時間の飲み放題プランが有難味を薄れさせている年齢になっている。残り30分という所で各自の近況報告となった。各自の今のかけがえのないことが語られる。9時40分には会場を後に帰路についた。

社協会員の年会費徴収2009年07月04日

 この時期は社会福祉協議会会員の年会費徴収の時期である。地区の役員が分担して担当エリアの会員宅を訪問する。私にも分担が割当てられ13軒の会員宅を訪問した。
 昨日の早朝、ウォーキングを兼ねて訪問予定のお宅に事前の「会員継続の依頼と会費徴収のお願い」パンフレットをポスティングしておいた。そして今朝10時過ぎから訪問を始めた。結果は約半数のお宅が不在だった。予想以上の留守の多さだった。
 老人会の機関紙によくツアーの感想文を寄せているおばあちゃん宅を訪問した。「いつも楽しいツアー感想文を読ませてもらっています」と水を向けると、おばあちゃんの嬉しそうな反応が返ってきた。「小学校時代には遠足の感想文をいつも先生に指名されて発表していた。小学校の教師になってからも日記を欠かさないし、今も恩師への手紙をやりとりしている。文章を書くのが好きなんです」と話題は尽きそうにない。いつまでたっても女性にとってのおしゃべりの楽しさは何物にも変えがたいようだ。こういう場合の話しの切り上げ方は難しい。刹那の空白を見つけて「じゃあこれからも頑張って書いて下さいね」と発車ベルの合図を鳴らす。さすがに元教師である。空気を読んで「ご苦労様でした」と応じてもらった。

備中高松城址と備中国分寺の散策2009年07月05日

 第1日曜の今日、岡山の義父を見舞った。第1日曜は、高速道路サービスエリアの全品2割引サービスデーである。家内にとっては日程設定の有力な根拠となる。私にとってはお見舞い前の「吉備路の史跡巡り」が愉しみになっている。 
 そんな訳で今日も7時半には自宅を出て岡山に向った。途中、龍野西SAに立ち寄り9時半には最初の目的地・備中高松城址に着いた。いうまでもなく高松城は、信長の命を受けた秀吉の中国攻めの攻防の城である。秀吉の水攻めにより孤立した高松城は、城主・清水宗治の切腹後に開城した。その直後の秀吉の光秀討伐のための「中国大返し」は余りにも有名である。一度は訪ねておきたい史跡だった。本丸、二の丸跡が遺されるだけの城址は、現在は城址公園として整備され、低湿地帯に見事な蓮池や菖蒲池が配されている。広々とした公園の一角が鮮やかなピンクに染まっていた。満開の蓮の花のこれほど多くの迫力ある風景に息を呑んだ。蓮池を木製の渡り廊下で渡った先に二の丸跡、本丸跡の公園がある。清水宗治の辞世の句碑や首塚が、自身の首と引換えに城兵5千人の命を救った戦国武将の潔さを偲ばせる。公園入口には無料の資料館が地元の観光ボランティアのお年寄たちの手で運営されていた。
 高松城址の北東4kmほどの所に最上稲荷神社がある。日蓮宗・妙教寺と一体化した神仏混合の神社である。商売の神様ということで義父もかつてよくお参りしていたようだ。境内すぐ下の駐車場に車を停め参拝する。昭和に建設された真新しい本殿の背後に江戸中期に再建された旧本殿がある。本殿前の長い石段の参道両脇には土産物店が建ち並ぶ。
 お見舞までに時間があったので近くの備中国分寺跡に立ち寄ることにした。南へ車で20分ほど走ると大きな五重塔が見えてきた。この辺りは「吉備路風土記の丘」と呼ばれ周囲に古墳などの多くの遺跡が遺されているようだ。散策拠点ともいうべき「吉備路もてなしの館」という観光用施設に車を停め徒歩2-3分の国分寺を参拝する。山門前の案内板によれば8世紀中頃に各地で建立された国分寺のひとつで、中世に廃寺となった。現存の伽藍は、江戸中期に日照山国分寺として再興されたものだという。とりわけ江戸後期に20数年をかけて建立された五重塔は国指定重要文化財で吉備路のシンボルとも言うべき美しい建物だった。
 史跡見学を終えて、ちょうど12時に義父の入所する施設に着いた。ヘルパーさんの介助で昼食を終えたところだった。意識ははっきりしているもののほとんど会話ができない。アルバムの写真を見せながら「これは誰?」と話しかけるが言葉がでない。目と表情と頷きで意志を交わす他ない。ところが義母の写真を示した時だった。「あばあさん」とはっきり口にした。やっぱり「永年の連れ合い」こそがかけがえのない存在だったのだとちょっとした感動を味わった。

学習効果「歯が痛い!」2009年07月06日

 二日前の土曜日に、歯の痛みに耐えかねて歯科医に行った。家内の知人の評判をもとに初めての歯科医院を選んだ。比較的新しいその医院は患者も多く繁昌しているようだ。何人かの歯科医がいて診てもらったのは若い女医だった。あれこれ診ていたが的確な処置がないまま、歯の掃除と痛み止めを処方されて不満の残る診察が終った。
 あんのじょう昨日一日引続き鈍痛に悩まされながら過ごした。この歯の痛みはいつか来た道だ。確かブログに綴っていた筈だ。アッタアッタ!去年の11月20日から数日に渡って克明に綴っている。犯人は歯髄炎だった。昔、虫歯治療で処置された詰めものが歯の劣化に伴って視神経に触れていたのだ。今回の痛みもあの時の痛みに限りなく近い。
 今朝一番に電話して9時半に再診してもらった。今回は少し年配のやはり女医だった。去年発症した歯髄炎の痛みに似ている旨告げると、早速レントゲンで確認し、患部の視神経を除去する処置が告げられる。ようやく抜本的な治療が講じられた。麻酔の効いた口元の違和感と治療した患部の痛みを抱えながら帰宅した。
 帰宅後1時間ほどすると、ズキズキしていた鈍痛が嘘のように消えた。ブログ「歯が痛い!」の効用が学習効果として発揮された。

五木寛之著「風の王国」2009年07月07日

 五木寛之の「風の王国」を読んだ。この作品は作者自身の生い立ちに関わる生き方をあらためて世に問うていると思った。
 五木寛之は1932年に福岡県八女市に生まれてまもなく両親に連れられて朝鮮半島に渡っている。戦後日本に引揚げるまでの15年間を半島で暮らした。このことが彼の価値観や人生観に重大な影響を及ぼしただろうことは想像に難くない。中公文庫版「蓮如」に収録された「インタビュー記事で五木寛之は次のように述べる。
 『引き揚げてからまもなく、ぼくはこれから在日日本人として生きていこうと決めたわけ。在日日本人とは何か。それは朝鮮半島、大陸、植民地と日本、その両者がクロスするかしないかの辺縁のなかに、自分の居所を見つけて、その狭間に錐をもみ込むように自分の領域を広げていこうとする人間である。そう考えたわけですね』
 「風の王国」のテーマはまさしく辺縁のなかに居所を見つけて自分の領域を広げていこうとする民の物語である。日本には古来より、「遊民」や「浪民」、時に「山窩」とも呼ばれた非定住で道々の輩(ともがら)として動きつづける者たちがいた。この作品はそうした浪民たちに真正面から焦点を合わせてその背景や生き方を共感を込めて描いている。伝奇風アドベンチャー小説的な手法で読者をぐいぐい引張っていく。そして読み終えた読者は、国家の残虐性や管理社会の過酷さといった本質的で鋭い問題性を突きつけられる。二度目の休筆直後に世に問うた53歳の作者の膨大な資料を読み込んだ渾身の作品である。
 物語の中心となる「天武仁神講」という「浪民組織」の初代講主・葛城遍浪の言葉が作品の最終場面でに語られる。作者の想いが余すところなく伝わってくる印象的な文章である。
 『―― 山に生き山に死ぬる人びとあり。これ山民なり。里に生き里に死ぬる人びとあり。これ常民なり。山をおりて、里にすまず、里に生きて、山を忘れず、山と里のあわいに流れ、旅に生まれ旅に死ぬるものあり。これ一所不在、一畝不耕の浪民なり。
 山民は骨なり。常民は肉なり。山と里の間を流れる浪民は、血なり、血液なり。血液なき社会は、生ける社会にあらず。(中略)
 山は彼岸なり。里は此岸なり。この二つの世の皮膜を流れ生きるもの、これ《セケンシ》の道なり。(下略)』

地域ボランティア組織への切り込み2009年07月08日

 昨晩、地区の社会福祉協議会の役員会があった。定例の議題が終った後、新任分区長から提案があった。今期で終了する5ヵ年の地区福祉計画を念頭に次期5年間の計画を今期中に策定しなければならない。ついては各役員から計画に当たっての意見を聞いておきたいということだった。
 一昨年の12月に就任以来約1年半が経過した。この間、実態把握第一に努め、会合では積極的な発言は控えてきた。また市の地域福祉計画策定委員会の公募委員に就任し5月に第1回委員会に出席してみて地域福祉の全体像もそれなりに掴めてきた。個人的にはそんな状況での今回の意見聴衆の機会だった。ここは日頃の問題意識を思い切ってぶつけてみようと思った。
 在住地区のボランティア組織の最大の課題はメンバーたちの固定化と高齢化だと思う。このまま手をこまねいていては、この街の福祉を支えるマンパワーの脆弱さは危機的な事態を招きかねない。地域ボランティアの様々な組織も同様の悩みを抱えている。また各組織間の連携不足が全体としての地域活動の活性化を阻害している。福祉の対象者たるお年寄りや子供たちが積極的に活動に参加できるためのモチベーションやテーマ設定も不十分だ。そんな問題意識から次の三点を提案した。①団塊世代リタイヤ層に照準を当てた地域組織合同の人材確保策の実施。②各地域組織間の連携による地域課題克服と活性化のための共同取組み。③『ふるさと発見』等の地域福祉活動の全年層と全組織共通のテーマ設定。
 これに対し、「理想論に過ぎるのではないか」「現実的ではない」といった意見が出された。大上段に振りかぶった提案である点は否めない。とはいえ過去の踏襲を越えられないマンネリ化した対応が今日の事態を招いていることも事実ではないか。どこかで大胆な取組みに踏み切らなければならない。そのタタキ案の投げかけといった気持ちもある。新分区長の捌きに注目したい。

辺縁の人々2009年07月09日

 昼食を済ませテレビでお昼のニュースを見ていた。深刻な不況がもたらす雇用問題の動向を伝えている。パート、アルバイト、派遣社員といった非正規社員の駆け込み寺だった合同労組にいよいよ正社員の駆け込みが増えているという。画面では記者のインタビューに答えている合同労組幹部の顔を映していた。先日労働委員会である事件の和解打診の面談をした人だった。
 今や労働委員会で扱う事件の申請者の圧倒的多数が個人加盟の合同労組である。当事者は非正規社員であり、管理職である。従来の労働組合の構成主体である一般職正社員からみれば「辺縁の人々」が労働委員会の場では主体となっている。企業社会の現場では集団的労使関係に馴染まない紛争の土壌が蔓延し、個別労使の紛争が頻発している。正社員の合同労組への駆け込みの増加は、その実態の反映でもある。
 先頃、セブンイレブン・ジャパンが、弁当などの値引き制限について公正取引委員会から排除措置命令を受けた。これをきっかけに一部のセブンイレブン加盟店オーナーたちが労組を結成する意向であるとの報道が伝えられた。オーナーといえば一般職正社員からみれば管理職の更に向こうの辺縁の人である。そのオーナーたちが労組結成に踏み切るにはよほどの事情があったに違いない。コンビニエンス・ストアの脱サラオーナーとその家族たちの過酷な労働実態はよく知られるところである。オーナーたちが労組法上の労働者足りうるかという法的な問題が問われそうだが、所詮法律は実態の後追いでしかない。実際の取組みや運動が、過酷で矛盾に満ちた現実を克服し突破することは過去の歴史が教えている。
 二日前のブログで辺縁の人々を主題とした「風の王国」の書評を記した。物語でない現代の辺縁の人々の大きなうねりを感じずにはおれない。

TV番組とコマーシャルフィルムの残酷な偶然2009年07月10日

 午後のひと時を好きなサスペンスドラマの再放送番組を愉しんでいた。復讐に燃えた目をぎらつかせて若い女性が両親の命を奪った仇に迫っていた。握りしめた刺身包丁の鋭い切っ先がアップで映される。その瞬間、大写しにされた包丁の刃がシャープナーで研がれている映像に切り替った。
 思わず笑ってしまった。余りにもタイミングの良い、いや間の悪いコマーシャルフィルムへの切り替えだった。ダイヤモンドシャープナーのTVショッピングは最も効果的でない場面で放映されてしまった。テレビ番組のコンテンツとCFは全く無関係に連続して放映される。その結果、時に残酷で滑稽な偶然を引き起こす。その典型的な場面に出くわした。