山本周五郎著「樅の木は残った(中)」 ― 2011年01月12日
山本周五郎の「樅の木は残った」中巻を読み終えた。上巻で大きく広げられた物語の舞台や相次いで登場する人物たちがそれぞれに独自に展開し新たな役回りを演じていく。それぞれの展開はそれ自体面白いのだが、途中でふと不安になってしまう。
物語の本筋とは思えない筋や舞台が中巻を読み終えても尚拡がったままなのだ。本流でない筋や舞台が果たして全体の構想の中でどのように収斂されていくのか。例えば原田甲斐の大鹿くびじろとの生死を賭けた狩り物語は、甲斐の人となりを浮き彫りにする上でも欠かせない。しかし物語の本流からは遠い脇役にしか思えない新八の自堕落な生活ぶりの描写に多くの紙数が費やされることにある種の苛立ちを覚えてしまう。
伊達騒動という史実が作者独自の視点でどのように展開し大団円を迎えるのか。これが読者の少なくとも私の興味の中心だ。中巻の寄り道とも思える展開が最終巻でどのように本流に組み込まれるかという懸念は拭えない。大作家・山本周五郎の代表作である。そうした懸念は見事に払拭してくれるに違いない。そんな気持ちで最終巻を読み進むことにしよう。
物語の本筋とは思えない筋や舞台が中巻を読み終えても尚拡がったままなのだ。本流でない筋や舞台が果たして全体の構想の中でどのように収斂されていくのか。例えば原田甲斐の大鹿くびじろとの生死を賭けた狩り物語は、甲斐の人となりを浮き彫りにする上でも欠かせない。しかし物語の本流からは遠い脇役にしか思えない新八の自堕落な生活ぶりの描写に多くの紙数が費やされることにある種の苛立ちを覚えてしまう。
伊達騒動という史実が作者独自の視点でどのように展開し大団円を迎えるのか。これが読者の少なくとも私の興味の中心だ。中巻の寄り道とも思える展開が最終巻でどのように本流に組み込まれるかという懸念は拭えない。大作家・山本周五郎の代表作である。そうした懸念は見事に払拭してくれるに違いない。そんな気持ちで最終巻を読み進むことにしよう。
また一人かけがえのない友が逝った ― 2011年01月12日
昨日の朝、大学時代のサークルの先輩から電話があった。岡山在住の共通の知人の訃報だった。三か月前に開催されたサークル同窓会で久しぶりに再会したばかりの人だった。4年ほど前に胃癌の告知を受けたと知らされていた。胃の全摘手術で見事に回復し同窓会ではその健在ぶりに目を見張ったのに・・・。
私の大学生活の貴重な部分をサークルが占めていた。心を許して話合い激論し合ったサークル仲間との交流は何よりもかけがえのないものだった。特に何人かの先輩たちとは日々の多くの時間を共にする密度の濃い付き合いがあった。その内のおひとりは既に数年前に亡くなっている。昨年、更におひとりが亡くなった。そして今回の訃報がまた一人かけがえのない友の死を告げていた。
告別式の日に予定されていた労働委員会の審査を欠席するわけにはいかない。通夜式に参列するため開式30分前にJR岡山駅近くのセレモニー会館に着いた。会場内でずっと以前に一度だけお目にかかった奥さんにご挨拶した。回復した筈の胃癌の病魔がいつのも間にか脳に転移し急速な病状悪化を招いたとのことだ。晩婚だった。遺族席にはまだ未婚の一男二女の姿があった。通夜式の読経を耳にしながら、子供たちの婚儀を目にしないまま旅立った友の無念さを想った。
通夜式終了後に棺に眠る友と対面した。故人のトレードマークでもあった縁の濃い眼鏡がかけられていた。卒業後のビジネスライフは決して恵まれたものではなかったと思う。それでも学生時代と変わらない一貫した生き方を同窓会で垣間見て羨ましく思ったものだ。見慣れた縁の濃い眼鏡があらためてそのことを思い起こした。人生の晩年期の、身近な人たちの死は自身の死を否応なく見つめさせてしまう。棺の中の私と対面する人たちに、どのような私を思い起こさせるだろうか。
私の大学生活の貴重な部分をサークルが占めていた。心を許して話合い激論し合ったサークル仲間との交流は何よりもかけがえのないものだった。特に何人かの先輩たちとは日々の多くの時間を共にする密度の濃い付き合いがあった。その内のおひとりは既に数年前に亡くなっている。昨年、更におひとりが亡くなった。そして今回の訃報がまた一人かけがえのない友の死を告げていた。
告別式の日に予定されていた労働委員会の審査を欠席するわけにはいかない。通夜式に参列するため開式30分前にJR岡山駅近くのセレモニー会館に着いた。会場内でずっと以前に一度だけお目にかかった奥さんにご挨拶した。回復した筈の胃癌の病魔がいつのも間にか脳に転移し急速な病状悪化を招いたとのことだ。晩婚だった。遺族席にはまだ未婚の一男二女の姿があった。通夜式の読経を耳にしながら、子供たちの婚儀を目にしないまま旅立った友の無念さを想った。
通夜式終了後に棺に眠る友と対面した。故人のトレードマークでもあった縁の濃い眼鏡がかけられていた。卒業後のビジネスライフは決して恵まれたものではなかったと思う。それでも学生時代と変わらない一貫した生き方を同窓会で垣間見て羨ましく思ったものだ。見慣れた縁の濃い眼鏡があらためてそのことを思い起こした。人生の晩年期の、身近な人たちの死は自身の死を否応なく見つめさせてしまう。棺の中の私と対面する人たちに、どのような私を思い起こさせるだろうか。

最近のコメント