東北の旅①(松島、瑞巌寺、中尊寺) ― 2012年09月29日
知人グループによる2年ごとの旅がある。今年は震災復興支援という趣旨もこめて一泊二日の東北の旅と決まった。9月29日の早朝7時に伊丹空港に着いた。総勢20名余りが、8時5分発のANAで仙台に出発した。
仙台空港からは専用バスで海岸線に沿って15kmほど北の塩釜港をめざした。津波にさらわれてガランとした平地に建つ仙台空港が、海岸線からわずか1kmに位置していたことをあらためて知った。ようやく開通した高速道を敢えて走らず一般道を走ってもらう。まばらで寂しげな松林、今尚泥水が残る田圃跡、剥き出しの基礎だけが残る家屋跡、大分低くなったという瓦礫の山・・・。地元のガイド嬢の感情を抑えた健気な案内が続いた。
途中、デジカメの「メモリー不足」の警告メッセージが出て真っ青になった。昨晩、PCに画像取り込みを処理した際、SDカードを入れ忘れていたのだ。今回の旅の画像撮影は断念するしかないと観念した。ところが到着した塩釜港のすぐ傍にイオン・タウンがあり、2階にはジョウシン・アウトレットがあった。ジョウシンに駆けつけ4GB・SDカードを400円の驚き価格で入手した。スタート早々の悪夢が一瞬でクリアされた。
松島湾遊覧船に乗船し11時にマリンゲート塩釜を出港した。ようやく観光客が戻ってきはじめたとガイド役のオジサンの弾んだ声が島々を案内する。地蔵島、夫婦島、仁王島、鐘島などの景勝が現れては消える。貰ったコースマップを見て、松島湾の入口をそれらの島々が見事に封鎖し、自然の防波堤を築いていたことを知った。とはいえ五大堂や瑞巌寺や松島の町並みを津波被害から守った島々の一部は津波にさらわれた。日本三景の景勝地の島自身が身を削って町を守った。
松島港の桟橋に着いた。すぐ東側の五大堂の向いの蒲鉾屋さんの二階で昼食をとった。海鮮焼売メインの御弁当に鮪の陶板焼が付いていた。昼食後に歩いて数分の伊達政宗菩提寺・瑞巌寺に参拝した。国宝の本堂は修理中だったが、寺宝の多くを大書院で拝観した。参道東側の岩石を削って掘られた見事な洞窟群は圧巻だった。バス駐車場の手前に五大堂があった。朱塗りの橋を渡り湾に突き出た島に建つ政宗再興のお堂にお参りした。
次の観光スポット・平泉中尊寺には3時前に到着した。参道南側の車道を通り金色堂近くでバスを下車した。坂道を少し上がったところに映像で見慣れた鉄筋コンクリート造りの覆堂(さやどう)があった。覆堂内に少しばかり緊張しながら足を踏み入れと、金箔で覆われた重厚で荘厳な金色堂が目に飛び込んだ。阿弥陀如来像を中心に正面の三体の本尊と周囲に六体の仏像が配置されている。金色堂を出た所に、「五月雨の 降り残してや 光堂」の芭蕉の句碑が建っていた。その少し先には芭蕉の旅姿の銅像がある。ツアー仲間たちが銅像を見て「○○さんそっくりや」という声を耳にした。私のことだった。我ながら似ていなくもないと思える銅像の顔に見入ってしまった。仲間に言われるままにツーショット写真を撮ったりもした。本堂や弁慶堂を巡り下り坂の参道を辿ってバスに戻った。すぐ近くの平泉文化遺産センターにも立ち寄った。奥州藤原氏の四代の栄華をビジュアルに学んだ。源頼朝に屈して義経を討った四代泰衡の平泉を守るための苦渋の決断とする解説に心惹かれるものがあった。勝者の歴史だけではない地元の見方なのだろう。
仙台に戻り宿舎の仙台ロイヤルパークホテルに6時過ぎに到着した。閑静な住宅街の泉区に建つ高級ホテルだった。チェックインしてシャワーを浴びた後、夕食懇親会となる。宮城の秋鮭、南三陸の鮑や雲丹、仙台の牛舌、松島穴子などの地元食材をふんだんに使ったコース料理だった。四つの円卓に分かれて大いに歓談しながら味わった。2時間ばかりの歓談の後、二次会もなく9時過ぎには部屋に戻った。入浴を済ませて1万6千歩を刻んだ万歩計を確認して眠りに着いた。
仙台空港からは専用バスで海岸線に沿って15kmほど北の塩釜港をめざした。津波にさらわれてガランとした平地に建つ仙台空港が、海岸線からわずか1kmに位置していたことをあらためて知った。ようやく開通した高速道を敢えて走らず一般道を走ってもらう。まばらで寂しげな松林、今尚泥水が残る田圃跡、剥き出しの基礎だけが残る家屋跡、大分低くなったという瓦礫の山・・・。地元のガイド嬢の感情を抑えた健気な案内が続いた。
途中、デジカメの「メモリー不足」の警告メッセージが出て真っ青になった。昨晩、PCに画像取り込みを処理した際、SDカードを入れ忘れていたのだ。今回の旅の画像撮影は断念するしかないと観念した。ところが到着した塩釜港のすぐ傍にイオン・タウンがあり、2階にはジョウシン・アウトレットがあった。ジョウシンに駆けつけ4GB・SDカードを400円の驚き価格で入手した。スタート早々の悪夢が一瞬でクリアされた。
松島湾遊覧船に乗船し11時にマリンゲート塩釜を出港した。ようやく観光客が戻ってきはじめたとガイド役のオジサンの弾んだ声が島々を案内する。地蔵島、夫婦島、仁王島、鐘島などの景勝が現れては消える。貰ったコースマップを見て、松島湾の入口をそれらの島々が見事に封鎖し、自然の防波堤を築いていたことを知った。とはいえ五大堂や瑞巌寺や松島の町並みを津波被害から守った島々の一部は津波にさらわれた。日本三景の景勝地の島自身が身を削って町を守った。
松島港の桟橋に着いた。すぐ東側の五大堂の向いの蒲鉾屋さんの二階で昼食をとった。海鮮焼売メインの御弁当に鮪の陶板焼が付いていた。昼食後に歩いて数分の伊達政宗菩提寺・瑞巌寺に参拝した。国宝の本堂は修理中だったが、寺宝の多くを大書院で拝観した。参道東側の岩石を削って掘られた見事な洞窟群は圧巻だった。バス駐車場の手前に五大堂があった。朱塗りの橋を渡り湾に突き出た島に建つ政宗再興のお堂にお参りした。
次の観光スポット・平泉中尊寺には3時前に到着した。参道南側の車道を通り金色堂近くでバスを下車した。坂道を少し上がったところに映像で見慣れた鉄筋コンクリート造りの覆堂(さやどう)があった。覆堂内に少しばかり緊張しながら足を踏み入れと、金箔で覆われた重厚で荘厳な金色堂が目に飛び込んだ。阿弥陀如来像を中心に正面の三体の本尊と周囲に六体の仏像が配置されている。金色堂を出た所に、「五月雨の 降り残してや 光堂」の芭蕉の句碑が建っていた。その少し先には芭蕉の旅姿の銅像がある。ツアー仲間たちが銅像を見て「○○さんそっくりや」という声を耳にした。私のことだった。我ながら似ていなくもないと思える銅像の顔に見入ってしまった。仲間に言われるままにツーショット写真を撮ったりもした。本堂や弁慶堂を巡り下り坂の参道を辿ってバスに戻った。すぐ近くの平泉文化遺産センターにも立ち寄った。奥州藤原氏の四代の栄華をビジュアルに学んだ。源頼朝に屈して義経を討った四代泰衡の平泉を守るための苦渋の決断とする解説に心惹かれるものがあった。勝者の歴史だけではない地元の見方なのだろう。
仙台に戻り宿舎の仙台ロイヤルパークホテルに6時過ぎに到着した。閑静な住宅街の泉区に建つ高級ホテルだった。チェックインしてシャワーを浴びた後、夕食懇親会となる。宮城の秋鮭、南三陸の鮑や雲丹、仙台の牛舌、松島穴子などの地元食材をふんだんに使ったコース料理だった。四つの円卓に分かれて大いに歓談しながら味わった。2時間ばかりの歓談の後、二次会もなく9時過ぎには部屋に戻った。入浴を済ませて1万6千歩を刻んだ万歩計を確認して眠りに着いた。
最近のコメント