我が町の秋2012年10月01日

 昨日、一泊二日の東北の旅から帰った。今朝の早朝、いつものように我が町での散策に出かけた。住宅街を出たところで、見慣れた景色を覆った爽やかで心地良い青空を目にした。昨日の早朝は、仙台郊外の異郷の地でどんより曇った空を眺めた。初めての町の空が心地良いワクワク感をもたらしてくれた。それでも我が町の空は、それにもまして穏やかな安らぎを与えてくれる。
 有馬川沿いの田圃は、すっかり稲刈りを終えていた。季節の移ろいが遅れてやってくる東北の田圃は、稲穂の黄金色で覆われていた。
 二つの風景の違いを噛みしめた。旅のもたらす情緒を受けとめられる幸せを想った。

高齢者訪問でのできごと2012年10月02日

 今年も民生委員の高齢者訪問を始めた。三日ばかりで約40軒のお宅を訪ねた。今年で4回目の訪問となる。多くの人と顔馴染みとなり気心も知れてくる。その結果、世間話や打ち明け話なども交わされるようになり、訪問時間は従来よりも長くなる。それはそれでありがたいことであり、民生委員としての務めが深化していると受けとめている。
 反面、65歳を迎えて、新たに訪問するお宅も増えている。誰しも自分が高齢者になったと自覚することは嫌なものである。ましてや他人から「65歳を迎えられたのでお訊ねすることになりました」などと言われると、心穏やかでない筈だ。そんな気分もあってか先日、こんなことがあった。
 今回初めてお訊ねしたお宅である。玄関口で見るからに若々しい65歳の男性に来意を告げた。趣旨を述べてもいかにもそっけない顔つきである。「ところでなぜお宅は私が65歳になったことを知っているのか?どこから情報を得たのか?個人情報保護違反ではないか!」とおっしゃる。1ヶ月ほど前に民生委員の研修で、個人情報保護の過剰反応の対応についての考え方を学んだばかりだ。ここは毅然とした回答する必要があると思った。「民生委員は守秘義務を負った特別職の公務員です。民生委員としての役割を果たす上での必要な個人情報は他の公務員同様に市から提供されています」。くだんの男性はからは反論はなかった。ただ、お尋ねした自宅電話の番号通知は拒否された。
 民生委員を引受けて5年目になる。活動に当たっての自分なりのスタンスが見えつつある。

50年の空白を埋める旧友との再会2012年10月03日

 半月ほど前に高校時代の同級生有志と郷里・姫路でプチ同窓会があった。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/09/17/6575532 特に親しかった友人K君と隣席で懇談した。卒業以来50年近い空白の時が流れていた。酔いが進むにつれ席が乱れ話が途切れてしまった。50年の空白は余りにも大きい。数日後、K君に電話して、空白を埋めるべく二人だけの再会を約束した。
 昨日、労働委員会の業務を終えてJR姫路駅に向かった。駅前で待つK君の乗用車に合流し、3時半頃に彼のオフィスに到着した。K君の大学入学以降の半生を聞いた。紆余曲折の果てに現在は無借金経営の不動産業の優良会社を営んでいるという。10年ほど前に心筋梗塞を患い死の淵に立ったともいう。そんな体験もあってか「肉体的自由、時間的自由、経済的自由の三つの自由こそが人生の窮極の目標ではないか」と語る。今それを手にしているという自負が覗いている。共通の友人たちの消息を聞いたりして2時間半があっという間に過ぎた。
 6時半頃にはK君が手配してくれた日本料理店「姫路瓢亭 本店」に席を移した。ふぐ鍋コースを味わいながら、私の半生を皮切りに延長戦が続いた。生ビールや焼酎を傾けながら更に3時間ばかり語り合った。
 旧友との50年の空白を埋めるための貴重な6時間の懇親を終え、10時前の新快速に乗車した。最寄駅で家内の待つ乗用車で帰宅したのは日付が変わる直前だった。帰路の車中で、若き日の友人たちとの交わりや友情をテーマとしたNHKドラマ「清左衛門残日録」を思い浮かべていた。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/09/19/6578632

山口町徳風会編「やまぐちの里」の発刊2012年10月04日

 山口町徳風会編集の「やまぐちの里」が発刊されたという情報を得た。徳風会に問い合わせたところ、500円で分けてもらえるとのことだった。今日、徳風会のある山口町郷土資料館を訪ねて早速入手した。
 編集後記にはこの冊子の発刊の趣旨が概略次のように述べられている。2年前に徳風会は、「山口町史」を発刊したが、山口の民話や伝承は史実性の面から町史に馴染まないため割愛した。このため徳風会では、民話や伝承が消えてしまうことは忍びないとして「やまぐちの里」を発刊することになった。
 写真やイラストがふんだんに挿入されたA4版184頁の冊子である。全体は「暮らしと自然」「町制」「行事と習慣」「信仰」「民話と伝承」の5章で構成されている。
 「山口町史」は、本格的に山口の歴史を学ぶには格好の教材であり資料である。ただ専門性の濃い大部の書籍であり、一般の人が気楽に目を通すにはややハードルが高そうだ。その点、この冊子は文字も大きく、内容も極力平易に綴られている。多くの人が「山口」を知るための格好の冊子と思われる。

道場町の雲海2012年10月05日

 朝6時前にウォーキングに出かけた。10月初旬の早朝はすっかり深秋の気配を漂わせていた。下着にスポーツシャツといういでたちを通して肌寒さが沁み込んだ。
 有馬川には、鴨たちの姿がめっきり増えた。北から相次いで渡ってきたのだろう。土手堤の手前の岸のすぐ傍で久々にカワセミをみつけた。瞬間的に足を止め、持参のデジカメを構えようとした時、鋭い羽ばたきでカワセミが飛び去った。絶好のシャッターチャンスを失った。
 名来橋を右に折れて丹波街道合流地に向かった。三田方向に視線を移した時、息を呑むような景色が飛び込んだ。隣町の道場町をすっぽり覆った見事な雲海だった。昨日の日中の暖かさと今朝の冷え込みが道場町の真ん中を走る武庫川の湿気を変身させたにちがいない。撮りそこなったカワセミの姿が素晴らしい雲海の風景に置き換わった。

共著「新自由主義か新福祉国家か」(その2)2012年10月06日

 単行本「新自由主義か新福祉国家か」の4章で構成された第1章「政権交代と民主党政権の行方」の書評である。本章は、一橋大学大学院社会学研究科教授の渡辺治氏の執筆である。
 冒頭で2009年総選挙で大勝して成立した民主党政権を、「歴史的」と捉える二つの見方があることが紹介される。ひとつは、1955年の結党以来続いた自民党の利益誘導型政治(「官僚主導の政治」)の終焉と捉える見方である。今ひとつは、ここ10年ほどの自民党政権によって遂行された「構造改革の政治」の転換と捉える見方である。
 著者は民主党政権を誕生させた背景に、二つの異なる力と期待があったと指摘する。ひとつは民主党政権に構造改革の政治を終わらせ、福祉の政治の実現を求める力である。今ひとつは自民党の開発型政治に終止符を打ち、政治主導の政治を求めるものだ。注目すべきは、開発型、利益誘導型政治をやめろという要求は、必ずしも福祉の政治を求めるものではなく、むしろ構造改革の推進を求めるという形で相矛盾するものであるという点だ。政権交代に対するこの二つの矛盾する期待を生みだしているのは民主党自身の持つ二面性にあるという。その概略は以下の通りである。
 民主党にはさまざまな政策や思想を担う諸勢力、大きく三つの構成部分によって成り立っている。その第1は、頭部である執行部を構成する新自由主義、自由主義派である。鳩山、菅、岡田、前原、仙石などの人たちだという。第2のグループは小沢派勢力が志向する民主党型開発主義派である。この勢力は党の心臓を含めた胴体部分を構成し、執行部内にも勢力を伸張している。今後、党執行部の開発主義国家解体=新自由主義路線と小沢路線とが正面衝突することは必定であるという(この予言は、今年に入って小沢派離党という形で見事に的中した)。第3グループは中堅議員グループで、自公政権の構造改革の矛盾を一身に受けた社会層からの支持を得て、党の手足として福祉政治を志向して政策活動を担った勢力である。
 民主党政権成立以来、上記三グループの力関係に急速な変化が現れた。財源問題を契機に財界とアメリカの圧力を受けて、新自由主義派の「事業仕分け」という構造改革路線が一気に強化された。マニフェストで掲げられた福祉の政治は大きく後退し、「手足」は沈黙を余儀なくされた。これは、第1のグループが「新自由主義国家構想」を、第2のグループが「開発型国家構想」を志向しているのに対し、第3のグループは明確な国家構想を持っていないことが最大の弱点であると指摘する。

 あれほどの期待を担って登場した民主党政権が、短期間で国民世論の支持を急速に失った。鳩山、菅の2代に渡る首相の資質もさることながら、民主党という寄合い世帯政党の持つ構造的な矛盾と問題がその最大の要因であったことが的確に分析されていた。今の日本の政治状況が、国家構想等での与野党の明確な対立軸のない、それだけに総選挙で選択肢のない不毛の現実であるのも事実だろう。新自由主義がもたらした格差と貧困が悲惨な社会を招いている。これに対抗できる国家構想が明らかになっていないのも現実である。次章以降の著述に期待したい。

家内のいない一泊二日2012年10月07日

 昨日の昼前から、家内が実家のある岡山に出かけた。昨日の午後に中学時代の同窓会があり、今日の昼前から祖父の50回忌法要がある。そんなわけで家内のいない一泊二日が訪れた。結婚以来、我が家で一二度あったかどうかの珍事である。
 昨日は、家内が在宅している内に自宅を出て、地元小学校の運動会の来賓席で1時間ばかりを過ごし、コープこうべの入口で赤い羽根の共同募金活動に従事して昼過ぎに帰宅した。家内が出かけた後の食卓には、午前中にベーカリーショップで買い揃えてくれた昼食用のカスクードがあった。
 午後には、迫ってきた公民館講座のプレゼン用資料の作成に費やした。夕方、携帯にミュージカル劇団代表からのコール音が鳴った。行きつけの「焼き鳥・鳥進」へのお誘いだった。一人だけの夕食を覚悟していたので、絶好のタイミングの呼び出しとなった。
 3時間ばかり呑んで喋って帰宅した。焼き鳥のアテの他は何も食べていない。夕食準備にかかった。ここでも家内の心遣いが効いている。ご飯は炊飯器のスイッチを押すだけで炊き上がった。おかずは私の好きなニラとミンチの炒めものがフライパンに出来上っている。後はこれを炒めながら卵でとじるだけで良い。風呂掃除の煩わしさを避けてシャワーで済ませ、ひとりだけの就寝に着いた。
 今朝、ひとりであり合わせの朝食を済ませた。早朝散策の後は、録画しておいたテレビ放映の映画「最高の人生の見つけ方」を観た。いい映画だった。昼食は、手っ取り早く昨晩のニラミンチの玉子炒めの続編で済ませた。その後は、公民館講座の資料作成を続行したり、読みかけの文庫本を読んだりして過ごした。
 夕方、家内が帰宅した。岡山名物の海老めしや、サービスエリアで買ったという丹波のバラ寿司が夕食となった。家内のいない一泊二日が終わった。彼女の気遣いで突然の独身生活も大過なく過ぎた。つくづく思った。やっぱり家内には一日でも遅く逝ってほしい。

オープン翌日の「有馬川 仁木家」のランチ2012年10月08日

 昨日、「三田の山里料理 仁木家」の山口町2号店「有馬川 仁木家」が開店した。今度は中国料理の店で「Cafeダイニング」と「スイーツ工房」を併設している。立地は、国道176号と有馬川沿いの県道が交差する場所だ。店舗北側の山口郵便局との間には樹齢250年の「山口の大ケヤキ」が聳えている。
 今朝、家内に声をかけて早速ランチをしてみようということになった。開店直後の祝日である。満席が予想されたが、朝8時過ぎの電話が繋がり無事予約できた。お昼のランチは11時と13時の二部制である。11時のお気軽コース2,300円を予約したが、ランチにはこの他、3、300円と5,500円のコースがある。
 テーブル席に案内され、新米スタッフのメモを読むような口上があり、注文を確認される。「新鮮野菜たっぷりのヘルシーな中国料理がモットー」とのことだ。最初に、大きな鉢に入った野菜サラダと7品のオードブルが運ばれた。仁木家のウリである新鮮野菜はヤッパリ美味しい。その後、ピリ辛ソースの海老チリ、ぱりぱりした歯応えの香ばしい酢豚、せいろ蒸しのジューシーな焼売と小籠包、チャーハンと続いて、デザート&ドリンクで締めとなる。デザートの杏仁豆腐は、プリンのように柔らかでとろける美味しさだった。オープン記念に「がぶっしゅ」という特製焼シュークリームを貰って店を出た。
 自宅からでも歩いて行ける距離である。子どもたちが帰省した際に案内できる格好のお店がまたひとつ誕生した。

映画評「最高の人生の見つけ方」2012年10月09日

 二日前に、テレビ放映された映画「最高の人生の見つけ方」の録画を観た。いい映画だった。もちろん何をもっていい映画と思うかは、人それぞれである。観る人の心にどう響くかによって感動は異なる。普遍的な感動があることを否定しないが、観る人の年齢や境遇や経歴や環境が、その作品のもたらす感動の深さに大いに影響を与えることもまた現実である。
 この作品は、人生の終末の過ごし方をテーマとしている。医者から余命半年を宣告された高齢の男二人が主人公である。全く赤の他人だった二人が偶然同じ病室で同じように余命宣告を受ける。自動車整備工として家族のために46年間ひたすら働き続けた黒人のカーターと、会社を大きくし金を生みだすことを追い求めた大金持ちの白人実業家のエドワードの二人である。
 カーターは大昔の恩師の勧めを思い出し、「棺おけリスト」を書いてみる。棺おけに入る前に、やりたいこと、見たいもの、体験したいことの全てを書きだしたリストだ。二人は棺おけリストをヒントに自分たちに残された時間の大切さを思い、二人で自分たちがやりたかったことを全て叶えることを決意する。二人は分別も医師の指示もかなぐり捨てて冒険の旅に出る。アフリカやインドやエベレストを巡り、スカイダイビングやサファリドライブや最高級レストランの食事を体験する。旅の途中でお互いに触れられたくない部分にお互いの友情から触れてしまう。激高し喧嘩別れで二人の旅はあっけなく幕を引く。それぞれの日常に戻った二人をカーターの最後の発病が引き寄せる。カーターの病床で二人は喧嘩別れした原因である家族について語り合う。そしてそのかけがえのない家族と向き合うことを気づかせる。
 エドワードをジャック・ニコルソンが、カーターをモーガン・フリーマンが演じている。 ともに75歳のアメリカの実力派俳優である。作品の圧倒的な場面は二人の掛け合いが占める。語り合い、助け合い、怒鳴り合い、笑い合い、理解し合って永遠の別れを迎える。こうしたシーンを安定したベテランの演技で見事に演じきっている。経歴も今の環境も真逆の白人と黒人が人生の終末に出会い、無二の親友として絆を深めその幕を引く。この二人の俳優抜きには考えられなかった作品だろう。
 感動をもたらし、考えさせられた作品だった。それは私が人生の終末を意識せざるをえない年代を迎えているという要因が多分にある。リタイヤ後の人生で多くの国内外の旅をした。公民館講座の講師など自分好みの活動にも多くの時間を費やした。人生のエンディングテーマをどのように奏でるかを迫られているのも現実だ。この作品への共感の多くはそうした自分の境遇と無縁でない。

「焼き肉・小倉優子」が消えた2012年10月10日

 早朝、いつものように有馬川の土手道を歩いていた。名来神社を過ぎた辺りの対岸の国道の景色がどこかいつもと違う。じっくり眺めてやっと分かった。「焼肉・小倉優子」の看板が変わっていた。
 それまでめまぐるしく入れ替わっていた店が、ユーコリンの店として4年前にオープンした。この店も長くはあるまいと冷やかに眺めたものだ。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/06/23/3592336
 ところが、以来4年以上も看板を掲げ続け、予想外に健闘した。この店舗としては最長不倒距離の営業を達成した。その店がついに身売りしたのだ。架けかえられた看板には「肉肉肉肉亭」のどぎつい文字が踊っている。身売り先は同じ業界の焼き肉チェーンのようだ。看板には「焼き肉ホルモン2,999円で食べ放題」の文字もあり、店舗コンセプトも同じようだ。
 身売りのいきさつは知らない。個人的には「やっと変わったか」という感が強い。タレントの知名度をウリにした飲食店の隆盛には違和感がある。本業でしっかり頑張っている店こそ生き残ってほしい。そんな気分であらためて看板の変わった店を見つめた。