映画評「スライム・ドッグ・ミリオネア」2009年04月22日

 第4水曜日、病院の検査・診察と映画の日である。大阪市大病院の主治医が今月から変わった。手術の執刀医だった主治医の先生が春の移動で転勤となった。後任は若い女医さんだ。過去何回か前任者のアシスタントとして一緒に診察をしてもらっていた。今日からいよいよ独り立ちの診察だった。既に交代後20日ほど経過しているためか診察に迷いはない。ひと安心である。
 受診後、徒歩15分の娘娘で昼食を済ませ、なんばパークスシネマに向う。事前のオンライン予約は、話題の作品「スライムドッグ$ミリオネア」である。入場開始と同時にシアターに入る。前回の悲惨な事態を思い浮かべながら、ビールの持込を断念し、直前にトイレで用を足しておく。さすがに話題作だ。館内はほぼ満席。
 今年度アカデミー賞最多部門受賞作という実績への期待感が大きすぎたのかもしれない。エネルギッシュで混沌とした新興経済大国・インドという舞台への興味が大きすぎたのかもしれない。アメリカをしのぐ製作本数を誇る有数の映画産業大国の作品のレベルへの過信があったかもしれない。館内照明が明るくなり始めたシートでそうした期待の多くが裏切られたという想いが募った。
 イギリス人監督は何を訴えたかったのだろう。過酷な境遇で育った若者のサクセスストーリーなのか。それにしては一攫千金のクイズ番組という手段は余りにもイージーすぎるし、何故彼がパーフェクトに回答できたかの説得力にも欠けている。ジャマールとラティカの純愛物語も、ラティカの美しさは別にしても平坦に過ぎる。
 ムンバイのスラムの描写は見事だった。スラムに生きるカースト社会の最下層の人々のエネルギッシュな逞しさは感動ものだった。主人公の兄弟が孤児となった背景としてヒンズー教徒がイスラム教徒を襲うシーンが登場する。昨年11月のムンバイ同時テロ事件の背景でもあるカースト社会の矛盾があまりにも安易に扱われていないか。
 世界第二の11億人の人口を持つインドの生々しい現実を伝えた功績は大きい。躍進著しいBRICsの中でもひと際ダイナミックに成長を続けているかに見える新興国インドである。その明るさに内在する影は限りなく深い。あたかも一攫千金の夢がその影をあがなうが如き描き方に割り切れなさを感じてしまったというのが率直な感想である。