なぜ今、裁判員制度なのか2009年04月23日

 市庁舎隣接のホールで市の民生委員・児童委員会総会があった。セレモニーと講演というどちらかと言えば勘弁してもらいたい会合だが、そこは会員のそんな気分を見透かしたかのような地区ごとの出席率という縛りもある。加えて市の中心の南部と在住する北部を結ぶ南北バスも開通した。バスの初乗りの楽しみもあり出席することにした。
 真新しい白の車体に黄緑とピンクのアクセントラインがあしらわれたお洒落な「さくらやまなみバス」がバス停に到着した。一緒になった同僚委員と乗り込むと、車内には既に二人の委員が乗車していた。乗客稼ぎのジグザグ路線のあちこちのバス停から次々と委員仲間が乗車する。有馬温泉、船坂、盤滝トンネル、阪急夙川、JRさくら夙川を経由して市役所前に着いた。六甲の山越えコースの風光明媚な車窓を眺めながらの1時間余りのバスのプチツアーだった。
 1時間ほどの総会が型通りの議案を承認して終了し、記念講演に移る。「裁判員制度について」と題した神戸地裁裁判官による講演だった。後半の制度概要の説明はイマイチだったが、前半の「なぜ今、裁判員制度なのか」の話しは、聞き応えのある内容だった。
 『日本の刑事裁判は伝統的に精密手法が採用され、起訴された事件の99%が有罪という特徴があった。その結果、警察による調書が決め手となる調書主義裁判の傾向が強く、公判主義裁判という点からは弊害があった。これは先進国の中でも極めて特異な事例だ。明治維新以後の急速な近代法制導入の結果でもあったが、国民にとってはお上任せの疎遠な司法という点は否めなかった。素人にもわかる国民参加の裁判が求められた背景である。
 国民参加の裁判としては英米の陪審員裁判とヨーロッパの参審裁判がある。裁判官は判決には加わらず陪審員が判決を下す陪審員制度には、国民の国家への不信感が基礎にある。これに対し参審制度は、国家への信頼を基礎に裁判官と参審員が一緒に判決を下す。その意味で今回の日本の裁判員制度は参審制度のひとつである。
 裁判員制度の根本は裁判官と裁判員の協働作業と言う点にある。それぞれがお互いに知らない事実をカバーし合うことで真実に近づけるという考え方が根底にある。裁判官3名と裁判員6名の9名の過半数をもって評決が下される。但し、過半数の中に裁判官、裁判員のそれぞれ1名以上が含まれなければならない。つまり法律の専門家だけで評決は下せないし、素人だけでも下せない。相互にそれぞれの誰かを納得させられるだけの努力を抜きには評決が下せないことに制度の本質がある』。
 納得。