地域文化祭のカラオケ大会の大盛況2009年11月01日

 昨日から四日間、地元自治会主催の文化祭が始まっている。自治会館とコミュニティーセンターの向かい合った二つの会場で展示とサークル活動発表会が行われている。
 今日昼過ぎに顔を出した。自治会館の展示は、地域の諸団体の活動報告とサークルの作品発表が中心となる。私が属する社会福祉協議会広報部会の活動報告もメンバーの顔写真入りで紹介されている。何といっても興味を引くのは福寿会(老人会)サークルの作品発表だ。書道、編み物、手芸などの作品が展示パネルや長机に所狭しと展示されている。熟練を積んだ技術の成果がそれぞれの作品に籠められている。編み物コーナーの前で顔見知りのおばあさんたちが相互に品評し合っている風景が微笑ましい。声を掛けて談笑できるのも2年近くなる民生委員経験の成せるところか。
 向いのコミュニテーセンターでは文化祭最大の呼び物であるカラオケ大会が盛り上がっている。100人ほどのパイプ椅子に座りきれない観客が詰めかけている。正面には歌詞モニターのカラオケセットが、左右には大型スピーカーと会場向けの大型液晶モニターがそれぞれセットされている。折りしも70歳を越えているかに見える年配の女性が熱唱中だった。黒のレースのドレスに真珠のネックレスが光っている。この日のために準備を整え満を持しての登場である。お年寄りたちにとってカラオケは絶大な人気を誇っている。会場の観客も出演者も圧倒的にお年寄りである。朝10時から夕方4時半まで昼食休憩1時間を挟んで56名の歌自慢たちがマイクを握る。前半36名はカラオケ同好会会員で後半20名は特別出演者という自他共に認める歌自慢のようだ。いつかお仲間に入る時に備えて、持ち歌なんぞも心得なければならないのだろうか。

行政諮問委員会と周辺探訪2009年11月02日

 欲張りな一日だった。朝10時から12時まで市の第3回地域福祉計画策定委員会に出かけた。西宮北部と南部を繋ぐ直通バスが足となる。便利だが本数が少ない。市役所前バス停に8時50分頃に着くバスしかな。これに乗車してひとつ手前の西宮戎で下車した。この際、まだお参りしたことのない西宮戎神社に参拝しようと思った。
 国道2号線から意外と遠い神社東側の大通りを歩く。最初に目にするのは室町初期と推定される大練塀だ。一見して頑丈そうな土塀が広大な境内を囲んでいる。すぐ南に豊臣秀頼寄進と伝わる表大門(赤門)がある。毎年1月10日の十日戎で福男選びの開門神事の出発点の門である。大練塀、表大門はともに国の重要文化財のようだ。大門をくぐると樹木に覆われた荘厳な別世界が待ち受けている。参道に沿って西に行くと左に南門の威容が見える。右に折れた正面参道の左側にはリンゴ飴やベビーカステラなどの昔ながらの露店が常設されている。正面には社務所の大きな建物がある。手水舎の先に由緒書があった。「ゑびす様の総本社。平安末期には既に皇族たちの参拝があった。中世以降、傀儡子たちがゑびす信仰を全国に広めた。戦災で焼失した本殿は元国宝建築物で昭和36年に復元された」といった内容が目についた。その本殿は青銅葺きの屋根と朱塗りの柱をもつ風格のある建物だった。本殿正面から拝殿に向って参拝を済ませた。
 会議場所のある市役所東館の北隣に臨済宗の名刹・海清寺があった。境内に入ると閑静な中にコンクリート造りながら禅宗寺院らしい構えの本堂と庫裏の佇まいがあった。一旦境内を出て市役所東館から眺めた風景が見事だった。寺院正面には江戸期建立の朱塗りの柱と白壁の美しい山門があった。山門前には室町時代の1394年の開山の時に植えられたと伝わる樹齢600年を越える大クスノキが見事な枝ぶりを広げていた。
 2時間余りの会議を終えた。会議自体は行政の諮問委員会の実態を垣間見た面白い時間だったが詳細は控えた方が良さそうだ。会議後、再び西宮神社の方向に向った。帰路のバス発車までたっぷり時間ある。この時間を昼食と先日の船坂ビエンナーレで鑑賞した人形芝居の常設館見学に当てようと思った。阪神電車西宮駅の南、西宮神社の東に西宮中央商店街(通称・戎参道)が広がっている。戎座人形芝居館はその南西の隅にあった。中央商店街が二階建て民家を改装して開設したものだ。入口家付には女性二人とビエンナーレ公演で司会役だった館長の姿があった。見学をお願いするとすぐに館内にあげてもらい館長から懇切な説明を受けた。西宮戎と傀儡師とは深い縁がある。人形館は傀儡子の伝統芸能を受け継ぐものだ。郷土史研究に傾斜しつつある私の興味をかきたてられた見学だった。
 1時過ぎのやまなみバスに乗車して帰路についた。思いのほか充実した半日だった。

山口町の文化祭2009年11月03日

 地域行事が重なる時期である。中学や小学校の運動会が済んだかと思えば、地域の文化祭がやってくる。二日前の日曜日には在住住宅街の自治会主催の文化祭を見学した。今日は山口町の文化祭見学に出かけた。新築の山口地区センターが会場である。こちらも作品展示が4階公民館フロアで、舞台発表が1階ホールで行われている。
 10時過ぎに会場に着いた。4階展示会場は三つの会議室と通路壁面に手芸、生け花、写真、クラフト、絵手紙、書画などがゆったりしたスペースに巧みに展示されている。230人収容のホールでは、コーラス、ヨーガ、フォークダンス、健康体操、ジャズダンス、民謡、日舞、筝曲、謡曲、民踊と続き、ラストを例によってカラオケで締めくくるというプログラムだ。ヨーガの出演者の中に民生委員仲間の年配の女性の姿があった。その真剣な表情で演じる姿に老後生活に占めるサークル活動のウェイトの大きさを想った。フォークダンスでは中年以上の主婦たちがアルプスの少女・ハイジ風の衣装をまとって踊る姿に思わず微笑んでしまった。
 作品展示にしろ舞台発表にしろ、当事者たちにとっては年に一度の晴れ舞台である。その舞台が晴れやかで立派であれば尚励みも大きい。地区センターというハコモノがそうした地区住民の励みを準備しているという一面は否定できない。

映画評「沈まぬ太陽」2009年11月04日

 3時から労働委員会の調査がある。観たかった映画「沈まぬ太陽」の絶好の鑑賞の機会だ。TOHOシネマズ梅田で10時20分から13時55分までの絶好の時間帯で上映していた。ネットで会員登録とチケット予約を済ませ10時過ぎに劇場に着いた。
 500人近い収容のシアター2には最前列付近を除きほぼ満席。封切り12日目にしてこの盛況ぶりである。期待に違わぬ作品だった。映画の良否は観終えた後の余韻の違いに端的に現われると思う。心の奥に深くて重い余韻が残された。
 8年前に発刊された原作の文庫版5巻は読んでいた。細かなストーリーは忘却の彼方にあるが、重厚で感動的だった読後感は記憶に残されている。映像化されたこの作品は、原作の素晴らしさとは異なる感動をもたらしている。
 冒頭シーンである。アフリカのサバンナでひとりの男が巨象の額に猟銃の狙いを定めていた。同時並行してジャンボジェットが緊急事態を管制塔に告げていた。猟銃から弾丸が発射され巨象の巨体が大地に叩きつけられた時、ジャンボジェットの巨体が山の斜面に激突した。見事な映像表現である。弾丸を放った男(主人公・恩地)は10年に及ぶ過酷な海外流刑の日々の悶々とした鬱屈した気分を巨象に向けたのだ。それは巨大企業・国民航空の腐敗の構造が、安全を軽視したフライトを生み出し、ジャンボジェットの御巣鷹山墜落を招いたこととオーバーラップして見える。
 この冒頭シーンの意味合いは、アフリカのサバンナの生き生きした野性の動物たちの生態と沈みゆく真っ赤な太陽を映したラストシーンで印象的に語られる。広大なサバンナの大地の果てに沈みゆく夕陽を見つめながら恩地は想う。懸命に筋を通して生きてきた自身の生き方すらもこの悠久の大自然の下では矮小化されてしまうことを。御巣鷹山で散った520名の犠牲者の遺族たちの悲しみの前では取るに足らないことを。大自然に包まれた肩肘張らない人間らしい生き方こそが「沈まぬ太陽」なのではないか・・・と。
 折りしも日航の実質的な破綻が白日の下に晒されその話題がマスコミを賑わしている。この作品では政府はジャンボ機墜落を機に国民航空の抜本的な経営再建をはかるべく新会長として国見を抜擢する。ところが国民航空に張り巡らされた利権の構造は余りにも深く、その志は政府自らの閣議決定という形で頓挫させられる。それは抜本的な経営改革を先送りしてきた日航の今日の実質的な終焉を予言していたかのようだ。原作者・山崎豊子は、スケールの大きい骨太な社会派作家である。緻密な取材に裏付けられたリアリティーと壮大な構想力、豊かな物語性はずば抜けている。その山崎豊子の映画化不可能と言われていた大作の映画化に、真っ向から挑んで物にした若松節朗もたいしたものだ。主役・渡辺謙の演技もいよいよ油に乗ってきた。

五木寛之「燃える秋」「狼たちの伝説」2009年11月05日

 五木寛之の小説を2冊続けて読んだ。一冊は書棚の中に埋もれていた作品「燃える秋」だった。20年近く前に発行の余り記憶にない作品だ。五木作品では珍しい女性が主人公の恋愛小説だった。ところが単なる恋愛小説ではない。作者は「あとがき」でこの作品のテーマを端的に記している。『私たちの国では、古くから男は義に生きるものとされてきた。そして、女は愛に生きることを良しとされる雰囲気が濃厚だった。(中略) 時勢に背を向けて、愛に生きる男がいても一向におかしくないように、義に生きる女がいて悪い理由がない』。作者は「義に生きる女」という意表をついたテーマを読者に投げかけている。性的本能と愛との葛藤を取りあげながら、最終的にはイランの地に留まって遊牧民たちとともにペルシャ絨毯を織りながら生活するという「義の世界」を選択する女性の物語である。心から愛した恋人に別れを告げる手紙が物語の最後を飾る。手紙は彼女のそうした選択に至る心情を美しく説得力ある言葉で綴られている。愛の形のこんな物語もありうるのかと考えさせられた作品だった。
 もう一冊は、つい先日に購入した「狼たちの伝説」である。日本が戦後の復興から高度経済成長に至る時代に生きた男たちを主人公にした四篇の小説を文庫本に収めたものである。一流ホテルの取締役の肩書を持つ料理長、レコード会社のディレクター、ラジオ局のミキサー、テレビ局のディレクターがそれぞれの主人公だ。1968年から1986年の約20年間に著述された作品群である。会社組織に属して特定分野の職人気質のエキスパートたちが、システム化されていく組織の中で居場所を失っていくという時代背景が、いずれの作品にも共通するバックボーンである。そんな彼らの迎える人生最後の正念場のひと仕事が見事に切なく物語られる。
 五木寛之という作家は自身の原体験を通して自分自身を語り続けている。いや自分自身を語りながら時代を鮮やかに語っている。自分自身を語る作家といえば私の級友でもある私小説作家・車谷長吉を思い浮かべてしまう。彼はどこまでも自分と自分を取り巻く狭い「私の世界」にこだわり続けているかに見える。個人的嗜好からいえば自分を通して時代を語る五木寛之への共感が深い。
 一流ホテルの料理長・河本が仕事に行き詰って、今は場末でしがない「びふてきや」をやっている昔の調理人仲間の木村を訪ねる。木村の原点は半島からの引き揚げ直後に闇市で食べたビフテキの味である。木村はその時のビフテキのうまさが素材でも愛情でも料理人の腕でもないことを知っている。「あのときおれが食ったステーキは、時代が焼いたステーキなんだ」。満州からの引揚げ者でもある五木の自分を通して時代を語る真骨頂に触れた。

朝霧の散歩道2009年11月06日

 日一日と冷え込みが増す早朝の散歩道である。寒暖の差が大きくなる季節でもある。この時期の早朝の散歩道の風景は、新たな装いをまとって眼前に広がる。朝霧がつくりだす幻想的な風景は、冷え込みのきつさを上回る癒しをもたらしてくれる。
 隣町の田園地帯にやってきたのは6時50分頃だった。刈入れを終えた後の田圃のど真中を貫いている農道を歩いていた。数メートル先をうっすらと白い空間がゆっくり流れていた。その先に続くはずの田園と三田の山並みは、空と一体になった幕ですっぽり覆われていた。日の出前の透明な空気を覆う霧の中でぼんやりと民家が佇んでいた。
 散歩コースを折り返して有馬川を土手沿いに上る頃、正面の山の頂きが朱に染まり始めた。顔を覗かせた小さな半円が見る見るうちに外輪をまとったまぶしい正円となって頂きを越えた。霧に包まれた風景が日の出とともにそのうすぼんやりした白い幕を一気に掃いていった。腕時計の時刻は7時を指している。僅か10分でこれほどに変化する風景の只中にいるこの瞬間が、このうえもなく貴重なもおんい思えた。

公民館講座「山口町の里山自然学習」2009年11月07日

 山口町の公民館講座「里山の自然学習」に参加した。丸山山頂の稲荷神社奥社に向う東側参道を登りながら、途上の草木の名前を学ぶという野外講座だった。
 午後1時に丸山山麓の稲荷神社本社に総勢29名が集合した。参加者の多くがリタイヤ後の60台以降の年配の男女である。公民館活動推進員による講座ガイドの後、講師紹介がある。「ひょうご森のインストラクター」の大塚さんという私と同年輩とおぼしき方だ。
 境内を出て早速、アカマツを教えられる。推進員の一人が名前を記録しもう一人がその名前をガムテープにマジックで記載し幹に貼りつける。続いてアカマツに絡むようにヤマハゼが立っている。講師がそれぞれの木の特徴や用途などの解説を付け加える。参加者の中からは気になる樹を見つけては質問の声があがる。講師もそのつど丁寧に説明し、曖昧な場合は持参の検索図鑑で調べた上で回答するという懇切さだった。草木の知識は全くの素人である。コナラ、クロモジ、ヒイラギ、ガンピ、シキミ、ヤマザクラ、ヤマモモ、サカキ、ケヤキといった知った名前の樹の現物をあらためて確認する。コシカブラ、ソヨブ、マルバアオダモ、テイカカズラ、ムラサキシキブ等々、初めて知った草木の方が圧倒的に多い。ムラサキシキブの鮮やかな紫の実は感動的ですらある。途中で講師から「ここはガンピが多いところですネ」という感想が漏れた。言わずと知れた紙漉きの原料である。江戸時代には山口でも紙漉きが盛んだった。その背景のひとつをはからずも知ることになった。
 山頂近くでは金仙寺湖畔の桜並木の見事な紅葉に目を見張った。通常なら20分もあれば登頂できるコースである。山頂の稲荷神社奥社の境内に着いたのは3時ちょうどと約2時間を費やしたことになる。それだけ参加者の質問が多く、興味が深かったともいえる。60本ほどの草木の名前を確認しテープを記した。推進員の方がリュックに背負って持参してもらったお茶のペットボトルがことのほか美味しかった。公民館活動推進員という地域ボランティアの活動に初めて間近に触れた。3時半に一旦解散し別ルートで下山した。晩秋とはいえ汗が滲むほどの小春日和の楽しい半日を過ごした。

復刻版日記⑦年賀状「父と娘の出勤風景」2009年11月08日

(1998年12月20日の日記より)
 12月の声を聞くと妙に落ち着かなくなる。年賀状シーズンなのだ。20数年前から得意の(?)ヒトコマ漫画で近況を年賀状に託して知人・友人に報告してきた。以来、妻は自分の年賀状の裏面も全面的に私の作品に委ねてしまった。ところがこのヒトコマのアイディアが中々浮かばない。なにしろ漫画なのだ。ユーモアの味付けが必要だ。しかもヒトコマで近況を表現せねばならない。自分だけの近況では妻の年賀状には通用しない。登場人物は家族全員であることが望ましい。そんなこんなの年賀状シーズンの悶々とした日々が続いてようやく完成。

【解説編】近所の妻の友人一家に驚くほど父親思いの娘がいる。そして我が家には驚くほど父親思いでない娘がいる。父は大阪勤務の娘とたまに出勤が一緒になる日がある。かねてから近所の娘の父親思いぶりを見聞きしている妻は思わず口にする。「エリッ、お父さんと一緒に行きッ!」。娘は答える。「イヤヤ~ッ」。父は憮然として先を行く娘の後ろ姿を追うばかりである。

久々に黒山羊ハッチャン登場2009年11月09日

 6時過ぎ出発の、いつもより早目の早朝ウォーキングだった。有馬川沿いの桜並木はすっかり紅葉している。行く手を夜明け前の濃霧が覆っている。隣町の田園風景の霧に包まれた風景の中を折り返した。朝マックで読みかけの文庫本を手にコーヒーブレイクのひと時を過ごす。
 住宅街ふもとの石材屋さん前にやってきた。いつもの癖でついここで飼われている黒山羊ハッチャンの姿を求めてしまう。小屋の傍にいたハッチャンが突然猛然と走り出した。ゴミ回収車の来る時間ではない。回収車の若者が餌を投げ込む場所と反対方向へのダッシュしたのだ。
 ハッチャンが金網手前に放置された材木に前足をかけ激しく頭を振っている。金網越しに老夫婦がハッチャンに何やら話しかけていた。見かけないお二人だったが、ハッチャンの親しげな振舞いが長い付き合いを物語っていた。奥さんの持つビニール袋には何種類かの緑の葉っぱが入っていた。ハッチャンのために手当てされたものに違いない。ご主人がそれを取り出して網の目からハッチャンの口元に運んでいる。
 お年寄り夫婦にとって貴重な日課のひと時なのだろう。子供たちはとっくに巣立っていき老夫婦だけの日々となって久しい。早朝の二人の散歩の途中、金網近くで草を食んでいるハッチャンと出合った。ためしに傍の草を与えてみる。人なつこいハッチャンは喜んで食べてくれる。嬉しくなったお二人は、他所の場所でもハッチャンご用の草をさがしだした。ひょっとしたら辞典で山羊の好物を調べて手当てしたのかもしれない。そんな想像をしながらブログしている私もまた癒されていた。

「風土記」探訪の新たなステップ2009年11月10日

 昨日、HP「にしのみや山口風土記」関連で地元山口町の三人の方と交流の機会を得た。
 おひとりは、ロータリークラブ主催の写真展示「山口の昔の写真」を収めたCDをお借りした方だ。地元信金支店で展示中の写真を見て、貸し出しをお願いしたところ、先週わざわざ私の自宅まで持参していただいた。「風土記」を既に見て頂いていたことが好意的な対応につながったようだ。早速PCハードディスクにコピーさせていただいた。
 もうひとりの方は、40年ほど前に地元自治会連合会の役員をされ、当時の山口の姿を収めたビデオ「わがまち山口」の作製に尽力された方だ。民生委員の同僚のお父さんでもある。こちらも地元信金支店で放映中のそのビデオを観て、昨日貸し出しをお願いするため経営されている会社事務所を訪ねた。快く貸し出しの了解を頂き、こちらは「カメラのキタムラ」でDVD化を発注した。
 三人目の方は、地元の郷土史研究の長老である。個人的にもこれまで「風土記」執筆で確認しておきたいことがあった時、電話でお聞きしたり、立ち話をしたこともある方だ。かねがね一度きちんとお会いしてお話を伺いたいと思っていた。昨日電話でその旨お願いすると、「私の方も話をしたいと思っていたところだ」とのありがたい言葉だった。「風土記」の話題が耳に入っている様子だった。地域フォーラムでのプレゼン以降、風土記が山口でそれなりに知られてきた実感がある。二日後に地区センターでお会いする約束をした。
 「風土記」執筆の文献等での通常の情報収集はほぼやりつくした感がある。これ以上は個人的に所蔵されている資料等の把握が不可欠だ。また「風土記」のネット上での広がりに応じて、郷土史研究をはじめとした方々の好意的な受け止方が大切になってきた。そのためにも山口在来の年配の方々との良好な関係づくりに心掛けたいと思う。昨日の三人の方々との交流はその意味で貴重な第一歩になった。