見守り声掛けと共生社会 ― 2018年03月18日
認知症サポートべんり帳地域版作成委員会の場で、先日の東山台での声掛け訓練の話題を提供した。5人の委員はそれぞれに認知症について関心の深い面々である。私から訓練の際の認知症役のスタッフへの声掛けの難しさを述べると、これを皮切りに様々な意見が交わされた。
「認知症の方への声掛けと思うから難しいのではないか。例えば公園で寛いでおられるお年寄りに挨拶したり話しかけたりすることをみんなで心がけるということから始めてはどうか」「声掛け訓練の目的は認知症の方だけを対象にしているのでなく、街角で困った様子の方に気軽に声をかけられることではないか」「要は”向こう三軒両隣”の意識を新興住宅地にも取り戻すことではないか」
確かにその通りだと思った。街角で認知症の方だけに声掛けできるわけではない。お年寄りや障がい者や子どもたちの困った様子や通常でない様子を気に留めて声掛けするのだろう。その声掛けのやりとりを通して中に認知症の方がいるかもしれない。地域コミュニティとはそうした風土がその町に根付いていることを意味している。
超高齢社会を迎え認知症発症者だけでなく様々なハンディを抱えた方たちがあるがままに暮らせる町づくりが必要だ。誰もがごく自然に声を掛け合える町づくりこそが「共生の町」の基盤なのだろう。
「認知症の方への声掛けと思うから難しいのではないか。例えば公園で寛いでおられるお年寄りに挨拶したり話しかけたりすることをみんなで心がけるということから始めてはどうか」「声掛け訓練の目的は認知症の方だけを対象にしているのでなく、街角で困った様子の方に気軽に声をかけられることではないか」「要は”向こう三軒両隣”の意識を新興住宅地にも取り戻すことではないか」
確かにその通りだと思った。街角で認知症の方だけに声掛けできるわけではない。お年寄りや障がい者や子どもたちの困った様子や通常でない様子を気に留めて声掛けするのだろう。その声掛けのやりとりを通して中に認知症の方がいるかもしれない。地域コミュニティとはそうした風土がその町に根付いていることを意味している。
超高齢社会を迎え認知症発症者だけでなく様々なハンディを抱えた方たちがあるがままに暮らせる町づくりが必要だ。誰もがごく自然に声を掛け合える町づくりこそが「共生の町」の基盤なのだろう。
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