1年ぶりにジョンを見かけた2015年02月01日

 日曜日の朝、いつもより遅い早朝散策だった。前夜の降雪が舗道を白く染めていた。雪景色を納めるべくデジカメを持参した。有馬川を北に向かい隣町・道場平田を折り返した。
 いつもなら結構混み合っている筈の日曜朝のマクドナルドは、今も異物混入問題の余波を引きずっているようだ。まばらな客席でたっぷり読書を楽しんで帰路に着いた。貸農園沿いの舗道から住宅街に入る坂道を上っていた時だ。
 下の舗道を三匹もの中型犬を引き連れた愛犬家が三方にリードを広げながら散歩している姿が目に入った。見覚えのある三匹だった。その内の一匹は、ちょうど三年前に野良犬としてこの周辺の散歩道を徘徊していた。勝手に「野良犬ジョン」と呼んでその模様をこのブログで更新した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/02/16/ その後ジョンは住宅街で二匹の犬を飼っていた愛犬家宅に引き取られ、時おり三匹一緒に散歩する姿を見かけたものだ。
 そのジョンとの1年ぶりの再会だった。尻尾を丸めてたてる独特の姿と精悍な顔つきは紛れもなくジョンのものだ。美しく整えられた毛並と幾分ふっくらした体形が現在のジョンの幸せを物語っていた。久々に再会した一行の姿をデジカメに納めた。

地域包括ケアシステムと福祉ネット(その1)2015年02月02日

 3月8日に福祉ネットワーク地区会議の設立総会を開催する。小学校区住民の大多数8200人、3200世帯を対象とした地域の高齢者ケアのための団体・役職の連携組織である。個人的な想いとしては7年越しの問題意識の到達点という感がある。経過を振り返りながらこの新たな組織の今後について整理しておきたい。
 7年前に民生委員に就任し、社協分区の役員も兼務することになった。当時、傘寿を越えた高齢の社協・前分区長は、折に触れ2千世帯ほどの我が町の高齢化対応を喚起されていた。同感だった。以来、高齢化問題は絶えず意識せざるをえないテーマとなった。
 高齢化対応という長期の大きな課題は、住宅街全体をカバーする自治会でしか取り組めない。ところが役員全員が1年ごとに入れ替わるのが慣行の新興住宅街の自治会とあっては、毎年の定例行事をこなすのが精いっぱいで、高齢化問題などの新たな重い課題の取組みは論外というのが現実だった。意を決して、4年前に当時の自治会長に役員の複数年任期を折り込んだ自治会改革を提案し、自治会長の賛同も得て住宅街の各種団体とも調整する会議体を開催して取組みを着手した。ところがこの取組みは最終的に見事に頓挫した。会則改訂を伴う自治会改革には臨時総会の開催が不可欠で、そうした煩わしさを自治会役員が受け入れる土壌はなかった。
 高齢化の進展が顕著になった。2年前に社協分区で高齢者向けの緊急情報ツールの安心キットの導入に着手し、事務局を担当し中心的な役割を担った。この取組みの特徴は社協分区の枠を超えて老人会、民生委員との共同取組みだった点である。そのことが高齢者の40%以上の導入率という市内でも最高水準の成果をもたらした。
 そんな経過を背景に、昨年の社協分区の総会では「地区ネットワーク会議」の設置が決定され、再びその事務局を担当した。地区ネットワーク会議は市社協が各分区に設置を呼び掛けたものである。これを念頭に置きながら、高齢化対応というテーマについて地域の関係団体、役職が横断的に連携して取り組む「福祉ネット」として設立準備に着手した。以上が福祉ネット着手に至る経過である。

地域包括ケアシステムと福祉ネット(その2)2015年02月03日

 福祉ネットの具体化をはかる過程で、2025年問題を知った。団塊世代が全員75歳以上の後期高齢者となる2025年から医療、介護、福祉等のサービス需要が激増し需給バランスが崩れるという事態である。こうした予測をもとに厚労省は「地域包括ケアシステムの構築」を呼掛けた。高齢者が重度の介護状態になっても住み慣れた地域で最後まで暮らせるよう、住い・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される環境づくりである。こうした流れを受けて、平成27年度介護保険制度の改革も「医療から介護」へ、「施設から在宅」へと大きく舵が切られた。
  地域包括ケアシステムでは、自助・互助・共助・公助の分担が説明され、2025年に向けたそれぞれの在り方が示される。「公助」は税による公の負担、「共助」は介護保険などの社会保険サービス、「自助」は個人保険等も含めた個人による自助努力である。これに対し「互助」は、高齢者相互の助け合いや地域住民による高齢者支援のボランティア活動等である。支援・介護を要する高齢者の激増と行政の財政逼迫で公助、共助は今後は期待がもてない。勢い自助、互助の果たす役割への期待が大きい。ところが「医療から介護」へ、「施設から在宅」へとシフトする介護保険改革の流れは自助の限度を超え、当事者の悲鳴が聞こえ始めている。結局、それぞれの地域で自助を支援する互助がどこまで整っているかが問われることになる。
 こうして整理してみると地域包括ケアシステム構築の鍵を握るのは、地域における互助システムの整備ということになる。ということで地域における互助システム整備に向けた取組みとしての「福祉ネット」の時代の要請がクローズアップされてくる。

地域包括ケアシステムと福祉ネット(その3)2015年02月04日

 昨年5月の社協分区総会の決議を受けて、分区内での「地区ネットワーク会議」設置の検討が始まった。分区の執行部メンバーから7名の委員による検討委員会が設置された。7月にスタートした検討委員会は11月末までに月1回のペースで6回開催された。この間、執行部会、役員会での検討・報告を重ねながら、福祉ネット構想(「趣意書・事業計画」「会則」「役員構成と組織図」)のタタキ案をまとめ上げた。会則を検討する過程で地区ネットワーク会議の性格をより明確にする上で名称を「福祉ネットワーク会議(略称:福祉ネット)」に改めた。こ社協分区の福祉ネットのタタキ案をもとに想定した構成組織・役職に参加を打診し、それぞれの賛同を得た。
 12月、第1回福祉ネット設立準備会が構成組織の代表者の参加を得て開催され、社協分区、自治会、老人会、ボランティアセンター、民生・児童委員の各代表に、高齢者あんしん窓口責任者、市社協分区担当のサポートメンバーを加えた10名のメンバーが顔を揃えた。以降月一回のペースで開催された準備会は、社協分区の福祉ネット構想タタキ案の一部修正・追加を加えて承認し、オブザーバー参加の医療・福祉事業者とアドバイザー登録の専門職・実務者をリストアップするとともに、設立総会の概要を確認した。
 3月8日開催の設立総会は、単に福祉ネット設立の議案承認だけではない。年一回の総会の後、毎年福祉フォーラムの開催を想定している。対象エリアの福祉に関わる従業者やボランティア、福祉に関心のある住民が一堂に会して、福祉ネットの取組み経過や活動計画を伝えるとともに、フォーラムを通じてその時々の課題や情報を共有できる場としたいという想いがある。今回は、地域福祉が専門分野である神戸学院大学の藤井博志教授による「地域包括ケアと地域実践事例」をテーマに講演を予定している。
 以上が、福祉ネット立上げに至る社協を中心とした取組みの経過である。

地域包括ケアシステムと福祉ネット(その4)2015年02月05日

  福祉ネット構想を起案するにあたって、地域の実態や特性を重視した。戸建住宅中心の新興住宅地が対象エリアである。住民の地域との繋がりや共同体意識は希薄である。二つの自治会で構成される対象地区の高齢化率は、一方は25%、他方は11%で平均すると21%である。高齢化は進展しているが、重度の要介護者や認知症高齢者のケアといった問題はそれほど深刻化していない。中心となる自治会は役員が毎年総入替えされ新たな課題に取組む環境にない。高齢者ケアは、社協分区、ボランティアセンター、老人会、民生委員が個別に行っているものの、相互の連携はほとんどなく、役員やボランティアの高齢化や固定化が著しい。
 こうした地域の実態や特性を前提に、既存の高齢者ケアの組織・役職の連携を柱とした会議体を想定した。その際、運営の中心は、役員の継続性に欠ける自治会でなく、役員態勢が強固で高齢者ケアがテーマの社協分区が担うこととした。何よりも新たな高齢者ケアのための組織を立ち上げるのでなく、既存の組織・役職という貴重な地域資源の活用が欠かせない。あくまでその連携こそが福祉ネットの第1の意義である。ただ、高齢者ケアに関わる困りごとで既存の組織・役職のはざまにあってカバーされていない課題や取組みが困難な課題の、福祉ネットの窓口機能や構成組織間での整・実施機能は必要である。
 また事業目的を「高齢者、障がい者、介護者の見守りと困りごとの地域支援」とした。厚労省の地域包括ケアシステムの「重度の要介護者や認知症高齢者の住まい・医療・介護・予防・生活支援の一体的に提供」という事業目的とは幾分様相を異にする。対象層と事業目的をより幅広く想定しているのも、地域の実態や特性を加味したものだ。

地域包括ケアシステムと福祉ネット(その5)2015年02月06日

 福祉ネット構想の組織的な独自性は、地域の多様な組織や事業者や人材の参加を求めた点にあると思う。役員会には、地域包括センターの責任者や市社協の分区担当者が参加する。地域在住の高齢者福祉の有識者にも顧問就任をお願いした。地域の医療法人、特別養護老人ホーム、介護施設の6事業者にもオブザーバー参加をして頂いた。地域で開業の診療所院長、薬局店主や、地域在住の公園清掃や買物支援のボランティアグループの代表者、看護師でもあるケアマネジャーの4人の方にはアドバイザーをお願いした。
 超高齢化社会の到来を迎えて高齢者ケアは、地域社会全体で取り組むべき課題と言える。高齢化に伴う困りごとは多岐にわたる。医療、介護だけでなく、買物、通院、家事、ゴミ出し、見守り、孤立化、生きがいや居場所等の日常生活全般に及ぶ。福祉ネットの役員の判断を超える専門的な分野も多い。そうした課題に幅広く応える上で、専門機関、専門家、現場実務者の知識、情報、経験を随時得られる態勢を整えたいと考えた。
 福祉ネットへのオボザーバー参加の呼びかけに、地域の医療・介護の事業者は極めて好意的であった。こうした地域との繋がりを待っていたという雰囲気すら感じられた。2025年を控えて事業者側にも施設や人材の整備確保が迫られている。「医療から介護」へ、「施設から在宅」へといった流れの下で、事業展開に当たって地域住民との連携は欠かせない。そんな事情が呼掛けに対する前向きな反応になっていると思われた。
 アドバイザーの皆さんもそれぞれの担当分野での超高齢化のもたらす影響と危機感は大きく、地域住民との連携は願ってもないことという受け止め方のようだった。
 オブザーバーにしろアドバイザーにしろ構成組織が単独では参加を要請し難いのも事実だろう。対象人口8200名の高齢者ケアという共有する課題を目的とした六つの団体・役職が連携した会議体だからこそ可能なネットワーク化である。福祉ネット構想の独自性と強みの真骨頂がこの点にある。

高橋克彦著「風の陣--立志篇--」2015年02月07日

 北方謙三の全七巻の大作「史記 武帝紀」を約3カ月かけて読了した。第7巻を読み始めてすぐに次の読み物をさがしていた。知人からブログコメントで紹介されたのが高橋克彦著「風の陣」だった。蝦夷を題材とした長編古代歴史小説で、大いに興味をそそられすぐに全5巻をネットで調達した。その第1巻・立志伝を読了した。
 高橋克彦の著作は初めてだった。釜石市生まれの作者は、東北地方を舞台とした歴史小説が多い。その中でも「風の陣」はもっとも新しい作品のようだ。
 「風の陣」の舞台は、8世紀後半の奈良時代である。主人公は丸子嶋足という陸奥国牡鹿郡出身の蝦夷で歴史上の人物である。とはいえ大和朝廷側の歴史を中心に学んだ者には、ほとんどなじみのない人物と言えよう。この作品のテーマのひとつがその点にある。ほとんど知られることのなかった蝦夷のひとりを主人公にすることで、蝦夷の側の歴史を描いている。
 北方作品とはまた違った味わいの、波乱に満ちた古代歴史物語が幕を開けた。しばらくこの作品との付き合いが続く。

サンマルクカフェ一番乗り2015年02月08日

 何故か日曜の朝は目覚めが遅い。今朝も目覚めたのはいつもより1時間近く遅い6時過ぎだった。朝食を済ませ朝刊をじっくり読んで出かけたのは7時過ぎだった。外出予定のない日の早朝ウォーキングは歩数稼ぎのため遠出となる。有馬川土手道から隣町の平田稲荷神社を折り返し、再び有馬川堤に戻り名来橋を渡った。
 名来橋の先にあるサンマルクカフェの看板が目についた。営業時間は8時からとある。時計を見ると8時ちょうどだった。店内の様子を窺うと灯りがともり営業中の雰囲気である。
 この店はベーカリーレストランをカフェに改装して以来、大人気である。平日、週末を問わず駐車場は満車状態の時が多い。昼食で寄ったことはあるがモーニングは来たことがない。早朝ウォーキングのモーニングコーヒーはもっぱら6時開店のマクドナルドのお世話になっている。今朝の遅い散策がサンマルクの開店時間と珍しく重なった。
 玄関ドアを入ってカウンターでモーニング・セットをオーダーした。カウンター前の棚に並ぶ数種のパンのひとつを選びブレンドコーヒーと一緒に受け取った。お代は税込378円である。店内に来店客の姿はない。一番乗りの一人客が窓際のカウンターテーブルの一角に陣取った。いつもと違うコーヒーの味を楽しみながら持参の本をたっぷり時間をかけて読んだ。遅い時間の散歩道の立寄り先の選択肢を見つけた。

久々のカワセミとの対面2015年02月09日

 有馬川の堤のすぐ下の岸辺からいきなり小鳥が水平に飛び立った。瞬間的にコバルトブルーを目にしてカワセミだと知った。必死に目を凝らして行く手を追った。幸い30mばかり先の枯草のてっぺんで羽を休めた。
 即座に、歩みを止めた。敏感すぎるカワセミが気配を察して再び飛び去ることを恐れた。持参のデジカメを構えてモニターを確認した。標準レンズではかすかにブルーが確認できるほどの距離である。飛び立たないでくれ!と祈りながら、30倍ズームを目一杯アップした。横向きのカワセミの濃紺の背中の真ん中にくっきりとコバルトブルーの縦縞が浮かび上がった。二度ばかりシャッターを押した時、気配を察知したのかあっという間に飛び去った。
 それでも久々のカワセミとの対面だった。何とか画像をゲットし、おもわずほくそ笑んだ。朝からいいことがあった今日は良い一日になりそうだ。

中学クラス会の悲しい幕開け2015年02月10日

 3年前に学年全体の同窓会が開催された。その時同じテーブルに陣取った3年五組の旧友たちで定期的にクラス会を開催しようと盛り上がった。以来このクラス会が数回を数えている。
 半年ぶりに開催されたそのクラス会に参加した。 JR姫路駅南側の待ち合わせ場所で待っていてくれた旧友のマイカーに乗り込んだ。郷里の実家近くの和食の店に12時前に到着した。
 店内の予約席で待つ内に、次々と参加者が合流する。その一人が席に着くなり口にした言葉に、居合わせた誰もが凍りついた。「I君が一昨日に亡くなったんやッ!」。入院治療中だったようだが、旧友のひとりはこのクラス会の件で数日前に言葉を交わしたばかりだったという。容態が急変したようだ。毎回欠かさず参加していたI君だった。隣り合わせの席になったこともあり、中学時代は親交が深かったひとりだ。
 12名の参加予定者全員が揃ったところで開会となった。冒頭にあらためてI君の突然の訃報が告げられ、全員で黙祷した。乾杯が献杯に変わり、しばしI君の近況を偲んだ。クラス会の悲しい幕開けだった。
 セットメニューの料理を味わいながら生ビールや焼酎で杯を重ねた。隣席の幼なじみの女性と近況を語り合った。私のブログの愛読者でもあり、当方の近況は先刻ご承知だ。もっぱら彼女の近況に耳を傾けた。孫のいない我が家に比べ、彼女には勤め始めたばかりの孫娘がいるという。55年の歳月がもたらした彼我の境遇の違いを噛み締めるばかりだ。
 たっぷり3時間ばかりの会食を終えて、以前にも利用した郊外の喫茶店に席を移した。大きなテーブルを囲んでの懇親が再開された。もっぱら女性陣と男性陣に分かれての懇談となった。参加者のほとんどは郷里での暮らしが続いている。出席していない級友たちの消息が話題になった。故郷を離れて生活する私には貴重な情報だった。
 4時半頃にお開きとなった。半年後の次回クラス会での再会を約束し合って解散した。来た時と同じ旧友の車でJR姫路駅前まで送ってもらい帰路に着いた。