労働者委員2期目の任命式2010年03月01日

 大阪府労働委員会労働者委員の2期目の任命式に臨んだ。10時に天満橋の大阪府公館に着いた。玄関前では橋下知事が大勢の記者団に囲まれ記者会見中だった。
 10時半定刻に使用者委員、労働者委員各11名が任命式会場に整列した。少し遅れて知事がしっかりした足取りで入室する。2年前、就任直後の新知事は、心なしか緊張感でせかせかした雰囲気が漂っていた。良くも悪くも府庁を橋下カラーで染め上げた2年間の実績が、自信に溢れた今日の知事の挙動に繋がっているようだ。「よろしくお願いします」と声をかけながら委員一人一人に辞令を手交する。
 その後、知事挨拶となる。「国の雇用統計は実態を正確に表していない面があり、独自の統計作成を指示したばかりだ。とはいえ府下の雇用情勢は引き続き厳しいことに変わりない。労働市場の安定が急務だ。そのため懸案処理に向けて行政にない視点で各委員の取り組みをお願いしたい」といった内容の澱みのない簡潔なスピーチだった。
 マイクロバスで労働委員会事務局のある「エル・おおさか」に移動する。労働者委員打合せ会の後、臨時総会が開催される。各委員の自己紹介、事務局幹部職員紹介の後、会長、会長代理の選出があり12時前に閉会となる。
 あっという間の2年間だった気がする。1年目の戸惑いながらの委員活動も、2年目には自分なりの心構えや対応姿勢ができてきたように思う。引き続き緊張感をもって精一杯努めようと心新たにした。

因縁生起2010年03月02日

 午前中、市の広報誌「宮っ子」の山口版の編集長、副編集長のインタビュー取材を受けた。編集長は2月2日に近所の知人の紹介でお会いし、「思い出で綴る激動の国民学校生」という著作を頂いた方だ。その書評をブログで記した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2010/02/04/
 お会いした際に、私の「にしのみや山口風土記」も話題になり、次号の山口版トップの「リーダーさんQ&A」という記事の取材を打診された。僭越すぎると一度はお断りしたが、その後の再会で重ねて要請され、お受けすることにした。
 地区の自治会館でお二人のインタビューが始まった。あらかじめ質問内容をお聞きしていたので用意したメモにそってお答えした。取材テーマは「郷土史研究者」という大層な肩書きを前提にしたものだ。それでもライフワークである「風土記」にかける私の想いをうまく引き出してもらった。「山口を知って歩いて好きになった。この街の自然、歴史、風土を大切にしたい。『風土記』でそのことを地域の人に伝えたい。山口は旧来の街と新興住宅街の住民共通の古里だ。古里山口を共通項に新旧住民の交流と連携を深めることに役立ちたい」等々。
 夕方には、編集長の手で1000字ほどに仕上がったゲラが届けられた。さすがに元大手新聞の記者である。限られた字数に巧みな文章で伝えたい内容が見事におさめられている。5月に開講予定の公民館講座「山口風土記探訪講座」のアナウンスも、より多くの方に受講してほしいという想いをこめて記事にしてもらった。
 4月末には山口全域の5,800世帯に各戸配布される広報誌である。リタイヤ以降、地域の様々な方とのつながりができつつある。「人の輪」の大切さを痛感する。そのことがライフワークの実現に向けて一段とステップアップさせていることも実感した。「因縁生起」(いんねんしょうき)という言葉をあらためて噛みしめる日々である。

初めてハイブリッド車を運転した2010年03月03日

 パート勤務から帰宅した家内と買物に出かけた。買物というより新車プリウスの運転が目的だった。8年前に購入したアリオンから乗り換えたばかりの最新車種の運転である。リタイヤ後、運転する機会は少なくなった。新車のならし運転が必要だ。
 今やキーレスの時代である。キーは家内のバッグに入れたままドアノブを引いてドアを開ける。パワースイッチを押してブレーキペダルを踏みシフトレバーをドライブシフトに入れる。これでエコドライブが作動して始動可能となる。この間、キーに触れることは全くない。ブレーキペダルを離すとゆっくり動き出す。従来車種に比べアクセルの踏みこみが重く、加速力が弱い。これも極力、電気モーターだけで運転させようというハイブリッド・システムの狙いなのかもしれない。エンジンモーターが稼働していない車内は驚くほど静かだ。信号待ちで停車するとエンジンは完全に停止する。そのままアクセルを踏むだけで発車する。
 リタイヤ生活では、多くの生活物資はダウンサイジングすることが肝要だ。その意味ではマイカーのアップグレードは逆行している。環境に優しいエコカーというコンセプトが燃費節約効果とセットで選択を後押しした。最後のマイカーになるかもしれない車種が、ハイブリッドカーという巡りあわせになったということか。

春告げ鳥2010年03月04日

 小雨模様の低い空の下を歩いた。有馬川の土手の右手を覆っている竹藪にやってきた。ウグイスのおなじみの鳴き声が突然耳に入った。今年初めて聞く鳴き声だった。別名「春告げ鳥」と呼ばれるウグイスの面目躍如たるものがある。それにしてもウグイスのあの鳴き声を一体誰が「ホーホケキョ」と文字にしたのだろうか。あの鳴き声を文字にあらわせと言われても決して表現できない。「ホーホケキョ」だと聞かされればこれほどピッタリの表現は浮かばない。
 隣町の広大な田圃の間を抜ける農道にやってきた。今度はヒバリのさえずりが聞こえてくる。せわしげでそれでいてのどかな鳴き声である。ヒバリもまた春を告げる鳥として親しまれてきた。
 散歩を終えて帰宅した。ふと窓の外の庭の梅木に目をやった。さっきは鳴き声ばかりで姿を見ることのなかったウグイスが小枝に止まっていた。春告げ鳥を季語に一句ひねりたい気分だったが、素養のなさは如何ともしがたい。

PET検査受付での驚きの遭遇2010年03月05日

 3か月ぶりに天王寺の市大病院に行った。半年に1度のCT検査と年1回のPET検査をまとめてやってしまうことになっていた。9時過ぎにCTの受付に行くと待つほどもなく検査室に呼ばれた。造影剤の注射をしてドラムのついたベッドに横たわる。20秒ほど息を止めて一丁上がり。あっという間に検査が終わる。
 続いて同じフロアの核医学検査室というおどろおどろしい名前の検査室に行く。受付を済ませ、長椅子で呼び出しを待つ。隣りで初老のオジサンが事務の女性とPET検査予約の打ち合わせをしている。ふと顔を見合わせて驚いた。「ヨォーッ!○○やないか」。現役時代の同僚で同期の桜だった。彼が10年ほど前に大病を患って長期入院していた記憶がよみがえる。しばらく雑談に華を咲かせ邂逅を楽しんだ。病後のこと、日常の過ごし方、海外や国内の旅の話題・・・・。奥さんを待たせているとのことで20分ほどで別れた。それにしても余りの偶然に驚いた。
 PET検査に呼ばれた。糖代謝測定のための静脈への薬剤注射がある。薬剤が体内に行き渡るまで50分ほどかかる。その間控室で待機する。二人用の控室には液晶テレビが設置され、先客のオジサンが「はぐれ刑事純情派」を見ていた。私の好きな番組だ。オジサンは途中で呼ばれ、私は最後まで視聴する。番組終了後まもなく呼出しがかかる。CT検査機と同じようなドラム・ベッドで40分ほどひたすらジッと横たわる。眠気を誘う環境とはいいがたい。天井の模様を眺めドラムの移動を目で追う以外に手はない。
 ようやく終わった。支払いを済ませ病院を後にしたのは12時前だった。朝から絶食を強要されている。空腹を耐えながら、元の職場近くの中華料理屋「娘娘」に向った。久々に主人夫婦と雑談を交わしながら中華ランチにありついた。

「風土記」を媒介とした人の輪の連鎖2010年03月06日

 昨日の夕方、西宮流ブログのオフ会ともいうべき懇談をした。私のブログに何度かコメントを頂いた方だ。一昨日、「山口の知人宅を訪問するのでその後で会えないか」というメールを頂いた。そして昨日の初対面の懇談となった。
 私より幾分若い長身の男性が、待ち合わせ場所のファミリ―レストランに姿を現わした。初対面ながら互いのブログやメールの情報で旧知の仲のように思えてしまう。「参加する文化サークルの歴史探訪講座で山口を提案したい。ついては『山口風土記』掲載の三人の浄瑠璃太夫の墓のことを教えてもらえないか」とのことだった。
 1時間半ほどの懇談で共通の知人の存在に驚いたり、彼が訪ねた知人が山口町史の編纂委員で私にとってもお会いしたかった人であることが分かった。レストランを出た後、浄瑠璃太夫の墓碑に案内した。公智神社の秋祭り見学を兼ねての山口探訪の企画のようだ。その際のガイドを約束し6時過ぎに別れた。
 その夜、彼から紹介された山口の知人に電話を入れた。彼が訪問時に私のことや風土記のことを話してもらっていたため、すぐに打ち解け、話が弾み30分ばかりお話をした。おりしも二日後に山口公民館で地域フォーラムがあり、二人とも出席予定だった。その会場であらためてお会いすることにして受話器を置いた。
 「風土記」を媒介にして思わぬ人と交流し、更にその紹介で地元での新たなつながりが生まれた。「人の輪の連鎖」を実感した。

「宮っ子・伊藤太一原画展」を鑑賞した2010年03月07日

 昨日は山口ホールで開催中の「宮っ子・伊藤太一原画展」を鑑賞した。小雨まじりの天候のためか10時過ぎの会場には、一般鑑賞者の姿はない。山口地区の宮っ子編集委員のみなさんの手で設営されたらしい会場は、原画イラストのパネル展示が巧みに演出されていた。
 市の広報誌「宮っ子」に「ぶらり見てある記」などの漫画イラストが掲載されている。風景を特有の描写技術で切り取った漫画イラストである。目前の風景の特性を大胆にい掴みとりながら細部も細かく描き込んである。行く先々で案内役の方や施設長などの似顔絵漫画も巧みに配されている。かすりの着物を着た女の子がイメージキャラクターとして随所に登場する。その柔らかいタッチに心がなごみ癒される。
 会場には山口地区のイラスト7点も展示されていた。「にしのみや山口風土記」の中にこの素晴らしい作品を掲載できればと思った。見終えてエントランスで旧知の宮っ子山口地区編集長と懇談した。作者の伊藤さんとは面識があるとのことだ。紹介していただいて作品の風土記への転載をお願いできないかと相談した。
 会場受付ではイラスト8枚をセットにした原画のプリントが販売されていた。購入してあらためて自宅でその細密で心なごむ作品を愉しんだ。

和顔愛語で文化のまちづくり2010年03月08日

 昨日の午後、山口コミュニティー協会主催の地域フォーラムがあった。「風そよぐ里、山口--文化のまちをつくる---」と題する講演だった。講師は武庫川女子大学名誉教授で西宮市民大学長の柿木健一郎さんだ。柿木さんは山口町の私と同じ住宅街在住者である。先日、地元の知人の紹介で連絡をさせて頂き懇談をお願いしたばかりだ。山口公民館の会場には定刻の1時半には26人の参加者が集まった。あいにくの小雨模様の天候が出足を鈍らせている。
 熱のこもった講演が、予定時間を10分ばかりオーバーして終了した。用意されたレジュメの各部の見出しは全て5文字から成っている。「異郷に住む」「生の手探り」「文化は共生」「文化は慈悲」「文化は洗心」「文化の街へ」といった具合だ。この5文字にこだわりがあるとおっしゃる。「言葉の贅肉を削ぎ落とすことで思考を煮詰められるから」と冒頭でのハッとさせられる発言がある。山口の街に開発された新興住宅街に在住して9年が経つ。異郷に住んでいる感はぬぐえない。山口の里が外部の人を温かく迎え入れられる街になることこそが文化の街をつくることになる。そのためには住む人の心の持ち方こそが大切だ。「和顔愛語」という言葉がある。和やかで優しい顔で迎え、慈愛の心をもって言葉をかけよう。
 仏教の経典の引用や、さくらやまなみバス車内でのエピソードを交えながら、ユーモアと熱意のこもった講演だった。過去私が拝聴したどの講演にもない一味違った趣きの内容だった。それでいて多くの部分で共感できるものだった。終了後、名刺を交換させて頂き、後日の懇談をあらためてお願いした。

3月の初雪2010年03月09日

 朝6時過ぎに新聞を取りに玄関ドアを開けると、みぞれまじりの小雨が降っていた。7時前、いつも通り散歩に出かけた時には、小雨はいつの間にかしっとりした雪に変わっていた。暦はすでに3月中旬になっている。この冬一度も見なかった雪景色である。3月の初雪に心躍るものがある。
 有馬川沿いのさくら並木の歩道にやってきた。白く縁どられた桜の枝の広がりと、白い帽子を被った竹やぶの笹の茂みに、雪の織りなす美しい風景を見た。寒空を押して出かけた散策の報酬だった。
 こうもり傘の張りつめた布に粉雪がカサカサと絶え間なく落ちてくる。半透明の布を通して傘に積もった雪の広がりが見える。雪の重みが傘を持つ手にずしりとかかる。民家の軒先で傘をたたんで積もった雪を払った。開いた傘の重みが見事に消えている。ふと雪国の雪降ろしの風景を思い浮かべた。
 住宅街を縁どる農道に戻ってきた。道路を横断するように竹やぶの笹竹が行く手を遮っている。降り積もる雪の重さに堪えかねたのだろうか。ここ数日の雨天が竹を支える地面を柔らかくし、竹のお辞儀を促したのかもしれない。

夫婦揃ってのドジ2010年03月10日

 昨日の午後から「さくらやまなみバス」で市役所に行く。マイカーを買換えたので有料道路のETC利用障害者割引の変更手続きが必要になった。事前に申請書類を入手して必要書類を準備して出かけた。ところが市役所の担当係で申請すると必要書類の漏れが判明し出直さざるをえないことになった。がっくりして西宮北口行のバスに乗車した。夜の大阪での異業種交流会までの時間を、まだ行っていなかった西宮ガーデンズを見ておこうと思ったのだ。
 車中で突然携帯の呼び出し音がなった。家内からだ。「パート勤務から帰宅したら、家の鍵を忘れたまま出かけていたことに気づいた。家に入れない」というSOSだった。北口に着いて電話をかけ直し、JRの自宅最寄り駅で落ち合い私の鍵を渡すことにした。西宮ガーデンズ見学は棒に振るしかない。それにしても夫婦揃ってのドジぶりに苦笑してしまう。
 無事、家内に鍵を渡してそのまま大阪に向かった。6時半頃に異業種交流会の会場であるOBPのギャラリーツイン3階の「月日亭」に着いた。7時には例会が始まる。今回は会員のHさんの「海外ボランティア活動記(パプアニューギニア)」がテーマである。プロジェクターによる画像中心の45分ほどのスピーチだった。Hさんは元来はIT技術者で情報媒体の専門家である。60代後半の年齢でパプアニューギニアでのボランティアに毎年出かけるエネルギーは驚くほかはない。面白くて考えさせられた講演だった。詳細は別途ブログしようと思う。