復刻版日記⑤崇高な愚行2009年10月16日

 (1998年10月15日の日記より)
 午後3時。私は、香川県小豆郡内海(うちのみ)町のとある神社の境内にいた。早い話が小豆島である。誰と何のためにそこに居たかはこの際やめておこう。七人のオヤジたちと群れていたなんぞ自慢できた話ではない。ともかく神社の境内なのだ。正確には「内海八幡神社」という。
 30分前、私たちは島内最大企業?である丸金醤油の「醤油記念館」を見学する予定だった(なぜか小豆島は醤油の産地なのだ。狭い島内に22社もの醤油メーカーがひしめいている)。ところが記念館入口には無情にも「本日臨時休館」の手書きポスターが貼られている。そういえば周辺はやけに静かである。近所の佃煮の土産物店の気のいい店員さんの情報。『今日はここからバス停で二つ向こうの街で年に一度のお祭りやから・・・』。好奇心旺盛なオヤジ軍団の反応は早かった。そして30分後のこの祭り会場である。3町ある島内の全人口はわずか3万7500人とのこと。境内を埋め尽くす人の群れ。醤油記念館の臨時休館や周辺の静けさの正体を見た。
 町内会ごとに保存された10台ほどのダンジリが次々とこの境内に太鼓を響かせてやってくる。そして目の前で布団太鼓のダンジリが一瞬宙を舞った。ナント百人近くの男たちが必死で担いでいる何トンものダンジリが・・・である。年に一度の晴れ舞台。演技のクライマックスはダンジリの放り投げ。前棒と後棒の担ぎ手たちの呼吸が合わずバランスを崩すこともある。怒声が飛び交う。凄まじいエネルギーの発散。阿修羅の形相。男たちの全精力がダンジリを担ぎ放り投げるという一点に集約される。秋の収穫の神への感謝の儀式でもある。神事というフィルターを取っ払ってしまえば「狂気の愚行」という様相を帯びてしまう。男たちの願いは、年に一度のこの「狂気の愚行」に浸ることなのかもしれない。諏訪神社の「御柱」、岸和田の「ダンジリ祭り」の狂気がよぎる。
 それにしてもダンジリの担ぎ手集めはさぞかし大変だろう。刺激のない島を脱出した若者たちを、年に一度帰省させる格好の口実になっているようだ。「息子もこの日だけは帰ってくるんヨ」「都会のどんな楽しみもこの祭りには代えられんみたい」。 3人のオバサンたちの虚勢にあふれた会話が耳に入る。思わず声をかけてみた。「ところでこのお祭りは何というお祭りですか?」。「ウ~ン。何というお祭りといわれても・・・」。虚を衝かれたかのようにオバサンたちは考え込んでしまった。突然ひとりが自信ありげに断定した。『秋祭りヤッ!!』 (ギャッ!)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック