藤沢周平著「雪明かり」 ― 2013年08月11日

藤沢周平著「雪明かり」を再読した。武家物四篇、市井物四篇の八篇が収められた短編集である。駒田信二氏の解説によると、これらの作品は、作者が直木賞を受賞し、流行作家として多作を強いられた四年間に書かれたものだという。これらの八篇はその10倍に近い量の中のたまたま同じ雑誌に発表された短編を集めたものだ。つまり選び出されたものでないこの八篇が、どの作品も読みごたえのあるものに仕上がっていることこそ、作者・藤沢周平の稀に見る小説巧者ぶりを示していると述べる。
駒田氏の指摘に全く同感である。小説好きを自負する私は、しつこく藤沢作品を再読し続けている。再読を終えても、蔵書の他の作家の作品の再読にかかる気が起らない。藤沢作品には小説巧者というだけでは片づけられないもっと奥深いものがこめられている。
この短編集八篇はどの作品も読みごたえのある、読後の何とも言えない余韻をもたらす作品群である。レベルの高い作品群にあって強いてお気に入りをあげるとすれば武家物の「冤罪」ということになる。下級武士の家に生まれた部屋住みの三男坊が主人公である。婿養子の口を求めて過ごす日々が巧みに描かれ、散歩道の行来にある下級武士の家の一人娘に心を寄せる。突然その父親が公金横領の罪で切腹させられる。冤罪を確信する主人公はそれを暴く過程で行方知れずだった娘と遭遇する。裕福な百姓屋の養女となっていた娘と、武士を捨ててでも婿養子に収まろうというラストが実にいい。読後の余韻を見事に感じさせてくれる作品だった。
駒田氏の指摘に全く同感である。小説好きを自負する私は、しつこく藤沢作品を再読し続けている。再読を終えても、蔵書の他の作家の作品の再読にかかる気が起らない。藤沢作品には小説巧者というだけでは片づけられないもっと奥深いものがこめられている。
この短編集八篇はどの作品も読みごたえのある、読後の何とも言えない余韻をもたらす作品群である。レベルの高い作品群にあって強いてお気に入りをあげるとすれば武家物の「冤罪」ということになる。下級武士の家に生まれた部屋住みの三男坊が主人公である。婿養子の口を求めて過ごす日々が巧みに描かれ、散歩道の行来にある下級武士の家の一人娘に心を寄せる。突然その父親が公金横領の罪で切腹させられる。冤罪を確信する主人公はそれを暴く過程で行方知れずだった娘と遭遇する。裕福な百姓屋の養女となっていた娘と、武士を捨ててでも婿養子に収まろうというラストが実にいい。読後の余韻を見事に感じさせてくれる作品だった。
「山口地域のまちづくりと交通」シンポジウム ― 2013年08月12日
昨日の午後、山口ホールで「山口地域のまちづくりと交通」シンポジウムが開催された。主催は山口地区自治会連絡協議会と財団法人山口町徳風会だった。会場には主催者の構成組織が呼びかけた参加者を中心に約100名の参加者の姿があった。
第1部は、土井勉京都大学大学院教授の「さくらやまなみバスが運ぶもの」と題した基調講演だった。講師は、さくらやまなみバスの事業評価委員会の委員長を務めた人物だ。プロジェクターによる講演は、冒頭にさくらやまなみバスを取り巻く環境がわかりやすく整理された。「モータリゼーションの進展で地域の衰退を招く場合がある。公共交通機関の出番となるが、公共交通機関もまた、利用者減→収入減→コスト削減→サービス低下→利用者減という負のスパイラルに陥る。こうした中で生まれたのがコミュニティー・バスであり、路線バスでは導入困難な地域に路線を入れるものだ」。続いてコミュニティーバスであるさくらやまなみバスの運行後の利用状況や事業収支、事業評価等が語られた。講師のまとめは端的に言えば次のようになる。「やまなみバスの収入と経費の差額6千650万円の持ち出し(収支率61%)はコミュニティーバスとしては優秀な部類である」「地元の利用促進協議会の活動や具体的成果も他地域にない活発さがある」「地元財団法人の多額の寄付も地元の事業への積極姿勢と評価される」。
第2部は、土井氏をコーディネーターとした6人のパネラーによるフォーラムである。都市計画が専門の兵庫県立大教授、市の地域公共交通活性化協議会座長、山口地区自治会連絡協議会・会長、山口地区連合婦人会・会長、山口中学校PTA前役員の各パネラーからテーマについての意見が述べられた。その後、コーディネーターから①地域の活性化とは何か②イベント等が地域組織の役員中心の取組みになっているのではないかという質問にどうこたえるかという問題提起がなされ、意見が交わされた。
1時半から4時過ぎまでの比較的長時間のフォーラムだった。やまなみバス運行は、山口の住民にとっては貴重なインフラに違いない。今後、地域全体の高齢化が進み乗用車利用率が低下すれば尚更である。ただ将来に渡って維持されるには現状の利用状況は厳しいものがある。県立大の小林教授の指摘が重かった。「活性化とはイベント等のことでなく住民自身が住んでいる町に誇りをもち住み着きたいと思う気持が原点だ。その上でバスがほんとに要るかどうかが問われなければならない。ほんとに要るなら収支率61%でも守るべきだ」。
フォーラムは旧山口地区中心の構成のようにも思えた。6割以上を占める新住民の「まちづくりと交通」問題への関わりは希薄である。新旧住民共通の「山口をどのような町にしたいのか」というグランドデザインが必要ではないかというのが2時間半のシンポジュウムの感想だった。
第1部は、土井勉京都大学大学院教授の「さくらやまなみバスが運ぶもの」と題した基調講演だった。講師は、さくらやまなみバスの事業評価委員会の委員長を務めた人物だ。プロジェクターによる講演は、冒頭にさくらやまなみバスを取り巻く環境がわかりやすく整理された。「モータリゼーションの進展で地域の衰退を招く場合がある。公共交通機関の出番となるが、公共交通機関もまた、利用者減→収入減→コスト削減→サービス低下→利用者減という負のスパイラルに陥る。こうした中で生まれたのがコミュニティー・バスであり、路線バスでは導入困難な地域に路線を入れるものだ」。続いてコミュニティーバスであるさくらやまなみバスの運行後の利用状況や事業収支、事業評価等が語られた。講師のまとめは端的に言えば次のようになる。「やまなみバスの収入と経費の差額6千650万円の持ち出し(収支率61%)はコミュニティーバスとしては優秀な部類である」「地元の利用促進協議会の活動や具体的成果も他地域にない活発さがある」「地元財団法人の多額の寄付も地元の事業への積極姿勢と評価される」。
第2部は、土井氏をコーディネーターとした6人のパネラーによるフォーラムである。都市計画が専門の兵庫県立大教授、市の地域公共交通活性化協議会座長、山口地区自治会連絡協議会・会長、山口地区連合婦人会・会長、山口中学校PTA前役員の各パネラーからテーマについての意見が述べられた。その後、コーディネーターから①地域の活性化とは何か②イベント等が地域組織の役員中心の取組みになっているのではないかという質問にどうこたえるかという問題提起がなされ、意見が交わされた。
1時半から4時過ぎまでの比較的長時間のフォーラムだった。やまなみバス運行は、山口の住民にとっては貴重なインフラに違いない。今後、地域全体の高齢化が進み乗用車利用率が低下すれば尚更である。ただ将来に渡って維持されるには現状の利用状況は厳しいものがある。県立大の小林教授の指摘が重かった。「活性化とはイベント等のことでなく住民自身が住んでいる町に誇りをもち住み着きたいと思う気持が原点だ。その上でバスがほんとに要るかどうかが問われなければならない。ほんとに要るなら収支率61%でも守るべきだ」。
フォーラムは旧山口地区中心の構成のようにも思えた。6割以上を占める新住民の「まちづくりと交通」問題への関わりは希薄である。新旧住民共通の「山口をどのような町にしたいのか」というグランドデザインが必要ではないかというのが2時間半のシンポジュウムの感想だった。
母ごころ ― 2013年08月13日
三日前から、息子夫婦が東京から帰省した。今回は帰省ラッシュの真っ只中を18時間かけてのマイカー帰省だった。息子の嫁はその夜に姫路の実家に帰省し息子とのしばしの三人暮らしが始まった。
こんな時、我が家の夕食の献立は何を置いても息子の好みが優先される。家内の「何が食べたい?」という問いに、息子の予想通りの答えが返される。「コロッケ!」。結構!結構!かくして私の好物ながら、手間がかかるという理由だけで夫婦だけの食卓からは排除されている献立が久々に登場した。
我が家の手作りコロッケの献立の歴史は古い。私の子供の頃の母の手作りコロッケにさかのぼる。結婚して帰省した時には、母親は決まってコロッケを用意してくれた。しばらくすると孫たちもその味になじんだ筈である。母親が晩年に我が家で数年間過ごした間にその味が家内に引き継がれた。今や家内にとっても息子に誇れる自慢の味のひとつである。ついでに旦那にも・・・。
母親には、子供たちに自慢の味をリクエストされることは幾つになっても嬉しいものだろう。実家から巣立って文字通り親離れした子供たちであれば尚更である。年老いて子どもたちにしてやれることは年々少なくなっていく。それでも子どもたちに向けられた母ごころは消えることはない。
こんな時、我が家の夕食の献立は何を置いても息子の好みが優先される。家内の「何が食べたい?」という問いに、息子の予想通りの答えが返される。「コロッケ!」。結構!結構!かくして私の好物ながら、手間がかかるという理由だけで夫婦だけの食卓からは排除されている献立が久々に登場した。
我が家の手作りコロッケの献立の歴史は古い。私の子供の頃の母の手作りコロッケにさかのぼる。結婚して帰省した時には、母親は決まってコロッケを用意してくれた。しばらくすると孫たちもその味になじんだ筈である。母親が晩年に我が家で数年間過ごした間にその味が家内に引き継がれた。今や家内にとっても息子に誇れる自慢の味のひとつである。ついでに旦那にも・・・。
母親には、子供たちに自慢の味をリクエストされることは幾つになっても嬉しいものだろう。実家から巣立って文字通り親離れした子供たちであれば尚更である。年老いて子どもたちにしてやれることは年々少なくなっていく。それでも子どもたちに向けられた母ごころは消えることはない。
空蝉(うつせみ) ― 2013年08月14日
真夏の早朝。冷気が残る有馬川土手道は爽やかだった。昇り始めた朝日が黄緑色の稲田に美しい陽光を投げかけていた。シートのように見える黄緑の稲田も近づいて眺めると垂れた首(こうべ)が密集する稲穂の群生という実体が浮かび上がる。
さくら並木の足元の草叢で野草の茎に張り付いた蝉の抜け殻を見つけた。空蝉である。この「うつせみ」という言葉がなぜか気になった。帰宅してウィキペディアで検索して驚いた。空蝉とは「この世に生きている人間。古語の現人(うつしおみ)が訛ったもの。転じて、生きている人間の世界。現世」とある。「蝉の抜け殻」のイメージから「あの世」を連想していた。実際は「現世」という真逆の意味だったのだ。浅学非才を思い知らされた。
さくら並木の足元の草叢で野草の茎に張り付いた蝉の抜け殻を見つけた。空蝉である。この「うつせみ」という言葉がなぜか気になった。帰宅してウィキペディアで検索して驚いた。空蝉とは「この世に生きている人間。古語の現人(うつしおみ)が訛ったもの。転じて、生きている人間の世界。現世」とある。「蝉の抜け殻」のイメージから「あの世」を連想していた。実際は「現世」という真逆の意味だったのだ。浅学非才を思い知らされた。
オヤジのLINEデビュー ― 2013年08月15日
昨日、帰省中の息子に設定してもらい、スマホ携帯のLINE登録をした。手順は意外と簡単だった。アプリをダウンロードし、携帯ナンバーを送信する。折り返し送信された認証番号を入力する。メールアドレスを入力し送信すると再びメール認証用の番号が送信される。これをスマホに入力して完了である。
ダウンロードしたLINEのアイコンをタップしてメニューを確認した。「友だち」をタップすると12人の友人・知人が登録されていた。スマホのアドレス帳に登録している連絡先の内、スマホ携帯の番号登録者でかつLINE登録している友人・知人が自動表示されている。当然ながら全員私より若年の人たちだ。
登録されている知人のひとりをタップした。「トーク」「無料通話」のメニューが表示される。「トーク」は、スマホによるチャットのようだ。タップすると入力画面と小窓が表示される。簡単な会話文を入力してみた。即座に反応があり、数秒後に返事が返された。「無料通話」は機種やメーカーに関わらずLINEでつながっていればいつでも誰とでも無料通話できるというものだ。メーカーや機種の異なる携帯通話の料金の高さは気になるところだが、LINE経由では一切その懸念はない。LINEが一気に普及するわけだ。問題はLINE登録している知人の人数だ。アドレス帳には200名余りの連絡先を登録している。その内、わずか12名がLINE経由で無料通話できるだけだ。ただ今後、着実に増えるに違いない。LINE登録した知人は自動表示されるようだ。それはそれで楽しみではある。自分のプロフィール画像に漫画自画像を添付した。
なにはともあれ、60代後半のオヤジのLINEデビューを果たした。
ダウンロードしたLINEのアイコンをタップしてメニューを確認した。「友だち」をタップすると12人の友人・知人が登録されていた。スマホのアドレス帳に登録している連絡先の内、スマホ携帯の番号登録者でかつLINE登録している友人・知人が自動表示されている。当然ながら全員私より若年の人たちだ。
登録されている知人のひとりをタップした。「トーク」「無料通話」のメニューが表示される。「トーク」は、スマホによるチャットのようだ。タップすると入力画面と小窓が表示される。簡単な会話文を入力してみた。即座に反応があり、数秒後に返事が返された。「無料通話」は機種やメーカーに関わらずLINEでつながっていればいつでも誰とでも無料通話できるというものだ。メーカーや機種の異なる携帯通話の料金の高さは気になるところだが、LINE経由では一切その懸念はない。LINEが一気に普及するわけだ。問題はLINE登録している知人の人数だ。アドレス帳には200名余りの連絡先を登録している。その内、わずか12名がLINE経由で無料通話できるだけだ。ただ今後、着実に増えるに違いない。LINE登録した知人は自動表示されるようだ。それはそれで楽しみではある。自分のプロフィール画像に漫画自画像を添付した。
なにはともあれ、60代後半のオヤジのLINEデビューを果たした。
三家族で久々の山里料理・仁木家に ― 2013年08月16日
昨日の夕方、娘夫婦が帰省した。先に帰省していた息子夫婦と合流し我が家の三家族が揃った。夕食前に仏前で揃ってお盆のお勤めをして我が家のセレモニーを無事に終えた。
今日の昼食は、仁木家の三田本店を訪ねた。部屋数が少ない本店のお盆の混雑を予想して一週間前に予約しておいた。仁木家は山口にも二店舗オープンしたが、何といっても三田の山里料理が献立、ロケーションともに抜きんでている。
1時前に到着し南側の洋室に案内された。予約していたのは「お昼のそば御膳(2300円)」だ。最初に二木家共通の生野菜の盛り合せが運ばれる。甘みたっぷりの新鮮野菜の歯応えが心地よい。冷たい野菜スープ、野菜中心の八寸、柚子入りの冷たい変わりそば、栗味かぼちゃのご飯、野菜の天麩羅、10割のざるそばと続き、食後のコーヒー&デザートで締めた。
2年ぶりの仁木家の山里料理だった。三家族6人揃ってのコース料理は合間の会話を促す効用もある。仁木家を後にした息子夫婦は、帰宅後すぐに東京までの長いUターンの途に着いた。娘夫婦も明日には帰宅する。束の間の我が家のお盆の帰省ラッシュがあっという間に終了する。
今日の昼食は、仁木家の三田本店を訪ねた。部屋数が少ない本店のお盆の混雑を予想して一週間前に予約しておいた。仁木家は山口にも二店舗オープンしたが、何といっても三田の山里料理が献立、ロケーションともに抜きんでている。
1時前に到着し南側の洋室に案内された。予約していたのは「お昼のそば御膳(2300円)」だ。最初に二木家共通の生野菜の盛り合せが運ばれる。甘みたっぷりの新鮮野菜の歯応えが心地よい。冷たい野菜スープ、野菜中心の八寸、柚子入りの冷たい変わりそば、栗味かぼちゃのご飯、野菜の天麩羅、10割のざるそばと続き、食後のコーヒー&デザートで締めた。
2年ぶりの仁木家の山里料理だった。三家族6人揃ってのコース料理は合間の会話を促す効用もある。仁木家を後にした息子夫婦は、帰宅後すぐに東京までの長いUターンの途に着いた。娘夫婦も明日には帰宅する。束の間の我が家のお盆の帰省ラッシュがあっという間に終了する。
藤沢周平著「竹光始末」 ― 2013年08月17日

藤沢周平著「竹光始末」を再読した。武家物4篇、市井物2篇を納めた短編集である。愛読しているこの作家の作品集としては物足りなかったというのが正直な感想だった。情景や心理描写は相変わらず冴えているものの総じて物語性の奥行きがない。その結果、読後の余韻が感じられる作品が少なかった。
唯一、「冬の終わりに」という賭場に出入りする彫り物師を主人公とした市井物の作品が良かった。短編ながら個性豊かな多くの登場人物が登場し、しかもそれぞれが物語に巧みに関わっている。ラストがまた実にいい。ひょんなことから巡り合った薄幸の女性に想いを寄せる主人公が、ラストシーンで女性とその幼い娘の肩を抱きながら「長い冬も、もう終わりだ」と結ぶ。そこに至るまでの起伏に富んだ物語展開ならこその余韻が残る。
作者の「あとがき」の次の一文が印象的だった。「近年来、時代小説の面白味のかなりの部分が、劇画の分野に食われているという指摘を聞く。確かにそういう現象があるだろう。時代物を書く者として、また時代物の一読者として、なんとなく心細い気がしないでもないが、時代小説の面白味の中に、劇画という表現手段に適した部分がある以上、当然の現象だとうなずける」。
時代小説の第一人者が、劇画の隆盛に対して、肩肘張って物申すでもなく、冷静に淡々と受け止めている。その上で劇画の持つ強みを受け入れ、「劇画とは異なる小説の面白味さを構築していくしかないのだろうと思う」と述べる。そうした自然体でありのままを素直に受け止める姿勢こそが藤沢周平という作家の真骨頂なのだと思う。
唯一、「冬の終わりに」という賭場に出入りする彫り物師を主人公とした市井物の作品が良かった。短編ながら個性豊かな多くの登場人物が登場し、しかもそれぞれが物語に巧みに関わっている。ラストがまた実にいい。ひょんなことから巡り合った薄幸の女性に想いを寄せる主人公が、ラストシーンで女性とその幼い娘の肩を抱きながら「長い冬も、もう終わりだ」と結ぶ。そこに至るまでの起伏に富んだ物語展開ならこその余韻が残る。
作者の「あとがき」の次の一文が印象的だった。「近年来、時代小説の面白味のかなりの部分が、劇画の分野に食われているという指摘を聞く。確かにそういう現象があるだろう。時代物を書く者として、また時代物の一読者として、なんとなく心細い気がしないでもないが、時代小説の面白味の中に、劇画という表現手段に適した部分がある以上、当然の現象だとうなずける」。
時代小説の第一人者が、劇画の隆盛に対して、肩肘張って物申すでもなく、冷静に淡々と受け止めている。その上で劇画の持つ強みを受け入れ、「劇画とは異なる小説の面白味さを構築していくしかないのだろうと思う」と述べる。そうした自然体でありのままを素直に受け止める姿勢こそが藤沢周平という作家の真骨頂なのだと思う。
住宅街の盆踊りで千鳥足 ― 2013年08月18日
昨日の夕方6時から住宅街の恒例の盆踊りがあった。山口町の7地区で開催される盆踊りでは最大規模の盆踊りである。住宅街の小学校の校庭中央に櫓が立ち、校庭周囲を囲んだテントには自治会や各種団体の夜店が出店する。リタイヤ後のここ数年は地域組織の役員の立場で毎年参加するようになった。
今年は市民ミュージカル劇団『希望』が、開会直後に踊りを披露した。女性劇団員による劇団紹介の後、浴衣姿の11人の劇団員たちが、盆踊り風にアレンジされたメロディー数曲を元気いっぱいに踊ってみせた。
盆踊りがたけなわになった頃、各テントを巡った。本部席の自治会関係者、各団体の夜店と巡りながらあちこちで知人友人と歓談した。数年間の地域活動がいつの間にか訪問先での懇談を増やしている。購入した生ビールや焼き鳥のお供のピッチがあがる。最後に本拠地の社協の敬老席に辿り着いた。面識のある老人会の面々と再び生ビールの紙コップが交わされる。
今年で28回を数える住宅街の盆踊りは、自治会の年間最大のイベントである。新興住宅街ながらそれなりに積み上げてきた歴史は重い。盆踊りを経験した子供たちの多くが大人になり、子供の頃にいい思い出になっている筈だ。この町を故郷として巣立っていった子供たちの中にはお盆で帰省し、郷里の盆踊りを子供たちに見せていることだろう。その故郷もまた超高齢社会を迎え着実に年輪を重ねている。
9時過ぎから後片付けを手伝って、帰路についた。ほろ酔い加減の千鳥足で我が家の玄関に辿り着いた。
今年は市民ミュージカル劇団『希望』が、開会直後に踊りを披露した。女性劇団員による劇団紹介の後、浴衣姿の11人の劇団員たちが、盆踊り風にアレンジされたメロディー数曲を元気いっぱいに踊ってみせた。
盆踊りがたけなわになった頃、各テントを巡った。本部席の自治会関係者、各団体の夜店と巡りながらあちこちで知人友人と歓談した。数年間の地域活動がいつの間にか訪問先での懇談を増やしている。購入した生ビールや焼き鳥のお供のピッチがあがる。最後に本拠地の社協の敬老席に辿り着いた。面識のある老人会の面々と再び生ビールの紙コップが交わされる。
今年で28回を数える住宅街の盆踊りは、自治会の年間最大のイベントである。新興住宅街ながらそれなりに積み上げてきた歴史は重い。盆踊りを経験した子供たちの多くが大人になり、子供の頃にいい思い出になっている筈だ。この町を故郷として巣立っていった子供たちの中にはお盆で帰省し、郷里の盆踊りを子供たちに見せていることだろう。その故郷もまた超高齢社会を迎え着実に年輪を重ねている。
9時過ぎから後片付けを手伝って、帰路についた。ほろ酔い加減の千鳥足で我が家の玄関に辿り着いた。
村社会と新興住宅街①「プロローグ」 ― 2013年08月19日
山口町に移り住んで30年になる。この町の自然や風土や伝統行事にもなじんできた。民生委員などの地域活動や「HP山口風土記」の取材などを通じて、かって山口村と呼ばれた旧地区在住者の知人も多くなった。彼らとの交わりを通して、旧地区が今なお農耕文化の伝統を残した村社会の名残りを色濃くとどめていることに気づかされた。それは地区運営の面でも特有の仕組みやしきたりとして維持されている。
一方で、山口町の人口の6割近くを新興住宅街在住の住民が占めている。新興住宅街は、山口町の山林原野を開発して造成された人工の町である。戸建住宅や賃貸マンションが建ち並び、阪神一円を中心に外部から移り住んだ住民たちで構成されている。当然ながらご近所さんは全く縁もゆかりもない人たちである。新興住宅街での地区運営もまたそうした成り立ち故の特有のものがある。
先日来、二つのイベントに参加した。ひとつは「市民と市長の対話集会」であり、今ひとつは「山口地域のまちづくりと交通・シンポジウム」である。二つのイベントを通じて、否応なく「まちづくり」や「町の活性化」というテーマに向き合った。同時にこうしたテーマを考えたり取り組んだりする上で、旧地区と新興住宅街のそれぞれの住民の意識の違いを感じずにはおれなかった。
新旧両地区の街並みを散策しながらその風景の違いとともに、成り立ちの違いを想った。しばらくこのテーマについて考えてみたい。
一方で、山口町の人口の6割近くを新興住宅街在住の住民が占めている。新興住宅街は、山口町の山林原野を開発して造成された人工の町である。戸建住宅や賃貸マンションが建ち並び、阪神一円を中心に外部から移り住んだ住民たちで構成されている。当然ながらご近所さんは全く縁もゆかりもない人たちである。新興住宅街での地区運営もまたそうした成り立ち故の特有のものがある。
先日来、二つのイベントに参加した。ひとつは「市民と市長の対話集会」であり、今ひとつは「山口地域のまちづくりと交通・シンポジウム」である。二つのイベントを通じて、否応なく「まちづくり」や「町の活性化」というテーマに向き合った。同時にこうしたテーマを考えたり取り組んだりする上で、旧地区と新興住宅街のそれぞれの住民の意識の違いを感じずにはおれなかった。
新旧両地区の街並みを散策しながらその風景の違いとともに、成り立ちの違いを想った。しばらくこのテーマについて考えてみたい。
村社会と新興住宅街②「成り立ちと街並み」 ― 2013年08月20日
手元に山口の2枚の航空写真がある。一枚は山口での大規模開発が始まる直前の航空写真である。もう一枚は大規模開発が完了した現在の航空写真に開発の状況を作図加工したものである。
山口は1975年の中国道・西宮北インターチェンジの開通後、堰を切ったように開発が始まった。1978年には丸山ダムが完成し、1980年には阪神流通団地の造成工事が完成した。そして1982年以降、北六甲台をはじめとした大規模宅地開発が相次いだ。1980年には5,600人だった人口は、現在は18,000人と3倍以上に膨れ上がり、その内1万人が新住民で約60%を占める。
2枚の写真は、新旧両地区の成り立ちと街並みの違いを見事に教えてくれる。旧山口村は、有馬川に沿ってその西岸に集落が発展してきた。有馬川の東側は文字通りの山林原野だった。南北に伸びた旧山口村の北方を中国道が開通し、北インター開通に合わせて最初に、村の西側の原野が流通団地として造成され、東と南の山林で大規模住宅開発が進展した。
実はこの開発の形態が、今日の山口の地区運営の特性を雄弁に物語っている。航空写真でも分かるように新旧両地区がパッチワークのように見事に分離されている。それは町の空地に小規模な住宅開発や集合住宅の建設が進められ、新旧地区が混在したり、せいぜいモザイク状に点在する一般的な開発と異にする。旧山口村の5地区(名来、下山口、上山口、中野、船坂)はそれぞれに自治会を持ち、全体として山口町自治会連合会としての強固なまとまりを持つ。それも旧山口村以来の成り立ちが深く関わっている。他方で、新興住宅地の北六甲台、上山口東、すみれ台もそれぞれに自治会を持つものの、それぞれが独自に開発された経緯からも相互のつながりは希薄である。
新旧両地区の街並みの違いは一目瞭然だ。有馬川とそれに平行した街道沿いに開けてきた旧地区は、農耕文化の風土を色濃く残している。あちこちに神社仏閣が点在し、茅葺屋根をトタンで覆った古民家も随所に見られる。旧街道脇には農耕用の水路が走り、あちこちに古い石像物が建っている。旧街道を一歩逸れると集落の中を入り組んだ小路がつないでいる。要するに自然発生的で個性豊かな街並みが息づいている。これに比べれば、新興住宅地はいかにも味気ない。効率主義を貫いた画一的な町造りそのものである。道を挟んで背中合わせの10数区画で構成されたブロックが延々と続くばかりである。家屋もまたハウスメーカーの量産型住宅が多い。没個性の街並みは永年住み慣れた住民でもしばしば道に迷ってしまう。
そしてそれらの新旧両地区の成り立ちと街並みの違いが、地区運営の在り方に大きな影響をもたらしている。
山口は1975年の中国道・西宮北インターチェンジの開通後、堰を切ったように開発が始まった。1978年には丸山ダムが完成し、1980年には阪神流通団地の造成工事が完成した。そして1982年以降、北六甲台をはじめとした大規模宅地開発が相次いだ。1980年には5,600人だった人口は、現在は18,000人と3倍以上に膨れ上がり、その内1万人が新住民で約60%を占める。
2枚の写真は、新旧両地区の成り立ちと街並みの違いを見事に教えてくれる。旧山口村は、有馬川に沿ってその西岸に集落が発展してきた。有馬川の東側は文字通りの山林原野だった。南北に伸びた旧山口村の北方を中国道が開通し、北インター開通に合わせて最初に、村の西側の原野が流通団地として造成され、東と南の山林で大規模住宅開発が進展した。
実はこの開発の形態が、今日の山口の地区運営の特性を雄弁に物語っている。航空写真でも分かるように新旧両地区がパッチワークのように見事に分離されている。それは町の空地に小規模な住宅開発や集合住宅の建設が進められ、新旧地区が混在したり、せいぜいモザイク状に点在する一般的な開発と異にする。旧山口村の5地区(名来、下山口、上山口、中野、船坂)はそれぞれに自治会を持ち、全体として山口町自治会連合会としての強固なまとまりを持つ。それも旧山口村以来の成り立ちが深く関わっている。他方で、新興住宅地の北六甲台、上山口東、すみれ台もそれぞれに自治会を持つものの、それぞれが独自に開発された経緯からも相互のつながりは希薄である。
新旧両地区の街並みの違いは一目瞭然だ。有馬川とそれに平行した街道沿いに開けてきた旧地区は、農耕文化の風土を色濃く残している。あちこちに神社仏閣が点在し、茅葺屋根をトタンで覆った古民家も随所に見られる。旧街道脇には農耕用の水路が走り、あちこちに古い石像物が建っている。旧街道を一歩逸れると集落の中を入り組んだ小路がつないでいる。要するに自然発生的で個性豊かな街並みが息づいている。これに比べれば、新興住宅地はいかにも味気ない。効率主義を貫いた画一的な町造りそのものである。道を挟んで背中合わせの10数区画で構成されたブロックが延々と続くばかりである。家屋もまたハウスメーカーの量産型住宅が多い。没個性の街並みは永年住み慣れた住民でもしばしば道に迷ってしまう。
そしてそれらの新旧両地区の成り立ちと街並みの違いが、地区運営の在り方に大きな影響をもたらしている。
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