復刻版日記④カメラはどこだッ!2009年10月02日

 夫婦だけの1泊2日の小旅行に行った。行く先は開通間もない明石海峡大橋経由の四国の旅である。
 初日の泊りは松山「道後温泉」。お目当ての『道後温泉本館』近くのホテルにチェックイン後、早速散策。道後温泉駅前の「坊ちゃんカラクリ時計」の精巧さと演出の巧みさに感嘆。土産物屋の並ぶ道後商店街をそぞろ歩き。
 そしていよいよ「坊ちゃん温泉」に。「本館」正面入口で木戸銭の支払って「霊(たま)の湯2階席・980円也」のチケットを求める。芝居小屋の舞台裏のような通路を伝って「霊の湯2階席」にたどり着く。ここで浴衣に着替え、係りのおばさんに貴重品を預ける。引換えに平の金属のワッカ(ブレスレット?)を貰う。中二階の「霊の湯」にようやく到着。浴室自体は「20畳位のスペースに縦横3m×6m位の湯船」といった意外と小ぶりな造り。旅の垢を落とし湯船で手足を伸ばし、ゆったり気分満喫。・・・とここまでは物珍しさ以外は何事もない穏やかな旅情のひとこま。
 突然風景が一変した!背後から二人の入浴客の気配。ふと見ると腕に何やら墨模様。不吉な予感。二人連れは、小生を挟むように左右の湯船の縁に腰掛けて一服。そこで発見。デタ~ッ背中一面の見事な彫り物。右側の50前後の幹部風は「不動明王」が目を剥いている。左側の20代後半の優男は「昇り龍」がとぐろを巻いている。これは悪夢か?はたまたドッキリカメラか?ならばカメラはどこだッ!
 それにしてもこれほど間近にかくも見事なクリカラモンモンを目の当たりにするとは!もちろんジロジロ眺めるほどの度胸もない。「見事なもんですな~」などと話かけてみたい衝動にかられたものの実行に移すなど及びもつかない。横目でチラチラ盗み見するのが精一杯。彼らの入場直後の退場も何やら危険な予感。ここは一番、「やれやれよく浸かったな~」という雰囲気での退場が肝心・・・などとあらぬことを計算しながら、ことさらゆっくり退場。
 「霊の湯2階席」で入浴後のくつろぎ。見事な塗り物の茶托にもられた煎茶に名物の煎餅を賞味。(ガイドブックによればこの茶托は輪島塗りで今作ればナント7万円もするとか。湯飲みも砥部焼きとのこと。
 思わぬハプニングに日常生活から隔絶した旅のもたらす面白さをあらためて実感。これはヤッパリ日記に書いておこう!(1998年6月11日)

復刻版③母の世話焼き・・・怒涛の愛2009年09月30日

 ゴールデンウィークである。外資系製薬会社の広島支店勤務の息子が帰ってきた。2ヶ月ほど前、退職をほのめかして両親をうろたえさせた息子である。波乱の幕開けか。父、ことさらさりげなく「会社・・・どうするって?」。息子、「当分続ける」。そばで聞き耳を立てていた筈の母親共々「ホッ」。ひとまず波乱は回避。
 でもって本日は息子のパソコン購入につきあうことに。すかさず母親、「私もついて行く」と断固たる口調。息子の車で親子3人神戸ハーバーランド迄の1時間ほどのドライブ。助手席に陣取った父と息子の新旧サラリーマンの会話。母は後部座席から無謀にも割り込みを試みるが、住む世界の違いはいかんともしがたい。あえなく撃沈。
 到着後、父と息子はパソコン専門店に。全く興味のない母親はひとりで百貨店に。息子は大胆にも話題のソニーのバイオノートを購入。合流後、母は下見しておいた息子のゴルフ用スラックスとドレスシャツを惜しげもなく買ってやる。(確か夫のカジュアルシャツは、近くのコープの見切り後プライスで買っていた)
 帰路につく車に乗り込む。再び母親の断固たる宣言。「帰りは私が助手席に」。狭い車中での息子と並んだポジション。たまに帰郷しても家に居つくことのない息子である。母親にとって久々に息子と会話できる絶好の環境。(息子にとっては逃げも隠れもできない絶体絶命のピンチ)。発車と同時に母親の息もつかせぬおしゃべり攻撃。近所に住む息子の学生時代の友人の話、独身生活の心得、近所の世間話等々・・・とどまるところを知らない。
 後部座席の父も時々相づち程度に参加するも、襲ってくる眠気には勝てず。もうろうとした意識のなかで、父親はなぜか「横綱・曙の一気の突き押し」のシーンを思い浮かべながら呟いていた。『母の世話焼き・・・怒涛の愛』。(1998年5月3日)

復刻版②採用面接傑作集2009年09月23日

 復刻版日記・第2作である。11年前、私は出身企業の部長職だった。景気が順調だった当時は毎年春には求職に対して新卒の応募が殺到していた。人事部だけでは手が回らず、各部の責任者が採用面接に駆り出されていた。面接官が質問役と記入役の2人一組で4~5人の学生相手に集団面接をする。その際に見聞した採用面接の傑作集である。


【その1】「当社の志望動機を聞かせて下さい。」「ワタクシは、(この場面ではボクとかワタシとは決して言わないものらしい。日常用語とは到底思えないワタクシなのである。)昔から人と接するのが好きでして接客業に絞って応募をしております。」 でもって事前提出の面接表の「他社での就職活動の状況欄」に目をやると『大阪府警』の文字が飛び込む。(オイオイ、どこが接客業に絞ってなんだ?まてよ、考えてみれば警察官も接客業か。接客相手が消費者か容疑者かの違いだけか。マッいいか!)
【その2】先ほどから緊張の故か、しどろもどろの受け答えで明らかに×マークのA君への最後の質問。「それでは貴方のセールスポイントをどうぞ。」「実はワタクシは、大学受験で一度失敗しました。それ以来二度と失敗はしないことを信条に頑張ってきました。」面接官は、思わず心の中で叫んでしまった。『君は既に2度目の失敗をおかしている!』
【その3】 「ゼミでの学習内容と、それを通してあなたが学んだことを紹介して下さい。」あまり勉強している風にも見えないB君への質問。「(例によって)ワタクシは、金融・証券ゼミを専攻いたしました。そして今日の日本経済における証券業界の状況を勉強いたしました。」(証券業界に未曽有の危機が訪れていた。ナルホド、ナルホド)「そのことを通して私が学んだことは・・・・」(ウンッ)「証券業界の就職活動はやめておこうと言うことです。」(ダハ~ッ。勉強せんと分からんことかッ!)
【シリアスなテーマ】 最後に予期せぬ事態でのシリアスな体験。5人1組の最後の学生は女子大生。ふと見るとスモークグラスの下の両目は明らかに開いていない。一瞬動悸が早くなる。事前提出の面接表はと見ると・・・問題はない。チャント書けている。質問役は相方の番。面接が始まった。彼女へも型通りの質問。(相方も心なしか緊張しているかにみえる。動揺の色は隠せない)。人事からは事前の連絡は何もない。目が不自由なのかどうか確認すべきでは?その点をコメントした上での判断を提出すべきでは。逡巡の間も面接はドンドン進む。意を決して口を挟んだ。「外見上は目が不自由なように見えますがその点はいかがですか?」「ハイ。不自由です。履歴書にはその旨書いておきました」「面接表はキチンと書かれていますネ」「その位は大丈夫なんです」。物怖じしないはきはきした受け答えであった。ハンディキャップを何とか乗越えようという懸命さが伝わる。聞いて良かった。面接が終わり、ドアに一番近い彼女は、男子4人を先に通し最後の挨拶をすませ、爽やかに姿を消した。 (1998年4月10日)

つぶやき日記・復刻版①オオトラに変身した娘2009年09月22日

 このブログは3年前の2009年6月19日にスタートした。そしてその1年後の2008年5月10日のリタイヤの日以来、今のところ毎日更新を維持している。アクセスも1日平均50を越える数をカウントしている。とはいえ毎日更新の維持が結構辛い時があるのも事実である。
 ブログとしてはかなり出遅れたが、実は個人ホームーページにはずっと以前から「つぶやき日記」と題して、徒然の想いを綴っていた。最初の執筆は1998年3月13日で、11年6ヵ月前からのスタートだった。折にふれかっての記事を読み返すこともある。中には我ながらの出来栄えの記事もある。そこで思いついた。毎日更新を維持するために駄作の記事でお茶を濁すより、かっての「つぶやき日記」の中からこれぞと思う記事を掲載した方が意味があるのではないか。(ブログの毎日更新維持に向けたイージーでセコイ対応と言えなくもない)
 かくしてブログカテゴリーの追加となった。カテゴリーのタイトルは「復刻版・日記」である。記念すべき第1作は「オオトラに変身した娘」と題した11年前の記事である。


 午後10:30 、同僚の送別会とのことだが、娘の帰宅がやけに遅い。電話のコール音。そらきた。父、受話器に飛びつく。「お嬢さんの勤務先の○○と申します。実はお嬢さんが酔いつぶれて・・・。今からタクシーでお宅まで送りますので道順を教えて頂けませんか」。受話器の向こうの若い女性の声。「1人で帰れる状況にない」とのダメオシ。父、一瞬絶句。気を取りなおして「近くの高速のインターまで迎えにあがります。」
約1時間後、母親ともども押っ取り刀で最寄りのインター出口にかけつける。タクシー着。後部シートに眠りこけているオオトラに変身した娘。漂う異臭がモドシまくった状況を雄弁に物語る。付き添いの上司である○○さんにひたすら恐縮と感謝の弁。抱えるようにマイカーに。
 帰宅後はもっぱら母親の獅子奮迅の活躍。再びモドス娘の介護、シャワー後の爆発ヘヤーの修復工事への加担(女という動物は、かくなる非常事態のもとでも、かくも髪型にこだわるのか・・・)、泥だらけの衣類の洗濯等々・・・。
父親の出番なし。酒の失敗は数知れない父親。以前につぶやいた娘の言葉がよみがえる。「私、お父さ んの悪いトコばっかり似ているみたい」。 (1998年3月31日)