塩野七生著「海の都の物語6」2009年09月12日

 「海の都の物語」の最終第6巻を読んだ。第12話「地中海最後の砦」は、ヴェネツィア共和国の地中海の最後の砦であったクレタ島の1645年に始まる攻防戦の物語である。ヴェネツィア軍はトルコの大艦隊を向こうに回して25年間もの間、首都カンディアを守り続けた。この城塞都市カンディアこそが、昨年私がエーゲ海クルーズのツアーで寄港したクレタ島のイラクリオンだった。1669年、25年間をクレタ戦線で生きた総指揮官フランチェスコ・モロシーニは降伏を決意し、遠く離れた本国政府の承認を得ることなく独自にトルコ軍と和平交渉に乗り出す。そしてクレタの三要塞の保有とその三港の使用権、三千のヴェネツィア兵の安全退去の保証を条件に最終的にクレタ島を退去する。
 その14年後の1683年、オーストリア、ポーランド、ロシア、ローマ法王庁とともに反トルコ同盟に参加したヴェネツィア海軍の総司令官には、再びモロシーニが選ばれていた。モロシーニ率いるヴェネツィア軍は快進撃を続け、レパント、コリント、アテネ等を次々に攻略する。1688年、モロシーニは海軍総司令官兼務のままギリシャの戦場で共和国元首に選ばれたことを知らされる。さらに元老院は彼の功績を讃え、その存命中に官邸内に銅像をつくり、死後には凱旋門までつくった。ヴェネツィアの共和政体では、社会の安定と発展は権力と権威を分離し多くの人々に分散することによってしか得られないと信じられていた。そのアンティ・ヒーローの国が17世紀末にはヒーローをもてはやしはじめたのだ。それは発展からは無縁の坂道を下る道のりの出発でもあった。
 とはいえ地中海最後の砦を失い、西欧経済の主導権をなくし、アンティ・ヒーローの気概までなくした後ではじめてヴェネツィアは平和の果実を味わえるようになる。18世紀のヴェネツィアは平和で優美で洗練され華麗な時代・・・著者が「ヴィヴァルディーの世紀」と名づけた時代を迎える。第13話の物語である。
 第14話「ヴェネツィアの死」は、1789年のフランス革命の勃発と二十歳にも達しない若い士官ナポレオン・ボナパルトの連隊入隊の記述で始まる。そしてその9年後にヴェネツィア共和国はこのフランス革命政府のイタリア方面担当総司令官ナポレオンによって死を宣告されることになる。1797年4月30日、総司令官ナポレオンの特使がヴェネツィア共和国政府に宣戦布告を通告する。5月12日、共和国国会は無抵抗で降伏する自国の市民に対する布告を審議し、圧倒的多数で共和政を廃しフランス的な民主制に移行することを決議する。ここにヴェネツィア共和国の死が確定した。ヴェネツィアに死をもたらしたのが宿敵トルコでなく、コルシカ生まれの若き将軍ナポレオンであったことに感慨をおぼえずにはおれなかった。
 文庫版「海の都の物語」全6巻を読了した。20世紀に経済大国を謳歌し、21世紀に入り衰退の道を辿っているかに見える島国・日本にとって示唆に富んだ都市国家の物語だった。優れたヒーローや少数のリーダーシップに依存しない特異な共和政体のもとに、国民の努力と能力を最大限に発揮する緻密で優れた統治の仕組みを築きあげたヴェネツィア人たちの知恵に感服するばかりである。