地元老人クラブの歴史講演とお茶会 ― 2012年01月21日
先月のミュージカル劇団公演の終演後にあるご婦人から声をかけられた。「来月21日に名来の老人クラブのお茶会で橋本芳次先生の歴史のお話し会がありますが、来られますか」。橋本さんは90歳位の地元の大長老で郷土史研究家としても著名な方だ。何度かお話しを聞いたりして面識もある。願ってもないお誘いだった。
今日、そのお茶会があった。山口町の北端の地区の名来公会堂が会場だった。1時半の開会に2階集会室には26名のお年寄りが席を埋めた。お誘いいただいた方も世話役のひとりのようだ。
講演が始まった。聴衆は名来在住のお年寄りということもあり、テーマは名前の由来を中心とした名来の近世の歴史だった。江戸時代初期に名来村となるまでは千足村(せんぞくむら)と呼ばれていた。慶長10年(1606)の「摂津国絵図」には「サライ村」と記されているが、これは単に絵師が名来のナをサと読み間違えただけと思われる。名来の地名の起こりは、昔お天上山に祀られていた神がこの地を去って里人が泣き悲しんだことから「泣き」が転じて名来になったと伝えられている。また有馬川の流れがこの付近でおだやかになり地形も平坦になることから、平坦とかゆるいを意味する「ナルイ」が起こりという説もある。90歳を超える高齢ながら幼児期の思い出話も交えた1時間ばかりの興味深い話を伺った。
終了後、1階の部屋でお茶会が開かれていた。部外者でもあり帰りかけたが世話役の方からぜひにと誘われた。テーブルにつくとお菓子やぜんざいやコーヒーが運ばれる。しばらくすると年配のご婦人から声をかけられた。講師の奥さんでずっと以前に民生委員もされていたようだ。娘さんとは1年前まで民生委員の同僚だった。ご主人の話しを中心に色んな四方山話をさせてもらった。二日前の地元長老の交流に続いて、ここでもありがたい交遊の広がりを実感した。
今日、そのお茶会があった。山口町の北端の地区の名来公会堂が会場だった。1時半の開会に2階集会室には26名のお年寄りが席を埋めた。お誘いいただいた方も世話役のひとりのようだ。
講演が始まった。聴衆は名来在住のお年寄りということもあり、テーマは名前の由来を中心とした名来の近世の歴史だった。江戸時代初期に名来村となるまでは千足村(せんぞくむら)と呼ばれていた。慶長10年(1606)の「摂津国絵図」には「サライ村」と記されているが、これは単に絵師が名来のナをサと読み間違えただけと思われる。名来の地名の起こりは、昔お天上山に祀られていた神がこの地を去って里人が泣き悲しんだことから「泣き」が転じて名来になったと伝えられている。また有馬川の流れがこの付近でおだやかになり地形も平坦になることから、平坦とかゆるいを意味する「ナルイ」が起こりという説もある。90歳を超える高齢ながら幼児期の思い出話も交えた1時間ばかりの興味深い話を伺った。
終了後、1階の部屋でお茶会が開かれていた。部外者でもあり帰りかけたが世話役の方からぜひにと誘われた。テーブルにつくとお菓子やぜんざいやコーヒーが運ばれる。しばらくすると年配のご婦人から声をかけられた。講師の奥さんでずっと以前に民生委員もされていたようだ。娘さんとは1年前まで民生委員の同僚だった。ご主人の話しを中心に色んな四方山話をさせてもらった。二日前の地元長老の交流に続いて、ここでもありがたい交遊の広がりを実感した。


最近のコメント