花ちゃん一家がエライコッチャ2018年03月15日

 朝から大津市の花ちゃん宅を訪ねた。今週初めから花ちゃんと母ちゃんがインフルエンザでダウンした。おかげで二人とも今週いっぱい保育園と会社を休んで自宅にこもっている。そんな二人のお見舞いに出かけた。
 8時すぎに花ちゃん宅のリビングに足を踏み入れた。テーブルに向かっていつもの椅子にちゃんこした花ちゃんがいた。荷物を抱えたマスク姿のじいちゃんを見て「じいちゃ~ん」と笑顔で迎えてくれる。一カ月ぶりの対面だった。
 最初に花ちゃんがインフルエンザにかかってすぐに母ちゃんがうつされた。見舞いに行ってインフルエンザのお土産を貰っては堪らない。マスクを着けたまま一緒に遊んだ。思った以上に元気である。たまにコンコン言ってるが熱もなさそうだ。じいちゃんがメルちゃんとユウちゃんを見つけて抱っこすると「花ちゃんのッ」と言って取り戻す。この元気なら心配はない。
 みんなで歩いて10分ほどの市役所の支所に出かけた。花ちゃんにとっては久々のお出かけだ。ばあちゃんに手を引かれて支所まで歩いた。用事を済ませて長次郎の回転寿司で昼食をとった。お寿司やうどんや天麩羅をモリモリ食べている。
 家に戻る途中のベビーカーですぐに眠りに落ちた。1時間ばかり自宅でお昼寝してようやく目を覚ました。目覚めた花ちゃんとしばらく遊んで3時半頃には帰路についた。「バイバイいやや」とむずかっていたがすぐに笑顔になってバイバイしてくれた。

サッカー選手とケーキ屋さん2018年03月17日

 住宅街にある幼稚園の卒園式に参列した。9時から10時までの1時間の式典である。さすがに幼稚園児が対象とあってそれ以上のかしこまった式典は無理があるのだろう。
 式の大部分は合唱と93名の卒園児の修了証書授与である。四曲もの歌を園児たちは一生懸命歌い上げた。最後の曲目は前半を英語で後半を日本語で作詞された園歌だった。語学教育に力が入っているのは来賓に英語と韓国語の派遣教師招かれそれぞれの語学を用いた挨拶が披露されたことでも窺えた。
 修了証書が卒園児ひとりひとりに渡された。園児たちは名前を名乗った後、自分の将来の夢を口にした。最も多かったのは男の子はサッカー選手、女の子はケーキ屋さんだった。今どきの園児たちの夢が窺えて微笑ましかった。
 10時からの福祉ネット役員会を15分繰り下げをお願いしていた。10時10分に会場を後にし、徒歩3分のコミセンに駆けつけた。

見守り声掛けと共生社会2018年03月18日

 認知症サポートべんり帳地域版作成委員会の場で、先日の東山台での声掛け訓練の話題を提供した。5人の委員はそれぞれに認知症について関心の深い面々である。私から訓練の際の認知症役のスタッフへの声掛けの難しさを述べると、これを皮切りに様々な意見が交わされた。
 「認知症の方への声掛けと思うから難しいのではないか。例えば公園で寛いでおられるお年寄りに挨拶したり話しかけたりすることをみんなで心がけるということから始めてはどうか」「声掛け訓練の目的は認知症の方だけを対象にしているのでなく、街角で困った様子の方に気軽に声をかけられることではないか」「要は”向こう三軒両隣”の意識を新興住宅地にも取り戻すことではないか」
 確かにその通りだと思った。街角で認知症の方だけに声掛けできるわけではない。お年寄りや障がい者や子どもたちの困った様子や通常でない様子を気に留めて声掛けするのだろう。その声掛けのやりとりを通して中に認知症の方がいるかもしれない。地域コミュニティとはそうした風土がその町に根付いていることを意味している。
 超高齢社会を迎え認知症発症者だけでなく様々なハンディを抱えた方たちがあるがままに暮らせる町づくりが必要だ。誰もがごく自然に声を掛け合える町づくりこそが「共生の町」の基盤なのだろう。

本田一成著「オルグ!オルグ!オルグ!」2018年03月19日

 昨年、2回に渡って本田一成國學院大學経済学部教授のインタビューを受けた。我が国のチェーンストアの労使関係についての研究者で1970年代から1980年代のチェーンストア労働界や出身労組の動向についての取材だった。同様にチェーンストアの主要な労組の取材もほぼ完了しているようだった。
 このほどそれらの取材結果の集大成が「オルグ!オルグ!オルグ!」というタイトルで発刊され、取材対象である私に送付されてきた。 360頁にも及ぶチェーンストア労働運動史の金字塔ともいうべき労作である。しかも堅苦しい学術的な記述でなく人物描写を中心とした読み物風の記述で一気に読者を引きこむ著作である。手にとりさえすれば多くの読者を引き付けるに違いない。記述のスタンスも著者の独自の視点を堅持しながら努めて客観性を重視したもので、チェーンストア労働運動の歴史や流れを理解し、主要労組の結成の背景・経過を端的に把握できる。
 とりわけ私の出身労組に関する部分は、労組結成の中軸を担った私についての記述を中心に結成当時の想いやチェーンストア労働運動への関わり方や立ち位置が踏み込んだ形で見事に描写されている。(私に対する過度な評価におもばゆい面もあるが・・・)
 後輩たちにもぜひ読んでもらいたい著作である。

人材発掘と人材育成(活動の在り方改革)2018年03月20日

 地区社協の4月総会を控えて議案書づくりや役員選考に追われている。とりわけ1期2年の改選期でもある役員人事に関しては世代交替の要因も重なり人選に苦慮している。
 幸い人材発掘という面では3年目を迎えた「ちょい呑みオヤジ会」の情報が貴重だった。オヤジ会での近況報告や自由懇談での意見交換を通じてメンバーの地域活動への想いが窺える。オヤジ会は地域活動と人材発掘という接点の場でもある。
 従来、社協の役員は自治会、青愛協、老人会、子ども会、婦人部等の地域組織からの派遣役員のウェイトが高かったこともあり、役員は各事業部に所属するものの名ばかり役員の方も多かった。そのため役員の活動分担が徹底せず結果的に会議に出るだけで任期を終える方も多かった。地域活動の楽しさややりがいは実際の事業部活動を通して初めてもたらされる。来期に向けて社協役員の事業部ごとの取組み方の協議と活動分担を積極的に進めたい。「働き方改革」ならぬ「活動の在り方改革」である。人材育成とは具体的な活動を通して達成されるものではないだろうか。

パーキンソン病に身構える2018年03月22日

 郷里・名古山の墓参りの帰路にある弟宅に立ち寄った。パーキンソン病を患っている弟のブログで症状の進行が綴られていたからだ。見舞いを兼ねてようすを知っておきたかった。
 リビングの掘りごたつを囲んだ二組の夫婦の久々の対面だった。心なしか疲れの窺える弟から症状の変化が伝えられた。治療薬の副作用が不眠症、不安感、幻聴・幻覚等の精神神経症状を引き起こしているとのこと。
 パーキンソン病は神経伝達物質のドパミンの減少によって引き起こされる神経変性疾患である。50~60代が発症のピークと言われ弟の発症も60代半ばだった。母親も晩年に同じパーキンソン病に罹患したように環境要因と並んで遺伝子も重要な発症要因のようだ。
 他人事ではない。もっとも近い近親者二人が罹患している。明日は我が身である。遺伝要因はどうしようもないものの環境要因は対応の余地がある。暴飲、暴食、運動不足、ストレスの抑制である。あらためてパーキンソン病に身構えた。

白内障の不安2018年03月24日

 左目の視力がとみに低下したようだ。テレビ画面の細かな文字が見えづらくなった。右目を塞いでみるとほとんどぼやけている。以前、かかりつけの眼科医院で白内障の症状が出ていると告げられた。今後悪化するようだと手術という選択肢も考えられるとのこと。
 意を決してかかりつけの眼科医を訪ね、手術の是非を相談した。ところが私の左目にはポスナーシュロスマン症候群という急激に眼圧が上昇する持病を抱えている。そのためかかりつけ医は手術をしても視力が回復しなかったり他の症状が発症するリスクもあるという。そこで定期的に来診して検査をしてもらっている専門医と相談してはどうかとのこと。即座に同意して来月中旬の診察予約をした。
 加齢に伴う身体の節々の金属疲労が発症している。

有馬ホールの認知症サポート劇2018年03月25日

 今年もありまホールで北神医療介護サポートセンターの地域住民向けフォーラムが開催された。センターに所属する医療介護の関係者による素人劇である。今回は「裕次郎さん、認知症サポーターになる!」をテーマにした認知症サポートの解説劇だ。
 15時開演のホール前に14時半過ぎに到着したが、既に大勢の観客が列をなしている。前回好評だったことあり、身近な医療や介護関係者の素人劇が予想以上に関心を呼んでいる。
 三幕5場の2時間余りの上演だった。60人ほどの出演者に加えて20人以上の製作スタッフが参加している。これだけでもこのイベントの凄さが窺える。観客へのアナウンス以上に北神地区の関係者間の絆の強さを育んでいるに違いない。
 劇の内容自体は私も承知しているごく一般的なものだった。劇という媒体で認知症サポートをアナウンスするのだから可能な限り平易な表現になるのは当然だろう。脚本はそうした意図を汲んで分かりやすくギャグを織り交ぜたなかなかの出来栄えだった。出演者たちがせりふを覚えきらずにメモを片手に演じる様も良しとしよう。誰もがおっかなびっくりに認知症という未知の世界と向き合うのだから。
 素人集団の未知との遭遇に果敢にチャレンジする姿に拍手した。

墓をどうするか?オヤジ会での関心事2018年03月26日

 呑み会グループのオヤジ会があった。メンバーの事情が重なり今回の参加者は7名と少なめ。それだけにある話題に突っ込んだ意見交換が交わされた。
 話題を提供したのは同年代のご近所さんだった。「我が家の墓をどうするかについて家内と話し合ってるがなかなかまとまらない。遠く離れた実家の墓に入るわけにもいかない。近くの霊園に墓地を購入して墓を建てても子どもたちが帰る当てはないし、守をしてくれる見込みもない。皆さんはどうするつもりですか?」。
 殆どが実家を離れて新興住宅地に終の棲家を求めた人たちだ。誰もが抱える共通の問題である。古希を挟んでその前後の参加者たちにはいよいよ切実になってきた。
 この話題に参加者たちが即座に反応した。「白水峡霊園に墓地を手当てした」「樹木葬を検討している」「山口旧地区の寺院の永代供養塔の申込みを考えている」「子供たちにはこの町が故郷だ。戻ってくる見込みはないがせめて墓参を通じて故郷に戻れる機会を提供したい」等々。
 リタイヤオヤジたちの終活含みの話題がリアリティを帯びてきた。

市民生委員会広報紙「ともしび」第4号の所感2018年03月28日

 西宮市の民生委員・児童委員会の広報紙「ともしび」第4号が発行された。創刊号から第3号までを実質的な編集長という役回りで発行に関わり、ソフトを活用して編集実務も担当した。
 第4号は新たな編集メンバーで企画され編集は外部委託されたようだ。創刊号から第4号までの広報紙を並べてみた。第4号はタイトルロゴ、紙面構成、定番記事等が踏襲され、一見して同じスタイルの広報紙として継承されている。創刊に関わりこのスタイルを仕立てた立場からは、その編集姿勢をありがたく受け止めた。掲載すべき内容がそつなくまとめられた紙面構成という印象だった。
 ただ欲を言えば、紙面からにじみ出る味わいが希薄なような気がする。前号までの紙面には編集責任者の立場で肉声に近い味付け記事を要所に配した。「ともしび発行のゆえん」「セカンドライフの魅力的な活動」「ある民生委員の活動日記」「無縁社会を見つめるまなざし」等の記事である。今日の民生委員を取り巻く環境を背景にその役割にふさわしい問題意識を伝えたいという想いがあった。それは多分に俗人的で独善的なスタンスだったことも承知している。それでも幅広いメンバーによる校正を経て修正加筆されオーソライズされたものとなった。
 そうした濃いキャラの編集責任者が交替し、企画編集を一元的に担当できるメンバーがいない場合は、「味わい」部分の希薄化は避けがたい。比較的平坦な紙面構成にシフトしているかにみえる。とはいえ願うらくは特集記事等で、「我が事丸ごと」の地域共生社会に向けた独自の視点での切り込み等を取上げてもらいたい気がする。