ゴルバチョフ氏を悼む2022年09月02日

 8月30日、ソ連邦最後の書記長・ゴルバチョフ氏が亡くなった。個人的には著名人の訃報の中でとりわけ衝撃的な訃報のひとつだった。
 1975年に出身企業の労組書記長だった私は、業界労働団体の繋がりでソ連邦訪問団の一員としてモスクワ、リガ、レニングラードを訪ねた。当時はブレジネフ書記長率いるソ連邦が米ソの緊張緩和策(デタント)による「資本主義的豊かさ」の副作用をブレジネフ氏への個人崇拝で引き締めようとしていた時期のようにみえた。
 ゴルバチョフ氏は、その10年後に54歳でソ連邦の8代目の指導者として書記長に就任した。外交面のソ連・アフガン戦争の撤退、ロナルド・レーガン大統領との首脳会談による冷戦終結、内政面の言論・報道の自由を認めるグラスノスチ(開放)政策、経済の意思決定を分散して効率化を図るペレストロイカ(再構築)政策等の大胆な政策を実施した。それは結果的にソ連邦解体を招くものとなり、冷戦終結という成果と共に歴史に偉大な足跡を残した。氏の著作「ペレストロイカ」を共感しながら読んだ。
 私はソ連邦訪問時に現在のラトビア共和国の首都リガも訪ねた。その時に訪問団の応接担当の同世代の美人書記アルビーナさんとの忘れ難い思い出を経験した。二人だけの会話の中で彼女は異邦人の私にソ連邦からのラトビア独立を願う言葉を口にした。それから16年後に彼女の願いはソ連邦崩壊とラトビア共和国独立という形で実現した。それは紛れもなくゴルバチョフ氏のソ連邦改革という大胆な政策がもたらしたもののひとつだった。
 ゴルバチョフ氏が死を迎えた時、ロシアのウクライナ侵略戦争が只中だった。ソ連邦解体後の混乱の中で最終的にロシアを牛耳って長期にわたり独裁体制を確立したのはプーチン氏だった。ロシアのウクライナ侵攻はロシアの西の隣国ラトビアの明日を意味している。ロシアのラトビア侵攻の不安という緊張感の中で過ごしているだろうアルビーナさんに想いを馳せた。

バルト三国の危機!ラトビアのアルビーナさんの消息は?2022年07月18日

 朝日テレビの「ワイドスクランブル」で関心の深いニュースの解説をしていた。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、ウクライナの隣国バルト三国のロシアへの警戒感を深めている実態を伝えた特集番組だった。
 バルト三国うちラトビアは思い出深い国である。1975年の30歳の時に労組役員の一員としてソ連邦を訪問した。その時の訪問先のひとつが独立前のラトビアの首都リガだった。
 2年前に自叙伝を自費出版した際に、その時の訪問記の中でリガの思い出を次のように綴った。

 『リガでは忘れ難い出来事を体験した。30代の美人書記・アルビーナさんが我々の応接担当だった。50代以上の団員が多い中で、同世代でカタコト英語を話した私と4日間の訪問を通じて親しくなった。別れの晩餐会で二人だけでしばらく会話した。酔いも手伝ったのか彼女の口から祖国ラトビアの独立を願う言葉がついて出た。大国ロシアに占領され、心ならずもソ連邦の一員となった民族の魂の叫びを垣間見た気がした。秘密警察も跋扈するお国柄で、異邦人相手によくぞ語ったものだと驚愕しながら共感の言葉を返した。
 列車でレニングラードに向かうプラットホームでの別れの時だった。団員仲間たちとの別れを握手で済ませていた彼女が、突然私の腰に手を廻し頬を寄せてハグをした。私の人生の中でも思い出深い感動的でドラマチックな一瞬だった。祖国への想いをはからずも伝え、受け止めてもらった異邦人への親愛の情が、咄嗟にそんな行動に駆り立てたのだろう。
 それから16年後の1991年に彼女の願いはソ連邦崩壊後のラトビア共和国の独立という形で実現した。テレビでその報道に接した時、ラトビアを”ラティア”の愛称で繰り返していた彼女の面影を思い出しながら心から祝福した』

 そのラトビアが、今またかつての悲惨な歴史を繰り返されかねない危機を迎えている。テレビ越しにその背景と現状の報告を見詰めながらアルビーナさんの消息に思いを馳せた。

読売新聞社説「自治会改革」2022年04月27日

 数日前の読売新聞に「自治会の将来~住民が入りたいと思う組織に~」と題する社説が掲載されていた。ポイントを要約してみた。
・自治会は全国で約30万あり、2020年度加入率は72%で10年前から6%低下した。
・加入率低下で役員の高齢化と固定化が進み、自治体広報紙の配布、会費集金、募金活動が滞る事例が増えている。
・自治会役員が重荷に感じているのは広報紙の配布や民生委員の推薦依頼だ。
・子どもの見守り、高齢者の居場所作りなどの従来地域が担ってきた課題を専門的に取組むNPOが増えている。自治体は自治会の負担を減らすためこうした団体を引き入れることが必要だ。
・回覧の電子化や災害時のSNS活用等のIT活用が若い世代の理解を深める上で役立つのではないか。

 上記の一般的な自治会の現状と我が町の自治会の現状を比較分析してみた。
・加入率は80%を超えており比較的安定している。
・自治体広報紙は西宮市は既にシルバーセンターに業務委託されている。自治会広報紙は年3回ながら自治会員対象に配布体制は維持されている。地域福祉に関わる広報は地区社協の広報紙が年6回全住民に役員の手で配布されている。
・子どもの見守り、高齢者の居場所も地区社協が子育てサロンやふれあい喫茶等を開催しカバーできている。
・IT活用は自治会員有志に向けて携帯メールの同時発信サービスが実施されているが対象者が限定され限界がある。今後のLINE活用等の改善やホームページ立上げが課題とされている。

 以上の整理を踏まえながら、自治会と地区社協の課題がかなりの分野で重複している。今後の一層の連携を痛感した。

ゼレンスキー大統領の重圧と葛藤2022年03月25日

 数ある世界の大統領の中で今最も注目を集め支持されている大統領はこの人をおいてほかにない。ウクライナのゼレンスキー大統領である。
 2019年に大統領に就任するまではコメディアンだったという異色の人物である。大統領就任直後に実施された議会選挙では彼の立ちあげた新党が424議席中240議席以上を占める圧勝をした。ところがいかんせん政治には素人にすぎない彼は就任以降は内政や外交でのつまづきで支持率は低迷した。
 そして就任3年目の2022年2月、彼の政治活動を根底から震撼させる事態が襲った。ロシアのウクライナ侵攻である。彼は首都にとどまり、国民を鼓舞する抗戦のメッセージを送り続けた。支持率は急上昇し、世論調査では91%もの国民が支持した。侵攻後1カ月を経て今尚ウクライナはロシア軍に対峙し徹底抗戦を続けている。
 ゼレンスキー大統領の心情を推測した。過酷な選択を日々迫られている。ロシア軍の無差別攻撃の前に国民の多くの命が失われている。それでも尚、国の存続のためには徹底抗戦を鼓舞するしかない。他方でプーチン・ロシア大統領の最優先の暗殺の標的として自身の命の危険も差し迫った現実である。彼の心の内には「抗戦」と「撤収」の選択肢が揺れ動いているに違いない。それは決して表には出せない心情である。
 彼の「抗戦」と「撤収」という選択肢についての途方もない重圧と緊張感を思いやった。暗殺の恐怖と闘う葛藤に心を寄せた。結局それはどこまでも彼自身が受止め判断するしかない。誰もそのことをとやかく言えない。
 世界で最も注目を集め支持されている大統領は、世界で最も過酷な選択を日々迫られている大統領でもある。

コロナ禍蔓延の恐怖を上回る強権支配の蔓延2022年03月01日

 耳を疑うようなまさかの事態が発生した。ロシア軍のウクライナ侵攻である。二度の世界大戦の反省を経て新たな国際的な平和の枠組みが曲がりなりにもできていると思っていた。米ソの冷戦時代も終焉し大戦の懸念も遠のいたという安心感もあった。
 そんな甘さを吹き飛ばす今回の事態である。国連の常任理事国の一角を占める大国ロシアの露骨な侵略である。それに対して国際社会はなすすべもなくズルズルと事態を追認するほかないようにみえる。
 侵略者は強権支配を長期にわたって維持するプーチン・ロシア大統領である。加担者はウクライナの隣国ベラルーシのヨーロッパ最後の独裁者ルカシェンコ大統領である。この侵略を追認するかのような姿勢をみせているのも大国中国の習近平主席である。三人はいずれも10年以上に渡って強権支配を続ける独裁者といってよい。
 もう一方の超大国・アメリカも1年前までドナルド・トランプによる4年間の強権支配を容認した。彼は今尚根強い人気に支えられ虎視眈々と大統領への返り咲きを狙っている。日本でも安倍政権による8年間もの強権的政治は記憶に新しい。このほか、トルコのエルドアン政権、フィリピンのドゥテルテ政権、北朝鮮の金正恩総書記等の強権政治の蔓延が目に余る。
 侵略戦争の発動は強権をもって統治する独裁者を抜きにはありえない。国内で強権発動を抑止する民主的な手続きが機能していないことの証左だから。世界的な強権政治の蔓延は世界各地での侵略戦争のリスクを孕ませている。
 時あたかもコロナ禍が世界に蔓延している。コロナ禍は自然災害とも言え避けがたい一面がある。強権支配の蔓延は人災そのものである。それがコロナ禍を上回る恐怖を招きかねない。

10年後の「8050問題?」2022年01月29日

 27日に発生し翌日に決着した”埼玉立てこもり事件”は、衝撃的で悲惨な結末を迎えた。90代の母親を介護していた60代の男性が、母親の死の直後に来訪した母親の主治医である訪問医を人質にして立て籠もった末に散弾銃で射殺したという事件である。
 何よりも事件の舞台が在宅医療の現場だったことが私に衝撃をもたらした。在宅医療は超高齢社会を迎えた我が国で、なくてはならないインフラである。24時間対応の訪問診療を設備の不十分な在宅環境でこなすという過酷な医療現場である。治療方針を巡って患者やその家族とのトラブルも起こりうる。その最も悲惨で劇的な決着が今回の事件だった。
 犠牲となった訪問医の鈴木医師は訪問診療に高い志をもって取り組んでいた医師だったようだ。その貴重な人材が理不尽な形で失われたことの地域社会の損失ははかり知れない。在宅医療の関係者や在宅医療を志す人たちに与えるマイナス効果も心配だ。
 容疑者は定職を持たず母親の介護に専念していたようだ。母親の年金等が経済的な生活基盤だった可能性も推定される。ひきこもりではないものの50代の子どもが80代の親の年金等に依存して生活する「8050問題」を連想した。ひょとしたら今回の事件は、「10年後の8050問題」を象徴しているのではないか?
 8050問題の今を語られることは多いが、その10年後についての議論は少ない。80代の親に依存する50代の子どもの10年後である。介護生活を送る親の介護を子どもは否応なく担うしかない。引き籠りがちで社会とのつながりの稀薄だった子どもにどんな介護が可能なのだろう。
 想像するだけでも厳しい9060問題が迫られる。

オミクロン株の正体と濃厚接触者の強制隔離の愚策2022年01月12日

 年末年始の人出の山を越えた途端、一気にコロナ感染者が急増し感染拡大の第6波が避けられない事態を迎えている。背景には感染力の強いオミクロン株の感染があり、デルタ株からの置き換わりが急速に進んでいる。
 オミクロン株の正体も徐々に明らかになってきた。若者世代の感染が中心で感染力が強く感染速度も早いものの重症化リスクは低い。コロナウイルスの弱毒化ともみられ、インフルエンザに近い症状という見方もある。問題はこれほど重症化リスクの低いオミクロン株感染者の濃厚接触者が従来通りの新型コロナと同じ14日間の強制隔離となることだ。
 オミクロン株が猛威を振るっている沖縄では医療関係者の感染者と濃厚接触者による隔離措置で欠勤者が相次ぎ、元々脆弱だった医療体制し深刻な影響を及ぼしている。
 感染力の強いオミクロン株の急拡大と濃厚接触者の強制隔離で、地域福祉に関わる活動も中止を余儀なくさせられる懸念がでてきた。冷静に判断すれば重症化リスクは低く、高齢者への感染リスクも低いオミクロン株は、安全安心という点では過剰に対応する必要はないように思える。ところが問題は感染リスクというより、濃厚接触者は否応なく隔離を求められ日常生活に重大な支障をきたす点にある。この点がある限りボランティア組織の性格上、開催を躊躇するほかない。
 煎じ詰めればその問題は、新型コロナの感染症2類相当という指定にある。保健所所管や特定病院への入院や14日の強制隔離等々の措置の根拠が2類指定にあり、その点を軸としてコロナ対策が回っている。弱毒化しても尚その枠組みで回される限り、感染力が強いほど医療崩壊の危機に拍車がかかる。

新型コロナの第6波到来か?2022年01月08日

 懸念していた年末年始の人出の急増による新型コロナの感染者の急増が現実化した。感染力の強いオミクロン株が感染急増に拍車をかけているようだ。
 オミクロン株は感染力は強いものの重症化率は低い。イギリスでのデータではインフルエンザに近い数値と言う報告もある。とはいえ日本の場合、重症化率はどうあれ新型コロナは一律に指定感染症2類相当の扱いである。そのため陽性者は全員入院、濃厚接触者は全員宿泊待機となり、国民に過剰な恐怖感と日常生活上の負担を強いている。加えて2類の感染対策上、感染者は保健所管轄で指定病院への入院措置となり、保健所や公立病院の医療逼迫を招くことになる。
 地区社協は今月21日に70人規模のふれあい食事会を予定している。この開催を巡って執行委員会や役員会で活発な議論が交わされ、感染状況の推移を見ながら開催10日前に最終判断を下すことになった。地区社協就任後6年目を迎える。コロナ禍というかつて経験しなかった未曽有の災禍の只中で難しい舵取りに追われる日々が続いている。

「こども家庭庁」か「こども庁」か2021年12月26日

 ネットニュースを見ていて気になった記事がある。「こども庁」から「こども家庭庁」への名称を変更を巡る記事である。子ども政策の司令塔として2023年度に設立が予定されている「こども庁」の名称について、「こども家庭庁」へと変更する提案が自民党会合で激論の末に承認されたという。
 このことを受けて、俳優の高知東生がツイッターでつぶやいた内容が他のネットニュースで取り上げられていた。「家庭に居場所がなくても社会に居場所を作って欲しいと願った。家庭に恵まれなくても社会に恵まれて欲しい。『家庭に恵まれなかったのは君のせいじゃない』とこどもに伝えて欲しい。俺は『家庭』という言葉に敏感で、コンプレックスやトラウマが噴き出し、恐怖を感じてしまう。マイノリティーかもしれないけど、そういう人もいるんだよ。その声を聞いてくれるのが大人であり、社会であってほしい。」ツイートには3日で4万件を超える「いいね」がつき、「強く賛同します」「涙があふれました」などと共感が広がっています。任俠の男性の愛人の子として生まれ、母は17歳の時に自殺。物心ついたとき家に両親はおらず、主に祖母に育てられた高知さんは「いつも孤独だった。自分は愛される資格がないと思っていた」と幼少期を振り返ります。
 この記事を読んで胸を打たれた。単なる名称変更と見過ごしてしまいがちな出来事にこれほど重い受け止めをする人たちがいることを思い知らされた。これほど深い意味合いがあったのかと”目から鱗”の感があった。同時に「こども庁」から「こども家庭庁」への名称を変更に、こうした思いをきちんと受け止めない政治の貧困を見た。

パラリンピックで問われたもの2021年09月06日

 東京パラリンピックが終わった。オリンピックの開催期間よりも1カ月遅れの開催に、ワクチン接種も進みより安全な開催になるのではないかという当初の期待は大きく外れた。デルタ株の蔓延でコロナリスクが一層深刻化した中での開催だった。それだけにパラリンピックが特段の問題もなく無事終了したことに安堵した。
 パラリンピックという障がい者スポーツの祭典の自国開催は、障がい者との共生というテーマを私たちにビジュアルに身近なものとして投げかけた。それは人類がこれから向き合わなければならない本質的で普遍的なテーマでもある。
 人はハンディを負って生まれた時、また不幸な事故でハンディを背おった時、どのように生き社会はどのような環境を提供できるかという問題は人類普遍のテーマである。それは人が老いていく過程で遭遇する問題であり、認知症を発症して直面する問題に重なる。そうした誰もが遭遇する筈のハンディをあるがままに受け入れられる環境をどのように実現するかが問われている。そのためにも個性の尊重、多様性と調和、共生社会の実現といった理念の具体化や実践が欠かせない。
 今回の五輪とパラリンピックでは多様性と調和というテーマでの新たな課題も浮かび上がった。義足のアスリートが五輪参加を拒まれた。この問題を巡って、そもそもなぜ健常者と障害者とで大会を分けるのかという疑問も提起された。ハタと考えさせられる本質的なテーマだと思った。