映画評「十三人の刺客」 ― 2010年10月13日

事前に読んだネット・レビューの評価が良すぎたに違いない。それとも時代劇に対する自分の嗜好が変わってきているのだろうか。恐らく両方とも当たっているのだろう。映画「十三人の刺客」を観終えて、大きかった期待とのギャップに戸惑いを覚えていた。
テレビCMで初めてこの映画のガイドフィルムを見た。「これは観んとアカン!」と思った。本格的な迫力のある時代劇の登場を思わせた。ネットレビューの高い評価にも「さもありなん」と受け止めた。そして今朝9時に上映直前のプレミアムシートに期待に胸ふくらませて着席した。
好きな作家のひとりである池宮彰一郎の原作は、骨太なストーリー展開を提供していた。主役の役所広司はじめテレビドラマ白洲次郎で魅せられた伊勢谷友介や好漢・伊原剛志などキャストも文句なしだ。美しい木曾の山奥にたたずむ穏やかで牧歌的な落合宿が、要塞化した修羅場に一変する落差も衝撃的だった。何よりもラストに延々と展開される戦闘シーンは、大規模で迫真の舞台セット、スピード感、音響硬化、巧みなカメラアングルなどを駆使して迫力とリアリティーを見事に映し出していた。醜悪で無様で泥まみれの殺し合いが、戦闘の偽りのない現実であることを容赦なく伝えていた。それはまるでこれまでの時代劇に受け継がれてきた様式美を一切打ち砕くかのようなメッセージだった。
この戦闘シーンこそが監督がめざした新たな時代劇の形なのかもしれない。実はそれこそが最近の私には違和感をもたらすものでもある。藤沢作品の映画化が続いている。時代劇の美しさと安らぎと郷愁に浸れる作品が多い。観終えて何か心に沁みるものが残るのも共通している。ところがこの作品には「凄かった」という印象は残るものの、心に響くものはない。時代劇としては秀逸の作品に違いない。映像作品としても水準以上のレベルである。レビューの高評価も戦闘シーンについてのものが多い。期待と実際の落差は、時代劇に一定の様式美や郷愁を求め琴線に触れる何かを期待する嗜好がもたらしたギャップというほかはない。
テレビCMで初めてこの映画のガイドフィルムを見た。「これは観んとアカン!」と思った。本格的な迫力のある時代劇の登場を思わせた。ネットレビューの高い評価にも「さもありなん」と受け止めた。そして今朝9時に上映直前のプレミアムシートに期待に胸ふくらませて着席した。
好きな作家のひとりである池宮彰一郎の原作は、骨太なストーリー展開を提供していた。主役の役所広司はじめテレビドラマ白洲次郎で魅せられた伊勢谷友介や好漢・伊原剛志などキャストも文句なしだ。美しい木曾の山奥にたたずむ穏やかで牧歌的な落合宿が、要塞化した修羅場に一変する落差も衝撃的だった。何よりもラストに延々と展開される戦闘シーンは、大規模で迫真の舞台セット、スピード感、音響硬化、巧みなカメラアングルなどを駆使して迫力とリアリティーを見事に映し出していた。醜悪で無様で泥まみれの殺し合いが、戦闘の偽りのない現実であることを容赦なく伝えていた。それはまるでこれまでの時代劇に受け継がれてきた様式美を一切打ち砕くかのようなメッセージだった。
この戦闘シーンこそが監督がめざした新たな時代劇の形なのかもしれない。実はそれこそが最近の私には違和感をもたらすものでもある。藤沢作品の映画化が続いている。時代劇の美しさと安らぎと郷愁に浸れる作品が多い。観終えて何か心に沁みるものが残るのも共通している。ところがこの作品には「凄かった」という印象は残るものの、心に響くものはない。時代劇としては秀逸の作品に違いない。映像作品としても水準以上のレベルである。レビューの高評価も戦闘シーンについてのものが多い。期待と実際の落差は、時代劇に一定の様式美や郷愁を求め琴線に触れる何かを期待する嗜好がもたらしたギャップというほかはない。
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