塩野七生著「ローマ人の物語38」2010年10月04日

 毎年秋に文庫本3巻ずつ発刊される「ローマ人の物語」続巻が今年も9月1日に発刊された。今回は「キリストの勝利」をタイトルとした上中下の3巻である。9月下旬に購入し上巻を読了した。
 前37巻は、大帝と呼ばれ絶対専制君主をめざしたコンスタンティヌスの治世が描かれた。それは帝国再生を新たな政体、新たな首都、新たな宗教で成し遂げようとしたコンスタンティヌスの野望具体化の物語だった。そしてその新たな宗教こそが一神教のキリスト教だった。「コンスタンティヌスによって古代ローマの共同体が消滅した」というのが私の読後感だった。
 38巻は紀元337年の大帝の死から物語の幕が開く。コンスタンティヌスは自らの亡き後の後継人事も周到に準備する。帝国を三人の息子と二人の甥によって分担統治するシステムを死の二年前から導入していたのだ。ところが6月の大帝の葬儀から間もない7月に大量の血の粛清が勃発する。二人の甥とその肉親、亡き大帝の側近だった高官たちがその犠牲者だった。著者は大帝の次男コンスタンティウスを首謀者として暗示する。さらにその後、長男と三男の領土争いが起り、敗れた長男が殺される。次男と三男による帝国の分担統治が10年目を迎えた紀元350年、三男コンスタンスが配下の蛮族出身の将マグネンティススの謀反によってあっけなく殺害される。翌351年、唯一の皇帝となったコンスタンティウスは賊将マグネンティススとの内戦ともいうべき会戦に勝利する。ローマ軍の将兵合わせて5万4千名もの犠牲を代償とした勝利だった。帝国の軍事力が決定的に低下した要因でもあった。
 唯一の皇帝となったコンスタンティウスは大きな難問を抱えていた。東の大敵ペルシャ王国と西方ガリアの蛮族たちの侵略である。いずれかを任せられる副帝の任命を迫られていた。そして新たに任命されたのが自らがその父親を粛清した年少の従兄であるユリアヌスだった。
 物語の後半はガリア担当のローマ軍司令官となったユリアヌスの成功物語である。多分にユリアヌスに好意的な著者はその活躍ぶりを皇帝コンスタンティウスの否定的な見方と好対照で描いている。24歳の若き副帝ユリアヌスはガリアの地での戦闘に積極戦法で見事に勝利する。その後のガリア主要都市の再建を果たしガリア全域の統治に成功する。
 物語の核心部分に皇帝コンスタンティウスのキリスト教との関わりが触れられる。コンスタンティウスは帝国で最初にキリスト教を公認した父である大帝の忠実な第二走者だった。キリスト教の公認から更に進めてその優遇策に舵を切り、ローマ伝来の宗教排撃を明確にした。
 「ローマ人の物語」もいよいよ終末を迎えたようだ。単行本で全15巻の作品である。「キリストの勝利」は、単行本では14巻である。来年秋の「ローマ世界の終焉」で最後の刊行を迎える。そのタイトルの流れそのままに「キリスト教の勝利」によって「ローマ世界の終焉」を迎え、物語が終焉する。いかにも象徴的なタイトルではないか。