塩野七生著「ローマ人の物語40」2010年10月16日

  かつてのローマ帝国の精神の再興を目指した若き皇帝ユリアヌスが、31歳でその生涯を終えた。ユリアヌス亡き後の僅か7カ月の帝位を継いだヨヴィアヌスは、ユリアヌスが行ったキリスト教勢力の拡大を押し止める法令をことごとく廃棄した。若き皇帝の努力は無に帰した。帝国がユリアヌス以前の状態に戻された時、ヨヴィアヌスは死体となって発見された。
 その後の帝位を継いだのは、生粋の北方蛮族出身のキリスト教徒の武人ヴァレンティアヌスだった。ヴァレンティアヌスは皇帝就任後まもなく実弟ヴァレンスを東方担当の共同皇帝に任命する。そして帝国西方の蛮族侵入との闘いに明け暮れたヴァレンティアヌスの10年に及ぶ治世がその病死によって幕を引く。帝国の西半分の帝位はその長男グラティアヌスに継承され、東西に分担統治された帝国はつかの間の平穏期を迎える。
 帝国の安定を崩したのは中央アジアの草原を母胎とするフン族だった。フン族の襲撃を逃れて帝国と境を接するドナウ河下流地域に住むゴート族が難民となって帝国領に移り住んだ。この地域は東方担当のヴァレンス帝の管轄下である。共存の道を選んだヴァレンス帝の思惑は蛮族の略奪と都市襲撃の前に崩れ去る。皇帝ヴァレンスは蛮族とのハドリアノポリスの闘いで大敗し戦死する。
 この非常事態に西方皇帝グラティアヌスは、無政府状態になった帝国東方の回復を30代の武将テオドシウスに託し、対等の格をもった皇帝に任命する。東方皇帝となったテオドシウスは巧みな用兵で戦闘に勝ち続けゴート族を追い詰めるが、最後には蛮族の帝国領内での移住を公認することで帝国の安定をはかる。
 東西の安定化がはかられる中で二人の皇帝に強い影響力を持つ人物によって強力な親キリスト教路線が推進される。その人物とは、後にカトリックと呼ばれることになるキリスト教三位一体派のミラノ司教アンブロシウスだった。首都ローマ出身の優秀な高級官僚だったアンブロシウスは、司教就任後二人の皇帝の顧問役となってカトリック・キリスト教会大飛躍の基盤固めを着実に進める。それはカトリック・キリスト教会による「異教」と「異端」との闘いでもあった。皇帝を通じてのキリスト教以外の異教は多神教のギリシャ・ローマの伝統的宗教をも圧殺する。同時にキリスト教内部のカトリック派以外の宗派をも駆逐していく。
 紀元383年、西方皇帝グラティアヌスが反乱を起こした司令官によってブリタニアで殺害される。その結果テオドシウス帝が東西合わせた帝国全体を実質的に統治することになる。唯一の皇帝テオドシウスは30代で洗礼を受けている。それはキリスト教徒という「羊」になったことを意味する。司教という「羊飼い」の導くままに従う羊である。皇帝と司教の関係でいえば皇帝の権威と権力は神が認めたものであり、その神の真意は司教によって伝えられる。すべてはミラノ司教アンブロシウスの考え通りに進行した。テオドシウス帝は司教の導くままに皇帝としての権力を行使して帝国のキリスト教国化を成し遂げた。
 「キリストの勝利」と題された三巻の最終第40巻のタイトルは「司教アンブロシウス」である。それは、キリスト教と世俗の権力との関係を見事なまでに洞察していたひとりの高級官僚出身の司教によって、ローマ帝国の精神と伝統と風土が最終的に終焉を迎えさせられた物語だった。