身体のパーツの耐用年数2010年10月26日

 労働委員会の会議を終えて帰路に着いた。JR宝塚駅で途中下車した。席を立った時、腰の鈍痛がこたえた。先日からここ何年かに時折訪れる腰痛が再発していた。駅の北側にある泌尿器科医院に着いた。近所の診療所で受けた血液検査で前立腺の値が高めだった。専門医に精密検査を受けるよう勧められていたのだ。診察を待ちながら、このところの身体のあちこちの不具合を思わずにはおれない。
 数年前には眼圧が急激に上昇するポスナーシュロスマン症候群という目の病を告げられている。自前の歯を失くして久しい。頭髪は富みにおぼろになってきた。何よりも悪性黒色腫という大病が右手親指を奪っていた。
 以前読んだ五木寛之の著作にあった「人生50年説」という話しを思い出した。人間の各パーツは大体50年くらいはもつように作られている。それを過ぎると耐用年数切れなのだから、あちこちで不具合が出てきて当たり前。「人生50年」は「50年生きられる」ということでなく、「50年は何とかまともに生きられる」ということだというような意味だったと思う。
 人生50年をとっくに過ぎている。身体の各パーツにガタがきて当然ではないか。正常に機能しているパーツこそ、よくぞ持ちこたえていると褒めるべきだろう。くよくよせずに不具合と折り合いをつけながら身を労わって暮らしていこう。