馴染みの風景の変遷2011年07月01日

 手元に2枚の写真がある。一枚は2年前の冬に撮った取り壊し寸前の萱葺屋根の古い民家の写真である。もう一枚は今朝の散歩で撮った同じ民家の写真である。萱葺屋根の母屋は和風の新築住宅に装いを変えた。
 朝の散歩の定番コースの隣町の一角の馴染みの風景だ。馴染みの風景だけにその変遷も目にすることになる。萱葺屋根の母屋が新築住宅に変わって間もなく、道路に面した日当たりのよい南向きの部屋でベッドに横たわるおじいさんの目前の田園風景を眺める姿があった。家族たちが寝たきりのおじいさんを説得して母屋の改築を実現し最も居心地の良い部屋に移したのではないかと勝手に想像した。いつの間にかおじいさんの姿が見えなくなった。おそらく亡くなられたのだろう。
 今朝、その民家に隣接する畑で腰の少し曲がったおばあさんの手入れ姿を目にした。亡くなったおじいさんの連れ合いにちがいない。古民家が新築住宅に変貌し世帯主の世代交代が進展する。季節が坦々と移り変わるように人間世界の営みもごく自然に移り変わる。

小さな我が町のボランティアたちの底力2011年07月02日

 午後1時から4時頃まで山口ホールで震災支援イベントが開催された。地元のNPO法人を主宰する知人が、実質的な主催者である。市の共催や市社会福祉協議会の後援を取り付けるなどその行動力と企画力にはいつもながら感嘆するばかりだ。
 イベント内容は大きく三つに分かれる。一つは東北物産市&被災者支援バザーだ。ホール前のホワイエにはバザー商品が、ホール後方には東北の物産が並び、それぞれNPO法人の支援者や地元ボランンティア・センターのメンバーが準備や販売を担当している。その大勢のボランティアスタッフたちのかいがいしい姿を目にして小さな我が町のいざという時のボランティたちの底力を知らされた。
 ホールでのイベントの一つは神戸のNPO法人「ひまわりの夢企画」代表・荒井勣さんの「被災地・宮城からの報告」だった。阪神大震災での自らの経験をもとに各地の被災地に駆けつけ「ひまわりおじさん」と呼ばれている方だ。東日本大震災でも宮城県気仙沼に駆けつけ支援活動を続けた体験談が生々しい画像とともにプレゼンされた。
 その後、「えま&慧奏(えそう)・ライブ」があった。舞台上には二つの楽器群が設置されている。えまさんと慧奏さんのご夫婦のプロミュージシャンが登場しそれぞれの楽器群にスタンバイする。えまさんの前振りで演奏が始まった。民族打楽器による鎮魂の曲が流れた。続けてピアノの他に二胡、カリンバ、アボリジニの木管楽器などの民族楽器を駆使したエキゾチックな演奏が奏でられた。えまさんの独特の澄んだヴォーカルに癒された。演奏の最後に「二つのアルバムCD各10枚を持参したので金額指定なしの義援金と引き換えに先着順でお持ち帰りください」とアナウンスされた。閉会挨拶直後に入口に駆けつけCDをゲットした。
 今、パソコンのCDドライブから流れるお二人の演奏を聞きながらブログのキーボードを打っている。今日の多くの収穫の中でも特記すべきは何といっても「小さな我が町のボランティアたちの底力」だった。

娘夫婦がやってきた2011年07月03日

 昨日の朝9時半頃に娘夫婦がやってきた。先週末には娘だけが初めて里帰りをしたが、今週末は二人揃っての来訪だった。約束の父の日ギフトを持参してくれた。婿殿がリビングに運んでくれたのはプレミアムビールのYEBISUビール2ダース箱だった。しかも500ml缶である。「350mlとまちごうてしもたんや。重たかったワ」とは娘の弁である。「持つのは僕ばっかりやったやないか」とすかさず婿殿がツッコミを入れる。そんなやりとりが新婚一ヶ月の慣れを窺わせる。それにしても家内の飲みすぎチェックの厳しい我が家では決して購入しないサイズである。よくぞ間違えてくれたものだ。当分晩酌は美味いビールのロング缶が呑める。
 もうひとつフォトフレームのおみやげを貰った。こちらはどちらかというと家内向けである。挙式や新婚旅行の画像が婿殿が手当てしてくれた6GBのSDカードに納められている。パソコン操作が苦手な家内はデジカメになってPCに治まった画像を見ることが少ない。フォトフレームならいつでも手軽に見ることができる。しかもソフトバンク専用のフォトフレームでメールの受信機能が付いている。携帯カメラで撮った画像を外出先からこのフォトフレームに直接送信できる。もっともこの機能は娘の携帯料金に月額300円の使用料がかかるようだ。
 手先の器用な婿殿は電気関係や日曜大工なども得意分野である。そうした分野を苦手とする亭主に見切りをつけている家内は、早速婿殿に頼みごとをしていた。設置が義務付けられた住宅用火災警報器の取り付けである。購入していた2台に持参してくれた2台を苦もなく取り付けてくれた。娘の結婚がもたらした思わぬ利便に感謝した。
 日頃は共稼ぎで手間暇かけられない娘夫婦のリクエストで、夕食は家内と一緒に調理した唐揚げやコロッケの揚げ物だった。男二人は早速EBISUビールを二缶開けた。娘もグラスをもってきて一緒に味わう。日本酒党の婿殿は続けて冷酒の小瓶を空にした。義父をはるかに凌ぐ酒豪である。
 今朝、娘夫婦は朝食後すぐに帰る予定を繰り延べた。家族揃って寿司屋で昼食をとった後、1時過ぎに帰宅した。かくして娘夫婦の初訪問が終わった。

司馬遼太郎著「幕末」2011年07月04日

 娘の置き土産の本の気になった二冊を読み終えて、いよいよ読むものがなくなった。再び書棚を物色して再読本を探した。再読で残っているのは短編集が多い。選んだのが司馬遼太郎著「幕末」だった。タイトルは「幕末」だが、厳密には「幕末暗殺物語」とでもいうべき作品で、幕末に起こった12の暗殺事件を集めた連作である。
 本編を読み終えて最後に作者の「あとがき」を読んだ。「あとがき」がこれほど鮮やかで印象深いものは稀であると思った。作者がきらいな「暗殺」をなぜ1年にわたり書いてしまったかという想いが、率直に説得力ある文章で綴られている。「暗殺者も、その凶手に斃れた死骸も、ともにわれわれの歴史的遺産である。そういう眼で、幕末におこった暗殺事件を見なおしてみた。そして語った」「書きおわって、暗殺者という者が歴史に寄与したかどうかを考えてみた。ない。ただ、桜田門外ノ変だけは、歴史を躍進させた、という点で例外である」。
 12編の短編の中では「あとがき」でもふれられている冒頭の作品「桜田門外の変」が出色だった。水戸浪士中心の18名の井伊大老襲撃部隊に薩摩藩士を代表してたったひとりで参加した二十二歳の有村治左衛門を主人公とした物語である。襲撃に至る経過の細やかな機微を描いた前段の物語は、一変して凄惨でリアリティー溢れる襲撃の模様に展開する。読者にいやおうなく襲撃事件の持つ過酷さと残酷さを突きつけているかのようだ。
 但馬出石藩を舞台とする「逃げの小五郎」も興味深かった。長州藩士・桂小五郎が禁門の変で敗れてここ出石に身を隠した時の物語だ。5月初めに出石を訪ねた時、町の一角に「桂小五郎居住跡」の石碑を見かけた。その時の写真をあらためて眺めながら物語を読んだ。

ジェネリックを!2011年07月05日

 高血圧の症状で最寄りの診療所で降圧剤を処方してもらってから約1年が経過した。一時は上が160、下が100という血圧がようやくそれぞれ135、75という数値におさまってきた。但し、毎朝二錠の降圧剤の服用は欠かせない。
 知人たちとの病に関わる雑談は枚挙に暇がない。そんな雑談を通して高血圧は、降圧剤の服用を中断したり再開したりするのが最も危険だという。服用を始めたら一生続けるしかなさそうだ。
 今日、月一回の診察と降圧剤処法のため診療所を訪ねた。かかりつけの医師に「降圧剤の服用をもうやめるわけにはいかないですね」と聞いた。否定の言葉はなく処法薬の変更は可能とのことだった。「それならこの際ジェネリックに変更できますか」と畳みかけた。「最初の処方薬はジェネリックだったんですが、咳が出るという副作用があったようですので今の薬に変えたんです。症状が安定しているようですから二錠の内一錠はジェネリックにしてみましょう」との回答だった。
 齢を重ね処方薬との付き合いが多くなる。効き目、副作用、価格などのバランスを取りながら自分に合った処方を見つけていくのも老後スタイルに欠かせないと思い定めた。

労働委員会への外国人労働者の申立て2011年07月06日

 労働委員会のある事件の審問の日だった。申立人は契約社員だった外国人労働者である。使用者の雇止めの不当性を争う事件だった。今日の第二回目の審問は、申立人本人に対する使用者側代理人弁護士による反対尋問だった。最低限の日本語は話せてもこうした場での日本語によるやりとりは困難なようだ。通訳を介しての尋問となる。約1時間の反対尋問が終了した。
 通訳を介してのやりとりには多くの障害が伴うと思われた。何よりも倍の時間を要する。専門職である通訳の費用負担も大きい。微妙なアヤは通訳をもってしても越えられない言葉の壁となる。
 それでもそうした障害を受け入れながら、不当労働行為の救済制度としてのこの申立てが審査されている。それが法治国家としての日本の守るべき枠組みである。民主主義を維持する上でのコストである。そのことをあらためて実感した。
 日本の労働市場に外国人労働者の本格的な参入が始まって久しい。リーマンショック以降の日本の長期の不況が外国人労働者の雇用機会を縮小させている。それに伴って労働委員会への申立ても増大している。外国人労働者にも等しく享受されるべき法治国家の民主的権利を護る機能の一端を担っていることを誠実に受けとめたい。

大ボケ二題2011年07月07日

 昨日は朝から久々の大阪のお仕事の日だった。8時過ぎのバスに乗って文庫本を広げようとした時だ。ふとズボンの左ポケットに手をやってギクッとした。ある筈の歩数計がない。パソコンに接続して歩数やカロリーデータを管理できる優れものである。USBメモリー風のお洒落なデザインも気に入っている。その歩数計がない。人気のないバス後方に移動して家内の携帯にそっと電話した。早朝ウォーキング後に履き替えたズボンに着けたまま洗濯されていたらオジャンになるとアセッタ。ズボンにはなかったとの返事でひと安心。帰宅後気を落ち着けて探すことにした。
 労働委員会の仕事を終えてTOHOシネマズなんばに着いた。「もしドラ」映画版をネット予約していた。劇場ロビーに設置されている発券機でチケットを求めた。いつものように予約番号と電話番号を入力した。「この番号では登録されていません」とのエラーメッセージ。入力間違いかと再試行。やっぱりエラーメッセージ。プリントしていた手元の予約完了メールをよく見ると予約日は昨日になっている。予約時の入力ミスが判明し購入済みチケットがパーとなったと悟った。無駄な抵抗と知りつつカウンターに行って事情を話すがヤッパリ何ともできないとのこと。今日のチケットは購入できますが・・・とのカウンター嬢の言葉にノーサンキューを口にする。自身のミスをおおらかに受入れて追加投資するほど器は大きくない。もともとそれほど観たかった作品でもなかったなどとほざいているチッチャナ人間である。
 帰宅してすぐ歩数計探しに着手した。どこにもない。万事休すと半ば諦め気味に着替え始めた。下着姿になってズボン下に手をかけた時だ。何やら固いものが手に触れた。アッタッ!朝、外出着に着替える時に忘れないようにズボン下の腰ゴムに引っかけていたのだ。その上からズボンを穿いたので行方不明状態になった。従ってその日の歩数もきっちりカウントされている。何のことはない「眼鏡がないと大騒ぎしているオジサンの額に眼鏡がのっかっている」図式そのものではないか。
 リタイヤおじさんの大ボケ二題のお粗末だった。チャンチャン。

氏神境内の夏祭りは地域の社交場2011年07月08日

 昨晩は地元の氏神・公智神社の夏祭りだった。例年この行事は地域の補導委員の補導活動の対象となっている。とはいっても公智神社の境内と神社前の車道に所狭しと露店が並ぶだけのお祭である。
 あいにくの朝からの雨だった。雨足はかなり強いものだった。ほんとにこの天気でお祭があるのだろうかと懸念された。関係先に問い合わせると「多少の雨でも実施する」とのこと。3時半頃に補導委員の皆さんに「予定通り今日の補導を実施する」旨、メールした。
 7時前に集合地点の神社前の駐車場に着いた。既に何名かの補導委員さんの顔が見えた。簡単なミーティングをして早速境内の巡回を始める。この頃には天気も小さな雨がぱらつく程度に回復していた。
 それにしても境内を埋める参詣者の人の多さに驚かされる。何よりも子どもたちの人数が多い。女の子たちはそれぞれに浴衣姿で精一杯のおめかしをしている。そんな子供たちの晴れ姿に付き添う親たちや祖父母たちの姿も多い。露店が並ぶだけの氏神の夏祭りとは地域の晴れ舞台なのだと気付いた。昔ながらの社交場なのだ。事実、私自身もご無沙汰している何人かの知人たちと顔を合わせ旧交を挨拶を交わした。同僚の補導委員の若いお母さんたちも然りである。雑談に花が咲きしばしば巡回が中断することもある。
 8時前になってもますます人混みは多くなる。雨はすっかり止んで絶好の夏祭り日和となる。補導委員だけでなく地元の複数の自治会の防犯パトロールのグリーンの蛍光色のベスト姿もあちこちで巡回している。多くの人に支えられて地域の社交場が維持されている。

ミュージカル劇団の後援会勧誘活動の始動2011年07月09日

 昨日の午後3時過ぎからミュージカル劇団『希望』の5回目の実行員会があった。テーマは後援会の立上げに向けた入会活動の打合せである。そのためには入会を呼びかけるチラシ作成が急務だった。前回委員会で打合せた内容をもとに実行委員会代表の高井さんにチラシを持参頂いた。
 表面には「この町にミュージカル劇団ができました!!」という刺激的なキャッチコピーが踊り、9月10日開催の団員募集コンサート「世界のミュージカル&ワークショップ」の案内と「劇団員募集要項」が掲載されている。最下段には後援の西宮市、市教育委員会、西宮市文化振興財団、神戸、朝日、読売、毎日の各新聞社名が記載されている。裏面は「後援会へのご案内」であり、劇団創設の趣旨や、主な支援者、実行委員会メンバーが紹介されている。
 チラシができた段階で次にテーマとなったのは後援会の入会申込書の作成だ。後援会の入会区分と年会費の検討を行った。最終的に「年会費1万円の特別会員A」「年会費5千円の特別会員B」「年会費千円の一般会員」の入会区分となった。
 劇団立上げとその後の定期公演には何といっても財政的な裏付けが不可欠だ。この町の皆さんに資金的な支援も含めて応援して頂けるよう実行員会メンバーを中心に入会勧誘活動が必要だ。メンバーそれぞれの交流先、関係先に積極的なPR活動を始めることを確認して散会した。

早起きの配当2011年07月10日

 5時前に目が覚めた。雨戸の外には日の出前の雲ひとつない晴天があった。灼熱の日の予感とは裏腹に、開けた雨戸の外から心地良い冷気が身体を包んだ。早起きの配当を素直に受取った。その勢いでいつもより早い5時半頃にウォーキングに出かけた。
 有馬川の土手道を歩いた。日の出直後の低い日差しが東側の丘陵地の影を長く伸ばしてくれた。iPhoneにダウンロードしたカラオケメロディーを口ずさみながら心地良い日蔭の土手道を進んだ。
 竹藪に囲まれた墓地入口の農道にやってきた。ブログで何度もアップしたお気に入りのスポットである。いつもと違う風景画像を撮りたいと思った。その視線の先に朝露をとどめた巣の真ん中に陣取る蜘蛛がいた。
 定番ルートの中でも最長ルートの稲荷神社で折り返した時は5千歩をカウントしていた。早朝ウォーキングだけで1万歩を越える計算だ。いつものようにマックのモーニングコーヒーを前に窓際の席で文庫本を拡げる。藤沢周平の短編集だ。短編の一作を読了して店を出る。いつもながら心安らぐひと時だった。