有川浩著「阪急電車」2011年03月01日

 有川浩著「阪急電車」を二日間で一気に読んだ。おそらく若い世代から圧倒的な支持を得た作品なんだろうと思った。阪急今津線というマイナーなローカル路線の宝塚と西宮北口間の8駅を舞台としたオムニバス風の物語である。8駅の往復を16の短編で紡いでいる。沿線にある多くの大学や高校の通学経験者にはたまらない郷愁を覚えるにちがいない。
 作者の有川浩氏の初めて読む作品であり、その名前から男性作家と信じて疑わなかった。読み進むうちに違和感を覚えた。どう考えても語り口や感性は若い女性のものだ。読了後にネットで調べて納得した。アラフォー世代の女性だった。名前の「浩」の読みは「ヒロ」だったのだ。それにしてもこの世代の女性の感性(と思われる)を見事に表現している。会話体の軽妙な文体は、アラ還越え世代のオヤジをも苦もなく取り込んでしまう。
 宝塚発の二駅目・宝塚南口駅の「寝取られ女」物語に仰天させられた。私などには思いもよらない衝撃的な「話し」をこともなげに突きつける。それでいてなるほどと唸らされる物語である。この作品を一気に読ませてしまうトリガーだった。6駅目・甲東園駅の「アホ彼氏」物語にも思い切り笑わせられた。笑わせながらもほのぼのとしたまっとうなテーマをキッチリ抑えている。
 こうした6つの話しが西宮北口までの各駅で展開される。作品後半は同じ路線の折り返しの風景である。行きの物語の半年後のオチが繰り広げられる。あの登場人物たちはその後どうなったのだろうという読者の興味を拾ってくれる大した企画構成力である。
 ローカル路線の車内でのほのぼのとした日常を巧みに掬い取っている。作者はそれぞれの物語のチョッとした素材を車内で垣間見たに違いない。それを物語の素材として掴み取る感性と肉付けして物語に仕立てられる力量こそが作家の凄味である。パターン化した自分の読書傾向の枠外の作家の優れた作品を読んだ。

御旅所の二本杉が大変だ!2011年03月02日

 今日の昼前だ。所用で公智神社前から御旅所方面に宮前通りを歩いていた。何気なしに前方右手に視線を移して仰天した。二本杉の北側の一本が全ての枝が払われて丸坊主になっているではないか。咄嗟に「何ちゅうことをするんや」と思った。すぐそばにはクレーン車の長い腕が空高く聳えている。今も作業が続行しているようだ。
 御旅所横に来た。クレーン車のそばで作業員二人が相談している。「ここに引っかけたらこっちに倒せるから」とか言っている。丸坊主にするだけでは済まないような会話である。その横で交通整理をしているガードマンに訊ねた。「あの杉は引き抜かれてしまうんですか」「そうや。何しろ根が張出してしもうて、石垣が崩れそうで危険なんやそうや」「それやともう一本もおんなじ運命なんですか」「そらそうや。引き続き作業に入るようや」。
 ショックだった。市の保護樹木にも指定されている銘木である。樹高15m、幹周り2mの巨木である。何よりも公智神社の御神輿を戴く台座の左右に聳える二本杉は、御旅所の威厳を保持する貴重な存在だ。その二本杉が無残にも引き抜かれてしまうとは・・・。
 想いを抜きにすればやむをえないのかもしれない。二本杉は石垣に囲まれた100坪ほどの狭いスペースに立っている。あの巨木を支える根元がどれほど太く深く張っているかは想像に難くない。石垣をも突き崩すほどの強力な生命力なのだろう。放置することで通行人の身体や生命に危険を及ぼす懸念も否定できない。それでもやっぱり無念さは消えない。二本杉に何の咎はない。ただ命を育んできただけだ。人間が一方的に設けたエリアを越えそうになったからといって、命までも絶たれなければならないのか。二本杉に代わって詮のない愚痴を呟きながら、明日にはなくなるだろう二本杉をしみじみ眺めた。

翌日の御旅所の二本杉2011年03月03日

 昨日、御旅所の二本杉が伐採されようとしている現場を見た。一夜明けた今朝、散策の途中に再び現場を訪ねた。
 北側の杉は昨日見た上半分を切り取られ、枝を全て払われた丸坊主状態のままだった。南側の杉も上半分を切り取られ、幹の北側の枝が払われた不格好な姿を晒していた。おりしも寒の戻りのような寒さの中で、枝を払われ寒風に震えている杉の幹に粉雪が容赦なく降り注いでいた。
 北側の石垣を子細に眺めた。確かに溝に囲まれた石垣の目地は、杉の根元の部分を中心にひび割れが拡がっている。その上の石の垣根も根の圧力のためか南に傾むきせり出している。御旅所西側の空地には、作業途中の紺の巨大なクレーン車が横たわっていた。折りたたんだアームが御旅所に向って突き出されている。二本杉の息の根を止める匕首のように見えた。
 公智神社前で近くに住む知人の地元の長老に出合った。早速、御旅所の二本杉伐採の事情を訊ねた。「元々、小学校の校庭にあったのを移し替えたんや。その後、見ての通り大きいなって石垣を崩しそうになってしもた。それでもあの狭いスペースの中やから、体の割には根は十分やない。以前の台風の時に倒れかけたこともある。そんな状態やから可哀そうやけどしょうがないわな」と、意外とサバサバした口ぶりだった。現にそこで生活している人にとっては、「想い」以上に現実的で冷静な理解が先に立つのはやむをえない。お礼を述べて散策を続けた。

日曜朝のマクドナルド物語(前編「リョウの目撃談」)2011年03月04日

 「なんやあのふざけたオッサンは。勝手に横這入りしてエエんか!」。突然、ひとりごとにしては大きすぎる呟きが聞こえた。日曜朝のマクドナルドの店内だった。
 リョウは、カウンター横のいつものテーブル席でいつものようにコーヒー片手に文庫本の小説に浸っていた。リタイヤして三年が経とうとしている。朝の1時間ばかりのウォーキングが日課となっていた。自宅近くの川の土手道が格好の散策コースになっていた。隣町の神社で折り返し、川沿いの国道に出てしばらく行くと自宅のある住宅街近くのマクドナルドが迎えてくれる。現役時代には出勤すると何をおいても自販機のモーニング・コーヒーで一服するのが習慣だった。リタイヤ後にその習慣を可能にしてくれたのがマクドナルドだった。何しろ7時台の散歩である。開いている喫茶可能な店は24時間営業のここしかない。散歩帰りにマックのブレンドコーヒーを片手に文庫本の読みかけの小説を読むのが、愉しい一日の始まりとしてほどなく定着した。
 読みかけの小説は「阪急電車」だった。阪急今津線と言うローカルな私鉄路線の車内でのほのぼのとした日常を巧みに掬い取った作品だった。作者の有川浩が、実際に目にした筈の車内でのチョッとした出来事が素材になっているに違いない。それらを物語の素材として掴み取る感性と肉付けして物語に仕立て上げてしまう作家の凄味に舌を巻きながら読みふけっていた。そんな時にリョウの耳に入ってきた呟きだった。
 小説世界から引き戻されるに十分な気になる呟きを耳にして、視線をカウンター方向に戻した。呟きの本人が居た。見るからに強面のする上背のある四十代とおぼしき男性だった。すぐそばで高校生くらいのこれまた背の高い女の子が周囲の視線を気にしながら顔を赤らめて佇んでいた。娘にちがいない。オヤジの怒りは納まりそうにない。娘はしきりになだめているようだが、それがまたオヤジの怒りの火に油を注いだのだろう。「言うてきたる」と言い残してオヤジが怒りを足音に込めたかのような足取りで、通路奥のテーブルに向った。
 奥のテーブルには若い夫婦と子どもの家族連れが陣取っていたようだ。「みんな並んで待っとるのに何でお前だけ勝手に横這入りするんやッ!」。大きな怒鳴り声が聞こえた。そのあまりの剣幕に三十前後の小太りで善良そうな男性が思わず立ち上がった。オヤジ言うところのオッサンである。「すんません」という声がかすかに聞こえた。それで、「これにて一件落着ッ!」かに思えた時だ。「コーヒーのお代わりは順番に関係ないのに・・・」とオッサンの言い訳がましい言葉がついて出たのだ。「なんやとッ。もうイッペン言うてみぃ。謝ったんちゃうんか」。こうなるとオッサンも家族の手前アトに引けない。「そやからコーヒーのお代わりだけは順番待たんでもいつでもできるんや。なんやったら店の人に聞いてみよ」と、オヤジの背中を押すように二人してカウンターに戻ってきた。
 リョウは、ここにきて事件の背景をようやく理解した。ことは世界最大のファーストフードチェーンのサービスの在り方が一因なのだ。マクドナルドのブレンドコーヒーは120円の格安価格で人気を集めている。しかもお代わり自由なのだ。これは注文の際にリョウ自身もスタッフからも告げられている。問題はお代わりの際に順番待ちをしなくてよいかという点にある。こちらは店内のどこにも掲示されていないし、スタッフからも告げられた記憶もない。ワン工程ということもあり、求められればスタッフが順番に関わらずいつでも応じているというのが実態である。いわば常連客には通用している暗黙の了解事項みたいなものだ。ところがそのサービスは通常は問題にならなくとも、行列のできる繁忙時には不公平感がやけに目立ってしまう。またそんな時間帯だからこそ、初めてや、たまにしか来ない客も多くなる。到底マックの馴染み客とは思えないイラチで短気なオヤジのようなタイプには、それは「許し難い暴挙」と映っても致し方あるまい。
 オッサンは店のスタッフを呼ぼうとするが、何しろ繁忙のピーク時である。誰も呼びかけに応じる気配はない。存外、スタッフの誰もがこの厄介事に巻き込まれたくないというのがホンネなのかもしれない。時の氏神も現れないまま二人の口論が続く。「コーヒーお代わりだけはいつでもしてもろてるんは、みんな知ってることや」「そんなルール、誰が決めたんやッ。どこに書いてるんや。だいいちお前はいったん謝ったんやないか。自分でも悪い思たんやろ。それを何でいまさらぐちゃぐちゃ言いわけするんや」。恐ろしげな風貌のオヤジを前にオッサンは健気に闘っている。見かけによらずオヤジもなかなか口達者で、口論では圧倒している。
 奥の厨房でどんな談合があったのだろう。ようやく二十代半ばの男性スタッフが、カウンターの低いドアを押して登場した。みるからに自信なげな顔つきをしている。そのスタッフをオヤジは勝手に店長と呼んでいたが、リョウが知る限り彼は店長ではない。店長は確か三十前のキリッとした女性の筈だ。彼は談合で不運にも選ばれた犠牲者のようだ。傍らでは娘が今にも泣き出しそうな風情で壁際で固まっている。オッサンの嫁はんらしき人物も不安げにやってきた。役者は揃った。店内の誰もが、見て見ぬふりをしながらこの決着を固唾を呑んで見守っている。
 声のトーンが一オクターブ上がってオヤジの怒りが限界に近づいたかに思えた。これ以上放置すれば口論では済まなくなる気配である。一瞬の沈黙があった。その隙をついてスタッフが割って入り、なんと言ってなだめたのか二人の背中を押すようにして入口ドアの向うに連れだした。彼は店内でのトラブル排除という最低限のミッションを果たした。それにしてもリョウにはどうにも不可解だった。爆発寸前のオヤジがなぜあれほど素直にスタッフに従ったのか・・・。とはいえ外での口論は、音量が一段低くなったとはいえ依然として続いている。一方、店内では男たちのバトルとは裏腹に、二人の女性のほのぼのとした光景があった。娘が嫁はんに詫び、嫁はんは娘を慰めている。そんな風情が見られた。
 顛末はここまでだった。参加している地域のボランティア組織の行事の時間が迫っている。これ以上は席を温められない。リョウは、最終決着を見届けられないまま、後ろ髪を引かれながら席を立った。帰り道、いつものように歩きながら物思いにふけった。目撃したばかりのハプニングが脳裏に焼き付いて離れない。印象的だったのは娘の姿だった。娘のいたたまれない気持ちを思い遣りながら、オヤジの娘への気遣いのない振舞いに度し難い愚かしさを見た。尻切れトンボの結末を勝手に想像しながら、「阪急電車」の作者の気分がオーバーラップした。そうだ!マクドナルドで今見たヒトコマを「物語」にできないだろうか。結末は自分なりの「想い」を込めればよい。自宅玄関のドアを開ける頃、リョウは明日のブログで「日曜朝のマクドナルド物語」という記事をものにしようと決意を固めていた。

日曜朝のマクドナルド物語(後編「明かされる真相」)2011年03月05日

 以下はリョウ創作の物語である。

 トラック運転手の徹三は、朝から続いていたチョッといい気分が萎えてくるのを感じ始めていた。
『たかがハンバーガーにありつくのに、なんでこないに待たされんとアカンのや。三日がかりの長距離の仕事を終もうて、昨日遅う帰ってきた。日曜の今朝、久しぶりに家で目が覚めると、娘の智恵が声をかけた。「朝ご飯作るん面倒やからマクドナルドのハンバーガーでも食べに行こか」。嫁はんが家を出てしもうてから五年近うなる。智恵もやっと高校に入ってくれた。家事もようやってくれてる。大きゅうなってゆっくり話しするんもなんとなく気恥ずかしい年頃や。それでも二人きりの家族や。ハンバーガーなんか趣味やないけど、一緒に外で飯喰うんも悪ないなと思た。それにしてもなんでこないに混んでるんや。この長い列だけはたまらんなぁ。アレッ!なんやあのオッサンは。勝手に横這入りして。ネエチャン呼んでコーヒー入れてもろてるやないか。ワシらが大人しゅう待ってんのに。一言も挨拶なしに当たり前みたいな顔して奥に行ってもた。アカン。辛抱でけん。言うてきたるッ』。

 智恵は、イラチで短気な徹三が、予想外の店内の混雑に不機嫌になり始めたのに気づいていた。
『昨日の晩遅うにオトンが帰ってきた。居ったら居ったでウザいけど、居らんかったらチョッとは寂しなる。なんせウチのために一生懸命働いてくれてんのやから。久しぶりに朝ご飯はマックにでも行こかと誘てみた。オカンが居った時は三人で時々行ってたもんや。永いこと行ってなかったし、たまにはオトンと外食するんも親孝行や。あんまりハンバーガー好きやない言うてたけど、可愛い娘の言うことや、素直についてきてくれた。それにしても日曜の朝がこんな混んでるんは知らんかったなぁ。案の定、オトンいらつき始めよった。ヤバッ!コーヒーお代わりのおっちゃんに目ぇ剥いてる。横這入りをマジ怒ってる目ぇや。コーヒーお代わりは順番待ちせんでエエんやけど。そんなこと知らんわな~。目で合図して腕も抑えてみたけど全然きかん。アカン!おっちゃんを追いかけて奥へ行ってもた。ワ~ッ、大きな声で怒鳴っとる。最悪やっ。もう知らんッ!』

 徹三が追っかけて行った先のテーブルには家族連れ三人が楽しげにハンバーガーを頬張っていた。
『ちっちゃい女の子と嫁はんと一緒にアイツはニヤけとった。女の子見て一瞬ひるんだけど怒鳴りつけたった。「みんな並んで待っとるのに何でお前だけ勝手に横這入りするんやッ!」。一瞬キョトンとしとったけど、すぐ立って謝りよった。そっちがそんなら許したるかと思とったら、途端になんか言い訳がましいことを言いよった。コーヒーのお代わりがどうたらこうたら。「なにゴチャゴチャ言うとるんや。謝ったんチャウンか」と怒鳴り返した。そしたらアイツ、店のモンに聞きに行こ言うてカウンターに連れてきよった。このくそ忙しいのに誰が相手にしてくれるんや。しょうことなしに「お客さんも、みんな知ってるで」とぬかした。こうなったらもう容赦せんど。「そんなルール、誰が決めたんやッ。どこに書いとるんや。だいいちお前はいったん謝ったんチャウんか。自分でも悪い思たんやろ。それを何でいまさらぐちゃぐちゃ言い訳するんや」。そのうちようやく店長が出てきよった。何やらムニャムニャ言うとるだけでわけわからん。いよいよ切れそうになって、どついたろかと思た時や。智恵と目が合うてしもた。今にも泣きそうな顔して「やめてくれ」言う目ぇしとった。これは堪えた。その一瞬を見透かしたように店長が割って入って、アイツと一緒に入口のドアの外に押し出しよった』

 誠は、突然目の前に野獣のような男が現れたのを見て仰天した。
『一瞬何がなんやわけ分からんかった。角刈りのヤクザみたいな背の高いオヤジが、突然やってきて「なんで横這入りしたんや」と物凄い剣幕で怒鳴った。日曜朝のいつもの楽しい家族の憩いのひと時やった。娘が5歳になって初めて日曜のマクドナルドの朝食に連れてきた。娘はエライ気にいって日曜朝になるとここに連れて行けとせがんだ。妻も朝寝できるんで結構乗り気やった。以来、日曜の朝マックは我が家の楽しい定番イベントになっている。そんな貴重な団欒の席に突然訪れた惨事やった。「横這入り」という怒鳴り声で、辛うじてさっきコーヒーのお代わりしてもろたことに思い当った。それで瞬間的に立って「すんません」言うてしもた。ただその後が今となってはまずかったかもしれん。「コーヒーのお代わりは順番関係ないのに・・・」とついホンネをこぼしてしもた。途端にオヤジは血相を変えて喚きだした。こうなると妻や娘の手前もある。怖かったけど、こん限りの勇気出してオヤジの背中を押してカウンターまで連れて行った。店の人に証言してもらうつもりやった。そやのに忙しいのか誰も来てくれへん。しょうなしにオヤジと言い合いの続きをするしかなかった。その内やっと厨房から男の人が出てきた。なんかわけわからんことムニャムニャ言うだけで、らちアカン。オヤジはますますいきりたってきとる。ヤバッ、こら一発やられる思た時や。一瞬間があって店の人がスッと中に入り、そのまま二人を店外に押し出した。なんでか知らんけどオヤジもエライ素直に従うとった』

 花江は、恐ろしそうなオッちゃんを連れていく夫の誠を、呆然と見送った。
『いつものように日曜の朝を娘のアコを挟んで楽しんでいた。突然、一見やくざ風のオッちゃんが私らの席に乱入してきた。誠に向って怒鳴っている。誠が席を立っていったん謝った後、なんやら言うたみたいや。途端にまた揉めだした。その後、誠がオッちゃんを強引にカウンターの方に連れて行ったんにはビックリした。普段は気が小そうて優しい人や。そんなトコが好きで一緒になったんやのに・・・。一緒になってみて分かったことがある。たまに家族と一緒の時なんかに、変に意地張ったり強がったりすることや。今もその悪い癖が出てしもうたみたいや。あ~ぁ、大きな声で怒鳴られてる。「アコ、ちょっとだけ大人しゅう待っといてな」。カウンター前に来てみると、二人の横に高校生風の女の子がいた。オッちゃんの娘さんみたいで、真っ赤な顔してうつむいてた。10年ほど前のことを思いだした。私のお父ちゃんも酒癖悪うて、お母ちゃんをよう怒鳴ってた。家ん中なら我慢できたけど、外で怒鳴るんを見た時はホンマ恥ずかしゅうて泣きそうやった。この娘の気持ちよう分かるわ。怒鳴り声が一段大きゅうなってオッちゃんが殴りそうになった時や。オッちゃんがこの娘と目を合わして一瞬ひるんだようになったんを見逃がさんかった。そこを店の人がうまい具合に連れ出してくれた。もうええやろ。ヤマは越えた筈や。お父ちゃんの時に懲りてるさかい、その辺のことはよう分かる。アッこの娘、ちゃんと私に挨拶してる。でけた娘ぉや。アンナお父ちゃんと永いことつき合うとるとヤッパリ人間ができるんや。私とおんなじや。「お互いさまや」と心をこめて返しといた。アカン、アコのことが心配になってきた。席戻ろ』。

 信二は、自分のいつもながらの弱気を呪いながらカウンターのドアを押した。
『朝のピークで厨房もてんてこ舞いやった。そんな時、客席から大声で怒鳴り声が聞こえ出した。その内怒鳴り声はカウンター前に移ったようや。覗いてみるとヤットル、ヤットル。見るからに怖そうなヤクザっぽいオヤジと人の良さそうなサラリーマン風が喧嘩しとった。厨房のバイトの俺には関係ないことやと思てたら、風向きが変わってきた。パートのおばちゃんたちやバイトの女の子らがよってたかって、「店長は外出中やし、後は女ばっかりで男はアンタだけや。あんな人には男やないと相手してくれん筈や。どう考えてもアンタの出番や」みたいなこと言いだした。「なんでバイトで厨房担当の俺やねん。だいいち俺はどうみても草食系男子や。あんな肉食系の野獣みたいなオヤジの相手になれるわけないやないか」と言い返したが、多勢に無勢やった。カウンターの外に押し出された。しょうことなしに二人に近づいた。二人は口々に自分の言い分を速射砲のように浴びせてきた。一緒に言うもんやから何言うとるかよう分からん。何の口出しもできんで適当に相槌うちながら、ひたすら聞き役に徹していた。その内、野獣の咆哮が一段高うなった。こらアカンどつきよると思た瞬間、オヤジの目が一瞬泳いで黙ってしもた。ここやと思た。「他にもお客さん居てはるし。とりあえず外に行きましょ」と、イチかバチかの勝負かけた。二人の背中を押して何とか店の外に連れ出した。そやけどなんでオヤジの目が一瞬虚ろになったんやろか。それにしてもラッキーやった。あのお陰で何とか外に連れ出せたんやから・・・』

 智恵は、店の人に連れ出される徹三を半べそになりながら見送った。
『なんでオトンはイッツモ揉め事起こすんや。まわりの人はウチのことさぞ可哀そうに思てんやろな。それがどんだけ辛いことなんか、なんでオトンは分からんのや。ホンマ情けないヮ。オカンが家出て行ったんもオトンのそんなとこに辛抱仕切れんかったからやないか。ウチかてほんまは出て行きたかったヮ。ひとりになったオトンのこと思たら可哀そうで、結局ウチだけ残ったげたんやないか。そや、ウチだけでもしっかりせな。おばちゃんに謝まっとこ。「すんません。ウチのお父ちゃん、短気でイッツモあんなんです」言うたら、「ええんよ。ウチの人もムキになることなかったんや。お互い苦労するなぁ~」みたいな言葉をかけてもろた。ええおばちゃんや。それにしてもオトンはまだ表で喚いとるがな。ウチもだんだん腹立ってきた。こらウチがガツンと言わんとアカンな』

 徹三は、外で口論を続けながらジワッと気分が萎えてくるのを抑えられなかった。目を合わせた時の智恵の泣きそうな顔が利いてきたのだ。観客がいなくなって少し頭を冷やせたせいもある。おんなじことの繰り返しもええかげんアホらしなってきている。その時、智恵が出てきた。半べそだった顔つきが怒りを押し殺したようなキツイ顔つきに豹変している。「お父ちゃん!いつまでウチに辛い想いさせるんや。ええかげんにしときッ」。智恵の口から繰り出された強烈なパンチが徹三をまともに襲った。『アカン!智恵のあの目つきはほんまもんや。あの目つきになってしもたら四五日は口もきいてくれへん。おまけにキツイ一発もかましよった。こらここらが潮時や。しゃあないからアイツに言うたった。「ワシも言い過ぎたかもしれんけど、お前もこんなけ混んどる時に当たり前みたいな顔してお代わりするんはどやネン。並んどる客にチョッとは気いつこうたらどやネン」。それと横でヘラヘラしとる店長にも言うた。「お代わりサービスするんやったら、どの客も腹立たんようにせなアカンのとチャウか。混んでる時は控えてもらうとか、順番待ちの列に並ぶとか張り紙でけんのか」。二人ともホッとしたように頷いてた。ワシも言うこと言うたし、気が済んだ。智恵のご機嫌取らんとアカンし、もういっぺん店に入るか』

 誠は、オヤジが娘の一言で一気に態度を変えたのがアリアリと分かってびっくりした。
『おとなしそうな娘さんやと思てたら、キツイこと言いよんなぁ。そやけどヨウ言うてくれた。助かったぁ~。お陰でオヤジは急に言うこと変えよった。それにしてもオヤジの説教には参った。僕に向って「気遣い」を求めとる。およそ気遣いと無縁に生きてきたようなオヤジがや。思わず「こんなけ混んでる店先で大声で喚き散らすんも気遣いか!」と言い返しそうになったけど、そこはグッとこらえた。鎮火しかけてる火の手が再燃するんは目に見えてる。おんなじ過ちを繰り返すほどアホやない。それに言うてる本人のキャラに目ぇつぶれば、言うてる中味には一理ある。確かにオヤジの言うように、あんなけ混んでる時の割り込みたいなお代わりは、気遣いせんとアカンはな~。痛いとこ突かれてしもた。これからは気いつけよッ』

 信二は、最悪の事態だけは回避したものの、外に出てからも納まりそうにない口論にウンザリしていた。
『このトラブルにいつまで付き合わされるんや。俺は日本一気弱でお人よしのバイトや。そんなサイテーな気分で二人のいつ終わるかわからん言い合いに付き合うてた。ところが突然オヤジの娘が登場して、コトが一気に納まってしもた。意表を突いた急転直下の決着やった。俺は娘にマジ感謝した。それにしてもよう聞いたらこのオヤジもええこと言うとる。確かに混んでる時でもコーヒーのお代わりはいつでもOKちゅうんは考えんとアカンな。ヘタしたらこれからも今日とおんなじトラブルが起こりかねん。こら次のミーティングでちゃんと言うたろ。みんなも俺に嫌な役押しつけたんやから、賛成してくれるやろ。考えたらええ経験やったな。二人を店外に押し出した時の俺も、これまでの俺の行動パターンからは画期的なことやった。なんとなく一皮むけた気がするし。ヨッシャ、次のミーティングもこの調子でやったろ』

 徹三があっけなく矛をおさめるのを見て、智恵は拍子抜けした。『オトン、えろー素直やんか。エライエライ。言うとることも結構まともや。確かにおっちゃんももうチョッと済まなさそうなそぶりがあっても良かったやろし・・・。マックも混んでる時のお代わりサービスは、なんかやりようがありそうなもんや。オトンが怒らんでも、いつかおんなじこと起こりそうやもん。アレッ、オトンまた店に入るつもりや。あんなけ騒いどって、ええ根性してるなぁ。好きでもないハンバーガーつきおうてウチの機嫌とるつもりなんや。けどウチはゴメンや。皆の前でもう一回「気の毒な娘」続ける根性ないわ。その代わり家でオトンの好きな焼き鮭、卵焼き、具沢山味噌汁の豪華朝ご飯でも作ったろ』

 智恵は、店に入ろうとする徹三を呼び止めた。「もうウチに帰えろ。お父ちゃんの好きな朝ご飯作るワ」。それから横にいるおっちゃんと店の人に「お騒がせしました」と丁寧に頭を下げて、サッサと車の方に向った。徹三は「朝ご飯つくる」という智恵の言葉で、許してくれたと思た。それで救われたように頬をゆるめた。何といってもたった二人の家族なんやと、不覚にもウルウルしてくるのを抑えきれなかった。そこでハッと我に帰った時だ。娘の言いなりになっている自分を見つめている二人の観客に気づいた。二人に照れ隠しにチョッと口元をほころばせた後、バツ悪そうにすごすごと娘の後を追った。
 
  誠と信二は、オヤジが最後にみせた笑顔に呆気にとられた。思いがけない人なつこいメチャ愛嬌のある笑顔だった。嬉しくなった二人は思わず呟いていた。「なんや。ええ人やったんや」。                                    <了>

娘の荷物が一足先に出ていった2011年03月06日

 昨晩、婿殿が帰宅中の娘と合流してやってきた。いつものスポーツカーに代わって実家の小型ワゴン車が足になっている。
 娘の嫁ぐ日が近づいてきた。我が家の二階の四畳半の空き室には、日々荷物が積み上がっている。家内が折に触れてせっせと整えている娘の新居での日常生活品だ。食器類やら台所用品やら日用雑貨など結構カサ高い。新居の滋賀県は遠い。ひとまず婿殿の部屋に運び込むことになったようだ。そのための小型ワゴンでの来訪だった。
 「あれも持っていったら。これもいる筈や」。母の親心は間際になってもとどまることはない。仮契約したアパートの狭いスペースを気にする娘の意向も、親心の前には吹っ飛んでしまう。「戴いといたら?」と婿殿も口添えしている。私の出番はない。いや何となく素直に関われない気分は否定しがたい。花嫁の父の心情なのだろうか。
 10時過ぎに後部シートを荷物で埋めたワゴン車を見送った。リビングに戻った家内がボソッと呟いた。「だんだん娘が出て行く日が近づいてきたんやな」。同感だった。

披露宴献立の試食会2011年03月07日

 昨日の朝9時40分に、家内と娘を伴って自宅を出て京都に向った。久々の家族揃ってのお出かけである。京都駅八条口からシャトルバスで二条城向かいの京都全日空ホテルに12時前に着いた。
 ほどなくして婿殿とそのご両親と合流する。二度目の出合いだった。担当のブライダル・コーディネーターらしき若い女性に案内されて一室に入る。今日は、娘の結婚披露宴の献立試食会である。コース料理のそれぞれに二三種類の選択肢がある。出席者が試食しながら順次決めていくという一種のセレモニーと言えなくもない。前菜、ベーカリー、椀物、魚、肉それぞれのメインディッシュ、デザートなどを両家の6人が思い思いに感想を述べながら決めていく。それまでの準備は本人たちがどんどんお膳立てをしてきた。イマドキの挙式は両親の出番は殆どないようだ。その意味では初めて両親たちが参画する手順のヒトコマだった。それは同時に、赤の他人だった二家族が顔を合わせて、些細なことながらも物事を決めていく場である。それぞれの人柄や個性がはからずも出てしまう場面もあり、お互いの理解を深め合う機会ともなっている。
 2時間余りをかけて試食会を終えた。婿殿のご両親とはひとまずお別れし、婿殿の運転する車で北野天満宮に向った。おりしも梅の季節である。天満宮境内の梅林を観賞した後、受験関係者で混雑する拝殿に参拝した。引き続き松尾大社に向った。挙式会場だ。桂川の西側、松尾山を背にして建つ格式高い神社だった。拝殿で参拝後、挙式会場などを遠望する。ホテルで着付けを済ませた娘が駐車場から境内を通り式場に向うという。思わず白無垢の晴れ姿をイメージしてみる。本番ではどんな気持ちで眺めていることだろう。
 婿殿の実家はそこからほど近い場所にある。ご両親のお招きで立ち寄った。居間で地元ならではの上品な桜餅を戴きながらしばらく歓談した。婿殿に送られて京都駅に着いたのは5時過ぎだった。6時45分頃には帰宅した。雨模様の肌寒い初春の一日は、娘の幸せを刻む大切なステップを踏んだ一日でもあった。

旧街道の案内ポールが建った2011年03月08日

 今朝のいつものウォーキングコースだった。有馬川東岸の名来墓地の前に見慣れないポールが建っていた。近づいてみると丹波街道の文字が見える。黒塗りの木製ポールの白い地紋に楷書体でくっきりと書かれている。設置者は山口町徳風会だ。かねて徳風会理事長から「旧街道を整備し案内ポールも設置する準備をしている」と聞いていた。それが実現したのだと合点した。
 丹波街道の一部である平尻街道が名来山中を通過していた。以前に山中に道標があると聞き、熊笹をかき分けながらかなり苦労して辿り着いた。ひょとしたら今は整備されているかもしれない。墓地前の畦道を辿って山中に向った。前は途中で道がなくなり先に進むことを断念したルートだ。道のあちこちに竹の新しい切り株があった。明らかに整備された様子が窺がえる。早朝の人っ子一人いない寂しい山中の道を、少しドキドキしながら進んだ。三叉路を右に進んだ時、見覚えのある石碑が目に入った。お地蔵さんを刻んだ舟形の道標だった。前の苦労が嘘のように楽々と辿り着いた。さすがに組織の力は大したものだ。道標前の旧街道を西に向い金網で囲まれた関西電力の敷地横を通って名来神社横の道に出た。
 思いついて公智神社に向った。この近くの旧街道のひとつに播磨街道がある。公智神社と光明寺の間を抜ける道がそれだ。行ってみるとやはり「播磨街道」の案内ポールが光明寺側に設置されていた。
 今、山口町に新たな息吹が生まれつつある。初めてのフォトコンテストが開催された。山口町の公式ホームページが立ちあげられた。山口ホールを舞台に様々なイベントが計画されるようになった。旧街道の案内ポールの設置もそのひとつである。

術後の定期検診結果と映画鑑賞2011年03月09日

 午前中、大阪市大病院を訪ねた。二週間前に受けた胸部CT検査と全身のPET検査の結果を聞くためだ。4年前に皮膚癌の手術をしたが
5年間は転移による再発の懸念は拭えない。そこでこの間、CT検査は3カ月毎にPET検査は1年毎に受けている。
 若い女医さんの待つ診察室に入る。執刀医は転勤となり、二人目の主治医ということになる。検査報告書を手にした先生の言葉を固唾を呑んで待ちうける。「PET検査も胸部CT検査も特に問題ありませんでした。悪性黒色腫の数値を調べる腫瘍マーカーの結果も基準値内でした。ただ血液検査のγ-GTPの数値が基準値をかなりオーバーしてます。次回も同様な数値が続けば精密検査が必要です」。
 「良かった~ッ」と思わず口にした。γ-GTPはいつもオーバー気味である。その度合いが多少大きいようだ。むしろ問題はその後の女医さんの言葉だった。「もうしわけありませんが、私の担当は今日が最後になります。4月から転勤でその後が経験豊富な男性医師に変わります」。(え~ッ。またですか。折角なじんできて安心感があったのに・・・・)。という内心の想いは口にせず、「そうですか。残念ですね」と返すほかなかった。組織で動く大病院には避けがたい出来事である。
 11時には病院を後にした。4時からの労働委員会関係の会議までを例によってシネマを愉しんだ。選んだのは3DのSFX「ナルニア国物語 第3章」だった。「アバター」で3D作品を処女体験して以来、その美しさに驚いた。もう一度3Dを観たいと思っていたが、その後の3D映画の多くはディズニーアニメが多く選択外だった。ようやく日程と観たい作品が合致した。「ナルニア」を観終えて少し落胆した。映像そのものはアバターほどではなかったがまずまずの美しさだった。問題は中味だ。アバターにみられたようなメッセージがない。単なる冒険物語である。3Dの美しさをもう一度観たいというだけの動機で選んだ愚かしさを自嘲した。

司馬遼太郎著「この国のかたち 五」2011年03月10日

 「大聖堂」や「阪急電車」など、読みかけの読書の寄り道をした。そしてようやく司馬遼太郎の「この国のかたち 五」に舞い戻って読み終えた。
 この全六巻の著作のあちこちの頁の上隅は折り曲げられている。読みながら感じ入った記述のある個所を読み返せるようにという印だ。付箋の習慣のない私の子供じみた覚えである。第五巻は折れ曲がった頁の何と多いことか。第五巻の「神道」と「鉄」の考察が面白かった。それぞれが日本という国に及ぼした影響について述べられている。
 「神道」は学生時代に何らかの形でマルキシズムの影響を受けた世代には、少なからず身構えてしまう宗教である。それは多分に国民を精神的に糾合して大東亜戦争に駆り立てた「国家神道」のイデオロギーに重なっている。作者は、神道の歴史的な歩みを冷静に追いながら「国家神道」が明治期以降の一時期の変質した姿であることを明らかにする。「自然をもって神々としてきた」古神道以来の日本人の姿を浮かび上がらせる。
 「鉄ほど人類と深くむすびついた金属もない」で始まる「鉄」の考察も面白い。日本の水田稲作の弥生文化はセットとして鉄が付随した。五世紀の中国山脈での国産製鉄を支えたのは朝鮮半島からの渡来人だったと指摘される。製鉄には莫大な量の木炭を要する。朝鮮半島南部の製鉄の地は乾燥地質で山林伐採でほどなく禿げ山になった。彼らは製鉄環境を求めて多湿で山林の再生が容易な出雲の地に大挙してやってきたという。出雲神話に登場するスサノオノ命のヤマタノオロチ退治の物語は、大和政権と渡来人である古代製鉄集団との攻防物語と言えなくもない。古代出雲族が大和政権と覇を競ったと伝えられている。その現実的な裏付けに何世紀にも渡って渡来した製鉄集団の存在があげられている。極めて興味深い指摘だった。