塩野七生著「ローマ人の物語」2006年10月09日

 文庫本の発刊を機に、塩野七生の「ローマ人の物語」を読み始めた。巻を重ね今や26巻を数えている。読み応えのある示唆に富んだ力作である。
 研究者からは、歴史書とするにはフィクションや著者の想像による断定が多すぎるとして小説として扱われているらしい。読者は、少なくとも私は、この著作に史実の学習を求めてはいない。史上に燦然と輝く「ローマ世界」とも呼ぶべき壮大な一大文明圏が、どのように形成され、長期に渡って維持され、そして消滅していったのかを知りたいと思っている。その点ではこの著作は期待以上に応えてくれている。
 昨年はイタリアに、今年はドイツとスイスに旅をした。先々でローマ人の偉大な業績の跡を見た。ドイツツアーの軽薄な観光用キャッチコピーの印象が強い「ロマンチック街道」とは、本来は古代ローマ人たちが敷設した「ローマ街道」のことである。「ローマ人の物語」が私のヨーロッパ紀行をより豊かに密度の濃いものにしてくれたことは間違いない。
 「文明の衝突」が始まった今日の世界はいざ知らず、かって西洋文明が人類の文明史の中心をなしていたと看做されていたことは否定しがたい。同じ時期に中国をはじめとする東洋文明が厳然として存在していたにも関わらずである。何故なのか。
 その最大の要因に西洋文明の根底にあるローマ文明があげられると思う。共和政ローマが紀元前6世紀に始まっていることは驚嘆すべき事実である。帝政ローマの時代さえも元老院とローマ市民が法制上の主権者だった。西洋文明の骨格を構成する民主主義はローマ人たちの遺産と言って良い。広大なローマ帝国の統治下で人々は平和と繁栄と安定を享受した。同じ時期の東洋は専制と腐敗と戦乱が繰り返され、部族間抗争が絶えることがなかった。民主制という概念すら生まれることはなかった。この違いのもたらす普遍性の違いが、その後の人類史のポジションを決定づけたと思えてしまう。
 「ローマ人の物語」からを学ぶべきは、史実ではなく文明観ではないかと思う。