ビジネスライフ最後の日2008年05月10日

 2008年5月10日がやってきた。私の40年のビジネスライフの最後の日だ。リタイヤ後にどれだけの人生が残されているのか知るよしもないが、今日という日が私にとって大きな節目となることだけは確かだろう。
 いつものように5時前に目が覚めた。着替え、朝食、洗顔を済ませ、朝刊にざっと目を通す。ドアを開けると小雨模様である。ビジネスライフに別れを告げる涙雨か・・・といつにない感傷がよぎったりする。徒歩数分のバス停に向う。機械のようないつも通りの手順が、今尚現役であることの証しを刻んでいる。
 職場最寄りの地下鉄駅に到着した。職場までの道すがらの景色にふと感慨を覚える。この時間帯のこの景色は二度と眺めることのない景色なのだ。会社のあるビルに着いた。職場で目覚めの早い最年長の身ともなれば朝一番の出勤者になることも多かった。もう使うことのない玄関の鍵を開けながら、「この鍵の返却を忘れないこと」と自身に念押ししている生真面目さに苦笑する。
 誰もいないオフィスのデスクで、いつもの手順で所定の処理を行う。グループウェアを起動してスケジュールを確認し、メールチェックと必要なメールへのレスポンス、各店から送信された営業日報の閲覧等々。
 最終勤務日の処理にかかる。デスク内の私物処理はあらかた済ませてある。残されているのは文具小物の処理や、最終まで使用した幾つかの書類のファイル処理だけだ。IT時代では専用パソコンのデータ処理が欠かせない。こちらもあらかたは後任者たちにデータやファイルの引継ぎを終えている。残されたデータはSEの手でリカバリーされ、白紙化されるのだが、自分自身の手で削除しておくべきデータや受送信メールもある。合間に、気になる事項について何人かの同僚達に遺言?を伝言したりして、もはや処理する事項もない最後の出勤日の閑な時間をすごした。伝言される側は迷惑だったかもしれない。
 夕刻、事務所スタッフ全員が難波の歓送迎会の会場に出発した。30数名の参加者による歓送迎会が始まった。挨拶や乾杯の後、しばらく会食懇親が続く。アルコールがほどよく体内に循環した頃、司会者から今日の主賓たちの出番が告げられる。4名の退職者たちが社長から送る言葉とともにを感謝状、餞別を贈呈され、同じ部署の女子社員から花束を贈呈される。女子社員のいない約1名は、不幸な役回りを命じられた部下の男子から、それ自体で盛り上がりのある贈呈を演出する羽目になった。歓送迎会は、同じ主賓とは言え、送られる人に比べ迎えられる人の扱いが軽きに流れるのはやむをえまい。二人の新人の長めのスピーチに社長からマキが入ったりする。
 メインエベントが終了すると、後は切り捨て後免の無礼講の世界である。退職者のグラスにはあちこちからビールが注がれる。適度に受け答えした後、自らもビール瓶片手に返杯にテーブルを巡回する。今日ばかりはじっくり腰を据えて会食するわけにはいかない。空きっ腹にアルコールがどんどん投入されていく。所定の時間が過ぎた。「後は棺桶に入るだけ・・・」という常務のブラックジョークとともに一本締めの発声と一同の追い出しの手打ちがあり、お開きとなる。
 数分後には地下鉄なんば駅のホームに大きな花束を抱えた焦点の定まらない目線のオヤジの姿があった。飲み会帰りにしばしば目にしたいかにも定年退職者の送別会帰りの姿を今自分が演じている。大阪駅で帰宅の電車を確認し、家内の携帯に帰るコールをする。かって転勤送別会で酩酊した上、贈られた花束をJR車内に置き忘れた前科がある。最寄り駅に迎えた家内からマイカー車内で声をかけられた。「永いことお疲れさん。今日は花束を持って帰ったんやネ」。私「・・・・・・」。帰宅後、我が家の食卓に花瓶に盛られた花束が無事飾られることになった。
 長くて短い記念すべき一日が終わった。