国勢調査を完了した2010年10月21日

 二日前に市役所から封書が届いた。国勢調査の担当部署からの調査用紙の郵送提出世帯リストが同封されていた。調査票を配布した際に郵送で提出すると回答された世帯からの実際の郵送提出結果の通知だった。担当地域では116軒の世帯が郵送を選択され郵送済世帯は110軒だった。実に95%もの高率の郵送回収率だった。担当エリアが戸建住宅ばかりの新興住宅街だったことが回収率の高さの要因であることは否めない。
 一昨日すぐに未提出世帯6軒を訪問し、提出依頼をした上で、時間を置いて再訪問し直接回収することにした。その結果、1軒は郵送日の遅れによるリスト漏れで担当部署に連絡し回収済が確認できた。残り4軒は昨晩までに再訪問し回収した。残り1軒は単身世帯で何度も訪問してようやく調査票を配布した方だ。今度も3回目の訪問でインタフォン越しに「すぐに出張に出るため渡せないが出張先から郵送する」旨の意向が伝えられた。市役所の指導員に連絡すると「ご本人の意向を尊重する他はない。それ以上の対応は不要」とのことだった。
 担当エリアには124軒の戸数があったが、6軒は空き家だったり、セカンドハウス的な所有で在住されていなかったりで調査対象世帯は118軒だった。これで担当エリアの全ての実態が補足されたといえる。調査員を引き受けて曲がりなりにもその任務を完了した。後は25日に指導員に完了書類を提出するばかりである。

藤沢周平著「長門守の陰謀」2010年10月22日

 秋の恒例の「ローマ人の物語」3巻を読了しハタと困った。次の再読を何にするか悩んでしまう。書棚を見渡して、結局選んだのは藤沢周平の短編集だった。
 「長門守の陰謀」と題された文庫本は、1987年執筆の短編5編をおさめたものだ。短編ゆえにどの作品もずっしり響く感動まではいかないものの、爽やかな読後感を味わえる。藤沢周平は最も好きな作家のひとりである。作者が織りなす人間関係と人情の機微を表現する上で、時代小説という衣がこれほど似合う作家はいないのではないかと思う。
 藤沢周平という作家は、私にとって心の安らぎを求めて手にした時、いつでもそれがかなえられる作品を提供してくれる。

船坂ビエンナーレ20102010年10月23日

 朝一番に家内を伴ってマイカーで船坂のビエンナーレに出かけた。昨年の経験から土地勘はある。9時45分頃に船坂に到着し、善照寺西側の広場に駐車した。真っ先に船坂小学校の総合案内所で散策マップを手に入れる。
 総合案内所のあるランチルーム棟には、最初の作品「生きろ村」がある。すぐ上の校舎の教室を舞台とした作品群を見て回る。ボランティアの地元のご婦人方が要所に詰めている。昨年以上に地元の力の入れようが伝わってくる。小さな部屋の壁面を白いワイシャツを固めたブロックで覆った作品があった。真ん中に白い椅子がポツンと置かれている。何を訴えたいのかわからない。なぜかアウシュビッツの処刑場のイメージが浮かんだ。見る者に自由に想像の翼を広げてもらうことこそ作家の意図なのかもしれない。
 校庭東の通用口から畦道を南に下って棚田エリアに入った。大多田川のせせらぎを跨ぐように赤い糸の造形三体の作品があった。棚田の入口近くの畦道で家内が悲鳴をあげた。50cmほどの蛇がうずくまっていた。その先には「まむしに注意」の行き届いた?小さな看板が絶妙のタイミングで立っていた。それにしても気持ちが良い棚田の散策である。作品群が見事に田園風景の中に溶け込んでいる。迂闊に過ごすと見落としそうな展示スタイルはまるでウォークラリーを思わせる。棚田の頂上付近の作品前で知人に出会い雑談した。船坂の長老ともいうべき方だ。イベントの合間の畑仕事の最中だった。萱葺屋根の古民家にやってきた。休みなく続く古民家再生プロジェクトの取組みが昨年に続いて紹介されている。
 有馬街道から西に向い船坂川手前の道を北に入ると湯山古道エリアになる。船坂川を挟んで両脇の作品を確認し、東に向う。萱葺の古民家の並ぶ一角に作品群をおさめた展示場を兼ねた古民家がある。萱葺屋根自体が作品なのだろう。屋根の左右には色とりどりのバンドエイドの形状の布で覆われている。屋内には三つの作品餓展示されている。
 山王神社手前の小路を左に折れた先に駐車場がある。その前を抜けて善照寺東側の二つの作品を見た。総合案内所に戻りアンケートを提出して駐車場に戻る。昼食を娘と一緒に外食することにしている。そのため2時間足らずの駆け足のアート散策だった。うっすらと心地良い汗を滲ませた秋の憩いのひと時を終えた

久々の娘との家族だんらん2010年10月24日

 週末の土日をいつも出かけている娘が、今日は自宅に居るという。久々に昼食は家族揃って外食に出かけることにした。以前、夫婦で行った住宅団地内の店「カフェテラス・バラクレートス西村」である。正午前の静かな店内があっという間にいっぱいになった。屋外のテラスには小型犬を抱えたグループで埋まってきた。こちらのゾーンはドッグカフェ風の利用客も多そうだ。
 店内テーブルで夫婦と娘の三人家族でランチを注文した。共通の6点盛りの前菜プレートにメインディッシュはお好みで6種のメニューから選択できる。ビーフポテトロールをオーダーした。ビーフでくるんだポテトにたっぷりの野菜サラダが添えられた上品な料理だった。
 久々の家族らんだんの話題に進行中の娘の縁談は外せない。挙式のことから結婚後の生活設計に話しが及ぶ。現実的な家計のやりくりをシュミレーションしたようだ。さすがに浮ついた気分ではいられないようだ。人生の先輩としておごそかに告げた。「『入るを量り、出ずるを制す』という言葉を肝に銘じんとアカン」。こうした場面ではやけに神妙なになる娘を前に、嬉しさと心配と寂しさが一緒になって訪れる。

出合い頭の遭遇2010年10月25日

 朝9時45分、国勢調査の調査書類受け渡しの会場である山口センターに着いた。4階エレベーターのドアが開いた。ドアの向うに思いがけない人の顔があった。一瞬の驚きの後、すかさず声をかけた。「お久しぶり!お元気ですか?」。同様に驚いた風な顔から返された。「おかげさまで元気にやってます」。そして閉まりかけようとするエレベーターの中の人になった。それだけのことだった。
 あるボランティア組織の幹部だった人だ。5か月前まで会議や挨拶運動の小学校校門前で頻繁に顔を合わせていた。最後の二三ヶ月は組織の運営を巡る立場の違いから、組織を二分する論争を繰り広げた相手方の中心人物だった人だ。袂を分かって、会うことがなくなって久しい。時折り遠くから姿を見かけたことはあっても面と向かい合ったのは初めてだ。恐らく私同様に今回の国勢調査の調査員を引き受け、書類受け渡しを終えたばかりだったのだろう。5か月という時の流れが、驚きとともに懐かしささえももたらした。バツの悪さを越えて、そんな感情を抱かせてくれた「出合い頭の遭遇」に感謝した。

身体のパーツの耐用年数2010年10月26日

 労働委員会の会議を終えて帰路に着いた。JR宝塚駅で途中下車した。席を立った時、腰の鈍痛がこたえた。先日からここ何年かに時折訪れる腰痛が再発していた。駅の北側にある泌尿器科医院に着いた。近所の診療所で受けた血液検査で前立腺の値が高めだった。専門医に精密検査を受けるよう勧められていたのだ。診察を待ちながら、このところの身体のあちこちの不具合を思わずにはおれない。
 数年前には眼圧が急激に上昇するポスナーシュロスマン症候群という目の病を告げられている。自前の歯を失くして久しい。頭髪は富みにおぼろになってきた。何よりも悪性黒色腫という大病が右手親指を奪っていた。
 以前読んだ五木寛之の著作にあった「人生50年説」という話しを思い出した。人間の各パーツは大体50年くらいはもつように作られている。それを過ぎると耐用年数切れなのだから、あちこちで不具合が出てきて当たり前。「人生50年」は「50年生きられる」ということでなく、「50年は何とかまともに生きられる」ということだというような意味だったと思う。
 人生50年をとっくに過ぎている。身体の各パーツにガタがきて当然ではないか。正常に機能しているパーツこそ、よくぞ持ちこたえていると褒めるべきだろう。くよくよせずに不具合と折り合いをつけながら身を労わって暮らしていこう。

歳告げ人2010年10月27日

 今年の高齢者実態調査を終えた。民生委員としての最も重要で基本の活動である。担当地区在住の65歳以上の方をお訪ねして様子を伺った。今年は高齢世帯や独居世帯の方の緊急連絡先もお尋ねした。
 調査に当たっては、毎年市の担当部署から対象者のデータが渡される。新たに65歳を迎えられた方が増え対象者数は年々増加する。今年は15名の方がリストに追加された。既にご主人が対象者で奥さんがそこに追加された場合は問題ない。これまでの訪問で奥さん自身が応対者であった場合が多いからだ。いやいやながらも心の準備ができている。初めて65歳を迎えた方がいるお宅の訪問は少し説明を要する。65歳以上になると民生委員が訪問するということを初めて知った方も多い。それ以上に見ず知らずの他人から、65歳になったことをあらためて告げられることの抵抗感もある筈だ。
 ある日、そんなお宅の一軒を訪ねた。おりしもご夫婦で散歩に出かけようと門扉から出られた所に出くわした。身分を告げて訪問目的を話した。ご主人の顔には戸惑いと不快感の入り混じった表情が浮かんでいる。奥さんの表情にも連れ合いの歳を思い知らされた複雑な気分が映されている。それでも「こちらこそよろしく」の声を聞いてホッとする。
 民生委員は「歳告げ人」でもあると思った。

労働委員会の制度疲労2010年10月28日

 昨日、労働委員会の定例会議の前に労働者委員会議があった。労働委員会の全国組織の総会開催に向けた打合せだった。大きなテーマが三つあるとのことだった。「労働者性を巡る議論」「委員会の活性化」「委員の月額報酬問題」である。
 近年、「労働者性」判断について労働委員会命令が行政訴訟でしばしば覆される。労使関係や経済環境を踏まえた委員会判断と厳密な法解釈をベースとした裁判所の判断との立場の違いのように思われる。生きた経済状況を踏まえた判断が、限定された法解釈に修正を加えられることに違和感を覚える。労働事件の五審制の在り方が問われているようにも思う。
 「活性化問題」は、労働委員会の扱い件数問題でもある。問題の複雑さの背景に事件件数の府県毎のバラつきの大きさがある。事業所や雇用者の大都市集中化という経済環境の変化を無視できない。府県単位で設置されている労働委員会の制度設計の在り方にも及ぶ問題のようにも思う。
 「報酬問題」も府県毎の扱い件数のバラつきが背景にある。日額報酬の合理性を採用すれば、事件件数が圧倒的に少ない府県では委員会の存続そのものが危うくなる。
 いずれにしろ昭和24年制定の労組法を根拠に置く労働委員会制度自体が60年以上を経て制度疲労を発症しているのではないだろうか。

再発した腰痛とのお付き合い2010年10月29日

 カーテンに囲まれた狭い治療台でうつ伏せになっていた。15分間にセットされた電気マッサージに身を任せていた。パタパタと床を打つスリッパの音がする。患者と世間話しをする先生の声が聞こえる。それらの物音がだんだん遠くなる。いつのまにか眠気を催している。電磁波の発する締め付けるような刺激の中で、よくぞ眠れるものだと別の自分が感心していた。
 腰痛を再発して昨日から行きつけの整骨院に通院を始めた。先生は腰の筋肉に触れた途端、「だいぶ固くなってますね」と鈍痛の個所を見事に言い当てる。「今も歩いてるんでしょ。だからこの程度でおさまってるんです」。何度かの通院で私の日々のウォーキング習慣を覚えてもらっている。途端に気持ちが切り替わる。「なんでまた腰痛なんや」という気分が、「そうや、日頃の努力が報われてるんや」の気分に変わる。単純なものだが、この歳になるとこの切り替えが欠かせない。それを気づかせてもらった先生もたいしたものだ。
 昨日は労働委員会という行政機関の制度疲労を想った。今日は我が身の筋肉疲労を思い知った。

賄い飯の味わい2010年10月30日

 先日、ある会合で地元の自治会関係者を前に私の地域紹介サイト「にしのみや山口風土記」http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/yamaguti-hudoki.htm についてお話をさせて頂く機会があった。
 その中でHP風土記の顧客は誰かについて次のように述べた。最大の顧客は山口の新興住宅街在住のリタイヤ世代の筈だ。これは私の公民館講座「山口風土記探訪」の受講者アンケートでも裏付けられる。延受講者84名中82%が新興住宅街在住者で60代、70代の方が90%を占める。新興住宅街も開発後多くの年数を経て成熟期を迎えている。それは住民の高齢化とも重なっている。終の棲家としてこの地に移り住んだ多くの人が、リタイヤを迎えてあらためてこの町のことを知り、見つめ直したいという想いが受講動機になっているようだ。次に山口の職場に赴任した外部在住者があげられる。とりわけ仕事柄この町のことを知っておきたい学校や公共事業関係者のアクセスが想定される。更に市南部や外部在住者で山口を訪ねて散策してみようと思った人が事前情報を得るためにアクセスされる場合も考えられる。
 ではそうした顧客はHP風土記にどんな情報を求めているのだろう。上記の顧客たちはいずれも「旅人」という共通のキーワードがある。在住者といえど新興住宅街住民はいわば「異邦人」である。旅人たちが旅先で知りたい情報は何か。自分自身に置き換えて考えても、表面的な観光名所や観光客向けの気取ったグルメではない。地元に密着し継承されてきた伝統文化に息づく史跡や風物・風土であり、住民ならこそ知り尽くした地元食材の旬の味ではないか。それは言い換えれば、素材の特徴を知り尽くした料理人たちが、余った食材を使って自分たちのために巧みに調理した「賄い飯の味わい」にも似たものではないか。
 HP風土記を、「賄い飯の味わい」を心しながら、在住者目線でビジュアルでタイムリーな地元情報として発信していきたいと結んだ。